「──な」
「ぅ……んぅ……」
ぺしぺしと、誰かに頬を叩かれている。
気付けのために加減された平手を食らい続け、泥沼に沈んでいた意識が僅かに浮上する。
目は覚めた。が、どうにも瞼が重い。
昨日の疲労が祟っているのか、全身が岩に押しつぶされたように動かなかった。
「はぁ、しょうがないねぇ」
私を起こそうとしていた誰かの声が移動していく。
諦めたのだろうか。それならばこのまま意識を再び眠りの海に沈めようと流れるままに身を委ねようとした。
次の瞬間。首下から足元までを覆っていたシーツは、私を嫌うように勢いよく剥がされてしまった。
「ひゃあ⁉」
「ほら起きな寝坊助! 今日も女神様に見守られた一日が始まるよ!」
シーツを奪い取り豪快に笑うミッシェルさん。
剥かれた勢いに驚いて、ちょっと自分でもどうかと思うくらいあざとい声が出たことにもっと驚いた。
○
家主であるミッシェルさんに連れられて階下のリビングに降りると、机の上には大きなパンと見たこともない形の果実が二人分置かれていた。
やはりここは地球ではないのだな、と改めて実感する。
「朝食、食ってくだろう? アンタ昨晩は何も食ってないし、朝も食わなきゃ力は出ないよ?」
「はい、ご相伴に預かります」
「……アンタ、たまに難しい言葉使うねぇ」
ミッシェルさんが席に座ったのを見て私も一言断りを入れてから座る。
食卓に着いた途端にパンをちぎって次々と口に放り込んでいくミッシェルさんは、フードファイターを彷彿とさせる雰囲気と勢いがあった。
いただきますと挨拶をしてから、ふと、この世界では食前食後の挨拶の文化などはないのだろうかと疑問に思いながらパンを手に取った。
フランスパンを想起させる固焼きの外皮に噛り付いてみると、手で持った感触よりも簡単に噛み千切ることができた。
噛むほどに滲む甘味が口腔内に広がる。約一日ぶりのまとまな食事に、知らず強張っていた目尻が下がった。
視線を戻すといつの間にかミッシェルさんの食事はほとんど終えており、頬杖をついてこちらを見ている彼女と目が合った。
「ご、ごめんなさい、食べるのが遅くて……」
「別にいいさ。開店までまだ時間もあるし。ところでアンタ、これからどうするつもりだい?」
飲み下したパンの欠片と共に、浮かんでいた言葉も沈んでいった。
これからどうするのか。昨晩のうちに、何度も自分に問いかけた難問。
答えは未だ持ち合わせていない。そもそも、答えがあるのかどうかもわからない。
自分は……どうやって生きていけばいい?
「……アンタ、組合で開拓者の登録はしたのかい?」
「え。して、ないです」
「そうかい」
ミッシェルさんはそこで一度言葉を区切り、マグカップに入れた水を嚥下した。
開拓者という単語はまだ耳に新しい。
昨日私を助けてくれたカイさんとレクスさんが言っていたものだ。ここで彼女に言及されるまで、私は少しも思い出すことができなかったが。
「なら、とりあえず開拓者登録をすればいい。そうすりゃ少なくとも仕事はあるし、食い扶持には困らない」
「あ、あの。開拓者って、具体的にはどんな職業何ですか?」
「なんだいアンタ、そんなことも知らないのかい」
頬杖をついたまま呆れた目でこちらを見てくるものだから、なんだか居心地が悪くなる。
それからどう説明すればうまく伝わるだろうかとぼやいたミッシェルさんは、指先でテーブルの上を円を描くようになぞった。
「開拓者って言うのはね、国が雇った一般人……まあわかりやすく言えば傭兵さ。国、もしくは個人が出した依頼を受けて成功すれば収入を得る。簡潔に言えばこんなんだけど……」
ジッとミッシェルさんの視線が突き刺さる。
私の表情から何かを察したのか、苦笑を浮かべて説明をつづけた。
「開拓者の主な仕事場は大陸最南端の樹海、通称『死の森』。最終的な人類の目標はここを開拓することなんだが、まあこれは達成不可能だから忘れていい。で、開拓者は依頼を受けて死の森に出向くんだ。採取や討伐、種類は無数にあるが、いずれも目的を達成できれば達成金がもらえるって仕組み。簡単だろ?」
「えっと……」
「なんだい、納得いかないって顔だね」
とりあえず、開拓者についてのことはなんとなく理解できた、はず。
採取はともかく、討伐というのも昨日の出来事を思い返せば納得もいく。あの角の生えた狼──それだけではないかもしれない──が討伐の対象なのだろう。カイさんや拠点にいた人たちが武装していたのもそれらを討伐するためなのだと察することができる。
ただ、色々疑問に思うことがいくつかあった。
