Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!! 作:388859
エインズワース城、ホール。アンジェリカはギルガメッシュを追い詰め、確かにその首に刃を添えたはずだった。奴の頼みの綱である宝物は、上位の制御権がこちらにあり、例え絡め手を使ったところで憑依させた神の楔のおかげで、負けるはずがない。
どう考えたって、詰み。だというのにギルガメッシュは、笑ってこう言った。
「あの二人は、こんなことで折れたりしないよ……ね、真っ黒肌のおねーさん?」
「!」
それはアンジェリカの背後に、音もなく唐突に現れた。
空気に染み込むように現れたのは、赤い外套にハートをあしらったプロテクターを身に付けた少女。
クロエ・フォン・アインツベルン。
エインズワースへ愚かにも牙を向く、巨悪の一人。
「せぁッ!!」
「、ちっ……!?」
クロの縦に振り下ろした蹴撃に、遅れてアンジェリカは片腕で弾く。その身に宿したカードのスペック差もあって、攻撃自体はアンジェリカも押し返すが。
「全く遅いよ、おかげで服が細切れだ」
「面白半分に突っ込むからでしょう、自業自得です」
その間に何処に潜んでいたのか、オーダーメイドスーツの麗人ーーバゼット・フラガ・マクレミッツが、ギルガメッシュを抱えて扉まで走っていた。
「逃がすか……!」
それは読んでいる。彼らが走り出したときには、アンジェリカが天の鎖を束にして飛ばしていた。しかし、
「ちょっと! 小娘一人の相手くらいはしてよね! せっかく、なんだからっ!」
クロが投影しておいた宝具を投擲し、鎖の軌道を逸らしながら、アンジェリカの追撃を許さない。その迎撃に追われている間に、ギルガメッシュとバゼットは扉を開けると、足留めしていたクロも空間移動。そして。
「それじゃ、まったね? おばさん?」
ウィンクして、置換魔術が施された扉へ入った。
それは下策だ。エインズワースの工房であるこの城において、扉という境界線を使った置換魔術は、逃亡者にとっては袋の鼠に近い。何処へ逃げても、アンジェリカなら置換魔術で逃走ルートを絞り込める。
だが、
(……置換魔術の領域に魔力を感じない……チッ、またあの魔術か)
既にもうギルガメッシュ達は、エインズワースの術中から抜け出していた。
「あいたたたた……全くあの人形、手加減なしだもんなあ。ま、あのカード使ってるんだから当然か」
ギルガメッシュは唇についた血を指先で拭いながら、辟易する。
彼らが通っているのは、エインズワース城の地下水路だ。普通ならこのまま進めば外に出られるのだが……置換魔術で境界をあべこべにされている以上、ここも安全ではない。
服の破片をつまんでは捨てるギルガメッシュに、背中越しのバゼットは白い目を向けた。
「全く、こちらの合図を待てとあれほど言ったでしょう。なのによりにもよってここへ、何も知らないイリヤスフィールを連れてくるなんて、正気ですか?」
「そうよ。あの甘ちゃん、どうせ何も知らないんでしょ?」
クロは背後を警戒しながら、
「余計なことしてくれちゃって。おかげでこっちは大損よ。今頃リンが怒り狂ってるでしょうねー」
「あはは、まあ課外授業ということで。遅かれ早かれ知ることだし、知識だけじゃなく、ちゃんと実感を伴って覚えるのは大事でしょ?」
「そんなんで済むかアホ」
