「じゃ、俺はバックヤードで作業してるからブランシュちゃんはレジお願いね。」
「はぁい。」
店長からそう告げられて古ぼけた茶色のレジの前に腰掛ける。古い椅子がギシ、と音を立てた。見渡す限り色褪せた本ばかりで人の気配は無い。こんなカビ臭い本に四方を囲まれて気が滅入らない人間が一体どれだけ存在するだろう。
「はぁ……。」
大きなため息をついて机に突っ伏す。ボクだって何も望んでこんな寂れた古本屋で働いているわけじゃない。
ここの店長は確かに良い人だ。少数者の亜人のボクを雇ってくれたし。趣味でこんな古本を集めてお店を開くような変人だ、単なる好奇心なのかもしれないけれど。どちらにせよ、大抵のアルバイトを「亜人だから」と断られてきたボクにここ以外の働き口を探す元気はなかった。それに、この仕事も嫌いなわけじゃない。お客さんはほとんど来ないから大抵椅子に座ってぼーっとしてるか本を読んでいればいいだけの楽な仕事だし。今日も近くにあった適当な本を手に取って開いてみる。ううん、やっぱり文字ばっかりで目が滑る。でも他にやることもないし何もしないよりマシだ。
「なぁキミ、その……忙しくしてるとこ悪いんだがいいかな?」
「……んぇ?」
どうやら本を読んでいる間に居眠りをしていたらしい。ボクにはよくあることだけど。声かけてきたのは店長かな、また怒られちゃうな、寝ぼけた頭でそんなことを考えながら顔を上げる。しかし、声の主の方へ顔をやったボクはあまりの驚きで目が覚めてしまった。
「えっ?」
「おや……驚いたな。」
吸い込まれるような黒い肌と、対照的に輝くような長く白い髪をしたその女性は、ボクと同じ大きな一つ目をしていた。ボクと同じ、亜人の女性だ。
「前々から変わったお店だと思って気になってたんだが……まさか亜人を雇ってるとは。しかもぼくと同族、まさに僥倖だね。」
独り言を言いながらボクの顔をまじまじと見つめてくる。昔ここの本で読んだことがあるけれど、亜人の数は人間の1%程度で、かなり珍しい。その上で同族の亜人と出会えたのはボクも嬉しいけど、直感で理解した。多分この人は変な人だ。
「キミ、名前は?」
「ママが知らない人に名前は教えるなって。」
「ルージュ。ノワール・ルージュ。私の名前だよ。これで知らない人じゃなくなっただろう?」
「……。」
「おいおい、人に名乗らせておいて自分はダンマリってのはあんまりじゃないか?」
「……ブランシュ、ボクの名前。でも教えるのはファミリーネームだけだからね。」
「そうか、よろしくなブランシュ君。キミと私、亜人同士お互い仲良くしようぜ?」
勝手に名乗っておいてこの言い草、やっぱり変な人だ。しかもまんまと言いくるめられて名前を教えてしまった。こういう強引な人ってちょっと苦手かも。差し出された彼女の手と握手しながらそんなことを思った。その後彼女は鼻歌を歌いながら店内を物色し、数冊を手に取って戻ってきた。どれもボクの知らない作品だ。手早く会計を済ませて手渡す。本を受け取った彼女は「ありがとう、また来るよ。」と、手をひらひらと振りながら満足げに去っていった。
後日、いつもの通りぼんやりとレジ前に座っていると彼女が現れた。
「やぁブランシュ君、今日も冴えない顔だね。」
「そう言うルージュさんはなんか嬉しそう。」
「この界隈に私以外の亜人なんて居ないと思ってたからね、キミに会えたのが嬉しいんだ。」
「ふーん。」
ボクもパパとママ以外の亜人とはルージュさんを除いて今まで会ったことがない。この口ぶりだと多分ルージュさんもそうなんだと思う。
「でも驚いたな、まさか私の名前覚えててくれてたなんて。あの感じじゃ私になんてほとほと興味もないと思ってた。」
「こんなお店に来る物好きはルージュさんくらいしかいないもん、嫌でも覚えるよ。」
「物好きとは失礼だな、私はただただ読書が好きなだけだぜ?そういうキミは本は読まないのかい?」
「あんまり。読んでると眠くなっちゃうから。」
「そういえばキミ、この前も売り物の本広げたまま涎垂らして寝てたよな。」
「……そのこと、店長には言わないでね。」
初めこそ強引でちょっと苦手と思っていたけれど、こうして話しているとなんだか会話が弾む。歳の近い人との会話も久しぶりで、ボク自身普段より饒舌になっている気がする。そんなことを思っている矢先、ルージュさんが突然、不安げに尋ねてきた。
「なぁ、正直に答えてほしいんだが……もしかして私と話すの楽しくないのかい?」
「え?なんで?」
「だってキミ、全然笑わないんだもの。」
「あー、ううん、楽しいよ。でもボクって昔から思ってることが表情に出にくいから。誤解させちゃってごめん。」
「あぁ良かった、私ばっかり楽しんでるのかと不安になっちゃってたからさ。」
そう言って胸を撫で下ろした。この人、変な人だけど結構いい人なのかもしれない。
「そういえばルージュさんって何歳なの?」
「お、やっとキミの方から私に興味示してくれたね。でも女性に年齢を尋ねるのは失礼ってもんだぜ?」
「ボクは18だよ、人に言わせておいて自分はダンマリってのはズルいって言ってたよね?」
「あっはは!キミって案外強かなとこあるな!参った、私はキミの2つ上だよ。」
「ふーん、そうなんだ。」
「自分から聞いておいてなんだよそのリアクション。」
