記憶を頼りに、先日歩いた道を辿る。
朝が早いからか労働者の姿はまだそれほど多くなく、昨日あれだけ見た鎧姿の人たちはどこにもいなかった。
多分あの人たちも開拓者なのだろう。自分の好きな時間に起きて依頼を受けれるということは、案外みんなまだ夢の中なのかもしれない。
街並みを観察しながら歩き、遠目でも組合所が見える距離まで来た頃には人の往来が少し増す。
緊張を感じながら、組合所の重たい木製扉を押し開けた。
中を見渡してみるも、やはりと言うべきか人の数は少ない。受付の職員と何人かの開拓者と思しき格好の人がいるだけだ。
依頼を受けるためには登録をする必要がある。ミッシェルさんの言葉を頭の中で反芻しながら、ギクシャクと受付に足を運んだ。
「おはようございます。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「か、開拓者の登録をお願いします」
「承知しました。こちらの紙に記載された指示に従ってお書きください」
受付の女性から差し出された羊皮紙に目を通す。
文字が読めるかどうか危惧していたが、どうやらこれも問題なく読めるようだ。本当に何故理解できるのか、考えたら坩堝にハマりそうだったので余計な事は考えないようにする。
氏名。年齢。性別。開拓者になる上での注意事項など。事細かい仔細が書かれている。
だが、本人が記述する項目はかなり少ない。注意すべきことが記載された項目が大半を占めており、身分どころか住所すら書く必要がないようだった。
この世界の住所も身分もない私からすれば非常にありがたい。ミッシェルさんの言った通り身寄りのない流浪者にとっては天職のようだ。
さっさと書いてしまおうと渡されたペンを手に取り……背筋に汗が流れ始める。
文字が書けない。書かれている内容は理解できるのに、この世界の文字を思い浮かべることができなかった。
見聞きはできるのに書くことはできないって、何故そこは融通が利かないのだと誰に対する訳でもない不満を抱いた。
「どうかしましたか?」
「あの、すいません……文字が書けなくて」
「ああ、なるほど。私が代わりに記述いたしますので、お名前とご年齢、性別をお教えください」
「名前は乃愛で、歳は十六歳、女です」
「ノア様……十六歳女性……はい、ありがとうございます。ただいま証明書をお作り致しますので、おかけになってお待ちください」
羊皮紙を持った職員が一礼した後、奥の部屋へと引っ込んでいく。それと入れ替わるようにして後ろで待機していた別の職員が次の客を誘導し始めた。
言われたとおりに近くにあった長椅子に座り呼ばれるのを待つ。
暇つぶしに混んできた組合所の中をひとしきり観察してみるが、木造建築なだけで日本の区役所と雰囲気はそう変わらないように見えた。
視界の先で転送陣に乗りどこかへと消えていく開拓者たち。彼らはこれからあの恐ろしい森に出向くのだろうか。私を襲った狼のことを思い出して体が震える。
余計なことは思い出さないように俯いて待つこと十分。受付で私の名前が呼ばれたため漕ぎかけていた舟から慌てて降りる。
早足で向かう途中、そういえばこんな全身を外套で隠した怪しい恰好をしているのに誰にも何も言われなかったなと不思議に思ったが、よく考えれば他にも変わった服装をしている人がたくさんいるからたいして可笑しな見た目ではないのかもしれない。
ミッシェルさんの気遣いに感謝しつつ、先ほどの職員から証明書を受け取った。形はほとんど学生証や免許証と変わらないが、プラスチックではなく鉄のプレートでできている。
「これで開拓者登録は完了です。こちらで依頼を受ける場合は証明書も同時にお見せください。依頼書はあちらの掲示板に張り出されています。それと、初心者の方が受けることができる依頼は一番難易度が低い採取依頼のみとなりますのでご注意ください」
「はい、ありがとうございます」
指し示された方へ視線を向けると、私とそう変わらないであろう年齢の人たちが掲示板を眺めているのが見えた。
難易度が低い依頼だけが掲載されているのだろうか。みんな軽装であったり私のように武器を持たない人が多い。
職員に礼を告げて掲示板まで足を運ぶ。所狭しと貼られた依頼書を確認すると、彼女の言う通りほとんどが採取のものだった。
薬草、鉱石、木の実。依頼主の欄には誰かの名前が書かれており、個人依頼だということがわかる。難易度が低い採取の依頼のほとんどは個人依頼のようで、その分報酬額が少ない。
色々なものがあるなと目移りしている間に、周りにいた開拓者はみんな掲示板の依頼書を剥がして受付へと向かっていた。
周囲には誰もいない。
すると、先ほどまで高かった意欲が、みるみるうちに萎んでいった。
よく考えれば、私は指定された薬草の見た目なんて知らないし、そもそも今すぐ働かなければいけないほど金に困っているわけでもない。
別に今日は働かなくてもいいのではないか。というか一か月は遊んで暮らせるのなら、贅沢をしなければもっと長く働かなくてもいい……?
