泡沫浄瑠璃:秤金次の同級生が呪われて死ぬまでの話   作:天狗猿

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青春地獄編
序:透明な殻(二〇一七年、五月)


川崎、堀之内。

駅前から一歩裏路地へ踏み込めば、そこには色褪せたネオンが昼夜を問わず病的に瞬き、粘着質な湿った空気が粘膜にまとわりつく。

 

少女にとって、世界はこの夜の水槽のような街と、不機嫌な静寂に包まれた安アパート、そして馴染めない学校の教室……それらの連続が人生の全てだった。

 

 

 

「─────白波さん、これどう思う?」

 

授業中、隣の席の女子が流行りのコスメ雑誌を広げて小声で話しかけてくる。

瑠璃は、心臓が喉元までせり上がってくるような圧迫感に耐えながら、教科書の端を無意味に指でなぞった。指先が微かに震え、上質な紙の感触さえヤスリのようにザラついて感じる。

 

 

「……え、あ……いいと、思う……けど」

 

「そ、そう……ごめん、変なこと聞いて」

 

 

女子は苦笑いを浮かべ、拒絶の壁を感じ取ったかのように顔を背けた。瑠璃の指先に力が入り、教科書の角には、彼女の焦燥を代弁するような無残な皺の跡が深く刻まれた。

 

 

(最悪だ…今の私の返事、突き放したみたいじゃなかった?自意識過剰?でも、なんて言えば正解だったの?)

 

 

 脳内で繰り返される、出口のない反省と後悔。

結局、彼女はいつも通り「透明な壁」の内側に引きこもることでしか、自分を守る術を知らない。

──────それこそが少女、白波瑠璃だった。

 

 

授業の終わりのチャイムが、平穏を切り裂く鐘のように教室に鳴り響く。周りの生徒達が、粘りつくような熱量で談笑しながら教科書を片付け始める。

瑠璃もそれに合わせて暗い顔のまま、教科書を机の暗がりに押し込み、鞄から詩集を取り出した。

すでに何十回も読み返し、手垢と汗で黒ずんだ本だというのに、今の彼女にはこれが外界から苦痛を紛らわすための逃避行だった。

 

 

(きっと、この無機質な日々の反復が、死ぬまで続くのだろう)

 

 

諦めに似た乾いた思考が溢れ、活字を追う視線は滑り、物語はどこにも入ってこなかった。

 

 

 

 

 

母の死は、そんな不自由な日常の輪廻を彼女から奪い去るには、あまりに十分すぎる出来事だった。

 

昼間だというのに、どこか底冷えのする病室。 鼻を突く消毒液の人工的な臭いが、微かな死の気配を隠すように漂い、規則的な生命維持装置の電子音が、残された時間の少なさを淡々とカウントしていた。

ベッドに横たわる「肉体」が母であることは理解していたが、その姿は瑠璃の記憶にある母とはあまりに乖離していた。

艶のあった黒髪は、栄養を失った枯れ草のように白髪が混じり、かつての面影は濁った硝子の向こう側へ溶けるように消えていた。

 

 

「瑠璃……あなたは…自由に生きなさい……誰にも、どこにも、混ざらないで……」

 

 

死の間際、母が遺した言葉。

それは慈愛に満ちた願いというよりも、彼女をこの世界から永遠に切り離そうとする「呪い」の響きを帯びていた。

 

(お母さんは、私に何を求めていたんだろう……)

 

母が息を引き取った後、世界から色彩が欠落したような非現実感が瑠璃を包んだ。だが、情容赦なく押し寄せる事務的な手続きの濁流が、彼女を夢の中に留めてはくれなかった。

 

 

 頼れる親類もいない、母娘二人きりの17年間。その器であった、古びた安アパートに戻る。

幸いと言っていいのか、母の私物は驚くほど少なかった。僅かな化粧品と、くたびれた私服。そして仕事用だったのだろうか、男性の射幸心を煽るような派手な下着。

瑠璃はそれらを無機質なビニール袋に詰め、口をきつく縛った。そのたびに、母という存在の形が一つずつ失われていくような感覚に陥った。

 

 

(そう言えば、お母さんと最後に笑って写真を撮ったのは、いつだったっけ……)

 

 

