「占いィ?」
ノワールのそんな訝しみを込めた声が、今日も客のいない寂れた古本屋「アイボリー」に響く。話題の発端は珍しくボクが熱心になって本を読んでいたことにあった。もちろん占いの。
「うん、ボクのおばあちゃんが占い師やっててね、ボクの考えてることも初めて会った人のこともぜーんぶお見通しですごい人なの。だから昔から占いにはボクも興味あったんだー。そしたら今日この本がたまたま目に入ったから読んでみようって思って。」
「何に凝ろうがキミの勝手だけど、ぼくはそんな非科学的なもの信じられないね。間違ってもぼくのこと占う、だなんて言い出すんじゃないぜ?」
ノワールは顔をしかめて本に睨みつけるような視線を送っている。そういえばこの手のオカルト話は好きじゃないって前に言ってたっけ。面白いのになぁ。
「うーん、非科学的なオカルトで言えばボクらみたいな亜人も大概じゃないかなぁ。」
「それはほら……確か解明されてるだろう?先の世界大戦で使われた核兵器の影響とか?某国の陰謀渦巻く生物実験だとか?宇宙人が由来とか?」
「ほとんど都市伝説じゃん。というか、占いは信じないのに陰謀論や宇宙人は信じるわけ?」
「キミの方こそ、占いは信じるのに宇宙人は信じないのかい?それって変だぜ。」
そんな風にやいのやいの言い合いをしていると、だんだんとヒートアップしてきた。お互いに自分の意見を認めさせたい、完全に意地の張り合いだ。
「変なのはノワールだよ。見たこともない宇宙人のことは信じるのに、実際に見たことある占い師は否定するなんてすっごく矛盾してる。」
「むしろ逆、見たことがあるからこそぼくは信用ならないね。あんな水晶玉に真実が映るだなんて、ちっとも面白くない冗談さ。そんなの、宇宙人の方がまだ現実味があるぜ。」
「冗談?全部ほんとのことだよ。それとも占い師はみんな嘘言ってお金もらってるって言いたいわけ?ほとんど詐欺行為だって言ってるようなものだよ、それってひどくない?」
何としてもノワールに認めさせたい。そんな思いが熱を帯びて風船のようにどんどん大きく膨らんでいった。ふつふつと湧いた感情は、彼女の「実際、もっともらしい口振りで口から出まかせ言ってるだけの詐欺まがいだろう?」という一言で、パン、と本をたたむ後と共についに弾けてしまった。
「……バカにしないでよ。」
「え?」
ボク自身、今までに聞いたことのないくらい冷たく、震えたような声音でそう呟いていた。
「おばあちゃんの仕事のこと何も知らないくせにそれ以上バカにしないで!もう帰ってよ!ノワールなんかもう知らない!」
気がつくと、そのままの感情の勢いで目の前のノワールを大声で怒鳴りつけていた。しかしその熱は、ノワールの唖然としたような、今にも泣いてしまいそうな顔を見てスッと引いていった。
「あ、ちが、ごめん……。」
瞬間、我に帰り謝罪をしようとするも、うまく言葉が出てこない。ノワールも何か言いたげにもごもごと口を動かしているが、言葉に詰まっているようだ。結局小さく「ごめん、」とだけ呟いて、彼女は俯きがちに店を出ていった。ノワールのそんな背中を見ながら、ボクは身体中から力が抜けていくのを感じていた。ゴトン、と倒れ込むように椅子に腰掛け、ただ時計の秒針の音だけが嫌に頭に響いていた。
「――ノワールなんかもう知らない!」
帰り道、彼女に言われたその言葉が、彼女の泣きそうな顔が、頭の中で何度もフラッシュバックしていた。普段は誰よりも優しく温厚な彼女にあんなことを言わせて、あんな顔をさせてしまうなんて、ぼくは余程の事をしてしまったんだ。思えば両親と疎遠になってしまった発端も、今回みたいな言い争いが原因だったか。喉元過ぎれば熱さを忘れる、とはよく言ったもので、性懲りもなく同じ過ちを繰り返してしまっているじゃあないか。あの頃から何も変われていない、成長できていない。ぼくはきっと、一生無遠慮に他人を傷つけて遠ざけて、一人で生きていくんだ。もしかしたらもう、ブラン君と顔を合わせる事もできないのかも知れない。
「やめときなよお嬢さん。そんな大きな溜め息なんて、幸福が逃げるだけさね。」
