「着いたよ。ここがアタシの店さ」
「はぁ、はぁっ。な、なんなんですかぁ」
目的地は案外近くだったらしく、数分間物のように扱われたと思ったら気づけば私は洋服が数多く飾られている室内にへたり込んでいた。
アタシの店という彼女の口振りからして、見ての通り洋服屋なのだろう。営業時間は過ぎているのか私たち以外に人の姿はない。
自分が動いたわけでもないのに息を切らす私を見て、件の女性は快活に笑ってみせた。
「ははっ、無理やり連れてきちまって悪かったね。実はアンタに頼みたいことがあるんだよ」
「わ、私にですか?」
そうさ、と言葉を返しながら女性は私と同じ視線の高さになるように膝を曲げた。
目を合わせると、今までの愉快気な雰囲気が鳴りを潜めているのがわかった。瞳の奥に真剣な感情を帯びた色が仄めいている。
いったいどんなお願いをされるのか。緩みかけた気持ちを引き締めるため、意味もなく背筋を伸ばした。
一瞬の沈黙。
女性は両手を顔の前で合わせると、勢いよく頭を下げた。
「頼む! アンタの着てる服、アタシに売ってくれないかい⁉」
頼みごとを聞いて、頭の中でリフレインして、理解するのに数秒。
あまりにも拍子抜けな内容に、気の利いた言葉が出てくるより先に「はい?」と素っ頓狂な声が漏れた。
言われて自分の服装を改めて確認する。学校の制服に自前のパーカーと、一見して変わったところがないように思える格好だ。
「えっと、なんで私の服を?」
「なんでって、そりゃあアンタの着てる服がかなり上等なもんだからさ。上に着てる外套ならまだしも、中の服の精巧さったらないよ。最新の機織り機を使ってもそうはならない。ていうか、何の素材を使ってるのかもよくわかんないし」
制服の素材はポリエステルとウール。現代で生きている人間、それも洋服屋の店員なら絶対に知っているはずだが……。
まさかからかっているのかと訝しむも、彼女は無表情で私の制服に目が釘付けになっている。
そんな顔を見て、私は悟ってしまう。
この人は本気で制服の造りを知りたいのだと。
それと同時に、今まで考えないようにしていた一つの可能性が現実味を帯びる。
私はそのことに、静かに絶望した。
「……いいですよ。制服、売ります」
「ホントかい! いやぁ無茶言って悪かったね、お詫びに金額には色を付けてあげるよ! あとそうだ、代わりの服もやるから、これを着な!」
「ありがとう、ございます」
溢れそうになる感情を押し殺す。
彼女に悟られないように、舌唇を噛んで瞼から零れかけた感情の発露を堪えた。
制服を売ってしまえば、学校に行くことは難しくなる。
それでもよかった。私の考えが事実だとするなら、制服なんて持っていても意味がない。
ならば少しでもここで長く生きていくために、金を工面しなければ。
渡された服に着替えるために、長いこと被っていたフードを脱ぐ。
すると、目の前にいる女性から息を呑む音が聞こえた。
「? どうしました?」
「……あ、いや。アンタ、そんな美人さんだったんだね。こんな別嬪さん初めて見たから思わず見とれちまったよ」
呆けた表情でこちらを凝視していると思えば、過剰に顔立ちを褒められた。
お世辞にしては反応がおかしい気もするが、突っ込んで聞く勇気もないので素直に称賛を受けるだけに留めた。
代わりの服に着替え制服とパーカーを渡す。名残惜しいが、背に腹は代えられない。
女性が精算をしている間に備え付けの鏡で自分の姿を確認する。
街を歩いている人や彼女が着ている服と同じ、絹で編まれた簡素な服装だ。
ふと、自身の黒い髪が目に入る。
日本ではありふれてなんの特別性もない色だ。だが、ここにいるとなんだか自分の方が異質なものに思える。
深く息を吐くと、頭の上に硬質な何かが優しく落ちてきた。
見上げると小さな麻袋が頭に乗っていた。ジャラジャラと鳴る音から、硬貨が大量に入っているのがわかる。
「待たせたね。見たこともない素材と製法だったから適正な金額はわからないけど、多分少なすぎるってことはないはずだよ」
「ありがとうございます。あの、いくらくらい入ってるんですか?」
「一か月間は遊んで暮らせるくらいには」
「え」
途端に頭にかかる重さが増した気がした。
「あああああああの、いくらなんでも多すぎるんじゃないかって思うんですけど……!」
「気にしなくていいよ。うちはここらで一番人気の服屋だからね。アタシの心配はしなくて大丈夫さ」
けろりと大金を手渡すその顔に後悔の念は見えない。それどころかどこか満足気に映るので、彼女は根っからの職人なのだなと謎に感心した。
思いがけず大金持ちになってしまった。袋の紐をほどき中の硬貨を一枚取り出してみる。
硬貨には女性の横顔が彫られており、鉄ともプラスチックともつかぬ不思議な手触りの貨幣だった。
申し訳ない気もするが、ありがたいことに変わりはない。
お礼を言って落とさないように麻袋をリュックの中に入れる。
「今日はありがとうね。おかげでいいもんが手に入ったよ」
「こちらこそありがとうございます。あの、ここら辺で宿泊できる施設ってありますか?」
「なんだ、まだ宿取ってなかったのかい。ここからじゃちょっと歩くし、なんだったらウチに泊まってくかい?」
「え。ありがたいですけど、でも……」
「遠慮なさんな。別に取って食おうってわけじゃないさ。アタシの名前はミッシェル。アンタは?」
ミッシェルと名乗った彼女は握手を求め手を伸ばしてくる。
差し出された手を半ば無意識に掴むと、ミッシェルさんは嬉しそうに歯を見せて笑った。
さすがに申し訳ないから断ろうとしたのだが、この笑顔を見るとそんな気も失せてしまう。
人懐っこい笑みを浮かべるミッシェルさんに釣られ、私も口角が少し上がった。
「木村乃愛……いえ、乃愛です。お世話になります」
次回更新は翌日の19時です。