Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!!   作:388859

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エインズワース城~トライエンカウント~

 

 

「ジュリアン、エインズワース……!?」

 

 確かそれは敵の首領ーーゲームで言うならばラスボスだと、イリヤは頭の片隅で記憶していた。

 千年続く魔術の名門、エインズワース家の当主であり、美遊という願望機を使って人類を救済せんとする、破綻者。

 イリヤのイメージだと、それはまさしく政治家に近かった。犠牲を厭わず、世界のためならなんだってやってのけてしまうような、中年に差し掛かるだろう男。

 しかし目の前のジュリアンは、そんなイメージからは遠く離れていた。

 

「笑えねえな、おい」

 

 背丈はその年齢からすると、やや平均から低い。服装も穂群原学園の高等部の制服に似ている……いや、あれはそのものか。顔も眉間に皺や隈があるが、童顔でそこまで年頃の少年と離れてはいない。

 ただ、その少年が放っている静かな熱は、明らかに普通のそれとはかけ離れていた。凍てつくほど底冷えした視線を放っているのに、その燃え上がる炎のような怒気は、現実すら消し炭にしそうなほどの熱量がある。

 アンバランスさが融合した元凶は、喋ることすら億劫そうに、

 

「なあ、どうしてだ。どうして、俺の前に立ち塞がる? 状況が分からないほど愚図ならまだいいが、お前はそうじゃないだろう?」

 

「……この世界は滅びようとしてて、それをあなたが救おうとしてる」

 

「そうだ、イリヤスフィール」

 

 か、と革靴が階段を蹴る。その音に合わせるように、ジュリアンの言葉数も増える。

 

「天変地異により、地球と言う星の限界がすぐそこまで来ている。美遊を使い、世界を救う。計画に間違いはない。あのままだったらその時点で全ての人間が救えた。そう、救えた。救えたハズだった。あの忌々しい男の邪魔がなければな」

 

「本当に?」

 

 イリヤが億さず、割り込む。

 無知とでも言いたげに睨みを利かせるジュリアンに、イリヤは逃げ出したくなりそうになりながら、

 

「た、確かに。ミユの力を使えば、みんなが幸せになったかもしれない。でも、そんなの間違ってる。そのせいでミユが死ぬのなら、それはみんなでたった一人の女の子を殺すのと一緒じゃ、」

 

そうだ(・・・)

 

「っ、!?」

 

 取り繕うことすらしなかった。

 そんな疑問など、ジュリアンは当に何度も踏みつけ、その上で覚悟しているのだろう。

 

「世界を救う……たったそれだけのことだ。なのに、その鍵となる美遊を取り戻すまで、三ヶ月かかった。分かるか? 本来なら果たされていた救済が、三ヶ月も先送りにされた。星の歴史を考えれば、たった三ヶ月かもしれない。だが三ヶ月も待たされた間に死んだ人間の数を考えると、気が狂いそうになると思わないのか?」

 

 三ヶ月前。本当なら美遊を犠牲にすることで、世界は救われるハズだった。

 それを止めたのが美遊の兄ーーつまり、この世界の衛宮士郎である。世界全てを敵に回し、妹を守り切った美遊の味方。

 しかしそれは、人類という種全体を考えれば、悪として断罪されるべき行為。

 

「なあ。教えてくれよ、死人(・・)

 

 さながら、剥き出しのナイフで刺されるような、躊躇いのない言葉だった。

 

「三ヶ月も抑止力を抑えていたとはいえ、美遊だけの力で本当に全てを守れたと思うか? かろうじて町の体裁を保てる程度にしかもう、住民が少なくなってる。この意味が分からないほど、間抜けじゃねぇだろ?」

 

「……」

 

「だから聞こう、イリヤスフィール」

 

 

「何の力も持たず、大した計画もない。一発逆転のジョーカーどころか自決用のナイフすら持ってなさそうなガキが、ここへ何しに来た?」

 

 