ぺしん、とクロにギルガメッシュは小突かれる。実際その通りなのだ。ここは余りにエインズワースに有利すぎる。クロとバゼットが加わっても、エインズワースの工房で戦う限り、まず勝てない。それはギルガメッシュも例外ではないのだから。
だが。
「それでも、見せる必要はあるでしょ?」
敵がどれだけ強大で、そして何処まで状況が絶望的なのか。
それをイリヤが確認するために、必要だったのだ。この潜入とも言えない突撃は。
「……それ、わたし達が助けると分かってるからやってるでしょ? アンタだけなら絶対助けなかったわよ、言っておくけど」
「ははは、またまたぁ。僕の力は喉から手が出るほど欲しいでしょ?」
「力だけはね。でもアンタ自体は要らないから。どんだけ金積まれてもね」
延べ棒でも出して頬をぶっ叩いたら少しは心変わりするかなあ、と思いつつ、ギルガメッシュは先を見据えて含み笑いをする。
「……面白くなりそうだねえ」
「だから! ちっとも!! 面白くなんかないっての!!!」
ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、これほどの真エーテルを今まで目の当たりにしたことはなかった。いや、恐らくどのような儀式でも、凡人では命を懸けても目の前のそれには及ばないだろう。
神秘が失われて久しい現代。最早奇跡は奇跡として認められない時代において、風を巻き起こすほど実体化した真エーテルは、驚異的という他ない。そしてそれを纏う存在も。
「って、なんだこりゃあ? 城ん中か? また変な場所に召喚されたもんだなオイ」
訝しげに辺りを見回すのは、ルヴィアよりも年齢が低いと思われる少女だ。しかし銀の重鎧を身に纏いつつ、軽く歩き回る姿は、まるでライオンのそれだ。
「ええっと……その、モードレッド、でよろしいので……?」
「あん? そうだって言ったろ、マスター。まさかオレを知らねえだなんて言わねぇだろうな?」
モードレッドと名乗った少女は、眉根を寄せ、チンピラのようにルヴィアに詰め寄る。
モードレッドという名は勿論知っている。円卓の騎士の一人にして、アーサー王の息子であり、かのブリテンを終わらせた張本人。反逆の騎士という騎士としては汚名にも近い名を受け、歴史に刻まれた英雄。
しかし元々男のはずのモードレッドがこんな、
「……女、とか言ったら、お前を殺すからな。だから絶対に言うなよ? 間違って、首ごとそのぶら下げた脂肪をぶった斬りかねん」
モードレッドはあくまで淡白な口調だったが、そこには確かな矜持と、少しの怒りが滲んでいた。
ルヴィアもその類いの嘲りには覚えがある。古臭い習慣を第一とする魔術師においては、男尊女卑といった差別は無論ある。しかし話はそうではなく、
「その……本当に、あなたがあのモードレッド? マスターとはその……」
「ああ? おいおい、その左手は飾りじゃねぇだろ?」
左手、と言われてルヴィアは初めて左手に意識を向けた。
そこには、赤い痣にも似た魔力の塊があった。ルヴィアの所有する宝石ですら比べることも馬鹿らしい魔力量に、どうして今まで気づけなかったのか不思議だった。
令呪。モードレッドのような英雄、英霊を従えるマスターにのみ与えられる絶対命令権。
そしてそれは、とある儀式の参加権であり、聖遺物から与えられる
その儀式の名は、
(……聖杯戦争? まさか、それに私が参加してしまったとでも……?)
