「──いやっ、離して!」
「ヒヒ、無駄無駄ぁ。もう諦めなよお嬢ちゃん」
洞窟の中に、ラティさんの悲声が響き渡る。
本来は温厚なはずのラティさんがわき目もふらずに取り乱しているのに、私は良いように引きずられるままだった。
絶望していた。目の前でカイさんが死んだこと、殺した男が殺人を対したものではないとして振る舞っていること。
本当に、大きい虫を踏みつぶしてその粘液が手に付着したときのような、その程度の感慨しか抱いていなかったように見えて。
視界がぐらぐらと揺れ、頭はガンガンと頭痛を訴えている。
この場から逃げ出したいのに、足は少しも動かないし、この場を切り抜ける打開策も思い浮かばない。
私達はこれから、輪姦される。
その後はわからない。魔獣の餌として放り出されるかもしれないし、最悪、この場で殺されるかもしれない。
洞窟の中は薄暗く、その御陰でこれから見せられるであろうおぞましい物をあまり見なくて済むのが唯一の救いだった、
「なあ、そっちの女の顔見せろ。上玉だったらヤッた後売り飛ばせる」
「わかったよ」
カイさんを殺した男が、私のフードを外すように私を捕らえているハルさんに向かって命じる。
ハルさんは素直に命令を聞き、なんの躊躇いもなく私のフードを掴んだ。
その瞬間、言いようのない不安感に襲われた。
待て、私が顔を隠してた理由は何だった?
ミッシェルさんの言葉が思い返される。
『アンタ、外にいる時はずっと顔を隠してなよ、確実に面倒ごとになるからね』
彼女はそう言って、私にこの外套を渡した。
それ以外にも、私の顔を見た時の反応も脳裏に浮かんで……。
一つの可能性に気が付いた。
とんだ思い上がりかもしれない。だが、そうとしか思えない自分に自己嫌悪する。
多分、私の顔は、この世界にとって……。
気が付いた時にはもう遅く。
抵抗する間もなく、フードが剥ぎ取られる──
「──おおおああああああ‼」
「ぐぎゃ⁉」
寸前、何者かの雄叫びが洞窟中に響いた。
誰かの悲鳴が聞こえたと思えば、フードの上から液体が勢いよくかかった感触がした。
ずっと俯かせたままだった顔を上げると、そこには鬼気迫った表情のレクスさんが息を荒げて立っていた。
右手に、カイさんの剣を持って。
先ほどまでラティさんを捕えていた男は抵抗することもできず、レクスさんの鋭い剣の一撃によって顔面の半分が両断されそのまま即死していた。
あまりにも唐突な出来事で、誰も反応できず固まっている。
その隙を逃さず、レクスさんはさらに剣を流麗に振るった。
「おぉおお!」
「うぉおおおお⁉」
殺意が自分に向けられていることに寸でで気づいたのか、カイさんを殺した男は悲鳴を上げながら地面を転がって回避した。
レクスさんは追撃せず、その場から飛び退いていたハル目掛けて剣を突き出した。
「おっと、危ないな」
しかしハルさんはその突きを危なげなく躱し、近くにいたラティさんの首を掴み盾にするように前に放り投げた。
「きゃあっ!」
「くっ、てめえ……!」
「その傷で動けるなんて、無茶をするねレクスくん。それにしても君、カイくんより剣の扱いが上手いね。もしかして、ずっと彼のことを内心で馬鹿にしてたのかい?」
「黙れ! お前は、お前らだけは絶対に許さない!」
今にも飛びかかっていきそうなレクスさんだったが、ラティさんを盾にされているため迂闊に動けないようだ。
ハルさんもそれを理解していて、下手に攻めることはしない。
拘束から逃れた私は、胸の前で両手を合わせ、状況を見守っている事しかできなかった。
そうして膠着状態が続いている間に、レクスさんsのすぐ後ろで影が蠢く。
その影がなんなのかを察した私は、咄嗟に声を張り上げた。
「レクスさん、危ない!」
「死に晒せガキャア!」
「っ!」
男が振り下ろしたナイフがレクスさんを切り裂く直前、レクスさんは脅威の反射神経でその一撃を剣の腹で受け止めた。
剣のことなど碌に知らない私でもわかる。あれは並大抵の技術では到底為しえることなどできない凄技なのだと。しかも、それを実践でやってのけている。
いくら私が先んじて警告したとはいえ、すぐさま行動に移せる実力。
それを見て、私の中に微かな希望が芽生えた。
レクスさんの実力なら、この場を切り抜けられるのではないか、と。
彼ならば、きっとハルさん──ハルにも引けを取らないだろう。実際、混紡を受け止められた男は激しく狼狽し急いでハルの後ろに隠れている。
「お、おいハル! てめえも手伝いやがれ!」
「ああ、わかった。君はラティくんを見ていてくれ」
ハルは、あくまで丁寧な仕草でラティを男に預けた。
そのラティさんに対する気遣いすら垣間見える所作を見ていると、未だにこれはなにかの勘違いなんじゃないかと思えてしまう。
怯えて見ていることしかできない私に、近くまで来たレクスさんが静かに囁いた
「ノア、お前は先に逃げろ」
「え……?」
レクスさんの発案に瞠目する。
ここで私は遅まきながらようやく思い至った。
私は今、なんの拘束も受けていないのだと。
しかもおあつらえ向きに、洞窟の出口は私の背中側にあり振り返って逃げれば誰からも邪魔されることはない。
頭の中で今すぐ逃げろと警鐘が鳴っている。しかし、私の口から咄嗟に出たのはなんの薬にもならない言葉だった。
「で、でも……!」
「いいから逃げろ。後で二人で戻るから」
にべもなく反論され、私の足は無意識に出口に向かい始めた。
一歩一歩、体が光の方に近づく度、罪悪感がわき出てくる。
私だけ逃げるのか? もしレクスさんが殺されたらラティさんはどうなる?