そんな自己嫌悪を抱えて俯いたまま、大きな溜め息と一緒にとぼとぼと独り歩いていると不意に何者かにそう声をかけられた。顔をあげてみるが知り合いらしき人影はない。
「こっちさ、こっち。」
声のする方へ顔を向けると、道端に机と椅子を構えて腰掛けている、銀髪の老婆の姿があった。
「私に話しかけてるのか?」
「カッカッカッ、そう怪しまんで大丈夫さよ。私はただのしがない占い師。お嬢さんがひどく憔悴してたもんで心配から声をかけたまでのこと。おや?珍しいね、あんた単眼の亜人さんかい。」
「……余計なお世話だな。それに、私が亜人だったらどうだって言うんです?」
「くわばらくわばら、別に亜人だからどうのってことはないさね。ただうちの……いや、なんでもないよさ。見たところ、悩みを抱えて八方塞がりって顔してたからね、少し占ってみないかい?私みたいなオババでも話せば気が晴れるってもんさよ。」
ふん、これはぼくの問題だ。赤の他人になんか話してやるものか、放っておいてくれ。内心でそう毒づき黙って踵を返そうとした瞬間。
「友達と、ケンカしたんだろう?」
老婆はしゃがれた、しかし射止めるような鋭い声音でそう言った。
「え、なんで……?」
「おや、やっぱり図星かい?思いっきり顔に書いてあるわ。唯一の友人、だから他に相談できる相手もいなくて途方に暮れてる。そんなとこだろうさね。」
驚くほど的確にぼくの現状を言い当てられて身震いすらしてしまう。気がつくと帰路に向かおうとしていた足がその場からぴたりと動かなくなっていた。
「赤の他人だからこそ、むしろしがらみ無く話せることもあるんじゃないかい?話す話さない結局はあんたの気持ち次第、無理強いはしないけれど、この胡散臭い占い師のオババでよかったら話聞くさよ。あんたみたいな若いのがウジウジ悩んでるとこなんて、私ゃ見たくないのよさ。」
「……。」
言われた通り、今のぼくはもはや他に頼るあてのない根無草だ。正直、いっそ目の前の彼女に洗いざらいぶちまけてしまいたい気持ちがにわかに湧いてきていた。ブラン君との喧嘩のきっかけになった占い師に助けを乞うだなんて皮肉な話だが、体裁なんて気にしていられる場合では無くなっている。でもやはり……占い師、その肩書きにいまいち信用が置けないでいる自分もまた一方にいた。そんなぼくの逡巡を知ってか知らずか、その占い師は次の言葉を紡いだ。
「占い師ってのはね、何も人の心や未来を見通す超能力者なんてもんじゃあないのよさ。私たちの仕事は、相手さんの悩み事や話を聞いて欲しがってる言葉をかけてあげること。それでもなお信用できないって言うのなら、一人でお悩み。それもまた一つの選択肢だわさ。」
「……少し、聞いてくれますか。私の話。」
優しく包み込むようなその言葉に絆され、すっかり身を委ねてしまいたくなった。ぼくはこの老婆に、心情を全て吐露する事にした。
「きっかけは本当に些細な言い争いでした。私が意固地になってしまったのが原因で、彼女の、彼女の祖母に対する誇りを傷つけてしまって……自分のことよりも人のことのために怒れる、何よりも優しくて素敵な子なんです。そんな彼女を傷つけてしまった、自分が許せなくて……。」
ぼくが話をしている間、おばあさんは静かにこちらを見つめて、ただ相槌を打っていた。その目からはどこか温かな慈愛を感じられた。
「それで、結局あんたはその子に今どうしたいのよさ。」
「今は……とにかくもう一度彼女に会いたい。会って誠心誠意謝りたい。ぼくのことは許してくれなくても構わないけど、彼女の純粋な優しさは失わないで持ち続けていてほしい。とにかく幸せになってほしい。……でもやっぱり、ぼくも彼女の隣にいたい。許されるならずっとずっと、ブラン君と友達でいたい……です。」
おばあさんはしわしわの、しかし温かで柔らかい両の手でぼくの手を包むようにギュッと握った。
「人は誰しも間違いを犯すものさね。あんたはその間違いを自覚できた時点で大きな一歩を踏み出せたさよ。お友達は優しい子なんだろう?しっかり誠心誠意謝れば、きっとその子もわかってくれるさね。きっとお友達も、あんたとずっとずっと友達でいたいと思ってるよさ。しかし素敵な友情じゃないか、オババには少し眩しすぎるくらいだわさ。」