あり得ない話ではない。実際この冬木市では、第六次聖杯戦争が再開されたとギルガメッシュは言っていたし、優秀な魔術師であるルヴィアが参加者として登録されるのも不思議ではないが……。
(そもそも、この世界の聖杯戦争はクラスカードによるものだったはず。私のように、サーヴァントを召喚して使役しているのでは、まるで冬木の聖杯戦争がまだ
「ボケッと突っ立ってるのはいいけどよ、マスター」
モードレッドは正面を睨み付け、
「下がってろ、来るぞ」
何が、という暇すらなかった。
直後に特大の大剣が、空間を裂いてルヴィア達に襲いかかったからだ。
ガギョォンッ!!!、と甲高くも重厚な激突音は、巨木を引っこ抜いたような巨大な剣を、モードレッドが細腕で弾いた音だ。更に二本目、三本目と増えるが、モードレッドは一歩も動かずにそれを弾き、粉砕する。
一歩も動かずに制するその姿、まさに一騎当千の英雄そのものだが……モードレッドの顔は不機嫌そうに歪む。
「……でけぇだけのナマクラ投げて、目眩ましのつもりか? こんなもん、百でも千でも砕いて、……っ、退けっ!! マスター!!」
「ちょ、なぁ……!?」
ぐいっ、とモードレッドが掴んだのは、ルヴィアの髪だ。丁寧に編まれた自慢の金髪を無理矢理引っ張られ、ルヴィアは地面に伏せる。
瞬間、ルヴィアのドレスを何かが掠め、切れ端が舞った。
「チッ!!」
モードレッドが剣ではなく、足を前に突き出し、それを蹴り飛ばす。背面に迫っていたフードを被った襲撃者は吹き飛ぶが、外套の中から飛び出した剣で無理矢理勢いを殺す。
「……ありゃなんだ、マスター。人にしちゃ硬すぎる。鎧、っつうよりは針山でも殴ってるみたいな感覚だが?」
「分かりません。ですが、あれも敵の一人。ここで逃す手はありませんわ」
状況は曖昧模糊としていようが、ここでいちいち全てを理解しようなどとルヴィアは拘泥しない。
「セイバー、初めてあなたに出す指示です。あれを生け捕りに出来ますか?」
「あん? 殺すんじゃなくてか? あれが言葉を解すような頭には見えねえぞ、マスター」
「我々は敵を知らなすぎる。相手が何であれ、殺す前にまず得られるものを得る。それが狩りの鉄則ですわ」
狩りねえ、とモードレッドは何か言いたげだったものの、彼女はすぐに獰猛な笑みを浮かべた。
「……了解したぜ、マスター。せっかくの初陣だ。言う通り生け捕りにして、テメェのサーヴァントがどれだけ優秀か見せてやるよ!」
舐めるな、と言わんばかりに襲撃者が駆ける。一直線に突進。いかなる魔術か、その周囲には剣が出現し、我先にとモードレッドへ飛びかかる。その数、七。いずれも宝具まで行かずとも名刀名剣に近い業物ばかり。
しかし、
「しゃらくせェッ!!」
モードレッドの体から、赤い火花が散る。それは雷だ。放出された魔力そのものが赤い雷となって、モードレッドの肉体を飛躍的に強化し、そのまま銀色の剣を振り下ろす。
ただの一振。しかしその一振は、最早それ自体が砲弾となって、刀剣だけではなく階段までも破壊し、赤雷が炸裂する。火花が塔内を席巻、そのでたらめな破壊力にたたらを踏んだ襲撃者に、モードレッドは更にもう一振。
しかし避ける。上体を九十度ほど逸らす離れ業の後、飛び退こうとして。
投擲された剣が、その腹部に突き刺さる。
「ほぅら、おかわりだ!!」
投げた自身の剣に、モードレッドはすかさず足の裏で深く押し込む。襲撃者は壁に激突し、余りの威力に塔の壁が崩れ、瓦礫に沈んだ。モードレッドは蹴った際に引き抜いた愛剣を担ぐ。
「……凄い」
これがサーヴァント。蛮族のような戦い方はともかく、一挙一動がまるで追いきれない。今の一撃を耐えられる生物など、それこそ同じ土台のサーヴァントくらいだろう。
