受付で依頼を受注した後、私たちは転送陣を使って死の森の拠点へと場所を移していた。
エストリアの南街である工業区カンテラ。そこから数百キロも離れた地点にあるのが死の森である。
本来なら早馬でも一週間以上はかかる距離をものの数分で踏破できるのは件の転送陣のおかげであり、エストリアどころか世界に一つしかない代物らしい。
その原理は国家機密であり門外不出。仮にこれが各国に頒布されれば、瞬く間に世界は崩壊するだろう。
ただし、転送陣も万能というわけではない。渡れる距離には限界がある上に、大陸でも一、二を争う規模を持つエストリアの全予算を投資しても転送陣の再生産は不可能。
故に、転送陣はカンテラにあるもの一つだけであり、この先複製されることもないのだろう。
ならばいったい誰が、こんな画期的なものを開発したのか。
科学では説明がつかず、実現もできない神業。
これを作った者は、ある特殊な力を持っていた。
天から授けられた、選ばれしもののみが保有する神が如き力。
その力の名は、『天賦』というらしい。
半日ぶりに死の森に舞い戻った私は、ぶり返してきた緊張に生唾を飲み込んだ。
小さな村ほどの大きさの拠点に駐在する開拓者たちの勇ましい姿に一歩後ずさる。
カンテラの組合所にいた時には感じなかった、ピリッと張り詰めた緊張感。
森と隣り合わせのため、絶対に安全とは言えないためだろう。今しがたすれ違った傷だらけの鎧を纏う男の眉間には深い渓谷が築かれていた。
出発前に職員から聞いた話を思い出す。
死の森は数千年前から存在している魔獣の巣窟であり、そこに住み着く魔獣を掃討、もしくは死の森を安全圏と化すのが開拓者並びにエストリアの最終目標なのだと。
しかし、その目標が達成されることは叶わないとされている。
その理由は単純明快で、人類の力では開拓不可能と断言されるほどの危険性を孕んでいるためだ。
奥に進むほど人体を蝕む瘴気は濃くなり、峻厳さが増すに比例して魔獣の強さも桁違いになっていく。
森の最奥ともなると、人間では存在することさえできないだろうという恐ろしい予測が出ているらしい。
実質攻略は不可能。ならば何故開拓者はそれでも死の森に挑むのか。それは増殖する魔獣の発生を抑えるためである。
魔獣の生態は一般的な動物の範疇にない。生殖機能があるのは変わらず。一日で孕み二日で出産し五日で成体となる。
成長速度が異常に速く、それでいて老化は寿命がすぐ目の前になるまでしない。
病気にもかからず死因は老衰か外傷によるショック死、もしくは出血多量のみ。
自然による死は見込めずおまけに魔獣の多くは非常に獰猛で肉食とくる。
縄張り一帯の餌を食い尽くせば新たな新天地を求めるのが獣の性であり、その矢面に立つのがこの補給拠点なのだ。
そこで開拓者の出番となる。魔獣の大量発生による大侵攻を未然に防ぐのが開拓者の役割だ。
増えてきた魔獣の駆除。もしくは魔獣から取れる素材を求める生産者か物好きからの依頼をこなし収入を得る。
それが開拓者だ。
「よし。森に入る前にもう一度説明するぞ。俺たちが今回受けた依頼は薬草採取。指定された薬草は瘴気もほとんどない深度が浅い地帯で獲れる。ここまではいいな?」
「おう。もう何回もこなした依頼だからな。心配無用だぜ」
「でも、今回はノアさんも一緒だから、ちゃんと丁寧にやらないと」
拠点を歩きながら四人で今回の依頼について打ち合わせをする。
私たちが、というより私が入れる範囲に発生している薬草を指定の数だけ採取するのが依頼達成の条件だ。
死の森は広い。樹海という名の通り幾重にも折り重なった木枝や木の葉が生い茂り、上空から見れば広大な緑の海をなしているように見えることからそう名付けられた。
その中でも私たちが足を踏み入れる場所は、その入り口と言っていい。危険な魔獣もほとんど出現することはなく、害のない小動物が見つかる程度だという。
それでも万が一ということがある。受付で依頼を受注した際に、職員から支給品として渡されたものがいくつかあった。