そんな思考がとりとめもなく溢れ続け、それでも私の足は止まらなかった。
いや、レクスさんは負けない。あんなに強いのだ、倒せなくても、手傷を負わせて撤退するくらいなら、きっと。
自分の行いを正当化しようと、頭がネガティブな考えを振り払っていく。
「お、おいおい、一人逃げちまうぞ!」
「んー。あの子なら別に良いよ。どうも、顔に怪我があって碌に見れたものじゃないらしいからね。それに、わざと複雑な道を辿って来たんだ。拠点に帰ることもできないだろう」
私が逃げるのを見て焦った男が、ハルを糾弾する。
それに対してハルは、何の悪気もなさそうに反駁した。
視界が揺らぐ。
実際は、私にはそんな傷はない。
それでも、ただただ悔しかった。少しでもあの男に絆された自分が憎い。
こんな男に騙された自分は愚かで。
こんなにも無力な自分が許せない。
そしてなにより、二人を置いてただ一人逃げている自分に、心底失望した。
「さて、レクスくん。君の剣の才能は光るものがある。カイくんなんて目じゃないよ。……でもね、それは所詮、素人の域を出てないのさ」
まるで、教師が出来の悪い生徒に言い聞かせるように、穏やかな口調で語りかけるハル。
ハルはいつまでも余裕の表情を崩さない。
レクスさんはその言葉をただの挑発と受け取ったのか、とくに憤る様子もなく構えた。
「うんうん。挑発にも乗らない、冷静な良い判断だ。ますます惜しいな。こんな才能の持ち主を殺すだなんて……」
「……シッ!」
これからレクスさんの身に起きることを予見し、ハルは嘆くように右手で両目を覆った。
それに対するレクスさんの返答は、高速の突き。
大ぶりの攻撃では躱されるとみたのか、ほぼ予備動作無しで攻撃を仕掛けた。
大きく伸ばされた腕は剣の射程を最大限まで引き延ばし、未だ白けた芝居をやめないハルに迫る。
が……。
「……でもね、レクスくん。さっきのは、挑発じゃなくて──純然たる事実だよ」
「はあっはあ……」
ようやく出口まで辿り着き、そのままの勢いで傾斜を下ろうとし。
ふと、後ろの様子が気になった。
二人は無事だろうか。そんな心配もあったが、実際は違う。
なにかが、後ろを向けと言っているような気がして。
私は一瞬立ち止まり、後ろを振り向くと──
──剣尖が光った。
「え?」
そこから先は、まるでスローモーションのようにして時が進み。
キラリと、ハルが持つ剣が光ったと思えば、レクスさんが頭を傾げた。
そして、そのままゴトリ、と。
地面に転がった。
「は……」
一拍遅れて、取り残されたレクスさんの首から血が勢いよく噴き出す。
グラリと体が揺れ、そのまま出来上がったばかりの血だまりの中に倒れ込んだ。
「───────」
私は、反射的に駆け出した。
洞窟の中──ではなく、元来た道へと。
「ぁ、あああああぁあああああああ……!」
口の端から呻き声のような声が零れる。
(私はっ、私はぁっ……!)
私は逃げた。
死への恐怖から、目を背けた。
自身の安全だけを優先して、逃げた。
遠くから響き渡る誰かの悲鳴を置き去りにして。
足下に転がっていた誰かの死体に目もくれず。
脳裏に焼き付く誰かの死に様を幻視し。
私は、脇目も振らずに逃げ出した。