泡沫浄瑠璃:秤金次の同級生が呪われて死ぬまでの話   作:天狗猿

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性癖の開示など狡い真似するつもりはありません!
ただ全身全霊で作品に性癖を詰め込むだけですよ!ニマ〜



拾肆:京都百鬼夜行 -溟濛-(二〇一七年、十二月)

 

 

色はなく、ただ錆とコンクリートの死臭だけが充満する空間。

特級仮想怨霊『鬼猿儀驛(きさらぎえき)』。

都市伝説という現代の信仰が産み落としたこの「領域」は、足を踏み入れた者を永遠の迷宮へと幽閉し、緩やかに解体する屠殺場であった。

 

「がッ……ぁ……!」

 

灰色のホームに、星綺羅羅の苦悶の呻きが落ちる。

彼女の滑らかな肌に、見えないメスが滑るように、幾つもの浅い裂傷が走っていた。

領域の必中効果である『鬼猿犠(きさらぎ)』。対象を「食材」とみなし、活造りのように少しずつ肉を削ぎ落としていく不可避の呪い。

 

「耐えろ、綺羅羅!」

 

秤金次は、腕の中に綺羅羅を抱き寄せ、自身の呪力を膜のように展開していた。

 

『領域展延』。

 

必中効果を中和するための簡易領域の応用技術。

秤は自身の領域『坐殺博徒』で自身の体表と共に綺羅羅を包みことで、不可視の凶刃から辛うじて守っていた。

秤金次は領域展開の術者であり、領域同士の押し合いにおいては無類の強さを誇る。

だが、現在の状況は最悪のデッドロックに陥っていた。

綺羅羅を展延で守るために呪力と集中を割けば、外郭である『坐殺博徒』の出力は低下する。

結果、鬼猿儀驛による「ルールの改竄」を押し返すことができず、秤の領域内で展開されるパチンコの演出は、強制的にハズレへと誘導され続ける。

展延を解けば、数十秒で綺羅羅は肉塊に変わる。

展延を維持すれば、大当たり(不死身化)を引けないまま、やがて二人の呪力は底を突き、共に削り殺される。

完璧な詰み盤面であった。

 

「……ハッ。どうやらこの台の基盤、相当イカれた『遠隔(ゴト)』が仕込まれてやがるな」

 

秤は、血を流す綺羅羅を抱き抱えながら、虚空に浮かぶ液晶パネル──血の涙を流し、異形へと変貌したヒロインの姿──を睨みつけた。

正規の確率(1/239)など、もはや機能していない。この領域は、秤が大当たりを引くルートを意図的に遮断しているのだ。

稀代の博打打ちは、この絶望的な状況下で、口角を獰猛に吊り上げた。

堅実な勝負など、彼には端から興味がない。盤面がイカサマに塗れているのなら、台そのものを破壊するほどの『大穴(バグ)』を狙うまで。

 

「なぁ、綺羅羅」

 

秤は、ノイズ混じりの音楽が響く灰色の駅で、ごく自然な、日常の延長のようなトーンで口を開いた。

 

「俺の運に、命を賭けてくれるか?」

 

それは、失敗すれば二人揃って肉片となる、文字通りの全賭け(オールイン)の提案だった。

腕の中で息を荒らげていた綺羅羅は、血に濡れた顔を上げ、南十字座のピアスを揺らして、ふわりと笑った。

 

「……馬鹿ね。金ちゃんと一緒なら、いつ死んだっていいって、前から言ってるじゃん」

 

──生きているという実感が、ずっと無かった。

南洋の島国。古い呪術師の家系。

星綺羅羅の生い立ちは、南十字座の星の瞬きのように、遠く、冷たいものだった。

男として生まれながら、心がそれを拒絶する性の不一致。

家系に伝わる術式を受け継ぎながらも、その「器」が伝統という枠組みから外れているというだけで、綺羅羅は一族の中で透明な存在として扱われた。

期待されない。否定すらされない。ただ、そこに「無い」ものとして扱われる日々。

高専に入学しても、その虚無感は変わらなかった。

誰もが自分を、腫れ物に触るように扱う。

だが、彼――秤金次だけは違った。

 