「多分大丈夫だと思うが、匂い玉はいつでも取り出せるように準備しておけよ」
「ノアを助けた時レクスが投げつけたやつだな。大抵の魔獣はこれの臭いを嗅げば退散していくし、もしも魔獣に遭遇しても慌てずこれを投げつけろよな。ちなみになんだけど、誤って自分の近くに投げたら数日はきっつい臭いが取れないから気をつけろよ」
「き、気をつけます」
鼻を摘まんで臭いを払う素振りをするカイさん。
確かにあの時の臭いはかなり強烈だった。鼻の奥に残る刺激臭で、一瞬嗅いだだけだが今でも臭いを思い出せるほどである。
中が空洞となっている球で、衝撃が加わると割れて中の臭気が溢れるという簡単な仕組みだ。
まかり間違っても落とさないように気をつけようと、臭い玉と一緒に渡された小さなポーチにしっかりと入れる。
そしてもう一つ渡されたものがあり、鋭利な切れ味が特徴のサバイバルナイフが後ろ越しに鞘に入れて提げてあった。
これは採取や魔獣の剥ぎ取りのために使うもので、同時に帰還した時に返却し無事に受注者が生きて帰って来たという証にもなる。
ナイフの鞘には番号が刻まれており、依頼達成を報告する際に支給したナイフと同じ番号か確認するのが目的だ。
万が一、依頼達成の証明となる素材が途中で他の開拓者に奪取され、不正に報酬を受け取られるという行為を防ぐためである。
それならば鞘も奪ってしまえば意味がないのではと訝しんだが、鞘の留め具には不思議な細工がしてあるらしく、特製の鍵がないと外すことはできないのだと。
試しに強引に外そうとしてみたが、一向に外れる気配がなかった。
国が雇っているからか、思っていたよりもしっかりと対策されているようで安堵の息を吐いた。
以上が、組合から渡された支給品である。
そして出発前の話し合いも終わり、私たちは拠点と森の境目に立っていた。
「よし、準備はできたな」
「おう!」
「うん、行けるよ」
「私も……大丈夫です」
レクスさんの声掛けに三者三様の言葉で答える。
早鐘を打つ心臓を両手で蓋をするように抑え、深く息を吐いた。
また、あの恐ろしい森に足を踏み入れる。
まだ狼に襲われたときの恐怖が抜けきったわけではない。それでも、震えて動けなかった足は今なら動く。
グッと、勇気を振り絞った目で先を見据えた。
「……よし、じゃあみんな行くぞ──」
「そこの君たち、ちょっといいかな」
唐突に、進もうとしていた私たちに横やりが入った。
いったいなんだと一斉に振り向く。そこには、薄い金色の髪を爽やかに纏めた、清潔感のある男性が立っていた。
口元は柔和な笑みで象られており、細められた目と優しい声色からは穏やかな人柄を連想させる。
「えっと、なんすか。オレら今から依頼を受けるとこなんすけど」
「急に話しかけてしまってすまないね。盗み聞きをするつもりじゃなかったんだけど、君たちの会話が聞こえてしまって。実はボクも同じ内容の依頼を受けるんだけど、君たちさえよければ同行させてくれないかな」
「……俺たちと、ですか」
矢継ぎ早に要求を述べた男性を、レクスさんは視線だけで全身をくまなく観察する。
全身を綺麗な鎧で包んでおり、腰には素人目でも上等だとわかる長剣を差していた。
年齢もこちらより四つ五つは上に見える。
外見から察するに、随分と腕の立つ開拓者なのだろう。この拠点にいても余裕そうな雰囲気でいることからも実力の高さが察せられた。
「俺たちは見習いで、今から受けるのは最低難易度の採取依頼です。あんたの実力じゃあこんな依頼受ける理由がないだろう」
「それなんだけどね、実はこの前利き腕を怪我してしまって。治療と装備の修理にお金が減ってしまってさ。せめて少しでも金を稼ごうと、この依頼を受けたのさ」
ほら、と男性は右腕の手甲を外してみせた。
手首から肘にかけて包帯が巻かれており、所々小さな赤い斑点が染みている。
怪我の範囲と手術痕から、大きな怪我をしたのだとわかる。
