開拓者が依頼を受ける際に、禁止されている事項がある。
それは、依頼にない植物を勝手に採取することや指定されていない魔獣を討伐することだ。
今から私たちが採取する薬草は森の中でもっとも危険がない場所に生えており、数もそこそこ多い。
だから開拓者が受ける依頼の中でも最低レベルの難易度となっているのだが、逆に言えば取ろうと思えば誰でも取れるのだ。
森の奥に行き依頼をこなそうとする開拓者が現れた時、通り際に道草感覚で薬草を採取してしまえるほどに。
薬草は冒険において非常に重宝される。磨り潰して塗れば止血薬になり、煎じて飲めば元気が出る。
それゆえに薬草は開拓者にとって必需品でありなくてはならない存在。これを開拓に出る度に勝手に採取してしまえばあっという間になくなってしまう。
そうすると今度は新人が最初に受ける依頼の難易度が上がってしまい、結果的に事故に繋がる可能性が高まってしまうのだ。
これは魔獣も同様である。それどころか植物や鉱石などの無機物よりもよっぽど規則が厳しい。
どんなに生態が理解の外にあろうと、生き物であることには変わりはない。
弱い魔獣を片っ端から狩ればそれを餌にしている強力な魔獣が食料を求めて生息範囲を拡げ、予期せぬ事態に陥る場合もある。
そもそも討伐依頼は常に命の危険と隣り合わせなのだ。自分の身の丈に合わぬ魔獣に遭遇したからと無策で挑めば敗れるかもしれぬし、有望な開拓者を失うことは組合側も望むところではない。
仮に討伐できたとしても、今度はその魔獣を目的にしていた依頼がなかったこととなってしまう。
もしも後から依頼を受けた者がいれば無駄足になる上、本来そこにいるはずの魔獣が全く別のものになっている可能性だってある。
このことから、自身が受注した依頼にはないものを採取、または討伐してはならないと厳しく言い渡されているのだが……。
「おっかしいなぁ。ここら辺に生えてるはずなんだけど」
「誰かが既に取った後なのかもしれないね。土を見てみるといい。つい最近採取されてしまったように見えるよ」
森に入ってから一時間弱。
意気揚々と道を先行するカイさんに付いていったが、本来群生しているポイントに薬草が一つもなく未だ収穫はなかった。
しゃがんで土の様子を調べているハルさんの言った通り、根ごと無理やり引っこ抜いたのか小さく割れた土が盛り上がっている。
自分でも確認してみると、ごく最近取られたのか根の形が地面の中にまだ残っていた。
除草の仕方から見て、小動物に食べられた線も低いだろう。
「間違ってるとかじゃないよね?」
「ああ、確かにここに生えているはずなんだが……どうする、ここ以外となるとだいぶ距離が遠いぞ」
周りに少しでも残っていないかと探すラティさんとレクスさんの会話が聞こえる。
二人も見つからなかったのか、これからどう行動しようか話し合っているようだった。
気になったことがあり、ラティさんの顔をこっそりと注視する。
状況が芳しくないことから表情は暗いが、そこに不自然さを感じることはない。
先刻まで様子がおかしいように見えたが、声の調子もすっかり元に戻っているようだった。
懸念していた点が解消され小さく安堵の息を吐いた。
辺りに一朶も生えていないことを隅々まで確認した後、一旦集まって話し合おうとハルさんが提案する。
「ここには生えてないことがわかったし、レクスくんの言う通り、ここから次の群生地までは少し遠いね。それでは日も暮れてしまう。そこでどうだろう、ボクの知っている近場の群生地まで行くというのは」
依頼の成否がかかっているというのに、ハルさんは笑顔を絶やさない。
場の空気を重くしないためにしているのだろうが、あの底抜けに明るいカイさんでさえ笑えていなかった。
「そうだなー……。オレが連れてきたところで生えてなかったんだから、ハルさんに教えてもらったら助かるよ。レクスも、それでいいだろ?」
「……ああ。こうなってしまった以上、せめて依頼の不履行は避けたい。ハルさんの指示に従おう」
パーティーのまとめ役であり、最後までハルの参加に渋っていたレクスさんがついに助力を求めた。
ますます笑顔が深くなる。
「ありがとう。それじゃあ行こうか」
カイさんと位置を交代し、今度はハルさんが先頭を歩く。
迷いなく進んでいく彼に跡を託すように、私たちは彼の数歩後に続いていった。