 敵の親玉たるジュリアンがわざわざ出向いてきたのは、つまるところそういうことなのだろう。

 盤面はもう覆らない。人の時代は終わり、この星は滅びる。世界と言う盤面ごと引っくり返す方法は美遊だけ。なのに、まだ抗う者がいる。

 ジュリアンからすれば、理解出来ないのも仕方がない。

 だけど、それはイリヤも同じだ。 

 

「……ミユを助けるために」

 

「それはこの世界の人々全てを篩にかけられる選択か?」

 

 突きつけられる現実が、鉛より重い。

 この世界にきてから、それをより重くイリヤは感じていた。

 

「……ミユのために、みんなを犠牲にするのは絶対に間違いだと思う」

 

 だから少女が胸を張って言えたのは、それだけは間違っていないと、そう心の底から信じたこと。

 

「なら」

 

「だから、わたしはあなたを含めたみんな(・・・・・・・・・・)を助ける」

 

 石の床まであと一段というところで、ジュリアンの足が止まった。

 

「……」

 

 例え彼がどれだけの絶望にぶつかったとしても、この世界でどれだけの人が死んだとしても。

 イリヤはそれでも、知っている。

 何かを犠牲にすることが、本当の意味で正しくはないのだと。

 世界が滅ぶその間際であっても、諦める理由になんかなりはしないと。

 

「わたしには、誰にとって何が大事かなんて、そんなことまでは分からない。きっとあなたのやろうとしてることは、みんなを助けようとしてやってることなんだと思う。でも、わたしは、だからこそ、みんな助けたい。一人残らず、みんなとまた、笑えるように!」

 

「……言いたいことはそれだけか?」

 

 ミシリ、とジュリアンの手が手摺を掴み、潰した。殺意の顕れは、今まで以上に物理的な破壊を伴っていた。

 

「……話にならねぇな。言うに事欠いて、それか。青臭い感情論どころか、小学生でも分かるような引き算すら、テメェは理解してねぇのか?」

 

「理解はしてるよ。引き算されるとしたら、わたしみたいな存在は真っ先にマイナスされて、置き去りにされる。でも、そんなわたしを救ってくれた人ならーーお兄ちゃんなら。きっと、まだ諦めたりなんかしない」

 

「……またか」

 

 ジュリアンが歯軋りする。双眸が、ドス黒い光を帯びた。

 

「またお前が邪魔をするか……衛宮士郎……!」

 

 狂い、滾る熱に、ジュリアンは浮かされたかのように呟く。

 しかしイリヤは引かない。

 

「ねえ、ジュリアン。ミユとお兄ちゃんは、どこ?」

 

「教えると思ってんのか?」

 

「知らないならいいよ。でも、ここに居るのなら、二人のことは勝手に探す。そうしてほしくないなら教えて。二人は何処?」

 

「礼儀がなっていないな。人の城に忍び込んだあげく、盗人紛いの物色か? 秘密の金庫に厳重に保管してあると思ってるのか?」

 

「ミユとお兄ちゃんはモノじゃない!!」

 

 言葉に噛みつくイリヤを、ルヴィアが前に出て制する。

 

「落ち着きなさい、イリヤスフィール。我々の目的はあくまで二人との接触。敵から情報を得るならまだしも、自ら獅子の尾を踏みにいくことなんてありませんわ」

 

「利口だな。ここがエインズワースの工房だということは、忘れてはいないらしい」

 

 イリヤは失念していたが、ここはもう既に敵地のど真ん中。それも魔術師の場合、相手の工房に何の対策もなく足を踏み入れるなど、死を覚悟しても可笑しくない状況だ。

 しかしそれでもなお、ルヴィアの相貌には一切迷いが見えない。彼女ほどの魔術師ならば、この城に張り巡らされた魔術の数々を感知し、その脅威を正確に感じ取っていたというのに。

 

「勘違いしてもらっては困るので、一つ訂正を。わたくしは騒ぐイリヤスフィールを諌めただけであって、その言葉自体は否定しませんわ」

 

「……なに?」

 

「道を開けなさい、エインズワースの当主」

 

 バッ、とルヴィアがいつものように、自信たっぷりに左腕を水平に突き出した。

 