怠惰な考えが頭の中で急速に広まっていく。勤勉な私は瞬く間にサボりたい私に蹂躙されていった。無常である。
今日は帰ろう、という言葉が喉元までせり上がってきたその瞬間、後ろから聞き覚えのある声が私の名前を呼んだ。
「おっ、キムラノア! お前も来たのか!」
「え、あっ、カイさん。それにレクスさんも、おはようございます」
「ああ、おはよう。ここにいるってことは開拓者になったんだな、歓迎するよ」
底抜けに明るい声に振り向くと、手を振りながら歯を見せて笑うカイさんがこちらに歩いてきていた。その後ろにはレクスさんもいて、柔和な笑みを浮かべている。
見知った人が挨拶してくれて自然と笑顔がほころんだが、ある違和感を覚えた。
「よく私だってわかりましたね。こんな全身見えない恰好をしているのに。しかも後ろから」
「ああ、こいつには変な特技があってな。一度知り合った奴ならどんな変装をしていても気づけるんだ」
「なんか雰囲気がな、わかるんだよ! 自分でもなんでかわかんねえけどな!」
後ろ姿でも私だとわかったのは、カイさんの不思議な特技によるものだったそうだ。
まったく顔が見えない状況でもわかるとは、場所が場所ならものすごく重宝される能力なのではと心底感心する。
カイさんは昨日と同じく大きな剣を提げており、レクスさんは鉄の胸鎧を装備していた。
今日も依頼を受けるつもりなのかと聞こうとしたが、二人の後ろに立っている人影に気付いて言葉を飲み込んだ。
「あの、そちらの方は?」
「ああ、こいつはラティ。俺たちの幼馴染で、いつもは三人で依頼を受けているんだ」
「昨日は家の手伝いで来れなかったみたいでさ、オレたちだけで森に行ってたんだ」
レクスさんに促され前に出てきたのは、薄い桃色の髪をボブカットに揃えた女の子だった。
身長は私と同じくらいで、武器などは携帯していないようだが身軽そうな革鎧に身を包んでいる。
「初めまして、ラティです。キムラノアさんの話は二人から聞いてます。よろしく」
「初めまして。あの、木村乃愛だと長いので、みなさん乃愛と呼んでくれて大丈夫ですよ」
朗らかな笑顔を浮かべるラティさんと握手を交わす。
三人の距離は近く、雰囲気も気安い。傍から見ているだけでも仲の良さが窺えた。
「ところで、依頼書を見てたってことは早速何か依頼を受ける気なんだな」
「あー……いや、そのつもりではあるんですけど……」
レクスさんに指摘され、横目で掲示板に視線をやりつつ苦笑を一つ。
まさか見るだけ見て帰ろうとしていたところだったとは言えず、なんて言い訳しようかと頬をかいて言い淀む。
すると、悩んでいる私を見たカイさんが何か思い至ったのか、腕を組んでウンウンと頷いた。
「わかるぜ。初めての時はどんな依頼を受ければいいか悩むよな。オレらもそうだったぜ、懐かしいなぁ」
「まあわたしたちも開拓者になってまだ二週間くらいしか経ってないんだけどね」
「ああ。先日ようやく討伐依頼を受けれるようになったばかりだ」
過去を振り返りそんな時期もあったなと一人懐かしんでいるカイさんだが、二人にすぐに突っ込まれていた。
昔、というには随分最近の出来事だったようでクスリと笑ってしまう。
「おい、言わなくていいんだよそういうことは! ……つうわけで、ノアに提案なんだが、今からオレたちと一緒に依頼を受けないか?」
「みなさんと、ですか?」
「ああ! 当然依頼内容は採取でだ。ノアは初心者だからオレらが色々教えられるし、また危ないことが起きても助けてやれる。それに四人だったらすぐに終わるしな」
カイさんの申し出にきょとんとした顔になる。
これから帰ろうとしていたのはこの際置いておくとして、何故カイさんたちがそこまで私に優しくするのか不思議に思ったからだ。
カイさんたちは先ほどのレクスさんの発言通りなら討伐依頼を受けられるはずだ。怪我でもしているのかと思ったが、見る限りでは三人にそのような外傷は見受けられない。
ならば何故、わざわざ知り合って間もない私に良くしてくれるのだろうか。
すぐに答えられない私を見兼ねてか、レクスさんが眉尻を下げて苦笑いをした。
「すまん。こいつは新人のお前に良いところを見せたいだけなんだよ。ここで一番若い奴が俺たちだったから、後輩ができて浮かれてるんだろ」
「うっ。し、仕方ねえだろ。先輩面してみたくてよ」
「もう、カイってば……。でも、善意ではあると思うし、依頼を受けるつもりならわたしたちも手伝うから、そう気負わなくていいよ」
二人から本心をバラされて子供のようにふてくされている。
そんな幼馴染の様子に、ラティさんとレクスさんは声を上げて笑っていた。
笑い合う三人を見ていると、自然と口角が上がる。
すると、心に纏わりついていたしこりのようなものが消えていることに気が付く。
このしこりの正体は不安や孤独感といった、一人では拭いようのない悪感情。
一晩明けて切り替わったと思っていた心は、気が付いていなかっただけでまだ後ろ向きだったようだ。
「……ふふっ」
一日が過ぎてようやく、少し割り切れた、気がする。
どうしても抑えきれない喜びの感情が、笑い声となって溢れた。
この世界に来て初めて、心の底から笑っている。
今の今まで悲観的だった心がようやく、前を向けた気がした。
「じゃあ、お言葉に甘えて。ぜひお願いします」
「っ! おう、もちろん! じゃあ早速依頼を受注しようぜ!」
「おいカイ、あんまり急ぐな。せめてどんな内容がいいかくらいちゃんと見ろ」
「そうだよ。それで初めての時は失敗したんだから、ノアさんにも同じ目に遭わせようとしないで」
三人の輪の中に、今は私がいて。
彼らと変わらぬ心情で笑い合えているのが、孤独の私には何よりも救いだった。