泡沫浄瑠璃:秤金次の同級生が呪われて死ぬまでの話   作:天狗猿

10 / 17

最初に見切り発車で小説を書き始めてやねぇ
とりあえず色々盛りたいから主人公の体型を盛ってやねぇ
性癖と設定を盛り盛りに盛るのもウマイで!


拾:星の子(二〇一七年、十一月)

 

 

 

十一月。

秋の終わりを告げる乾いた風が、街から色彩を奪い、代わりに冷たく不透明な静寂を置いていく。

岐阜県岐阜市。金華山の巨大な影が市街地をじりじりと侵食し始める黄昏時、その「事件」は発覚した。

 

異臭の通報を受け、防護服に身を包んだ警察官が突入した分譲マンションの一室は、冬を前にしてなお、ねっとりとした熱気が澱んでいた。

換気扇からは、肉を砂糖で煮詰めたような、肺の奥にまとわりつく甘ったるい腐敗臭が漏れ出している。

鼻腔を抜けて喉の奥にへばりつくその臭いは、生理的な嫌悪を通り越し、脳の髄を直接掻き回すような毒性を帯びていた。

 

「ふさがなきゃ……ふさがなきゃ……あの子が、こぼれてきちゃう……」

 

浴室のタイルに座り込み、一人の女は鼻歌を歌いながら「作業」を続けていた。

バスタブの中に沈んでいるのは、もはや形を留めぬ「黒い塊」。

女はその塊に対し、銀色のセロテープを執拗なまでの手つきで巻き付けていた。

 

──ジィィィ、ベチャ……ジィィィ、ベチャ……

 

静寂を汚すのは、粘着テープが引き出される乾いた音と、剥離した真皮に吸着する湿った音だけだ。

女の指先は、すでに自身の爪を剥がし、剥き出しになった生爪の先から滲む血が銀色のテープに赤黒い指紋を刻印している。

だが彼女に痛みを感じる様子はない。ただ、テープの隙間から溢れ出そうとする「黒い液化した肉」を、必死に、そして恍惚とした表情で封じ込めようとしている。

隙間なく、何重にも何重にも。

透明な粘着テープの膜が、腐敗し、溶け出した肉体を強引に固定しようとする様は、ある種の現代アートのような狂気と、生理的な嫌悪を同時に呼び起こす。

バスタブの縁には、どこから集めたのか、数千匹ものムカデや蜘蛛の死骸が、どろどろとした胆汁のような液体と混ざり合い、異臭の源泉となって溢れていた。

 

踏み込んだ警察官が絶句したのは、その惨状だけではなかった。

女の足元、タイルの溝を伝って、どす黒い「赤」がバスタブの溶液へと流れ込んでいた。

彼女の両手首は、カッターナイフによって深く、迷いなく切り裂かれている。

腱まで届くその創口からは、心臓の鼓動に合わせて命が溢れ出し、彼女が「あの子」と呼ぶ肉の塊を潤していた。

彼女は、尋問の機会すら与えなかった。

警官が彼女の肩に触れた瞬間、糸の切れた人形のようにその体は崩れ落ちた。

死因は失血死。

しかし、その顔には、何かを成し遂げた者にしか許されない、穏やかで冒涜的な微笑が張り付いていた。

 

(よく)』。

 

本来、それは呪術界における秘儀中の秘儀を指す。

家宝として秘蔵する器物を外敵から守るため、人為的に呪具化させるための儀式。

厳選された生物を一つの器に入れ、共食いさせる「蠱毒」。

その生き残りを潰し、濾すことで得られた呪力の溶液に、対象を十月十日──すなわち、人間が母胎で育つ期間と同じ時間だけ漬け込む。

溶液は胎盤となり、呪力は羊水となる。そうして完成した器物は、術師の魂に呼応する「呪具」へと昇華されるのだ。

彼女が行おうとしていたのは、まさにこの『浴』の劣化コピーだった。

「十月十日」という月日を、自らの腹で育てた月日と混同した。

あるいは、その「愛」という名の執着が、最も安価で凄惨な呪いの触媒となったのか。

非術師の彼女に呪力を流し込むことはできず、儀式はただの「遺体損壊」に終わった。

バスタブの中の「塊」は、呪具になることも、人の形に戻ることもなく、ただの腐肉の袋となって彼女の死体と共に回収された。

 