が。モードレッドは一向に剣を握る手を弛めない。
「……本当に硬ェな。おいマスター」
「え?」
ガララ、と瓦礫が動く。そこでは、モードレッドに貫かれたはずの奴が、漫然とした動きで起き上がる。
効いている……はずである。しかしどうしてか、そこに苦痛は見えない。ただ起き上がるのに時間がかかっただけにしか。
それを見て、今度はモードレッドが先手を取った。白銀の大剣は恐ろしいほど魔力が蓄えられ、振るうだけで空気が轟音で裂け、一般的な体格程度の襲撃者など寸断するだろう。
が、
「なに……!?」
襲撃者はそれを、避けなかった。
自らの体で受け止める。いや、受け止めるなんてお行儀のいいものではなかった。白銀の剣は襲撃者の肩から肺まで切断したにも関わらず、奴はそのまま懐に飛び込み、肩口から生やした剣を振るう。
モードレッドは一瞬驚いたが、篭手で剣を防ぐどころか叩き折り、ヘッドバッドで距離を離す。
ごぃん、とまたもや金属音。額に残る感触に、モードレッドは苦虫を噛んだ。
「……チッ。貴様、人間じゃねえとは思ってたが、そこまでか」
その視線の先は、白銀の剣が切り裂いた肩から胸部にかけての傷だ。しかしその傷口から何かが飛び出し、縫合するように傷を修復していた。
ぎち、ぎち、と軋む音。それが人体から発せられる音だと誰が思うだろう。まるで鉄と鉄が擦れ合うような音に、ルヴィアはぞっとする。
「……どうするよ、マスター。これでもまだ、あれを捕まえるのか?」
風が、吹き込む。
その風はまるで疲労や不快感、不安すら吹き飛ばすようで、気持ちが軽くなっていく。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンを包むもの全てを、まるで肩代わりしてくれるような、そんな錯覚すらあった。
「ここで二人とも、待っていてください。私が時間を稼ぎますので」
セイバー、アルトリア・ペンドラゴンは、無手にも関わらずそう言い切る。
いや無手ではない。確かにその手には何か、不可視の武器が握られていた。風で編まれた鞘にも似たそれは、ただそこにあるだけで微弱な風を起こしていた。
「あ、ぃや、でも……」
「良いから大人しくしてろ。何も出来ない奴がでしゃばるな、邪魔なんだよ」
イリヤの側で少年、間桐慎二は悪態をつく。これ以上余計な真似はしてくれるな、という祈るようなそれに、イリヤはただ見守るしかない。
「は、はっはァ……そうか……」
対し、風で吹き飛ばされたベアトリスは、怒髪天を衝くといった感じだった。赤髪が燃えるように怒り狂う姿は、触れれば痺れるだけでは済まないだろう。現にその体からは、雷が常に漏れ出していた。
そんな相手の懐へ、アルトリアは躊躇いなく踏み込む。
「……テメェか、クソセイバー……ッ!!」
「!」
一歩でその距離をゼロにしたアルトリアへ、ベアトリスは巨腕を繰り出す。上から下。空き缶を潰すような挙動。アルトリアの華奢な体であれば、それこそ同じ末路を辿る。
しかし。
剣を名乗る英霊に、そんな力技だけの攻撃は通用しない。
潜り抜ける。翡翠の瞳は、すぐ側を走り抜ける巨腕には目もくれず、不可視の剣を突き出した。
瞬間、無手だったアルトリアの剣が露になる。隠れていた黄金の聖剣は、まるで見る者を拒むように、竜巻を巻き起こす。その勢いたるや、さながら竜が空を泳ぐよう。
「はン! その程度の風が、この雷神に効くと思ってンのかァ!?」
笑う。ベアトリスは嵐に身を曝しながら、それがどうしたと耐える。竜巻に食らいつかれながら、巨腕で押し潰そうと手にかけ、
「なら、
その刹那。
黄金の髪が、ベアトリスの眼前で、凪いだ。