「私には、会わなくてはならない少女がいます。例え求められているのは、違う私であっても。私を姉と呼んだ少女を前に、みすみす見逃すなんてこと、あり得ませんでしょう?」

 

 可憐に、しかし鮮烈に。誰よりも気高く。イリヤより一回り以上大きくても、同じ女性のハズなのに、その姿はとても頼もしい。

 

「私はルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。エーデルフェルトの当主にして、一度食らいついた獲物は逃がさないハンター。さあ、それでは押し通させてもらいましょうか」

 

 両肩の部分を脱ぐと、そこらに投げ捨ててルヴィアは肩に巻いた宝石に指先を触れさせる。速やかに解放された魔力が、ルヴィアの周囲をたゆたう。

 

「……どいつもこいつも、楽観的な馬鹿ばかりで、気が狂いそうになるな」

 

 ジュリアンがポケットに入れていた手を引き抜くと、指をパチン、と鳴らした。

 

「来い、アンジェリカ」

 

 少年の真横。誰もいない虚空。そこの空間が、まるで幾重もの鏡が現れるような、不思議な現象が起こった後、鏡の中から一人の女性が出現した。

 

夢幻召喚(インストール)

 

 魔力の爆発。それは爆風となって玄関を走り抜け、煙幕のように辺りが見えなくなる。

 と、そのときだった。

 煙の向こうで、チカッ、と稲光のように何かが迸った。

 

「おっと危ない」

 

 ルヴィアの襟を引っ張り、代わりにギルガメッシュが前に出る。爆風を突き破ってきたそれーー王の財宝は、三人の前に展開した黄金の水面に吸い込まれ、元から狙いが逸れていた宝物が乱雑に大理石の床をめくり上がらせる。

 

「全く、爆風に紛れて攻撃とは。あまり僕の品格を落とさないでほしいな、アンジェリカ?」

 

「……元よりあってないようなものだろう」

 

 見覚えがある姿だった。金の鎧を纏い、赤い腰布を巻いている女性ーーアンジェリカ。それは、自分達を守っているギルガメッシュと似通っている。

 ジュリアンは踵を返すと、

 

「殺すな。だが痛め付けた後、イリヤスフィールは回収しろ。それは、補助として使えるかもしれん」

 

「了解しました、ジュリアン様」

 

「、まっ、」

 

 イリヤの言葉に聞く耳すらもたず、ジュリアンは鏡の空間へと消えていく。置換魔術で何処かへ消えたのだ。

 

「……ジュリアン様からの命令だ。殺しはしない。が、手足を削ぎ落とす(・・・・・)くらいは許されているようだ」

 

「!」

 

 アンジェリカはそう言うやいなや、宝具、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を展開。城という屋内だからこそ、その脅威から逃げる術はないようにも思えるほど、黄金の砲門は広く出現している。

 だがギルガメッシュは慌てず、やや早口で。

 

「行って。美遊やお兄さんと会うんでしょ?」

 

「、でも!」

 

「僕の心配かい? それとも子供の僕じゃ頼りないかな? どちらにせよ、その心配は僕には不要だよ、イリヤスフィール。よりによって僕を心配するなんて、君もお人好しだね」

 

 アンジェリカが肩まで手を上げ、下げる。それだけで、王の財宝が一気に放たれた。

 ギルガメッシュは慌てず、同じように王の財宝を展開。しかし門としての機能だけを使い、財宝の所有権を逆に奪う。

 

「……厄介だな」

 

「ほらね? 僕なら心配ない、だから行って」

 

「行きましょう、イリヤスフィール。目的が何か、二度も言わせないでくださいまし」

 

 ルヴィアが背後のドアを開ける。すると、中は先程と同じように鏡の空間になっていた。置換魔術だ。これなら、アンジェリカも容易には追えないだろう。

 イリヤは最後まで迷っていたが、最後にはルヴィアへと駆け寄った。

 

「おっとそうだ、忘れ物」

 