存在しない記憶をたぐり、部屋の隅々をひっくり返していた時、再び病院からの電話が鳴った。

 

 

 

「白波さん……落ち着いて聞いてください」

 

目の前で、眼鏡の奥の瞳を真剣に光らせる男性。

後から知ったことだが、彼は医者であると同時に、呪術界において異変を察知する「窓」と呼ばれる役割を担っていた。

 

 

「単刀直入に言います。お母様にも、あなたにも、公的な記録が一切存在しません」

 

 

男の言葉には、当惑と、何らかの「怪異」に対する根源的な忌避感が混じっていた。

 

「役所に照会しましたが、戸籍、住民票、それに類する履歴が白紙なのです。にも関わらず、大家も学校も、身元のないあなたたちがそこに『在る』ことを、昨日まで一度も疑問に抱いていなかった……」

 

「これは、催眠や洗脳に類する高度な精神操作、あるいは世界の認識そのものを書き換えるような、人為的な改変が行われていた可能性があります。……何らかの力が、無理やり君たちを日常に縫い付けていたんですよ」

 

「……は? 何、言ってるんですか?」

 

 

瑠璃の口から、乾いた笑いにも似た声が漏れた。

 

 

「洗脳……? いえ、だって、これまでも普通に病院や学校にも行って……母さんだって、仕事をして……」

 

 

 必死に記憶の糸をたぐり寄せ、目の前の現実の綻びを否定しようとする。だが、母が時折見せていた、あの深海のように澱んだ視線と、その周囲に漂っていた重苦しい「冷気」を思い出すと、胃の奥が氷を呑み込んだように冷え切った。自分たちの人生は、巨大な嘘の上に浮く泡沫だったのではないか。

 

 

 数日後。主を失い、生活感を奪われた冷たい部屋に、一人の男が訪ねてきた。  刈り上げの頭、サングラス、スーツ越しでも分かる鋼のような体躯。

 

 

「あの、どちら様ですか……?」

 

「夜蛾正道だ。白波瑠璃は君か」

 

 

借金の取り立てか、あるいは暴力の専門家にしか見えない風貌に、瑠璃の喉が鳴る。

 

「は、はい……そうですけど……」

 

夜蛾は、狭い鴨居に頭をぶつけそうになりながら窮屈そうに入室し、瑠璃の前に静かに腰を下ろした。そしてカバンから、一匹のぬいぐるみをちゃぶ台の上に置いた。

 

(……可愛い……?)

 

それは、夜蛾の厳つい容姿にはおよそ不釣り合いな、手作り感溢れる単眼の猫だった。その不調和さに、瑠璃の強張っていた肩の力がわずかに抜ける。

 

 

「君の母親のこと、そして今の状況。受け入れがたいだろう」

 

「……当たり前です。私はただの学生で、これから先のことだって……」

 

「学生? 記録のない君を、どこの社会が受け入れる。この『認識の改変』が解けた今、君は世界という歯車から弾き出された異物だ。この世のどこにも、君の席はない」

 

夜蛾の言葉は、外科手術のメスのように鋭利に現状を切り裂いた。

瑠璃は反論しようと口を開いたが、肺から出たのは生暖かい、無力な吐息だけだった。  この数日、彼女は必死に役所や警察を回った。だが、突きつけられたのは「自分たちはどこにもいない」という、存在そのものへの拒絶だった。

 

 

その時。ちゃぶ台の上の猫が、ピクりと耳を動かした。

 

 

「え……?」

 

 

猫の呪骸はゆっくりと二本足で立ち上がり、瑠璃の膝の上まで歩いてくると、その綿の詰まった柔らかな手で彼女の指に触れた。

体温はない。だが、そこには明確な、熱を帯びた「意志」が宿っていた。

 

 

「これは『呪骸』。呪力を動力源として動く自立型の人形だ。君の母も、私と同じような理不尽な力でこの世界の認識を捻じ曲げていたのだろう。これが、君が立ち入ってしまった紛れもない現実だ」

 

 

瑠璃は息を呑んだ。物理法則を嘲笑うかのように、人造の命が彼女の指を確かめている。  その事実が、彼女が必死に縋っていた「普通の日常」が、泡沫のように脆い幻だったことを淡々と告げていた。