すると、びゅうっと甲高く鳴る突風が起きて、森の木々を騒がせる。
頬に当たった風は冷たく、まるで夜に吹く木枯らしのようであった。
顔を上げ見えるのは無数の木の葉。
その奥から僅かに覗いていた太陽は、雲に隠れてすっかり見えなくなっていた。
○
「へー! ハルさんは開拓者になってもう五年も経つんだな」
「ああそうさ。駆け出しの頃は今の君たちみたいに何度も森へ足を運んでいたなぁ」
少し傾斜ができ始めた道を歩く。
黙って進むのに飽きたらしいカイさんが先頭に立つハルさんの隣に並び、先輩開拓者であるハルさんに色々と聞いているところだった。
カイさんの明るくなんにでも興味を示す性格と、ハルさんの優しく丁寧な話のおかげで、先ほどまで流れていたネガティブな空気はいつの間にか霧散している。
彼らの後ろを歩くラティさんも、二人の話を聞いて楽しそうに笑みを浮かべていた。
かくいう私は慣れない坂道に疲れ、少し遅れている。普段から運動をあまりしていな弊害が如実に出ていてなんだか悲しくなった。
私と歩幅を合わせて歩いてくれていたレクスさんが声をかけてくる。
「大丈夫か、ノア。あまり無理はしすぎるなよ」
「だ、大丈夫です。少し、つかれただけで」
「呂律が回っていないぞ。……なあ、ハルさんのこと、お前はどう思う」
心配そうに声をかけてくれたレクスさんへ気丈に振舞う。
一応は納得してくれたのかそこで引き下がってくれた。
先頭の方にチラリと視線をやり、そっと耳打ちしてくる。
声を潜めているからか少し低くなったトーンに、散漫としかかっていた集中力が再び引き締まった。
「……最初は警戒してました。けど、今はああして協力してくれるし、二人も気を許しているみたいなので、大丈夫じゃないかと」
「……そうか。俺の警戒しすぎだったらよかったんだが、ノアもそういうなら俺も信じることにするよ」
小さく息を吐くようにレクスさんが笑った。
そういえば、依頼が始まってから彼の笑顔を見ていなかったなと、レクスさんの横顔を見て思い出す。
パーティーのまとめ役として、色々と背負うものがあるのだろう。先のことまで考えてくれている彼を励まそうと口を開け、
「ところで、どうしてノアくんはずっと顔を隠しているんだい?」
唐突に、先を歩くハルさんに話を振られた。
「へぇ⁉ わ、私ですか?」
「ああ、そういやオレらもまだ顔を見てなかったな」
「確かに、初めて会った時も頭巾をしていたな。何か理由でもあるのか?」
「わたしも、気になる」
四人の視線が一斉に集まる。
まさかいきなり話のネタが私に移り変わるとは露とも思っていなくて、アドリブに弱い体は緊張に耐え切れず冷や汗を流した。
何故顔を隠しているのか。
ミッシェルさんにそう言われたから。
理由なんてこれしかなくて、自分でも彼女の真意はよくわかっていない。
どうすれば当たり障りない答えにできるだろうかと必死に脳みそをフル回転させ。
やっぱりアドリブに弱い私は、嘘をつくことにした。
「じ、実は顔に大きな傷があって……それで、その、あまり人に見せられるものじゃないと言いますか……」
当然、本当は私の顔に傷なんてない。
しかし人に顔を見せたくない言い訳にこれ以上に適切な理由が思いつかなかったので、咄嗟の嘘として口を突いて出たのだ。
カイさんもレクスさんもラティさんも、一様に同情している目で私を見ている。
始めた会った時も今も、私は親切にしてくれた人たちに嘘ばかりついている。
罪悪感に胃がキリキリと痛んだ。
「そうかい……それは、不躾に聞いてすまなかったね。気を悪くさせてしまったのなら申し訳ない」
顔を隠しているわけを聞いてきたハルさんは初めてここで笑みを消し、沈痛な表情で頭を下げた。
面食らった私は慌てる。
嘘をついた上に謝られるのはさすがに申し訳がなさすぎる。穴を掘って埋まってしまいたい気分だった。
「い、いえ! 全然謝らなくて大丈夫です! むしろすいません、変な空気にしてしまって……」
いっそ「実は嘘でした」と言ってフードを外してやりたいと本気で思い悩んだ。
優しいみんなを騙して、挙句の果てには謝らせている事実に良心の呵責に苛まれる。
両手を振って必死に空気を和ませようとする私を見て、カイさんが吹き出した。