『お前の術式、めっちゃややこしくて最高じゃねーか! その星空、俺とコンビ組めよ!』

 

秤は、綺羅羅の性別や生い立ちなど、一秒たりとも気にしなかった。

彼が見ていたのは、綺羅羅の中にある「熱」。ただそれだけだった。

そして、白波瑠璃という後輩の存在。

彼女もまた、自分と同じように己の輪郭を探し求め、不器用にもがく少女だった。

秤や瑠璃と共にいる時間。

高専で熱を教授する日々。

それが、綺羅羅に初めて「生きて息をしている」という確かな質量を与えてくれた。

 

(死ぬのは怖くない。金ちゃんと一緒だったら、地獄の底でも生きていける)

 

「……任せるよ、金ちゃん。私の全部、あんたに突っ込む」

 

「上等だ」

 

秤の瞳に、極彩色の炎が宿った。

次の瞬間、彼は綺羅羅を守っていた『領域展延』を──完全に解除した。

 

「ッ───あぁぁぁっ!!」

 

展延という盾を失った瞬間、綺羅羅の全身から鮮血が噴き出した。

見えない刃が、彼女の腕を、脚を、肩を、容赦なく削いでいく。

 

「さぁて、クソったれのイカサマ台……テメェがホラーをやりてぇなら、その土俵に乗ってやるよ!!」

 

 

秤は、術式の「恋愛演出」にこだわることを捨てた。

きさらぎ駅がシナリオを『ホラー』に書き換えるのなら、そのバグを逆手に取る。

ホラー映画における最大のカタルシス──すなわち「ハッピーエンド(生還)」の演出を、新たな大当たりの条件として領域のルールに強引に上書きする縛りを結んだのだ。

 

疑似連(ギジレン)開始(スタート)!』

 

秤が叫ぶ。

パチンコにおける疑似連とは、一度の変動でハズレと見せかけ、何度も演出をやり直すことで期待度を上げるシステム。

秤の領域においては、「自身あるいは領域内の任意対象が受けた度に一連の攻防の前に巻き戻す」という反則的な回復効果を持つ。

ガラスが割れるようなエフェクトと共に、血まみれだった綺羅羅の傷がリセットされる。

だが、鬼猿儀驛の必中効果は止まらない。回復した直後から、再び肉が削ぎ落とされていく。

 

視界が歪む。

舞台は無機質なホームから、暗く湿った「トンネル」へと移行した。

きさらぎ駅伝説における、死への片道切符である「伊佐貫隧道(いさぬきトンネル)」だ。

泥土と錆の臭気が混ざり合う閉鎖空間。それは、都市伝説が構築した絶対的な致死領域である。

リーチの最終局面。

暗闇の奥から、ボロきれのような布を纏った、顔のない猿のような小人が這い出てきた。

その手には、赤錆びた巨大な(なた)が握られている。刃こぼれした凶器は、犠牲者の肉を効率的に削ぐための絶望的な質量を誇示していた。

標的(ターゲット)は、傷つき倒れた綺羅羅。

 

「来いよ……ッ!」

 

秤は動かない。あえて、絶体絶命の窮地を受け入れる。

小人が跳躍し、綺羅羅の首元へ向けて鉈を無慈悲に振り下ろした。

 

  ザシュッ

 

肉を断つ不快な音と共に、領域内の光がすべて消え失せた。

完全なる暗転(ブラックアウト)

虚空に、赤黒い血文字が浮かび上がる。

 

『……残念(DEAD END)

 

ハズレ確定演出。

特級仮想怨霊『鬼猿儀驛』という空間そのものが、二人の死を確信し、領域を構成する呪力が歓喜に震えた。

 

 

だが。

 