竜巻の中を潜り抜け、それによって加速したアルトリアが、聖剣を振り下ろす。
「そこを退け、雷神の子。お前の嵐は、幼子が通るには激しすぎる」
凄まじい衝撃が部屋を走り、炸裂する。内側から走ったインパクトは外まで及び、部屋の一部が弾けた。
気づけば、ベアトリスの姿は無かった。眼前にあった宝物庫の壁は勿論、その向こうのエインズワース城にすら穴を穿つほど、アルトリアの一撃は凄まじかった。
あのベアトリスですら。これがサーヴァント、これが本物の英霊。記録こそ頭にあったとしても、イリヤは信じられない。
「……すっご」
セイバー、アルトリア・ペンドラゴンの聖剣は、余りに有名であるが故に、真名を隠さねばならない聖杯戦争では一目で看破される可能性がある。それを防ぐための不可視の風だが、それでこの威力だ。
「これなら、ベアトリスにだって……」
「馬鹿、勝てるわけないだろ」
慎二はすぐに、ベアトリスが吹き飛んだ方向とは反対側へと走り込む。外へ。
「逃げるぞ! 死にたくなきゃつべこべ言わずに走れ!!」
「、あ、ちょっと……!?」
逃げ足早っ!?、と思いながらも、イリヤもその後を追う。
外は普通の庭園だった。噴水まであるそこを横切って、イリヤはひたすら慎二の後ろについていく。
「あのっ、セイバーさんは!?」
「足留めしてるだろ! いざというときは令呪使えば呼び戻せる!!」
「じゃあ今は何処に向かってるんですか!? 出口とか!?」
「オマエほんと何も知らないのな!? いいか、ここはエインズワースの魔術で出入口が完全に奴らの手の内だ。下手にドアでも開けてみろ、あの赤髪馬鹿力女の腕が吹っ飛んでくるぞ!」
「じゃ、じゃあ! どうやってここまで来たんですか!?」
「これだよ!」
忌々しいと言いたげに、慎二は慎重にかつ大胆に逃走ルートを選びながら、それを取り出した。
プラスチックで作られたようなそれは、女児向け玩具のように見えるが違う。それは一級の魔術礼装にして、イリヤの相棒。
「ルビー!?」
「わーんイリヤさーん!! マイマスター、よくぞご無事で……!! 私、本当に心配で夜も六時間くらいしか寝れませんでしたとも!! ええ、ええ!!」
「割りと寝てるよね!? 快眠だよね!?」
カレイドステッキの一振り、ルビーだ。彼女は慎二の手から抜け出したかと思えば、その頬に羽を擦り付ける。
「いやぁやはりワカメみたいな手汗ベタベタ男より女子小学生ですねー! いやっふう! モチモチィ!」
「ちょ、うわっ!? 何か海の匂い!? 海の匂いする!? なんで!?」
「ふざけてる場合かお前ら!? あと勝手に僕の匂いと言って自分で精製したフレーバーと他人を勝手に結びつけるのやめろって言ってんだろこのプラスチックステッキ!?」
一回本気でぶっ叩いて、慎二は、
「この変なステッキが、ここの魔術を一時的に無効化してくれてる。元々置換魔術は空間を操る魔術。つまり第二魔法の領分……らしい。そのおかげで、お前達を助けるのに何とか間に合ったってわけだ。お前達と合流出来たのもそのおかげさ」
「達って……ルヴィアさん達の方にも?」
「ルヴィアって奴は知らないけど、ギルガメッシュならバゼットとお前に似た黒いガキが合流してるはずだ。そのルヴィアとかいう奴も、すぐに合流するさ」
黒いガキとは、クロのことか。つまり彼女達も無事だったのか。それだけで、イリヤの心の中はぐっと楽になる。
分断されたときはどうしようかと思ったが、それなら話は早い。
「じゃあ早く合流しよう! また分断されたらたまったもんじゃないでしょ!」
「いいや、合流はしない」
「なんで!?」
「僕達がゾロゾロ行ったところで、何の助けにもならない。それに僕は遠坂に言われてるんだよ。お前と合流したら、さっさとここを出ろってね」
