「はあ、はあ、はあ……っう、げほっげほっ!」
走る。走る。
ただひたすらに、追いすがるように走る。
喉が痛い。苦しい。
見覚えのある景色を全速力で駆け抜け、その最中に足がもつれて派手に転んだ。
立ち上がろうとして、肺が急速に酸素を求めてきて咳き込むように呼吸する。
しばらく嘔吐いたままでいると、だんだんと頭が現状を理解し始めた。
そして、どうしてこうなったかを思い出そうとして、
「──ウッ」
吐いた。
脳裏にこびりついたカイさんとレクスさんの死ぬ瞬間を鮮明に思い出し、その場で胃の中身を吐き出した。
嘔吐した後も、何度も何度も嘔吐く、唾液すら出なくなるまで、何度も。
口の中に広がる酸っぱさに顔を顰め、からからになった喉が水を求めて痛みを発してくる。
「汚い……」
今の自分を客観的に見つめて、呟いた。
胃液を吐き出し、体中汗だくで、顔面蒼白。
笑ってしまうほど、滑稽だった。
舌の上に残る胃液の味も、徐々に冷めていくかかった血も。
全部全部、どうでもよくなった。
「……」
頭の中で、ある考えが浮かんだ。
ずっと鞘の中にあったナイフを抜く。
一度も使用されず、曇り一つ無い刀身に、私の顔が映る。
酷い顔だった。生きているのが愚かなほどに。
……そう、生きているのが、愚かだ。
異世界に取り残され、右も左もわからぬまま生きることを強要され。
親切にしてくれた人たちも、虫のように殺されたのだ。
何故だ。何故そうまでして私はこの世界で生きなければならない。何故私はこの世界に希望を見出していたのだ
刃を首に当て、逆刃を右手で押さえる。
後は、押すだけ。
押せば全てが終わる。楽になれる。
楽に。
「………………っ!」
死ね、死んでしまえと、頭の中で責め立てられている。なのに私はナイフを投げ捨てた。
怖い。死ぬのが、どうしようもなく怖い。
当たり前だ。私は人間で、やり残したこと、やりたいことがいっぱいある。
それでも、でも、カイさんとレクスさんが死ぬところを目の当たりにして、ラティさんを見殺しにしてまで生きていたくない。
私は、物語の主人公じゃない。
強大な敵を倒す力なんてない。悪しきをくじく強靭な精神を持っていない。
こんなにも、何者でもないなんて。
ああ、未練が頭を過る。
まだやりたいことがあるのに、まだ何もできていないのに、まだ、まだ、まだ。
──ああ、でも。
ここで逃げたら、私は一生、今日のことを夢に見るだろう。
それは……。
「……それは、いや」
私はきっと、この世界で死ぬのだろう。
それは今日かもしれないし、もっと未来の話なのかもしれない。
こんな、苦しいだけの世界で死ぬんだったら。
せめて、誰かの心に遺ってから死のう。
○
「おい、こいつの死体、片しといてくれよ。オレはこいつと楽しんでるからよ」
「はいはい。人使いが荒いなぁ」
男はハルによって首を落とされたレクスの死体を一瞥し、顔を顰めた。
結局、この一連の騒動の結果は惨憺たる結果だった。
まず、仲間であった悪友が殺された。
不意打ちであったとは言え、冒険者になって日が浅いレクスに殺されるとは、誰も想定していなかったのだ。
それから、捕まえた女の一人が逃げた。
残ったのは、叫ぶ気力もなくしたのか床にへたれ込んでいるラティのみ。
立て続けに幼馴染を亡くしたラティの顔からは生気が抜け落ちており、死人のような様相を呈していた。
「まあ、一人残っただけでも良しとするかぁ」
男は独りごち、ラティに目を向ける。
今はもう誰も彼女のことを抑えていない。
それなのにラティは、まるで動こうとしない。
その様子に男は下卑た笑みを浮かべ、ラティを乱暴に押し倒した。
体は震えており、これから起きることに対して恐怖しているのが目に見えてわかる。
それでもなおラティは抵抗してこない。気をよくした男は、無理矢理ラティが着ていた服を引き裂いた。
成長途中の少女の肌が曝け出され、その肌が見る見るうちに赤く染まっていく。
このような所行を行うのは、今回が初めてではない。
どんな相手でも、この瞬間が一番昂ぶるのだと、男は歪んだ笑みを浮かべ、ラティに覆い被さった。
その時まで、ラティが脳裏に思い浮かべていたのは、子供の頃のこと。
カイとレクスの三人で、何も考えずに集まって遊んでいた頃のことを思い出して。そしてそれはもう叶わないのだと知って、目を瞑った。
もう、何も残ってはいないのだ。
何故こうなったのだろうと考え、自分のせいだと思い出す。
そもそも、ハルの同行に賛成したのは自分だ。
ハルの人当たりの良さそうな風貌に騙され、あまつさえ見惚れてしまった。
そんな、紙くずよりも軽い理由でこうなったのだと思うと、吐くことのできない嘔吐感が全身を包み込む。
仮に、この場を生きて切り抜けられたとしても、自分はすぐさま自殺するだろう。
耐えられない。自分のせいで二人が死んだのに、どうして自分だけがのうのうと生きていられるというのだ。
とどのつまり、自分にはもう先なんてなくて。
そしてこの一連の事件は、開拓者にとってさして珍しくもない出来事であるということに絶望した。
香る血と酷い口臭にむせかえりそうになり、乱暴なだけの男の手によって乳房が潰される。
痛くて、気持ち悪くて、悲しい。
せめて最中は別のことを考えようとして、一人の少女の事を思い出した。
出会ってまだ半日と経っておらず、自分たちと同じで、開拓者になったばかりのフードをかぶった女の子。
彼女には悪いことをした。自分のせいで、見たくもないものを見せられたのだ。
きっと、自分たちを恨むだろう。彼女にはその権利がある。
だから、彼女だけでも逃げられたことに安堵して。
同時に、ズルいな、とも思ってしまった。
なんでレクスは、自分より先に彼女を助けたのだろう。
わかっている。単純に距離の問題だ。彼女を捕らえていた男の方が、入り口に近かったのだ。
そう理解しようとしても、心が納得するのを拒否してくる。
だから、ズルいな。
目の前の、荒い息を吐きながら下卑た笑みを浮かべる男は、とうとう自身のズボンに手をかけた。
もったいぶるようにゆっくりと下ろしていき、やがてそれは外気に晒された。
大きく膨張した肉棒は、これから行われる未来の想像を助長させ、恐怖と共に迫ってくる。
ラティの服はとっくに破り去られており、ほとんど全裸のような様相になっていた。
そっと目を閉じる。
これから、襲い来るであろう痛みに耐えるために。せめて、視界だけでも良いから、目の前の男の要素を自分の中から排除したくて。
来る。来る。来る。
光すら灯らない洞窟の中で、悲鳴が響き渡る。
そんなことはこの世界では良くあることで、瞼を閉じた。
真っ暗闇になった視界の中で──
「──待ってっ‼」
──一筋の光が差した。
そんな心地だった。