 

 

「君には母と同じ、呪術師としての適性がある。……その呪われた才能を、生きるための術に変える方法を、我々の学校で教えよう」

 

 

夜蛾はサングラスを直し、逃げ場を塞ぐように、だがどこか慈悲を込めて告げた。

 

 

「来い、白波。既に、逃げ場のない呪いの世界が君を囲んでいる」

 

 

───そして少女は、呪いの世界へと一歩踏み入れる。

 

 

 

 

 

 *

 

白波瑠璃

Prologue

 

 

 *

 

 

都心から離れた山奥にある都立呪術高等専門学校。

二年生の在籍生徒数わずか二名と、呪術界の慢性的な人手不足を象徴するようであったが、流れる空気は決して重苦しいものではない。

 

 

「ねえ、金ちゃん!聞いた? 今年の一年生、とんでもないのが入ってきたんだって」

 

窓際の席で、星綺羅羅が南十字座を模したピアスを揺らしながら身を乗り出した。

 

「あー…あの特級のガキだろ?乙骨だっけか」

 

 

窓際の席で、星綺羅羅が南十字座のピアスを揺らしながら身を乗り出す。

少年誌を片手に不遜な態度で机に足をかけているのは、秤金次。

学生とは思えぬ老け顔の秤が、ガリガリと頭を掻きながら欠伸を漏らす。

 

 

「怨霊に憑かれた特級術師、ねえ。上層部のジジイ共も、随分と危ないギャンブルを仕掛けるもんだ」

 

「でもさ、そんな子が後輩なんて、ちょっとワクワクしない? どんな子なのかな」

 

 

そんな二人の談笑を遮るように、ガラガラと教室の前扉がやる気のない音を立てて開き、くたびれたシャツを着た風貌の男が入ってきた。

 

 

「……おう、ガキども朝から騒がしいな。秤、机からは足降ろせー」

 

「よお、オッサン。一年生の特級サマの引率でもしてんのかと思ったぜ」

 

「知るか。特級なんて面倒な連中の相手は、五条にでも任せておけばいいんだよ」

 

 

日下部はキャンディをカチリと鳴らし、廊下の方へ視線を向けた。

 

 

「おい、入ってこい」

 

 

その合図で、一人の少女が音もなく教室に入ってきた。

秤の目が、品定めするように細められる。

第一印象は「陰気」の一言だった。

濃紺に近い、青みがかった黒髪を肩まで伸ばしたその少女は、平均的な身長の、どこにでもいそうな女子高校生に見えた。

しかし、その瞳は夜の底のような深い黒で、周囲を拒絶するかのような、あるいは自分という存在を消し去ろうとするような、特有の「薄暗い空気」を纏っている。

 

 

(……チッ。顔はそこそこ整ってるが、ありゃ『冷え切った』女だな)

 

秤は内心で毒づく。彼が愛する「熱」とは対極に位置する、水槽の底の石のような静けさ。

 

 

「……白波瑠璃です。川崎から編入してきました……よろしくお願いします」」

 

 

消え入りそうな短い声での挨拶の後、彼女は深く頭を下げた。けれど、その響きには不思議な透明感があった。

 

 

「よろしくね、瑠璃ちゃん!」

 

 

綺羅羅がと明るく声をかけるが、瑠璃は微かに肩を震わせるだけで、言葉を返す余裕もないようだった。

 

 

(あぶくみてえな女だ……そのうち弾けて消えちまうんじゃねえか?)

 

「……よし、挨拶は済んだな。空いてる席に適当に座れ。秤、余計なちょっかい出すなよ。俺はこれから、適当に授業の準備をするからな」

 

 

日下部はそう言い残すと、さっさと教室を出ていこうとする。

秤は椅子をギッと鳴らし、窓の外を眺めた。

季節は晩春。桜も木蓮も散り、埃っぽい風が吹き始めている。

 

呪術高専に夏が近づき始めていた。

 

 

呪術関係でR-18創作が書きたくなってきたので希望アンケートに答えてくれ。必要だろ

  • 貞操逆転で禪院家♀に引き取られるショタ
  • 宮國(≡)の女性上位ヤンデレ
  • まずは書いてる奴ある程度進めろよ原始人
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