手を握り込んだまま目を瞑るように細めて、おばあさんは優しくそう呟いた。ぼくは手から伝わってくる温もりから、涙が堪えきれなくなってしまっていた。
「気が済むまでお泣き、涙の分だけきっと前に進めるさよ。」
その言葉で余計に涙が溢れる。おばあさんに手を預けたまま、ぼくは声を放って泣いた。
「ありがとうございました。直接、会いに行ってぼくの気持ちをまっすぐ伝えて謝ろうと思います。えっと、お代は……」
「良い顔するようになったじゃないか、その顔に免じてお代はいらないよ。その代わり、きっちり仲直りしておいで。」
おばあさんは、ぼくが取り出した財布にグッと手を添えて首を横に振りながらそう言った。
「い、良いんですか?あの、そういえばあなたのお名前は……?」
「人に名前を聞く時はまず自分から名乗るのが礼儀さよ、ルージュちゃん。」
「……え?」
「カッカッカッ、占い師は何もかもお見通しなのよさ。オババはいつでもここにいるから困った時はまたおいでね。」
そう言って楽しげに笑うおばあさんの笑顔には、どこか見覚えがあるような不思議な感覚があった。
ノワールと喧嘩してから数日。しばらくぶりにバイトへ向かうとどこかそわそわしたようなノワールの姿があった。
「あっ、ブラン君……久しぶり。その……この間はごめん、キミを怒らせるつもりもキミのおばあさまを愚弄するつもりもなかったんだ。軽い弾みで、つい、言いすぎちゃってたと思う……。キミの、おばあさまへの誇りを傷つけてしまって……本当に、すまなかった。」
「ううん、いいのノワール。ボクの方こそごめん、ノワールに悪気が無いのは分かってたはずなのにちょっとムキになっちゃって冷静じゃなかった。それに、おばあちゃんから色々お話聞いたしね。」
「……おばあちゃんから?」
「うん、友達とケンカしちゃったって相談してたら、そういえばそのお友達に会って色々お話したよーって。それでね……」
「待て待て待て、じゃあぼくが話したあの路上占い師ってもしかしてキミん家の?」
「ん?そうだと思うけど……この界隈だと結構有名人だけどなぁ、ノワール知らなかった?」
それを聞くとノワールは、「おいおいマジかよ……。」と呟いて耳まで真っ赤にしながらぱたぱたと手を仰いでいた。おばあちゃんはあんまり詳しく教えてくれなかったけど、ノワールってば何の話してたんだろう。
「そ、それは兎も角、キミのために何か一つでいいからやらせてくれないかい?償いというか……ぼくの気持ちが収まらないんだ、我儘ばかりでごめんよ。」
「えー、じゃあちょっと手相見せてよ。今手相占いの勉強中だから練習台にさせて。」
するとノワールはスッと右の手のひらをボクに差し出してきた。
「前だったら絶対断ってたでしょ?」
「……うん、たぶんな。」
「にへへ、ボクが今に占いがほんとのほんとってこと証明したげるから見ててよ。」
そんな会話をしながら本と彼女の手のひらを交互に凝視する。ノワールの手、本。本、ノワールの手。ノワールの手、ノワールの手、本――。
「どうだい?なんかわかった?」
「ノワールの手、なんかあったかいね。」
「占う気ないだろキミ。」
顔を上げると呆れた顔のノワールと目が合った。瞬間、最初に吹き出したのはボクの方かノワールの方か、お互いに笑い出してしまった。
「アッハハハハ……やっぱボク、ノワールと一緒じゃないとうまく笑えないや。昨日までほんと、全然笑えなかったもん。」
「ぼくもさ、もうキミの隣にいられないんじゃないかって思うと眠れなくって本当に……もう……」
ノワールは喋りながら少しずつ声が震えて小さく消え入りそうになって、とうとう俯いてしまった。
「ノワール、もしかして泣いてる?」
「あぁもう!やめろよな!キミが変なこと言うからだぞ!」
顔を上げたノワールはそう言って涙をくしくし拭いながら笑っていた。そんな姿が面白おかしくてボクも釣られて笑う。出会った頃と同じように、ボクたちの笑い泣きする声が店内にこだましていた。