だが、問題はその知識の出所だ。

一介の主婦が、呪術界の最深部に秘匿されているはずの『浴』の工程を、なぜ、どのようにして知り得たのか。

その無視できない疑問が、呪術高専の上層部を戦慄させた。

流出したものは、情報の形をした呪いだった。

彼女を死に至らしめたのは失血ではない。

非術師には耐え難い、高純度の「知識」という名の毒に曝された結果に過ぎない。

 

 

 

 

東京都立呪術高等専門学校、二年生の教室。

教壇に立つ日下部篤也は、棒付きキャンディを噛み砕く。

静まり返った教室に、乾いた音が響いた。

 

「……というわけだ。非術師が『浴』の概念を口にした。これは単なる個人の狂気じゃねえ。組織的な『教唆』、あるいは情報のリークだ。そして、その第一容疑者となっているのが、かつての『盤星教(ばんせいきょう) 星の子の家』というわけだ」

 

「ちょっと待てよオッサン。俺は一年の時、五条さんから『時と器の会』って名前だって聞いたぞ」

 

秤金次が、不遜な態度で机に足をかけながら口を挟む。

その瞳には、退屈な座学を打ち破る「事変」への、隠しきれない期待が宿っていた。

 

「え〜、私は先輩から『魂と器の会』って聞いたけど? どっちが正解?」

 

星綺羅羅が、南十字座のピアスを揺らしながら首をかしげた。

 

「あの……配布された資料には『時の器の会』って書いてあります。……どれを信じればいいんですか?」

 

白波瑠璃は、手元の色褪せたコピー紙を見つめ、眉をひそめた。

その紙に記された文字は、何度も改訂を重ねた公文書特有の、どこか投げやりな不透明さを湛えている。

教壇の日下部は深く、重苦しい溜息を吐き出した。

彼は手に持っていたチョークを、まるで不要な凶器を片付けるかのように教卓へ置いた。

 

「どいつもこいつも……。盤星教ってのは、一枚岩じゃない上に、その呼称自体に一貫性がない。昨日は『時と器』、今日は『星の子』、一昨日は『魂と器』……事務方の記述ミスか、あるいは意図的な情報の攪乱か。今となっては名前は大した問題じゃねぇ。どの呼び名も、既に『表向き』には死んでいるからな」

 

日下部は黒板に、二つの歪な円を描き出した。

 

「盤星教には、大きく分けて二つの派閥があった。一つは、星漿体(せいしょうたい)の暗殺を直接狙うような武闘派・過激派の『時の器の会』。こっちは十二年前、五条たちが関わった星漿体同化事件の際に高専が直接介入し、上層部は解体・粛清済みだ。だが──」

 

日下部のチョークが、もう一つの円を激しく叩く。

 

「もう一つの派閥、表向きはボランティアや慈善活動を装う多数穏健派の『星の子の家』。こいつらは形を変えて生き残っている。今回の岐阜の件──般人が『浴』を模倣しようとしたあの異常な事件。情報の出所は、こっちの『穏健派』を母体とした新興宗教団体にあると踏んでいる」

 

本来、呪術界の秘儀は「毒」である。

強すぎる力、あるいは理解を超えた論理は、非術師の精神を容易に破壊し、変質させる。

その秘匿されるべき毒が、今、一般社会という巨大な水槽へ漏れ出し始めている。

それは単なる情報の漏洩ではない。社会という安定したシステムに対する、呪術的な「浸食」の始まりであった。

 

「……あの、質問いいですか」

 

瑠璃が手を挙げる。その瞳には、彼女の出自ゆえの、純粋すぎる論理的疑問が浮かんでいた。

 

「星漿体って、天元様と同化するための存在ですよね? 五百年に一度同化が必要なら、過去に何度か同化は行われてきたはずです。なのに、なぜ盤星教の人たちはそれを『不純物との混同』として忌避し、タブー視したんでしょうか。あまりに矛盾していませんか?」