ここからが、稀代の博打打ち・秤金次の真骨頂である。

パチンコには、完全にハズレたと思わせた直後、絶望のどん底から突如として役物が作動し、大当たりへと強制的に書き換える「復活演出」が存在する。

秤は、通常の大当たり確率(1/239)という表のルートを完全に捨てていた。

彼は自らの命、綺羅羅の命、そして全ての呪力と運命を、この【発生確率1%未満の極低確率(プレミアム)】に全賭けしていたのだ。

沈黙。

暗黒の空間で、秤の声だけが低く、地の底から響いた。

 

「おい、呪霊」

 

 カチッ

 

「この台は、壊れてんじゃねえぞ」

 

 

 ガシャァァァァァァァンッッ!!!!

 

暗闇を物理的に粉砕し、鼓膜を破るほどの爆音と共に、巨大な役物(ギミック)が落下した。

トンネルの向こう側から、眩い虹色の光を放つ金ピカの特急車両──『CR私鉄純愛列車』が、空間の法則を根底から無視して突っ込んでくる。

圧倒的な質量と運動エネルギーを誇る特急車両は、鉈を振り下ろそうとした猿の小人を、そして伊佐貫隧道という怪異の概念そのものを、一切の慈悲もなく轢き潰した。

 

「“暴走(確変)”してんだよ!!!乗り遅れるんじゃねえぞ!!!」

 

領域内の上空に、虹色に輝く巨大な文字が叩きつけられる。

 

 『  復  活  ! ! 』

 

大当たり(ジャックポット)

その瞬間、秤の脳内に、致死量を超えた脳内麻薬(エンドルフィン)が溢れ出した。

ボーナス獲得。持続時間、四分一十一秒。

その効果は「無制限の呪力供給」、及び完全なる自動反転術式による「不死身化」。

肉体が自壊せぬよう、本能が全自動で反転術式を回し続けるこの状態において、秤金次は最強の男・五条悟をも凌駕する再生速度を獲得する。

領域内に音楽(BGM)が鳴り響く。

いつもの軽快なアニソン『あちらをタてれば』ではない。

鬼猿儀驛の怨念ノイズと、純愛列車のポップなメロディがバグを引き起こしながら混ざり合った、地響きのような爆音のエレクトロ・ハードコア。

 

「ハハハッ!!こっから先は激熱時間(フィーバータイム)だ!!」

 

全身から黄金色の呪力を太陽フレアのように噴出させながら、秤が綺羅羅を抱き上げる。

無限に溢れ出す呪力の余波だけで、綺羅羅の肉体を削いでいた必中効果が塵芥のように弾け飛ぶ。

人々の悪夢を具現化した特級仮想怨霊。絶対に到達できない、生きて帰ることはできないという『概念』。

 

「行き先が気に食わねえならよぉ……!」

 

だが、今の秤は、無限の燃料を得た暴走機関車そのものだった。

彼は具現化した黄金の私鉄純愛列車の先頭に立ち、あるいは彼自身の右拳が列車の突進力そのものとなり、灰色の空へ向かって大きく振りかぶった。

 

線路(レール)ごと、新しく敷き直すまでなんだよ!!」

 

 ドゴォォォォォォォンッ!!!

 

秤の拳が、きさらぎ駅という閉鎖空間の「(結界)」を捉えた。

常軌を逸した呪力出力の爆発。

空間が、まるで薄い飴細工のようにひび割れ、砕け散る。

絶望の異界が、秤金次(ギャンブラー)の理不尽な豪運と暴力によって、純粋な物理的衝撃で粉砕された瞬間だった。

 

現実世界。伏見稲荷の千本鳥居の上空。

結界のドームが内側から破裂し、莫大な呪力の残滓が京都の冬空に散華した。

その爆心地から、黄金の呪力を纏った男が、血だらけの少女を抱えて現世の伏見稲荷へと帰還する。

 

重力に従い、石畳へと着地する秤。

着地の衝撃で砕け散る敷石の粉塵の向こう、彼の視界に飛び込んできたのは、ひしめき合う呪霊と人骸(じんがい)の大群だった。

 