 忘れ物? イリヤが疑問符を浮かべると、後ろからイリヤの手元に一枚のクラスカードが飛んできた。

 アーチャーのクラスカード。

 本当なら、こんなカードはあり得ない。何故ならこのカードはクロの核となっているハズのカード。クロが生きている限り、二度と使用することは出来ないーーハズだった。 

 

「……これ、あなたの?」

 

「保険さ。僕はこのままでもある程度は戦える。だが君は違う。まあ、君がそれを扱えるかはさておき……そのカードをどう使うか、それは君が決めなよ」

 

「……」

 

 どうやら本当に、イリヤのことを考えてこのカードを渡したようだ。ギルガメッシュにとって、ある意味で現代への楔のような役割を持つカードを、他人に託すとは。

 一度自分達の世界を壊そうとしたとは思えない。けれど、だからって目の前の彼を許したわけでもない。

 

「……多分、あなたのことはこれでも信用できない。あなたはわたしの大切なものを、沢山傷つけた」

 

「うん、だろうね。自分で言っちゃなんだけど、それだけのことはしたし」

 

「それでも、これだけは言わせて……ありがとう。あとで絶対、迎えにいくから!」

 

 それだけ言い、イリヤはルヴィアと共に背後のドアを開けて入った。それを確認すると、ギルガメッシュは財宝の展開を止めて柱の後ろへステップする。

 

「……全く。お人好しにも程がある。これから先、一回くらいは潰れそうだね、あれは」

 

 くくく、と想像して笑うギルガメッシュ。

 流石に敷地内を壊すのには抵抗があるのか、アンジェリカは王の財宝による射撃を止めた。

 

「……まさか、お前があの二人を逃がすとはな。状況的にはそれが最適だが、何故?」

 

「何故って、決まってるだろ? 約定(・・)だからさ」

 

「……約定だと?」

 

「ああ。あるいはけじめかな? ま、どっちだっていいか。あとは僕も逃げればそれで事は終わりだもの」

 

 英霊ギルガメッシュ。その主な攻撃方法は、宝具による爆撃じみた投擲だ。それだけで数多の英霊を屠るほどの攻撃方法だが、ミラーマッチとなると事情が変わってくる。

 何せ、撃ち出す財宝を、門によって回収してしまえるのである。わざわざ叩き落とす必要もないどころかダメージソースにならない。これほど不毛で成立しない撃ち合いもないだろう。

 

「さて、どうするアンジェリカ? 新しく作った僕のカードを使うのはいいけど、(それ)じゃあ僕には勝てないよ?」

 

 ギルガメッシュは防戦に徹するだけで、あとは逃げるタイミングを計るだけでいい。対しアンジェリカは、最大の強みを奪われながら、それでもギルガメッシュ相手に肉薄しなければいけない。

 と。

 

「……なるほどな。確かに、貴様にこれでは分が悪いようだ」

 

 アンジェリカが腰の辺りからカードを取り出す。描かれたクラスは槍兵。なるほど、クラスカードを変えるか、と警戒を強めたときだった。

 どくん、とギルガメッシュの中で何かが、アンジェリカが握るカードと共鳴した。

 

「……おい」

 

 絶世の美少年の声が、一段階低くなる。それは、贋作者に負けたときよりも、なお度しがたいと、そう訴えるかのごとく業火の怒りに震えた声だった。

 

「何故、貴様がそれを持っている? いいや、そもそもどうやって作った?」

 

「何を今さら。貴様のような英霊ですら抗えぬ降霊の儀式だ。エインズワースを舐めるなよ、英雄王」

 

「答えよ、人形。誰の許しを得て、(オレ)の友の贋作など作った!?」

 

夢幻召喚(オーバーライド)

 

 紫電が走る。英霊の上書きという過負荷のせいか、アンジェリカの表情にも苦悶が見える。そうはさせまいとギルガメッシュが取り返した財宝で阻止にかかるが、

 

「縛れ、天の鎖よ」

 

「な、っ!? 貴様……ッ!!」

 