 

「瑠璃、お前の疑問はもっともだ」

 

日下部がキャンディをガリリと噛み砕く。

その暴力的な咀嚼音に、教室内がわずかに緊張した。

 

「天元様との同化は、日本全土の結界を維持する呪術界の根幹だ。それを拒むのは、国ごと心中するに等しい狂気。だが、この『同化はタブー』という教義――これについては四百年ほど前に教典に書き足されたという説がある」

 

日下部は黒板に、新しい情報を力強く書き殴った。

 

「ふぅ……」

 

日下部は、肺の底に溜まった澱みを吐き出すように、長く重い息を吐いた。

 

「とにかくだ、盤星教がこの国を根底から崩壊させようとした組織であることには変わりねぇ。そして今度は、情報の流出という『目に見えねぇ刃』を使って、国の転覆を図ってると上層部は見てる」

 

「後継団体の名称は『星道協会(せいどうきょうかい)』。盤星教の残骸を統合し、急速に勢力を拡大している新興宗教だ」

 

日下部の声が、一段と低くなる。その響きには、現場の術師だけが嗅ぎ取れる「血の匂い」が混ざっていた。

 

「さらに、十二年前の騒動で同じく瓦解したはずの呪詛師集団『Q』。当時、組織的なテロを裁く法が追いつかずに取り逃した残党たちが、この組織に戦力として合流しているという噂がある。もはや、ただの宗教団体じゃねえ……軍隊だ」

 

「……その調査が、今回の任務ってわけですね」

 

瑠璃が自身の右手首を、左手でぎゅっと握りしめる。

指先に力が入り、指関節が白く浮き上がる。

 

「ああ。岐阜の施設──かつての盤星教の施設を改装した研修センターだ。潜入員として、内部の構造と、そこに関与している呪詛師の特定を行ってもらう……いいか、相手は非術師の皮を被った『狂信』の集団だ。倫理なんて言葉は、あの門をくぐった瞬間に意味をなさなくなると思え」

 

秋の夕闇が、教室の窓から忍び寄る。

廊下の向こうから聞こえるカラスの声が、まるで誰かの弔いの鐘のように、冷たく、執拗に響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連なる山々の稜線が冬の到来を告げる凍てついた気配を帯び、乾いた風が命を終えた枯れ葉を無慈悲に舞い上げる。

瑠璃は、秤、綺羅羅、そして宮國蓮と共に、鬱蒼とした森の奥に鎮座するその「聖域」を仰ぎ見ていた。

眼前に広がるのは、新興宗教団体「星道協会」の本部施設だ。

黄金を贅沢にあしらった巨大なピラミッド状の屋根、天を突くような白亜の塔。

建築学的な整合性を無視し、ただ「選民意識」を物質化したかのようなその威容は、神秘的というよりは、生理的な違和感を誘う「歪み」を孕んでいた。

 

「……趣味が悪ィな。あんなデカいもん建てて、何に『熱』を上げてるんだか」

 

秤が不快そうに唾を吐く。

彼の言葉は、剥き出しの鉄の味がした。

 

「金ちゃん、声が大きいよ。……でも確かに、あの建物のシンメトリー、どこか狂ってる。見てると平衡感覚が削られる感じ」

 

綺羅羅が耳元の南十字座のピアスを揺らしながら、双眼鏡を覗き込む。

呪術界において、宗教施設は二つの側面を持つ。

一つは、人々の祈りが呪力を中和する聖域。

そしてもう一つは、抑圧された負の感情が澱み、最悪の呪いと、それを飼い慣らす呪詛師を育む「苗床」である。

星道協会のこの歪な均衡は、明らかに後者の性質を帯びていた。

 

「今回の任務はあくまで実態の確認と特定だ」

 

宮國が、いつもの穏やかな、しかし温度の感じられない声で釘を刺した。

 

「無闇な戦闘は避けること。一般の信者がこれだけ多いと、補助監督も容易に『帳』を下ろせない。だが──」

 

「非常時には、やむなし、ですか?」

 

瑠璃が問いかける。彼女の頭をよぎるのは、日下部の授業で聞いた「呪術規定」の断片。

 