そんな他愛のないような会話に花を咲かせていると、いつの間にか空は赤く染まっていた。6時を告げる鳩時計の音を聞いた彼女は「おっと、そろそろ行かないと。また来るぜ。」と夕暮れの中に去っていった。
「ブランシュちゃん、今日はなんだかいつもより楽しそうだね。」
「あ、店長?いつからそこに?」
不意にかけられた声に振り向くと、店長がそこに立っていた。
「ずっと居たよ、君らがすごく楽しげに会話してたからバックヤードから出たくても出られなくなってたけど。」
「ご、ごめんなさい……。」
「いいのいいの。俺安心したよ、ブランシュちゃんってあんまり友達とかいないと思ってたから。」
「友達?」
「え?さっきの子ってブランシュちゃんの友達じゃなかったの?」
友達。もう一度小声で小さく復唱してみる。ボクは亜人で、今までにそんなものほとんどできたことはなかった。そういえばルージュさんはボクのことどう思っているんだろう。でもきっと、悪いようには思ってないはず。
「何ニヤニヤしてるの?そういえばブランシュちゃんが笑ってるとこ俺初めてみたかも。」
店長にそう言われてハッとする。いつの間にか口角がつり上がっていたらしい。なんだか恥ずかしくなって顔が上げられない。
「あれ、大丈夫?耳まで真っ赤だけど熱でもある?」
そして後日。いつものようにボーッとしているとお店の入り口からドアの軋む音が聞こえた。ルージュさん今日も来てくれたのかな、期待に胸を膨らませるが、その期待は風船のように割れて散った。
「なぁ、お嬢さん、ここの店に……おいおい、お前『ヒトモドキ』か?」
入ってきたのはルージュさんではなく、男性の人間だった。ボクの顔の、一つ目を見た途端に目つきが変わった。『ヒトモドキ』はボクたち亜人の蔑称、差別用語だ。全身から嫌悪の感情を剥き出しにされて泣き出しそうになるのを必死に堪える。
「お前みたいな人間の成り損ないが、人間様と同じ空気吸ってて恥ずかしいと思わないのか?」
亜人差別。ボクもアルバイトの面接で何度も落とされた経験から知っていたけれど、ここまで攻撃的な対応をされるのは初めてのことだった。黙って俯き、涙を堪える他にできることはなかった。
「なぁ、俺は質問をしてんだぜ?答えるくらいしてくれよ、それともやっぱり、成り損ないだから人間の言葉は理解できないか?」
「私の友達に何の用事だい?」
聞き覚えのある声に思わず顔をあげる。
「ルージュさん、」
「おいおい勘弁してくれよ……またヒトモドキのお出ましか?」
「私は今質問をしたんだが……聞こえなかったか?」
自分より体格の大きな男に対して、ルージュさんは怯まず食ってかかった。男も負けじと応戦し始める。
「何でこの店にはこんな小汚ェ脳足りんのヒトモドキがいるのかって聞いてんだよ。」
「私はただの客、そしてここは彼女の仕事場で、彼女の雇用はこの店の店主と、ここにいる彼女の間の契約だろう?キミは彼らの何で、何の権限があってそんな事を?」
「客として不愉快っつってんだよ!迷惑だからお前もとっとと出て行け!」
「私には彼女が何かしたようには見えなかったが……それに、客として言わせてもらうがキミの方がよっぽど迷惑だぞ?」
男はグッと拳を握り締めてルージュさんを睨みつけていた。
「亜人が怖いんだ、そうだろう?だから見ず知らずの亜人である私や、そこに座ってる彼女を攻撃して安心を得ようとしている。違うかい?」
「俺が、怖がってるって?お前らを?」
「厳密には私たちという『未知』を、だよ。皮肉にも、キミの周りを取り囲む本は、その未知を解明してくれるもののはずなんだがね。」
「何を言ってやがる……?」
「分からないから排斥する、実に浅はかじゃないか?脳足りんはキミの方じゃないのかい?」
その言葉を聞いた途端、男は握っていた拳を振り上げた。
「待った!」
男が拳を振るうよりも一瞬早く、別の男性の声が響いた。
「怒声がすると思えば……うちの店で喧嘩はよしてくれないか?これ以上やるようなら通報させてもらうが。」
声の主はこの店の店長だった。
「すまない店長さん、おたくの従業員がトラブルに巻き込まれてたから助けようとしたばかりに……」
「事情なら今からこってり聞かせてもらう。まずは君、ちょっと裏まで来てくれ。」
そう告げられた男は不服そうな顔のまま店長に連行されて行った。終始こちらを睨みつけていたが、店長が抑止していた。
「大丈夫かい?怖かったよな、もう平気だよ。あの男は出禁にしたって店長さんが。」
事情聴取を終え、事態は丸く収まったようでスッキリした顔のルージュさんが帰ってきた。
「ありがとう、ルージュさん……あの、」
「ノワールでいいぜ、今更固くならなくても。ぼくら友達だろ?」
「フィオナだよ。ボクのファーストネーム、ずっと言いそびれてたから、今……」
ノワールは一瞬驚いたような顔をして、途端に笑い始めた。
「あっははは!やっぱりキミ、面白いな!」
「む……何が面白いの?」
「悪い悪い、気を悪くしたなら謝る。やっぱりキミとは仲良くしていけそうな気がするよ。」
「ふーん、変なの。」
そう言いながらボクはいつの間にか笑っていた。
「ふふ、やっとブラン君の笑顔が見られた。」
ノワールもつられて笑っていた。
ボクたち二人の笑い声だけが、色褪せた店内にこだました。