 ジャラララ、と縛り付けるのは天の鎖。神に対して特効を持つそれは、無論ギルガメッシュとて例外ではない。真紅の目が血走るが、ギルガメッシュは石床にあえなく倒れる。アンジェリカはその間に、上書きを終えていた。

 さながら天女のようだ。黄金から緑がかった二つにまとめた髪が後ろに流れ、麻の羽衣がふわりと浮いている。ローブというよりは襤褸にも似た衣装は肩や足が出ていて、女の起伏のある体を更に浮き立たせていた。

 

 

「ーー夢幻召喚(インストール)、ランサー。エルキドゥ(・・・・・)

 

 

 ジャラララ、と再度鎖の音が鳴る。今度はギルガメッシュが鎖の所有権を奪い取り、物にした音だ。

 しかし、少年の怒気はこれまでとは様子が違った。

 濃い神代の魔力を体から放出し、更に犬歯すら見せるほど野性的な敵意を剥き出しにして。

 

 

「……我の友を真似るなど。その愚行、万死に値する。覚悟は出来ていような、贋作屋(カウンターフェイター)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、イリヤとルヴィアが置換魔術の先でたどり着いたのは。

 

「……ここ、廊下……?」

 

「みたいですわね。ふむ、これは……」

 

 目の前にあったのは、廊下だった。正面玄関と比べ、空間自体がとてつもなく広い。明かりは天井だけではなく、壁にも蝋燭がついている。窓の外の景色は高く、二階だということは伺えた。

 同じ建物どころか、外観からしてここだけで城の半分以上を使っているようにも見える。

 ルヴィアが出てきた扉と廊下とを交互に見て、

 

「……別の空間を、無理矢理外からこの空間に置換している……? 城という建物に、幾つもの異なる空間を押し込んでいるとでも……?」

 

「ルヴィアさん?」

 

「ああ、すみませんイリヤスフィール。少し考え事を……」

 

 と、そのときだった。

 二人の前に、とぷん、と天井から粘液のようなモノが降り注いできた。

 それはまるで、天井に刻まれた黒いシミが、重さに耐えきれず落ちたかのような光景だった。グツグツと沸騰した黒い液体は、その量が増していき、天井だけでなく左右の壁はおろか床そのものから湧き出してくる。

 聖杯の泥。そしてそれで出来上がるのは勿論ーー黒化英霊。

 

「……ま、ずいっ……!?」

 

「走りますわよ!! 早く!!」

 

 イリヤとルヴィアが蹴立てるように走り出す。黒いシミを避けるため、軽く走り幅跳び染みた動きで、廊下から逃げ出す。

 前も後ろも雨漏りでもしたかのような有り様だが、実態はそれの万倍酷い。

 ずるるるるる……と、出来上がった黒化英霊達は、まだ固体にすらなってない足で床を蹴り上げ、二人を追走する。

 

「な、なんで黒化英霊が!? ここには聖杯もクラスカードも無いハズでしょ!?」

 

「あの黒い箱を、何処かで保管し、自由に操っているのでしょう。侵入者を感知すれば、あとは置換した泥を城内に垂れ流して黒化英霊で排除。実に合理的でスマートな警備システムですわ!」

 

「スマートかなぁこれ!? 過剰じゃないねえこれ!?」

 

 徒競走ならクラスメイトに負けないとイリヤは豪語するが、あくまでそれは小学生の話だ。しかも広さからして、この廊下は百メートルはあるだろう。

 

Call(目覚めよ)!!」

 

 ルヴィアがダイヤモンドを数個転がすと、それが突き刺すような閃光を撒き散らす。即席の閃光弾である。意思のない黒化英霊ならば、防ぐ手立てはない。

 

「やった! これならすぐには追い付け、っわぁ!?」

 

 しかし仮にも英霊、目が見えないなりに、やれることは体が覚えていたらしい。ほっとしたイリヤの足元を、二メートルほどの槍が突き刺さり、思わずぴょん、と飛び上がった。

 足がもつれそうになりながら、イリヤは完全に泣きべそをかいて、

 

「ルヴィアさん早く何とかしてお願いだからぁーーっ!!」

 