 

『一、呪術師は呪術の脅威を排除しなければならない。』

 

『九、非術師に呪術を用いて危害を加えてはならない。』

 

 

「もし、本当に呪詛師を見つけたら……その人達はどうなるんですか?」

 

「基本は拘禁、あるいは秘匿死刑だ。だが、この業界は常に人手不足でね。情状酌量次第では、高専の監視下で更生プログラムに回されることもある……もっとも、そんな温情が通じる相手ばかりじゃないが」

 

宮國は一度言葉を切ると、秤と綺羅羅に向き直った。

 

「秤くん、君のその『熱』はこういう場所では目立ちすぎる。君と綺羅羅くんは外周の調査を中心に……施設内には、僕と瑠璃ちゃんで潜入する」

 

 

 

 

今日は「星道協会」の特別な集会日らしく、全国から信者が集まっていた。

宮國が提示した設定は、「親の反対を押し切って駆け落ちしてきた、行き場のないカップル」。

 

「あの、宮國さん……本当にこれで……?」

 

頬を朱に染め、俯く瑠璃。

その「自信のなさと震え」は、初々しい逃避行の少女そのものに見え、図らずも完璧なカモフラージュとなっていた。

 

「大丈夫だよ、瑠璃。僕が君を守るって決めたんだから」

 

宮國の演技は、恐ろしいほどに滑らかだった。

受付の信者に向けた彼の視線、言葉の端々に滲む「悲痛な決意」。

瑠璃は、彼の内側にある「空っぽ」が、どんな色にも染まれる柔軟な毒であることに、今更ながら戦慄する。

それは、かつての自分を見ているような、それでいて底の知れない暗渠(あんきょ)を覗き込むような感覚だった。

案内された待合室で、一人の親切そうな壮年の信者が声をかけてきた。

 

「……事情は聞きましたよ。大変でしたね。私もね、数年前に妻と幼い一人娘を交通事故で亡くしたんです。世界の不条理を恨みましたよ」

 

男の瞳は、濁った光を湛えていた。その光は、救いという名の麻薬を打たれた者のそれだ。

 

「でもね、この『星の子の家』でゲトウ様に出会い、救われた。あの方はね、私たちの悲しみも、この世界の理不尽も、すべて解決してくださる特別な『力』を持った方なんです……今日は幸運ですよ。ちょうどゲトウ様がこちらにいらしている」

 

「ゲトウ様、ですか……」

 

宮國が、その名をなぞるように呟いた。そのハイライトのない瞳が、わずかに細まる。

 

順番を待つ間、瑠璃は施設の回廊を歩く二人の少女の姿を視界の端に捉えた。

黒い髪を二つに結った、制服姿の少女たち。美々子と菜々子。

それがかつてショッピングモールで出会ったあの不気味な女子高生たちだということに瑠璃が気付くのに、然程時間はかからなかった。

彼女たちが纏う呪力の気配は、先ほどの信者たちとは決定的に異なっている。

鋭利で、冷酷な、呪術師──いや、呪詛師のそれだ。

 

(……あの二人、間違いない。呪詛師だったんだ……)

 

宮國に相談すべきか。

だが、今ここで騒げば一般人を巻き込む。「帳」のない場所での交戦は最悪の事態を招く。

そして何より、脳裏を掠める宮國の言葉。

 

『基本は拘禁、あるいは秘匿死刑』。

 

「……蓮さん、ちょっとお手洗いに」

 

一瞬の逡巡の後、瑠璃は震える声を抑え、席を立った。

「空っぽ」な自分の中に、かすかな正義感と、それ以上に強い「自分を証明したい」という焦燥が熱を帯びる。

二人の後を追えば、この組織の中枢に触れられるかもしれない。

 

二人の後を追い、薄暗い廊下の角を曲がった瞬間、世界が反転した。

 

「──おやぁ。迷子かな?」

 

背後から伸びてきた影。

鼻を突いたのは、甘ったるい、それでいて神経を麻痺させるような人工的な薬物の臭い。

 

(誰……っ!)