「それで、どうかな。僕も見習いの頃から何回も受けた依頼だから、この薬草の群生地域は熟知している。大勢でやればすぐに終わるし、僕なら不測の事態が起きてもある程度は戦える。どうだい?」
「えー……オレはみんながいいならいいけど……」
「……申し訳ないが、俺は反対だ」
男性の提案に、カイさんはみんなの判断に委ねることにし、レクスさんは悩んだ末に申し出を拒否した。
自然と三人の視線が私とラティさんに集まる。
ラティさんも突然のことで困惑しているようだ。何も発せずに言葉に詰まっている。
かくいう私も、レクスさんと同じく彼を信じていいのかどうか測りかねていた。
提案自体は非常に魅力的に思うが、群生地域がわかるのは三人も同じこと。
それにもしも魔獣が出てきたとしても、深度が浅い地帯では強い個体は出てこない上に匂い玉という対策もある。
用心するに越したことがないのは確かだが、彼という戦力は少々過剰すぎるようにしか思えない。
それに、初めての開拓はこの四人で行きたいという個人的な願望もある。
彼を毛嫌いしているわけではないが、やはり気の知れた人たちだけで行きたいという思いは変えられなかった。
申し訳ないが断ろう。
下げていた視線を上げ、
「………………」
男性と目が合う。
若苗色の瞳に見つめられ、その奥の深緑の鏡に私が映って──
【──────!】
「──うっ……!」
ほんの一瞬、激しい頭痛に見舞われ頭を抱える。
まるで頭の中で何かが弾けたような激痛だった。一瞬とはいえ、意識が途切れるほどの痛みに体がふらつく。
「ノア、大丈夫か? 急によろけたが」
「だ、大丈夫、です……少し眩暈がしただけで……」
レクスさんに肩を支えられなんとか態勢を保つ。
先ほどの頭痛は嘘のように消えており、体調面には何の支障もない。
いったい何だったのだろう。こんな突発的に頭痛を起こすことなんて今まで一度もなかったのに。
「それで、二人はどうだい? 賛成してくれるかな」
男性が再三訊ねてくる。
相変わらずにこやかな笑顔を浮かべているが。
何故だろう。
今の私には、それが酷く空虚な張物にしか見えなかった。
荒くなった息を鎮めようと心を落ち着かせる。
その隙に、ラティさんがポツリと呟いた。
「わたし、良いと思う」
「ラティ?」
「……本気か?」
彼女の賛成に、私の背を擦るレクスさんが戸惑った声音で問いただした。
彼女の表情は真剣そのもので、冗談や適当ではなく、ちゃんと考えた末に出した結論だと覗く横顔からわかる。
……それにしても、彼女の声はこんなにも生気のないものだっただろうか。
控えめな性格でありながらも、すぐに人と打ち解けられる芯が強いイメージであったにもかかわらず、先のラティさんの声音はまるで独り言のように小さく抑揚がない。
それはもはや、ただプログラムされた文章を読み上げる機械のようで。
ラティさんの目を正面から見ていなかった私は、最後まで気づくことはなかった。
彼女の輝いていた瞳が、苔むした色に濁っていることを。
「んー、ラティが言うんなら別にオレは良いと思うけど」
「カイ、お前まで……!」
「本当かい二人とも。ありがとう、絶対に迷惑はかけないと約束するよ」
ラティさんが賛成したことに影響され、宙ぶらりんになっていたカイさんの意見が賛成へと移る。
それをレクスさんが咎めようとしたが、男性の嬉しそうな声に遮られて最後まで言葉が続くことはなかった。
もうすっかり彼が同行する流れとなっている。
ここで私が反対したとしても、この雰囲気を打開することは難しいだろう。
予想外にもラティさんが男性の参加に乗り気なために、もしも反対意見が通ってしまったら仲間内に不和が残る可能性があった。
それはなんとしても避けたい。
結局私は自分の意見を言うことができず、男性の参加を黙認することとなった。
私の沈黙を了承と得たらしい。男性は嬉しそうに身振り手振りを加えて、まるで役者のような言動で四人の中に加わった。
「ありがとうみんな。ボクの名前はハル。短い間だが、よろしく頼むよ」