「なんでわざわざ傭兵を雇うんでしょうか。森を開拓するのはいいとして、討伐なら国の公式な兵士さんとかで討伐を担えばいいんじゃ……」
「言いたいことはわかるけど、無理だね。確かに練度や腕前なら兵士の方が質が上だが、損害が出た時に補償するのは国だ。万一にも大きな被害が出た時には人的資源も物的資源もシャレにならない。その点傭兵なら国が補償する必要はないんだ。怪我をしても武器が壊れても、全部自己負担だからね」
「え、自己負担なんですか?」
「そりゃあそうだろ。国が請け負うのは依頼達成時の報酬だけ。依頼中に怪我をしようが武器が破損しようが、もしくは死のうが自己責任だからね」
何でもないことのように言うミッシェルさんだが、あまりの待遇の悪さに唖然とする。
いや、待遇が悪いというわけでもないのか。だとしたらカイさんたちが開拓者になる理由がないし、いやでもどう考えても割に合わないのでは……。
などとグルグル頭の中で考えていると、そんな私の様子が可笑しかったのかミッシェルさんは鼻を鳴らして笑った。
「まあ、正直厳しい仕事ではあるよ。怪我をすれば治るまで受けれる依頼には制限がかかるし、死んでも遺体を回収してくれるとは限らない。ただ、その分ちゃんと利益はあるんだよ」
背もたれに体を預け、ミッシェルさんsは天井を見つめながら語る。
まるで何かを懐古するような、人生で様々な経験をした大人が作る顔をしていた。
「まず、ただ生きていくだけなら採取の依頼だけで充分なんだ。採取依頼なら命の危険もほぼないし、わざわざ強力な武具をそろえる必要もない。そして討伐依頼だが……こっちは破格だ。一番難易度が低い依頼でも、アタシが五日で稼ぐ給料を一日で稼げる。だから一発成功を狙いたい奴、腕に自信がある荒くれ者共にとって、開拓者ってのは天職なのさ」
腕を拡げて言葉を紡ぐミッシェルさんの目は輝いていた。
そんな様子を見て、彼女も昔は開拓者だったのだろうかと、なんとなく思う。
彼女には、カイさんやレクスさんには何か目標があって、開拓者をやっているのだろう。
彼女の言う通り、腕に自信があるのか、大きな成功を収めたいのか。きっと理由は人それぞれで。
じゃあ、私は──
「それと、アンタみたいに国外から来た身寄りのない奴なんか特にね」
「そ、そうですね……確かに、そう考えると開拓者になるのがいいのかもしれませんね」
「ああ。登録した時に貰う札はそのまま身分証になるし、ならない理由がない。……でもぶっちゃけ、アンタみたいに美人だったら娼婦になるか貴族に取り入るかすればいいと思うけどね。アンタなら一年も経たないうちに傾国の美女として有名になってるだろうさ」
「い、いやいや、それはさすがに……」
朝食を終えて談笑していると、どこかで重厚な鐘の音が街一体に鳴り響いた。
「おっ、時間だね。そろそろ開店するから、組合に行くんならさっさと行っちまいな。ちなみに、宿泊は初回限定だからね。今日からは自分で宿を取っておくれよ」
「はい、もちろんです。いろいろと、本当にありがとうございました、ミッシェルさん」
昨夜から何度も伝えていた感謝を、別れ際にまた繰り返す。
泊めさせてくれたお礼にお金を渡そうとすると、必要ないと突き返されてしまった。
一宿一飯の恩を返させてほしかったのだがミッシェルさんは断固として受け取らない姿勢で、そうなったら大人しく引き下がるしかない。
申し訳なさを感じつつ出口に向かう。その際に後ろから声がかかり、振り返ると上から何か布のようなものを被せられた。
「ノア、これ着てきな」
「わぷっ⁉ こ、これは?」
「ただの外套だよ。大きいから身を隠せる。アンタ、外にいる時はずっと顔を隠してなよ、確実に面倒ごとになるからね」
「は、はい……?」
姿見で確認すると、膝下まで丈があるポンチョのような防寒着が体を覆っていた。
フードはかなり深く被ることができて、自分よりも背が低い人でない限り顔を見られることはないだろう。
ミッシェルさんが何故ここまで私の顔を隠そうとするのか疑問に思ったが、気にしても詮無いことだと一旦割り切る。
もしかして、と思わなくもないがもし見当違いな考えだったら死にたくなるので忘れることにした。
「じゃあね、ノア。またいつでも顔を出しな」
「はい、ミッシェルさんもお元気で。ありがとうございました」
まだ人の往来が少ない朝の街道。店先まで見送りに来てくれた彼女に頭を下げた。
この世界に来てから、私は人の運に恵まれている。
関わった人全てから親切にされて、頭が上がらない。
彼らがいたから、心が完全に折れることなく前を向けている。
この先も、そうであることを願って。
ミッシェルさんに見送られて、日が昇る方角へと歩いた。