 

叫ぶ間もなかった。

肺の奥まで侵食する薬物が、瑠璃の呪力循環を強引に遮断する。

呪術師にとって、毒は天敵である。

たとえ反転術式を習得していようとも、脳の機能を物理的に阻害する化学物質は、呪力という「電気」を流すための「回路」を焼き切る。

ましてや、未だ自己の術式を確立していない瑠璃にとって、それは決定的な機能停止(シャットダウン)を意味した。

 

(しまっ……毒……ッ!)

 

膝の力が抜け、床に崩れ落ちる瑠璃。

意識が急速に遠のき、視界が白濁していく。

最後に網膜に焼き付いたのは、背後に立つ白い修道服の裾だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

瑠璃の帰りを待つ宮國のいる待合室の空気は、沈香(じんこう)の香りに混じって、生理的な嫌悪感を誘うほどに濃密な「何か」を孕んでいた。

壁一面に施された幾何学模様の装飾は、一見すれば宗教的な意匠に過ぎない。

だが、その緻密すぎるシンメトリーは、見る者の平衡感覚をじわじわと削り取っていく。

宮國蓮は、膝の上に置いた自身の指先が、わずかに、しかし確実に熱を失っていくのを感じていた。

 

(……ゲトウ)

 

脳内のデータベースが、凄まじい速度で検索を開始する。

数年前、任務先の集落で百十二名を虐殺。

呪術師としての使命を捨て、非術師を「猿」と蔑んだ、最悪の呪詛師。

五条悟と同じ、この国に四人しかいない特級呪術師の一人。

 

(あり得ない…と言い切るにはピースが揃いすぎている。情報の非対称性を利用した『浴』の流出。これだけの宗教施設を、高専の探知を逃れながら運営・維持できる技量。そして、その『名』)

 

呪術界において、特級とは「単独での国家転覆が可能であること」を指す。

それは個人の武力の域を超え、存在するだけで世界の理を歪める事象そのものだ。

宮國蓮という術師は、冷徹な論理(ロジック)の持ち主である。

ゆえに理解していた。

眼前の扉の向こうに座しているのが、単なる「狂信者の長」ではなく、世界の均衡を破壊し得る「深淵」そのものであることを。

 

「……次の方、どうぞ。ゲトウ様がお待ちです」

 

事務的で、感情の脱色された信者の声が響いた。

宮國は立ち上がる。

ハイライトのない瞳は、死に場所を探すような静謐さを湛えていた。

重厚な黒檀(こくたん)の扉が、音もなく開く。

奥へと続く長い回廊は、照明を落とされ、足元の影だけが不自然に長く伸びていた。

奥の部屋──その空間だけが、時間の流れを止めたかのような錯覚を抱かせる。

カーテンの隙間から差し込む薄明かりが、宙に舞う香煙を銀色に縁取っていた。

その中心に、男はいた。

五条袈裟(ごじょうげさ)を優雅に纏い、背中まで流した黒髪。

耳に光る黒いピアスが、彼の異端性を象徴している。

男は、まるで旧知の友人を迎えるかのような、穏やかで、しかし慈悲の欠片もない微笑を浮かべていた。

 

「──ようこそ、迷える黒山羊くん。さて、君の話を聞かせてもらおうか」

 

その声は、深すぎる井戸の底から響くような、不思議な透明感を持っていた。

宮國は、対峙した瞬間に理解した。

自分の内側にある「空っぽ」の器が、男の放つ圧倒的な呪圧の前に、薄いガラス細工のように軋んでいることを。

 

「……随分と、丁寧な歓迎ですね。教祖様」

 

宮國は、自身の感情を「墨糸」のように細く、鋭く研ぎ澄ませた。

対面する二人の術師。

その間に流れる空気は、触れれば指が落ちるほどに、冷たく凍てついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「星道協会」の本部施設を望む境界線。

そこには、神聖さを装った建築物の影で、どろりとした澱みのような悪意が、物理的な質量を伴って滞留している。

 

「……あァ、胸糞悪ぃなァ」

 