先刻まで瑠璃達と共に防衛線を張っていた参道は、今や泥濘に沈み、無数の異形が蠢く狂気の坩堝(るつぼ)と化している。

彼らは上空から現れた黄金の輝きに対し、一斉に敵意を向け、腐臭を放つ(あぎと)を開いた。

しかし、それを眼前にしても、秤金次の表情に不安や恐怖などは一切ない。

瞳の奥で燃えるのは、どこまでも純粋で、凶悪なまでの「熱」。

無数の人骸が、津波のように秤へと殺到する。

博徒は首の骨をポキリと鳴らし、ニヤリと笑って黄金の拳を構えた。

 

なぜなら今は。

四分一十一秒の、最強(フィーバー)の時間だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ズプッ…ズチャッ…

 

極めて事務的で、しかし粘着質な水音が、静寂に包まれた伏見稲荷の参道に響き渡った。

 

「あはっ! ごめんねぇ、ちょっと痛かった?」

 

助け出したはずの女性補助監督の顔面が、ドロドロと溶け落ちる。

偽装の泥殻が剥がれ落ちた下から現れたのは、豊満な胸の谷間を惜しげもなく晒し、狂気的なまでに無邪気な笑顔を浮かべた少女──禪院愛裏だった。

 

彼女は、正面から宮國を抱きすくめるような体勢のまま、その手に握った小ぶりな刃物を、彼の肺腑へと何度も、何度も、ミシンで布を縫うような軽快なリズムで突き立てていた。

血飛沫が弧を描き、朱塗りの鳥居をさらに濃い赤へと染め上げる。

 

「ガ、ハッ……」

 

肺に溜まった血が気道を塞ぎ、宮國の口から赤黒い泡となって吐き出される。

彼の膝が崩れ、石畳に倒れ込もうとするのを、愛裏は愛おしげに、まるで大きなテディベアでも抱きとめるかのように、その豊かな胸に抱え込んだ。

 

「ふふっ、捕まえたぁ!あったかいね、宮國先輩!ずぅっとこうしてみたかったんだ!」

 

愛裏は、血に濡れた宮國の頬に、恋人にそうするようにチュッと口づけを落とす。

 

「……ッ!! 禪院ッ……愛裏ィィィッ!!」

 

瑠璃の喉から、獣のような咆哮が迸った。

普段の儚げで感情を抑え込んだ彼女からは想像もつかない、純粋な殺意の爆発。

彼女は「空っぽ」だった自分を認めてくれた恩人を、唯一の魂の拠り所を穢された怒りに我を忘れ、足元の空間に泡を展開して爆発的に加速した。

 

「壊す……!あなただけは、絶対に……ッ!」

 

右拳に全呪力を込める。

打撃の瞬間に最大出力の空洞現象と共に『柘榴』を炸裂させ、この薄汚い呪詛師の頭蓋を粉砕する。

それ以外の思考は、瑠璃の脳髄から消し飛んでいた。

 

だが。

 

「あっ。それ、定型(パターン)だよ? 瑠璃ちゃん」

 

愛裏は宮國を抱えたまま、瑠璃に向かってウインクを飛ばした。

次の瞬間。瑠璃の視界の死角──鳥居の陰から、一体の人影が弾丸のように飛び出してきた。

 

「え……?」

 

それは呪霊でも人骸でもない。

夏油傑が運営する新興宗教団体に属する、呪力を持たない一般信者の男だった。

その眼球は白濁し、愛裏の術式である泥によって脳の神経回路を強制的に焼き切られ、完全に錯乱している。

信者は、自らの筋肉が断裂するほどの異様な腕力で、握りしめていた呪具の短槍を、突進してくる瑠璃の腹部へとカウンター気味に突き立てた。

 

「ガ、ァッ……!?」

 

ドスッ、という鈍い音と共に、呪具の刃が瑠璃の腹部を貫通し、背中へと抜け出る。

肺から酸素が押し出され、瑠璃の体は勢いのまま石畳を転がった。

 