でも。まだ兄も、美遊だって見つけていない。このままでは本当に骨折り損だ。
しかしエインズワースは考える暇すら与えない。
「う、お!?」
突如、清らかな水が流れていた噴水から、濁って腐りきった泥が噴出する。聖杯の泥だ。それは無数の黒化英霊へと転じていき、進行方向を阻んだ。
「くそっ、こんなときに……!」
顔を引きつらせた慎二の前に出て、イリヤは未だに頬ずりするルビーを胸に抱えた。
「ルビー!」
「はい! 久々のコンパクトフルオープン、転身いきますよー!」
ルビーの玩具染みた星型の体から、ガシャン!、と柄が飛び出す。それを掴めば、イリヤの服装は様変わりしていた。
ピンクを基調とした、フリルのついた可愛らしい衣装に、マントを羽織ったそれは、カレイドルビー。イリヤにとって、この三ヶ月を戦い抜いてきた力である。
「……なんじゃそりゃ」
「そこはノーコメントでお願いします……」
慎二は余りの急展開ぶりに言葉を失っていたが、そっちの方が都合がいい。イリヤは空中に飛んで、
「ええっと、シンジさんはついてきてください! わたしがこれを吹き飛ばします!」
「ほんとに大丈夫なんだろうな!? 不安しかないんだけど!?」
「だ、大丈夫です! 行くよ、ルビー!!」
手加減無しだ。イリヤはありったけの魔力を集めると、ステッキを振りかぶる。
「
撃ち出される桃色の魔力の奔流は、勢いよく黒化英霊達へと向かい、そして。
パチィン、と黒化英霊の振り払い一発で、霧散した。
「……あれぇ?」
「あはー、何か見覚えのある光景ですねえ。この実家のようなよわよわ砲撃ぃ」
「あはーじゃないだろぉ!? おいオマエ、ぜんっぜんダメじゃないか!! 馬鹿か? オマエ馬鹿なんだろ!? なぁにが大丈夫だ、下っ端にすら普通に負けてんじゃないかよ!?」
実際そうなので、それ以上は何も言えないイリヤ。しかし打ち消したとはいえ、黒化英霊達も黙ってはいない。
アーチャークラスの英霊がイリヤを落とさんと、無数に矢を放つ。それを危なっかしくかわしながら、イリヤは散弾や斬撃などで黒化英霊達を足留めする。
しかし、空を自在に飛べるイリヤと黒化英霊達では、互いに決定打がなかった。
「くっ、……! この人達、ほんと厄介……! もー、クロが抜けてなかったらこんなことには……!!」
「いやぁ、どうでしょうねえ。流石にクラスカードも使わずに切り抜けるのは無理っぽいですけども」
経験から、打ち落とされることこそないが、手持ちの限定展開はアサシン、キャスター、バーサーカーと、どれも火力に重きを置いていない。いやもう一枚あるが、安易に理由して良いものでもないだろう。
切り抜けることも、されど落とされることなく、必死に避けながら反撃を繰り返す。
と、そのときだった。
「! イリヤさん、後ろ!!」
「へ?」
呆けた声を出すと、ルビーが勝手に動いて、体勢が崩れた。それが功を奏した。
ブォンッ!!!!、と凄まじい風切り音と共に、イリヤの背中を何かが通り抜けた。
「な、っ?」
それはまるで、台形の墓石のようだった。目標を外れたそれは、そのまま落下して黒化英霊達を一発で擂り潰す。虫が潰れるように泥が辺りを飛散し、イリヤは体を強張らせる。
じゃらららら、と鎖で引き戻された先には、狂暴な笑みを張り付けたベアトリス。
次はお前だ、と彼女の巨腕が筋肉で膨らみ、
「イリヤスフィール!!」
清廉な声に、はっとなるイリヤ。すると眼下で、追い付いたアルトリアがベアトリスと激突していた。
イリヤを狙おうとするベアトリス、そうはさせないアルトリア。一進一退の攻防は、互角にも見えるのだが、アルトリアがやや戦いにくそうに顔をしかめていた。