「あなたほんっっとお荷物ですわね!? 少しはそういう自覚くらいして黙って走れませんの!?」

 

 ルヴィアが怒鳴り付け、太股の弾帯から宝石を幾つか引き抜く。

 まともに走れば追い付かれる。なら、

 

「イリヤスフィール、二つ先の窓に近寄りなさい!」

 

「え、なんで!?」

 

「口答えしないでそのまま突っ込みなさい、いいから早く!」

 

 えぇいままよ、とイリヤは力を振り絞って、言われた通り窓へ飛ぶ。

 このままではぶつかる。その前に、ルヴィアが魔術を放った。

 

Call(目覚めよ). Expansion red10,12,23(赤の十番、十二番、二十三番は膨張せよ) !!」

 

「う、わっ!?」

 

 目映い閃光が三つ。そして三度の爆発。窓枠どころか壁ごと爆散させかねない魔術は、つんざくような音と共に窓ガラスだけを破壊した。

 流石はエインズワースの工房、城の壁までは破壊出来なかった。しかしガラスさえ破壊出来たなら十分。

 

「お、わっ、ぁ!?」

 

「止まるなと言ったでしょうに! Call grace(恩恵よ、目覚めよ)!!」

 

 ルヴィアは立ち止まりかけたイリヤを突き落とす勢いで抱え、ジャンプと同時に時間差で重力軽減の魔術が発動。あとは二階から約十メートルほどの落下に気をつければ凌げる……と、ガラスに足をかけたルヴィアは思っていた。

 しかし、そう甘くはない。

 窓枠を蹴り上げて外気へ触れた瞬間、景色が一変したからだ。

 

「、ッ!? まさか窓にも魔術がかかってたの!?」

 

 てっきり魔術がかけられているのは、出入り口だけだとイリヤはたかを括っていた。いや、ルヴィアもそうだっただろう。徹底的に逃亡者に不利な作りである。

 置換された先は、地下のようだった。先の巨大な廊下と同程度の大きさだが、窓が無いためか全体的に暗い。

 何よりフロアを埋め尽くす、物の数々。建物の柱、屋根から、果ては腕輪や黄金の食器まで。ありとあらゆる雑貨がそこにはあった。

 

「ってあれ? ルヴィアさ、んんっ!?」

 

 いつの間にか。自分を抱えていたルヴィアが、居ない。イリヤがそれに気付いて周囲を見渡そうとした瞬間、落下が始まった。

 ルヴィアが居なくなったことで、魔術の効果範囲からイリヤが外れたからか。無論どうにも出来ず、イリヤは頭から雑貨の山に転がり落ちた。

 

「い……たた、たぁ……っ」

 

 幸い、尖っているようなモノには触らなかったらしい。全身をぶつけたものの、軽い擦り傷程度しかなかった。かぶりを振って、イリヤは起き上がる。

 

「……真っ暗だ。何処から落ちてきたんだろ」

 

 置換魔術というからには、廊下の窓と繋がる入り口があるハズである。見れば、五メートルほど斜め上の位置に木製の扉があった。恐らくあそこから落ちてきたのだ。

 ともかく、今はルヴィアだ。

 

「ルヴィアさん? ルヴィアさーん!」

 

 大きな声で呼んでみるが、反響するのは自分の声だけ。一先ず歩いてみることにするイリヤ。

 ルヴィア自身も心配だが、何より不味いのはここから抜け出す方法が今のイリヤには無いことだ。そして抜け出せたとして、今のイリヤが闇雲に動いても、黒化英霊に捕まるだけだ。

 まあ美遊、もしくは士郎と接触するなら、ルヴィア単体で動いた方がやりやすいのは確かなのだが……。

 

「……うーん」

 

 それはそれで、モヤモヤした気分になるのは、イリヤが子供だからなのだろう。何の力もない子供が、夢ばかり語って騒動を呼び込む。ルヴィアからすれば、疫病神に近いのかもしれない。

 

ーー自決用のナイフすら持ってなさそうなガキが、ここへ何しに来た?

