「ふふふ。ヘディンも来たのね」
当初、彼は楽園に来たとさえ錯覚した。サウナに入れば少し距離を開けて周囲には敬愛する女神フレイヤが幾柱にもなって微笑み手を振っている。
流石に出ていくべきかと思うも出口の扉は存在せず、有り得ない状況に即座に夢だと理解し不敬とさえ自責するも、それはそうと夢見心地は最高だ。
「ヘディンもこっちに来なさい」
「いえ、私は……」
それでもこれ以上は許されないと手招きに応じないヘディンだったが、代わりとばかりにフレイヤ達が寄って来て、なんかマッチョなスキンヘッドの男へと変わった。服装はフレイヤの物だ。
「じゃあ、押しくら饅頭でもしましょうか」
白い歯を見せて寄って来るマッチョ達の声だけはフレイヤの物で、サウナの熱気とは全く別の暑苦しさに逃げ出したくても逃げ出せない。
何時の間にかマッチョ達は彼を取り囲み、密着して周囲から圧迫を始めて……。
楽園は悪夢へとなった。
「はっ!? 私は一体何を……」
ヘディンが目を覚ますと其処は見知らぬ部屋だった。金箔でも貼っているのか非常に目に優しくない金色尽くしで壁と床と家具、寝かされていたベッドも金ピカで趣味が悪い。
オマケにシーツは微妙に加齢臭と汗臭さが染み込んでいて、悪夢の原因はこれかと勘付くも、そもそも何処に何故居て何故居たのかが思い出せない。
いや、思い出してはならない気がする。品性をかなぐり捨てる程に恐ろしい物を見てしまった気はするのだが……。
混乱しつつも起き上がって机に置かれた水差しからコップに冷えた水を注いで飲み干し、立ち上がって廊下に出てみれば見覚えのある場所だった。
「此処は……あの兄妹の家か」
修行を付ける代わりに深層までの送迎を依頼した関係で来た覚えのある家だと判断して、そもそも此処に居候しているオッタルの様子を仕方無く見に来て……其処で記憶が途絶えた。思い出してはいけないので人の気配がすら方へと向かえばリリルカの姿があった。
「起きられたのですね、ヘディン様。壁にもたれ掛かって寝ていたので悪趣味な客室に寝かせましたがご加減は如何ですか?」
「疲れていた? 私がか……」
少しばかり違和感を覚えるも踏み込んではいけない一線を越える事になる気がしたのでヘディンは自分を誤魔化した。
そもそも団の運営に必要な帳簿や対外関係、計画の作成などの多くは指導者としての教育を受けて育ったヘディンの仕事だ。
ヘグニも一部は可能だが対人能力が皆無に近いので任せられぬ仕事も多く、他の幹部は育ちや資質に問題がある。
それでも第一級の体力で平気だと思ってはいたがアリィの一件でも精神的負担が溜まっていたのだろう、そう言い訳して思考を停止させた。
「兄の方がLv6になったそうだな。あの未熟者にしては上出来だ」
「いえいえ、フレイヤ・ファミリア幹部の皆様のお陰ですよ。私と兄さんだけでは行き詰まっていたでしょうから」
ヘディンと話ながらもリリルカは料理の手を止めず時計を見れば食事の時間には少し早い頃合い。
机には皿が三つ並べられ、弁当箱も二つ用意されていた。
「兄さんと私はタケミカヅチ様の修行を受ける日なのでそろそろ出掛けますけれどヘディン様も食べていかれますか?」
「いや、フレイヤ様に命じられてオッタルの様子を見に来ただけだ。少し寝ていた分、戻って執務室に向かわねばならないからな」
この時のヘディンは自分の服に付いた汗と加齢臭の原因が誰なのか察し、考えないようにした。せめて汗を流してからベッドに入れ脳筋と言ってやりたいが、オッタルの臭いに包まれて眠った事実を見たく無かったのだ。
「ヘディンか。何の用だ?」
なのに家から出たら顔を見てしまった。廃教会の外壁に背を預け、何処かそわそわした様子で普段の寡黙で落ち着いた様子の彼とは違う。
謎のおぞ気に教われるも反射的に顔を顰め、何故か顔を合わそうとしないオッタルに苛立ちを募らせる。
「貴様が迷惑を掛けていないか様子を見に来たのだ。どうやら掛けているみたいだったがな」
「……ああ。面目無い」
「そもそも何を落ち着かないでいるのだ、貴様」
「あの兄妹が今から受けに行く武神の持つ技がどれ程の物か気になってな。来るなと言われたが……」
「なら行くな。絶対に行くな。行くならあの世にしろ、脳筋。絶対にだぞ、脳筋。これ以上の迷惑と醜態を振り撒くな脳筋」
取り敢えず迷惑を掛けているとだけ報告しようと決めたヘディンであった。謹慎延びろ馬鹿が、そう願いながら。
「へー。ヘスティア……様に恩恵刻んで貰ったんだ」
「はい! お爺ちゃんにもしオラリオに来ていたら頼って良い方を挙げた中に神様の名前があったんです!」
タケミカヅチ様の教えを受けてから帰ってみれば飯に呼んでたからと面倒を押し付けたヘスティアがベルを眷属にしたと嬉しそうに語って来たが、探す時間と手間が省けて何よりだ。
既に信用している神に本当にヘスティアなのか確かめ、神の位は高いが基本ぐうたらで善神の中でも相手を区別する事無く接するタイプ、要するにお人好しでトラブルに巻き込まれやすいタイプってこった。
ベルの方も悪意持ってる奴を知らずに育ち、口を酸っぱくして言われ続けたのが避妊はちゃんとしろって事だとか。
はいはい、お人好しで流されやすいタイプ、要するに早死にするって事だな。
「何か様と名前の間に隙間が無かったかい!?」
「バイト先でマスコット扱いされてるからな、アンタ。おい、ベル。この処女神、恋愛とは無関係で拗らせてるって神ヘルメスが言ってたぞ」
ヘルメスは知ってる? ああ、祖父と慕っていた神の部下らしく会っているんだ。信用はするなよ? 自分の理想の為に犠牲を厭わないタイプだ。目を付けられたら御愁傷様、人生山有り谷有り確定だ。
「あのぉ、所でさっきから僕を見ている男の人は一体……」
「お前の身内と因縁のある現都市最強のオッタルだ。どうもお前の実力に興味が有るんだとよ」
「知ってます! ザ……叔父さんに勝った人ですよね!」
「言うなよ、絶対に身内と言うなよ。じゃないと主神共々リンチにされるからな?」
こりゃ大丈夫か? 最悪、アリィから貸しを取り立てる感じでシャルザードに匿って貰いつつ魔法でダンジョンに向かうってコスパ最悪の手段もあるんだが、それは本当に最後の手段なので隠し通すのにこした事は無い。
……直感が俺に必要な相手だと告げてなきゃ初日で死ぬのを願うんだがなあ。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか地下室の階段横の壁に背を預け腕組みをしながらベルを眺めていたオッタルが口を開いた。
「恩恵を得たばかりは力の変化に慣れず戸惑う事がある。表に出ろ。奴が叩き込んだ技を見るついでに調整に付き合ってやる」
……あー、既に面倒な奴に目を付けられてやんの。身内を恨め、身内を。