「くそ、やっぱり今のセイバーじゃドールズ相手じゃ分が悪いか……!?」
「わたしがやります……! ルビー!」
ふくらはぎに着けてあるホルダーからクラスカードを引き抜く。クラスはバーサーカー。イリヤはそれをステッキに添え、ベアトリスへ飛翔する。
「クラスカードバーサーカー、
すると、ステッキが変化。そこには、イリヤの背丈以上の長さ、太さの斧剣が出現する。
バーサーカー、ヘラクレスの使う鉱石で作られた斧剣。これならば。イリヤはほとんど落下するように、ベアトリスに突き立てる。
「そんなヒョロヒョロな持ち方で、あたしに届くかってェの!!」
アルトリアを引き剥がし、ベアトリスはイリヤと向き合う。ぶつかる視線。しかし少女は退かず、更に落下速度を速め、それを見たベアトリスは全力で巨腕を振り上げる。
明らかに、ベアトリスの方が勢い、力、速度が上回っていた。しかしイリヤは止まらない。止まらず、そして。
「クラスカードアサシン、
「なっ、!?」
ぽん、とそれはまるで、小さなクラッカーが破裂したみたいな音だった。ベアトリスの腕と斧剣が接触する寸前に差し込まれたクラスカードにより、イリヤはルビーを身代わりにして巨腕の一撃を回避。地べたに尻餅をつきながら、叫んだ。
「行って、セイバーさん!!」
「はぁぁぁぁああああああッ!!」
「しまっ、!?」
ベアトリスが気づいて、ガードしようとしたが遅い。魔力放出により、最大まで加速したアルトリア渾身の一閃が、ベアトリスの体に叩き込まれた。
ゴォゥッ!!!、と渦を巻くような風。噴水を巻き込みながらも、エインズワース城まで叩き返されたベアトリス。イリヤはほう、と息をつきながら、降りてきたルビーを手に取って再度転身した。
「お見事でした、イリヤスフィール」
尻餅をついままのイリヤに、アルトリアは手を差し伸べる。彼女こそヘトヘトだろうに、微塵もそんな素振りを見せない姿は、騎士王の名は伊達ではないとイリヤでも感じさせられた。
「ど、どうも。セイバーさんこそ、守ってくれてありがとうございます」
「貴女を守れと厳命を授かっていますので、お気遣いなく。しかし先程の攻防はやや肝が冷えましたが、その年齢で大した胆力です……シンジもこれくらいの気概があってほしいのですが」
「僕に期待するのは魔力電池くらいだと思っとけよ、セイバー。それ以外で役に立てることなんてないからな」
「見てください、この清々しいまでの宣言。全く、リンとは大違いです」
ともかく、と慎二は再三告げる。
「さっさとここから逃げるぞ。今ならベアトリスもいない、黒化英霊もセイバーがいる今なら突破出来る。チャンスだ」
言うまでもないとイリヤとアルトリアは頷く。三人はそのまま庭園を通り抜けようとして。
上の方で、何かが崩落した。
「……?」
思わず足を止めて、振り返る。それは丁度真後ろに位置している、巨大な塔だった。その半分より少し上で、ぽっかりと穴が空いている。今しがた空いたのだろう、破片が地上に落ちてきていて。
イリヤの目の前に、誰かが落ちてきた。
「……え?」
何故か、胸が途方もなくざわめいた。
その誰かは、全身ボロボロだった。身に纏っている襤褸切れは最早ただ細切れになった布で、フードだって半分隠れていない。おかげで真っ白になりかけた赤銅の髪がよく見えた。
四肢は欠損していて、無理矢理剣を傷口に刺し、それで身体機能を補っている。おかげで彼が降り立った場所は、既に血溜まりが出来かけていた。
彼が、ゆっくりと振り返る。
そこには、見慣れた顔の誰かが、立っていた。
「
衛宮士郎。
最愛の人が、最悪の場所で、最悪の立ち位置で、イリヤの前に立っていた。