「くくくっ……! そんなんオレらは気にしねえよ! 見せたくないなら見せないでいいんだ。ノアが自分で見せてもいいって思った時に見せてくれればいいからよ」
「そうだな。俺たちも、なるべく顔を覗かないように気をつければいい」
「うん。同じ女の子同士だし、顔に傷ができる辛さはわかるよ」
みな口々に私を慰め、励ましてくれる。
騙している、という事実は変わることはない。
それでも、私のことを気遣ってくれている事実に、少しだけ心が落ち着く。
「はい……みなさん、ありがとうございます……本当に」
「……さて。雰囲気も良くなったとこだし、そろそろ行こうか」
途中から口を閉ざしていたハルさんの声で現実に引き戻される。
自分の質問から変な空気になってしまったことを気にしているのか、先ほどの饒舌ぶりは鳴りを潜めており、黙々と歩みを止めない。
ハルさんの気遣いを見て、私は今まで彼を疑っていたことを恥じた。
やはり彼は見た目通りの優しい人物なのだろう。それをずっと疑い警戒していたなど、自分はなんて失礼なんだろうか。
隣を見ればレクスさんも同じことを思っていたらしい。彼のハルさんを見る目つきが私たちに向けるものと同じ温かさに変わっていた。
一人で先に進むハルさんに置いていかれないように、止めていた足を早足で動かして一行は森の奥へと向かった。
○
ハルさんの先導を受けて進んでいると、木々ばかりだった風景が少し様変わりする。
土や草むらばかりだった地面はいつの間にか硬い岩となり、苔むした岩肌が露出していた。
人の手が加えられていない自然の姿。
ひとたび息を吸い込めば深緑の爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。
「ハルさん、ここに本当に薬草があるのか?」
「ああ。この先にとある洞窟があってね。そこに生えているはずさ」
「へー。こんなところ来たことなかったから知らなかったぜ。……おっ、あれか?」
話しながら進んでいると、どうやらカイさんが先んじて目的地を見つけたらしい。
目を凝らしてみると、蔓や枝に囲われてはいるものの確かに洞穴らしきものが見えた。
「ここだね」
「よっしゃ、さっさと行って取ってきちまおうぜ」
ついに目的地へ到着したと肩を降ろす一同。
ここまで来たらあと一歩だと希望を抱くが、帰る時も同じ道を辿ることを思い出して一瞬で真顔になった。
もう足はパンパンで痛くないところがない。
明日は確実に筋肉痛だなと、インドアな私は遠い目をして嘆いた。
レクスさんやラティさんもさすがに疲れているようで、各々肩を回したり持参したブリキの水筒で水分補給をしている。
そんな中やはりカイさんだけが元気で、碌に小休止を取ることなく一人で先に進もうとしていた。
ハルさんの話だとそこまで大きな洞窟ではないようだが、何事にも絶対に安全な保障などない。
見兼ねたレクスさんが後ろからカイに声をかけた。
「おいカイ。お前も少しは休憩を――」
言葉は途中で途切れた。
鈍い。鈍重な何かが激しい勢いで振るわれた風切り音と。
そんな鉄塊に砕かれた、脆い頭蓋の痛烈な叫び。
緩んだ空気を嘲笑う、空気の読めない悪意が。
レクスさんの後頭部を、何のためらいもなく襲撃した。
「──……え?」
漏らした声は、いったい誰のものだったのだろう。
自分か。カイさんか、ラティさんか。
もしくは、レクスさん自身だったのかもしれない。
少なくとも、誰もかれもが急変する状況についていけず。
ただ一人。
私たちを連れてきた男だけが、歪に口元を歪めていた。
膝から崩れ落ち前のめりに倒れる。
意識を失っているのか起き上がる気配はない。割れた壺から液体が流れ落ちるように、破れた皮膚からだくだくと血が流れていた。
「は? おい、レクス? おいっ、おい!」
「え、なに。なに、なにが」
目の前で倒れた幼馴染を介抱するカイさんの呼びかけに返る言葉はない。
少し離れたところで事の起こりを見ていたラティさんは混乱して、取り留めのない疑問を零すだけ。
私は、絶句して何も言えず。
襲われたレクスさん、ではなく。
突然現れた闖入者二人(・・)から、目を離せなかった。
「おいおいハルよぉ。随分と遅かったじゃねえか」
「ホントだぜ。おかげでもうすっかりたまっちまったよ」
「すまなかったね。誘導するのに時間がかかってしまったんだ」
低く酒焼けした声。