秤金次は、ヤスリをかけたような不敵な笑みを消し、剃り残した口髭を苛立たしげに撫でた。

見上げる空は、洗いたてのコンクリートを思わせる無機質な灰色だ。

『浴』の模倣事件。

その凄惨な遺体損壊の裏側に、秤は呪術師特有の「合理的な狂気」を感じ取っていた。

 

「呪術規定九条を盾にするなら、呪詛師共が一般人に『秘儀』を教えるメリットはねえ。術師の数が増えるわけじゃなし、ただのスキャンダルで自分の居場所を晒すだけだ」

 

「そうだね。でも、もしこの情報流出自体が『工程』の一部だとしたら?」

 

傍らに立つ星綺羅羅が、南十字座を模したピアスを指先で弄びながら言葉を継ぐ。

その視線は、熱狂に浮かされる信者たちの巣ではなく、さらにその奥、山の胎内に通じる闇を見据えていた。

 

「呪具を作るための『浴』は、長期間、絶え間なく呪力を流し込み、溶液を管理しなきゃいけない。人手不足の呪詛師が、一般人の『信仰心』を動力源にして工場(プラント)を回しているとしたら……」

 

「なるほどな。汚い仕事は下へ、責任は猿へ。……胸糞悪ぃわけだ」

 

秤の視線が、施設裏手の私道へと固定された。

そこには、一般の参拝客を拒絶するような、不自然に深く刻まれた(わだち)がある。

 

数分後、施設側から一台の大型トラックが姿を現した。

荷台を覆う白いシート。

運転席に座るのは、神に仕える身を誇示するかのような、純白の防護服に身を包んだ男たちだ。

 

「ビンゴだ。熱い賭場へご案内ってか」

 

二台目のトラックが死角に入った瞬間、秤の肉体が爆発的な初動を記録した。

呪力が大気を震わせ、秤は影となってトラックのステップに足をかけた。

 

「悪いな。この台、俺が買い占めるぜ」

 

一発、二発。

防護服の信者たちが「何」に襲われたか理解する前に、秤の硬質な拳が彼らの意識を断ち切った。

 

数分後。

そこには、白い防護服を着込んだ「偽の作業員」が二人。

秤は手慣れた手つきでトラックを強奪し、クラッチを繋ぐ。

 

「金ちゃん、無免許でしょ?」

 

「人生は常に無免許運転みたいなもんだろ」

 

大型トラックが、野太いディーゼル音を響かせて禁足地の深部へと突き進む。

山道を数分進んだところで、世界が変貌した。

フロントガラスの向こう側、午後の薄明るい景色が、墨を零したように一瞬で「深夜」へと反転したのだ。

 

通常、高専の術師が下ろす「帷」の目的は、呪霊の隠蔽、あるいは対呪霊戦における一般人の侵入防止である。しかし、この地に展開されたその目的の一つを極端に突き詰めた性質を持つ。

内側で蠢く膨大な呪力の残穢、あるいは冒涜的な儀式の気配を、外部の『窓』や術師の探知から完全に隔離するための不可視の結界(ステルス・シールド)

その維持には、基点となる強力な術師の存在が不可欠である。

 

「……帳か。それも特殊だね」

 

助手席の綺羅羅が、周囲の空間密度を観察(スキャン)するように目を細める。

やがてトラックは、山中の窪地に作られた廃貯水池のような場所で行き止まった。

コンクリートの擁壁に囲まれたその空間には、数台のトラックが停まり、防護服の作業員たちが「寝袋のような何か」を、まるで工業製品のように無機質に運び出している。

寝袋の隙間から、死後硬直を起こした人間の足首が覗いていた。

池の中央には深淵のような穴が開いており、白い祭服を纏った神父のような男が、落下していく「荷物(死体)」を見下ろしながら静かに祈りを捧げている。

 

「今日は一台多いようだが、教祖様に頼まれたのかね?」

 

神父が、振り返らずに問いかけた。

その声は、深すぎる井戸の底から響くような、残忍なほどに落ち着いたトーンだった。

 

「あァ、教祖様の命令でね。至急、景品(ボーナス)を追加しろってよ」

 

秤が防護服のフード越しに答える。

その刹那、空気が物理的に爆ぜた。

 

──ガギィィィン!!