 

 ジュリアンの言う通りだ。

 イリヤは結局、気持ちだけ先走ってここまで来た。

 何も出来なかった自分が嫌で、何かしないといけないと焦った。

 その結果がこれだ。

 どうしようもなく愚かで、どうしようもなく青い。

 

「……やめやめ。うじうじするのも、とりあえずここを抜けてから」

 

 ぱんぱん、と頬を両手で叩き、改めて現状と向き合う。

 

「うーん……流石にあの高さは何か足場がないと届かないかなあ」

 

 足場となるモノなら、ここにいくらでもある。それを使えばあのドアに届くだろう。イリヤは人が乗っても壊れなさそうな雑貨を選別していく。

 それにしても、こうやって一つ一つ見ていってようやく理解したが、本当に物が多い。しかもどれも新品というわけではない。そう、まるで、

 

 

「ーー廃棄場みたい、ッてかァ? ま、ここは失敗作のゴミばっかだし、間違ってねーけど?」

 

 

 回答は、雑貨の山の爆発と共に返ってきた。

 それはさっきルヴィアが起こしたような爆発ではない。どっちかと言えば、破裂に近かった。散弾のように飛び交う破片を伴って、衝撃波がイリヤの体を吹き飛ばす。

 

「う……、ぁ!?」

 

 声を出す暇すらなかった。

 タンスに背中を叩きつけられ、ずるずると落ちるイリヤ。敵が来たと言うことは分かってるのに、絶望的なまでに体の反応が遅い。

 そうこうしている内に、ハイヒールの音が近づいてきて、彼女は現れた。

 赤毛にゴシックロリータの衣装と、ボーダーのソックス。しかしその瞳と唇の端にあるのは、人をなぶるサディスティックの発露。

 美遊と士郎を誘拐した二人組の一人。

 確かそう、名前は。

 

「ベア、トリス……!」

 

 少女ーーベアトリスは、ウィンクすらして。

 

「お、アタシの名前知ってンだ? そ、アタシの名前はベアトリス・フラワーチャイルド。ジュリアン様の命令で、アンタを取っ捕まえにきたってトコよん☆ そして~~?」

 

 暗闇で見えなかった異形の片腕を、握り締める。

 

「今からバッキバッキに痛め付けてやッけどさァ、泣いてもやめないンで。頑張って耐えてねェン?」

 

 

 

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、非常に困っていた。

 今日もエーデルフェルトとして役目を果たせたと寝て起きたら、何故か時間は三ヶ月も過ぎているわ、平行世界にインカミンしているわ、死んだハズのイリヤスフィールが正真正銘の幼女になって生きてるわ、妹が出来てたわと只でさえてんてこ舞いなのに、子供に流されて魔術師の工房に潜入など明らかに度を越えている。

 気の迷いと言われたら、確かにそうなのだろう。

 明らかに自分は動転していて、きっとこれもまた、気の迷いなのだ。

 

「……いやいやいやいや。これは気の迷いなどではないでしょう、全く」

 

 そういうことにしておきたいくらいには、今のルヴィアは現実逃避したかった。

 ルヴィアが今居るのは、渡り廊下。城の中心にある尖塔へ続く道である。

 イリヤとはぐれ、多分大丈夫ではないから探しにいかないと、いやでも対等なら探しに行くことないのでは?と途方に暮れていたところで、ルヴィアはこの道にたどり着いた。

 

「……イリヤスフィールを探しに行くとしても、恐らくこのドアではまた何処かへ置換されてしまう……」

 

 ただ戻ったところで、それこそ無駄足になる可能性がある。ならばここは、あえて進むことで道を開くしかない。

 そう、例えば目の前の尖塔など。セオリー通りなら、あの頂点に美遊か、イリヤの兄が捕まっている。人質は逃げられない場所に隠す。そう考えるのは当然だ。

 どちらかと接触さえすれば、撤退したってイリヤも文句は言わないだろう、とルヴィアは結論づける。そうでもしないと今すぐにでも、ルヴィアはイリヤを助けにいこうとしてしまうから。

 対等に扱うとか言っておきながら、何処かで年端もいかない子供としてイリヤを見ている。そのことに、ルヴィアは少しだけ自己嫌悪していた。

 どれだけ心を偽ったところで、やはりルヴィアはイリヤに流されてしまったことを後悔しているのだろう。

 あんな子供を連れてくるべきではなかったと。

 それでも。

 

ーールヴィアさん!