丁寧とは口が裂けても言えない口調から飛び出た言葉を、私は少しも理解することができなかった。
唐突に現れた二人の男は使い古された革の鎧を纏っており、彼らも同業者だと理解する。
一人の手には血塗られた棍棒が握られており、あれがレクスさんを襲った凶器だということが一目でわかった。
いったい彼らは何者なのか。何故こんなことをしたのか。
そして何故、ハルさんはそんな男たちと親し気に会話をしているのか。
この数分間で起こった出来事の全てが、私の脳内に疑問として叩き込まれた。
「お、お前ら、なんなんだよ!」
状況は、彼もあまり理解できていないのだろう。
それでも目の前にいるのが敵だと悟ったカイさんは、腰に提げていた剣を抜き放ち感情のままに吠えた。
構えた剣先が小刻みに震えている。
緊張と恐怖で唇を引き結んだカイさんの身体は、勇ましい口調とは裏腹に痛ましいほどに委縮していた。
「ハルさん、どうなってんだよこれ!」
「すまないねカイくん。端的に言うと、君たちを騙していたのさ」
「っ。どういうことだよ、ちゃんと説明してくれよ!」
カイさんに鋭く糾弾されても、ハルさんの笑顔が消えることはない。
緊迫した空気に、一触即発寸前の両者。
少しでも指先を動かそうものならその瞬間に爆発してしまいそうな雰囲気の中で。
そんな中でも、ハルさんは嗤っている。
場にそぐわない笑顔は不気味で、心臓がうるさいほどに脈を打つ。
「まぁだわかんねえのかあ? お前等は騙されたんだよ! この色男になぁ!」
「ま、そういうわけなんだよね。運が悪かったと思って、諦めて欲しいな」
「騙されたって……。わ、わたし達をどうする気なの……⁉」
「わかってんだろ? 女は犯す。男はどうでもいいから蹴って殴る。そんだけだろ」
下卑た笑みで私たちを値定めする目で見る男たち。
いや、正しくは私とラティさんを、だ。
男たちの言葉に声を荒げるカイさんとラティさんだったが、まるで子犬が吠えているとでも思っているかのような顔でヘラヘラと笑っていた。
私は何も言えない。
犯す、という言葉を聞いて。肉欲に溺れる男たちの視線を浴びて。
体が、動かなくなっていた。
体温が引いていく。流れる血の感覚すら知覚できるようで、血管の内から霜が張っていくような怖気さえ覚える。
胸が、気持ち悪い。
「んじゃま、そろそろ楽しませてもらいますか」
何でもないことのように言葉を発する男に耳を疑う。
しかし私たちにそのような余暇があるわけもなく、悠然と差し出された男の手に私とラティさんは呆気なく掴まってしまった。
まるでこちらのことを考えていない大人の握力が、手首をきつく握りしめる。
神経を通って脳に通達してくる痛みに、私は過去最大の恐怖を覚えた。
「ヒッ……⁉」
「いやっ、離して!」
喉の奥から出た声はくぐもっていて情けない。
私と同じように掴まったラティさんは身を捩って拘束から逃れようとしていた。
思い出したように私も必死に抵抗する。
このままだと、私たちは。
「へへっ、無駄だぜお嬢ちゃん」
「そうそう、大人しく諦め……うぉっ、このガキ、思ったより力が……!」
力のあらん限りで拘束から抜け出そうとすると、火事場の馬鹿力でも出ているのか男が焦り出す。
片手だけで抑えていたところを両手で掴まれ、相手も全力で抗ってきた。
「……や、やめろおぉおおおおお‼」
放たれた声は鮮烈で、木や岩壁に囲まれた場所でよく響いた。
恐れと不安。そしてそれ以上の怒りでもって咆哮した裂帛の気合は果たして、力任せに振るわれた剣と形を成して表出する。
剣尖が煌めき、宙に光の軌跡を残して振り下ろされた。
狙われたのは私を捕まえていた男で、殺意を持って繰り出された剣撃が男の脳天へ――
「うぉっと、あっぶねえな」
直撃する寸前、身を捩って死への片道切符を手放した。
渾身の一撃を躱されたカイさんは勢いにバランスを崩し、何度も足踏みをする。
男は笑った。いや、この場にいる悪意ある者たちがみな、嘲笑してカイさんを見下している。
馬鹿にされていることに顔を真っ赤にしたカイさんは体勢を直し、何度も何度も剣を振るった。
さすがに避けることに専念しているのか、私を捕まえる力が弱まっている。
機を逃さず、私は全力で手を引いて男から抜け出した。
「あっ! てめえ……おっと!」
「このっ、このおおおおおお!」