 

秤と綺羅羅が立っていた場所に、巨大な人間大の黒鉄の十字架が、音もなく突き刺さった。

コンクリートをバターのように切り裂くその質量と速度。

十字架は最初からそこに存在していたかのように、不動の威圧感を持って鎮座している。

 

「……信徒ならば教祖様ではなく『夏油様』と呼ぶ。それに、今日は特別集会日だ。不浄な作業に従事する者は、ここには最低限しか回されない」

 

神父──エイセンが、ゆっくりと振り返った。

かつて五条悟と夏油傑によって瓦解させられた呪詛師集団「Q」。

その元No.2の実力者は、手に持った聖典を閉じ、蛇のように冷徹な瞳を二人へ向けた。

 

「誰だ、お前らは」

 

「なんだ、バレちまったのか。熱のねえミスしたな」

 

秤は忌々しそうに防護服を破り捨て、高専の黒い制服を曝け出した。

綺羅羅もまた、同様にフードを脱ぎ捨て、不敵に笑う。

 

「高専の回し者か。夏油様が仰っていた通り、ネズミが迷い込んだようだ」

 

エイセンの指先が動く。

さらに三本の十字架が宙に浮遊し、その鋭利な先端が秤の眉間を射抜く。

 

「ここは夏油()様への贄を作る為の聖域だ。救われぬ者共が立ち入る場所ではない。死をもってその罪を浄化するがいい」

 

「神だか何だか知らねえが、そのくだらねぇ価値観ごと、俺が丸ごとブチ転がしてやるよ」

 

秤金次の「ザラついた」呪力が、廃貯水池の深夜を赤く焦がし始める。

死体を呪具化させるという禁忌の「浴」。

その最前線で、博徒と聖職者の皮を被った怪物の、血みどろの勝負が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外界の冷気は分厚い石壁に遮られ、代わりに沈香の重苦しい芳香が、視界を曇らせるほどに充満していた。

そこは「星道協会」の最奥、聖域の名を冠した閉鎖空間である。

空気は微動だにせず、ただ呪力の密度だけが異常なほどに高められていた。

肺腑に染み入る香煙は、吸い込むたびに思考を鈍らせ、現実との境界を曖昧にする。

上座に座す男───夏油傑は、袈裟の裾を優雅に整え、細められた瞳で眼前の「迷える子羊」を見つめていた。

その表情は、救いを求める者に差し伸べられる慈悲深い聖者のようでもあり、同時に、獲物の急所を冷徹に見定める捕食者のそれでもある。

 

「回りくどい招待状だったかな? 岐阜のマンションで起きたあの悪趣味な事件。非術師に『浴』の断片的な知識を投げ与えれば、必ず高専の『窓』が食いつく。そして、期待通りに君たちがやってきたというわけだよ。東京校三年、宮國蓮くん」

 

男の言葉に、宮國は表情一つ変えずに応えた。

 

「……もうご存知でしたか」

 

その声はひどく平坦で、湿り気を欠いた砂のようだ。

感情の起伏というものが根底から剥離した、虚無の響き。

夏油は、手元に置かれた古い茶器を指先で弄びながら、穏やかな声で続けた。

 

「これでも私は愛校精神が強くてね、高専の情報に関しては定期的に仕入れさせてもらっている。いやぁ……先日の団体戦は見事な戦い振りだった。宮國くん、その歳で自分の術式をあそこまで冷徹に、かつ機能的に使いこなせるのは実に優秀だ。立派だよ」

 

「貴方に言われても、皮肉にしか聞こえませんよ。特級呪詛師、夏油傑さん」

 

宮國は真っ向から夏油を見据えたまま、言い放った。

その視線は鋭利なメスのように研ぎ澄まされているが、その奥底には深い、底の見えない深淵のような虚無が横たわっている。

まるで、目の前の特級呪詛師という強大な事象に対しても、あるいは明日失われるかもしれない自分自身の命に対しても、紙片ほどの価値も見出していないかのように。

 