 

 今のイリヤのことは、嫌いではなかった。

 記憶が無くても、魂は覚えているのだ。

 あの少女が、どれだけ頼もしい存在だったかを。例えその三ヶ月が引き剥がされても、そうやって名前を呼ばれることを、許してしまうくらい、ルヴィアは何処かでイリヤに気を許してしまっている。

 何よりお手上げなのは、そんな感覚もルヴィアにとって『悪くはない』と思ってしまっていることだった。

 

(……確かに魔術師らしくないとは言われますが、ここまでくると筋金入りになってしまいましたわね……)

 

 自分は変わってしまった。魔術がどうでもよくなったわけでは断じてない。

 だからこそ、進む。

 この先に鍵があるのは確かなのだから。

 

「……あの泥がここまで及ばないということは、やはりここは何か特別なのでしょうか……」

 

 どうでもいい場所なら、ダミーとしておびき寄せて、黒化英霊を配置するだろうが……あの泥は世界にとって害がありすぎる。何か大事なモノがあれば、その横には落としたくない。

 ならば、やはり。

 確信をもって渡り廊下の半分まで歩いていた、そのときだった。

 カリカリ、と。何かが削れる音が、木霊した。

 

「……?」

 

 なんだ?という疑問が湧いた途端。

 真横から、誰かが渡り廊下に滑り込んできた。

 

「、!?」

 

 反射的に大きく下がり、距離を取る。

 その誰かは、襤褸布で全身をすっぽり覆っており、腕や足どころか、顔すら見えなかった。

 女かも、男かも分からない誰か。ここは地上二十メートルくらいだが、まさか登ってきたのか? だとしたら、どうやって?

 

「あなた、何者ですの? エインズワース家の人間……ということで、よろしいですわね?」

 

「……」

 

 返答は声ではなく、鉄の音だった。

 しゃるるぃん!、という鞘走りにも似た音がすると、襤褸布の下から一本の剣が飛び出した。位置からして、あれは肩だが……仕込みの義手でもしているのか?

 

「なるほど、そちらをお好みと。分かりやすくて結構。どちらにせよ、そろそろ一人くらいはぶっ飛ばしたくなってきた頃でしたし」

 

 両腕をぐるんと回し、ルヴィアは魔術刻印の回転数を上げる。

 黒化英霊が相手でないのなら、少しは気が楽だ。魔術師同士の闘争ならば、ルヴィアに負ける理由などない。

 そう、思っていた。

 だからだろう。

 ひゅるる、という音がした瞬間、ルヴィアは自分がどれだけ堕落していたか悟った。

 

「、っ、つぁ!?」

 

 さながら虫が通る道を見て驚くような、そんな不格好な回避だった。しかし、そんな無様な回避だったからこそ、真上からの落下物は避けられた。

 それは、剣だった。

 しかもあの襤褸布から飛び出している剣と、寸分違わず一緒のモノ。まるで、デッドコピーだ。

 

「……、」

 

 脳に鈍痛が走る。

 それは脳の皺を舐め取るような、そんな冒涜的な痛みだった。甘く、ねばついた激痛は、単なる偏頭痛などではない。

 その痛みを忘れるな、と脳が訴えるかのように。

 思い出せ。

 お前はこれを、知っている、と。

 

「……どんな手品かは知りませんが、いいでしょう」

 

 じゃらら、と手の中で宝石を転がし、各指に魔力を込める。手持ちの宝石は少ないが、四の五の言ってられるほどの相手でもなさそうだ。

 

「来なさいな、みすぼらしい格好のお人。エーデルフェルトのもてなし、とくと味わわせてあげましょう!」

 

 

 

 


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