怒りに顔を染めて再びこちらに手を伸ばそうとしたが、カイさんの攻撃に気を取られ出された手は途中で引っ込められた。
自由、自由になった。
頭が冷静でない私は他の事を考える余裕がなかった。三人のことも忘れて咄嗟に踵を返して逃げようと後ずさる。
しかし、いつの間にかすぐ後ろに移動していたハルさんに掴まってしまい、結局逃げることは能わなかった。
「きゃっ!」
「おっと、逃がさないよ。……華奢な体にそぐわない腕力。まさか君……」
もう一度抜け出そうと必死に暴れるも、あの男とは違い今度はびくともしない。
まるで万力のような力に、私は為す術もなくハルさんの手中に収まってしまう。
笑いながら私を捕まえたハルさんだったが、私が暴れ始めると笑みを潜めた。
何か気になることでもあるのか、問いただそうと口を開き、
「うおおおおおお!」
カイさんの絶叫紛いの叫び声に紛れてしまった。
長剣を懸命に振るうカイさんだったが、悲しいことに彼の剣が相手に当たることは一度もない。
危なげなく躱す男の顔にはだんだん余裕が生まれ、三度カイさんを嘲笑う。
「へっ。ちょろい攻撃だな。パパに剣の握り方を教えて貰ったらどうだい坊主?」
「う、うるさいうるさい!」
煽られたカイさんは髪を振り乱して否定し、驚くべきことに剣を捨てて男に体当たりした。
明らかに冷静さを失っている。
雄叫びを上げて男に立ち向かってはいるが、それがなんら痛痒を与えられていないことは火を見るよりも明らかだった。
カイさんにしがみつかれた男は引きはがそうとカイの背中や頭を殴る。
「うお⁉ こ、このガキっ!」
「おいおい、なぁに手こずってんだよ」
焦って取り乱す男を、ラティさんを捕えているもう一人がからかう。
この期に及んでまでゲーム感覚でいるのか。
同じ人間とは思えない言動に、無意識に奥歯を噛み締めた。
レクスさんが気絶して、私たちも掴まって身動きができないこの状況ではカイさんが一縷の希望だ。
ぐっと唾を飲み込む。
一人で奮闘するカイさんに全てを託してしまうことに罪悪感を覚えながら、私はカイに向かって激励の言葉を投げかけた。
「っ。カイさんっ、頑張って──」
「このガキ! 調子に乗るな!」
いつまでもしがみつかれていることに腹を煮やしたのか。
それとも、さっさとお楽しみになりたかったのか。
そうしようと思った動機は、わからないけど。
無我夢中で男を押し倒そうとしているカイさんに向かって。
男は、腰に提げていたナイフを取り出して……。
「──けぅっ」
一息に、うなじ目掛けて突き刺した。
「──は」
ナイフを突き立てられたカイさんは言葉未満の奇妙な声を漏らし。
しばらく痙攣した後、ズルズルと男の服の裾を弱々しく掴んだまま。
静かに、倒れ伏した。
やがて全身の筋肉が弛緩し、カイさんの下半身から尿が漏れ出る。
刺された首から流れる血と混ざりあい、濃密な命の残滓がカイさんの下に赤黒い水たまりとして出来上がった。
それから、彼はピクリとも動かない。
あんなに、元気だったカイさんが。
ずっと笑って、大きな声で喋って、みんなを明るくさせていた、カイさんが。
今は、淀んだ瞳で、目尻から涙を流して沈黙している。
「え……なにが──」
「うわああああああああああああ! カイっ、カイィイイイイ──‼」
ラティさんが、自分が捕まってしまったことも忘れたかのように泣き叫んでいる。
それを見て、聞いて、ようやく解った。
カイさんは死んだ。
目の前で、ドラマやアニメでしか見てこなかった殺人が行われて。
現実を全く見ることができていなかったのだ。
だから私は、今こうして目の前で、さっきまで元気に喋っていた人が死んでもまるで反応出来ず──
「あ、やっべ。殺しちまった……」
「おいおい、なにやってんだよ」
「しょうがねえだろ、このガキが……。ちっ、めんどくせえな……」
カイさんを殺した男は、まるで服の上から虫を潰してしまったとでも言いたげな態度で、自分の服に付着したカイさんの血を煩わしそうに拭い。
それを近くで見ていた仲間は、嫌悪するでもなくただ呆れていて。
まるで殺人を厭わない様子に、私は。
私は……。
「──い、いやああああああああああああああああああああああああああああああ‼」
絶叫が、鼓膜を震わす。
その声が、自分から発せられたのだと気づいたのは、事が全て終わった後。
喉が、痛かった。