「ただ、個人戦は酷かったね。加茂家の次期当主と京都校の権威を揺るがさないための、出来レースとしての勝敗……あれは、呪術とは呼べない政治の残滓だ。君自身、最初から全く本気を出していなかっただろう?老人たちが、己の保身と我欲のために若者の足を引っ張る。……実に嘆かわしい。それが君の瞳を曇らせる原因なら、なおさらにね」

 

夏油は薄く、愉悦を隠さぬ笑みを浮かべ、指先で空中に円を描いた。

 

「宮國くん、君は命の重さをどう定義する? 虫と魚を比べる者はいない。魚と豚、豚と猿……そして、猿と人間。我々は自分と似た形、似た声を持つ生き物の命を『重い』と錯覚しがちだ。だが、それは生存本能に刻まれた単なる認知のバグに過ぎない。我々呪術師という『上位種』から見て、呪力を持たぬ非術師が同族であると考える根拠がどこにある? 彼らは我々と同じ理で生きているわけではない」

 

夏油はゆっくりと立ち上がり、宮國の周囲を歩き始めた。

その足音は厚い石床に吸い込まれ、一歩ごとに部屋の沈黙を、より重く、粘着質なものへと変質させていく。

 

「我々のような強者が、なぜ、呪力さえ持たぬ『猿』どものために、吐瀉物を処理した雑巾を飲み込むような苦行を続けなければならない? 彼らは自分たちが垂れ流す負の感情、すなわち呪霊の存在さえ知らず、その尻拭いを我々に押し付け、ぬくぬくと繁栄している。……滑稽だと思わないか? 秩序という名の檻に縛られ、進化の袋小路に迷い込んだ猿どもを護るために、神に近い力を持つ我々が摩耗していくなど。それはもはや、悲劇ですらない。ただの無駄だ」

 

夏油の視線が、施設の裏山───禁足地として秘匿された、あの廃貯水池の方角へと向けられる。

「あそこの池で行われている儀式も、すべてはそのための布石だ。私の仲間の術式で信者()の死体を式神化し、そこに『浴』によるさらなる呪力の定着を施す。それはもはや、単なる死体ではない。呪霊に近い性質を持ちながら、術師の命令にのみ従う『人型の式神』……死してなお、我々の上位世界の糧となる。これこそが、非術師たち(猿ども)にとっての唯一の救済ではないかな?」

 

部屋の中の空気は、濃厚な沈香の香りと、夏油の全身から滲み出す圧倒的な呪圧が混ざり合い、呼吸することさえ拒むような不気味な密度に達していた。

物理的な重圧が、宮國の心臓を、血管を、墨糸で締め上げるように圧迫する。

夏油は宮國の目の前で足を止め、その肩に、そっと、慈しむように手を置いた。

 

「宮國くん。君ほどの男が、高専という、猿どもを守るための『檻』に繋がれているのは、あまりに惜しい。君たちはもっと自由であるべきだ。強者として、己の力を何にも縛られずに振るう権利がある」

 

夏油は、確信を持って囁く。

その声は、多くの若者を地獄へと導いた、甘美な福音の響きを持っていた。

 

「つまらない世の中なら、我々の手でひっくり返してしまおう。この退屈な世界を、君自身の力で書き換えてみたくはないかい? 君の瞳に映るその虚無は、今のままでは決して埋まらない」

 

その問いかけは、甘い毒のように、宮國の沈黙を静かに、確実に侵食していく。

 

「……さぁ、共に来なさい。その退屈を、私が祓ってあげよう。君の居場所は、そちら側ではなく、こちら側にあるべきだ」

 

夏油傑の細められた瞳の奥に、昏く、熾烈な情熱が揺らめいた。

宮國の唇が、ゆっくりと、何かを紡ごうと動いていく。

その返答が、世界の境界線を、静かに、しかし決定的に引き裂こうとしていた。

 

 

 





呪詛師集団Qのコードネームのルールに則って元No.2の元ネタは一番好きなソーセージにしてあります
シャウ⚫︎ッセン…神

呪術関係でR-18創作が書きたくなってきたので希望アンケートに答えてくれ。必要だろ

  • 貞操逆転で禪院家♀に引き取られるショタ
  • 宮國(≡)の女性上位ヤンデレ
  • まずは書いてる奴ある程度進めろよ原始人
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。