「うっ……うぅっ……! なんで……」

 

「いぇいっ、大成功〜!ねぇ見た見た!? 夏油先生の助言通り、出し処を考えてみたの!」

 

愛裏は、自らの謀略が完璧にハマったことに、子供のように手を叩いて喜んだ。

 

愛裏の術式『堕靡泥外法(だびでげほう)』。

 

彼女の操る泥は、死体を動かすだけでなく、生者の脳内に侵入して認知を書き換える「洗脳」の力を持つ。

さらに、泥を外装として纏うことで、他者の姿形、呪力の残穢に至るまでを完璧に模倣する「擬態」が可能となる。

この戦場において、彼女は美々子達に捕まった人質の補助監督官に擬態し、宮國が特攻を仕掛けてくるのをずっと待っていたのだ。

 

「この間は適当に出しちゃって、結構数が減っちゃったからさぁ。だから、生きてる人間の『命を投げ出す行動(バグ)』を上手く使ってみたの!呪術師ってさ、自分が誰かを助ける時や相手を殺そうとする時に相手のこと以外考えてないでしょ?」

 

腹部からおびただしい血を流し、立ち上がろうとする瑠璃。

しかし、その背中に、ドロリとした重みがのしかかった。

伏兵として隠されていた無数の人骸たちが一斉に飛び出し、瑠璃の四肢を乱暴に押さえ込んだのだ。

 

「く……ッ! 離して……ッ! 私は、まだ……ッ!」

 

「ダメだよ。瑠璃ちゃんとは、また後でたーっぷり遊びたいから、ちょっとそこで待っててね」

 

愛裏は瑠璃に冷たい視線を落とし、人骸たちに無慈悲な命令を下した。

 

「瑠璃ちゃんはすっごく頑張り屋さんだから、きっと腕の骨を折ったくらいじゃ反撃してくるよね? だからさぁ……もいでおいでね?」

 

「やっ、やめて……! 宮國さんに、触るな……ッ! あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

石畳の上で、生木を力任せに引き裂くような、生理的な嫌悪を催す破断音が響いた。

人骸たちの異常な腕力が、瑠璃の左右の腕の関節を逆方向に折り曲げ、腱を引きちぎり、肩の付け根から文字通り「もぎ取った」のだ。

鮮血が間欠泉のように噴き出し、千本鳥居を濡らす。

瑠璃の絶叫が、冬の夜空に木霊した。

 

「あーうるさ。せっかくの二人の時間が台無しじゃん」

 

瑠璃の絶叫など耳に入っていないかのように、愛裏は小首を傾げた。

彼女の視界には、腕の中で血に染まる宮國の姿しか映っていない。

 

「悪趣味だな…」

 

宮國は、口元から溢れる血を無造作に拭いながら、ハイライトのない瞳で愛裏を見上げた。

その目には、死の淵にあってもなお、恐怖や絶望の類は一切浮かんでいない。

 

「久しぶりだね…禪院愛裏」

 

その飄々とした呼び名に、愛裏は少しだけ不満げに眉をひそめた。

 

「んー、ブッブー。私、あの家からは破門されちゃったからねぇ。残念だけど、今は旧姓の『汨羅(べきら)』を名乗ってるよ」

 

そう言いながら、愛裏は足元で気絶している美々子と菜々子の頬を、つま先でツンツンと小突いた。

 

「うわぁ、完全にノびてるね〜これ。まぁいっか……ほら、この子たちを安全な場所まで運んであげて」

 

愛裏の影から這い出した呪霊が、二人の後輩の体を器用に咥え込み、闇の中へと消えていく。

 

「さてと。邪魔者はいなくなったね……前に会った時から、ずーっとあなたとお話してみたかったの、宮國先輩」

 

愛裏は、血に濡れた指先で宮國の前髪を優しく梳いた。

その手つきは、本当に恋い慕う相手に向けるような、甘くねっとりとしたものだった。

 

「……夏油にも好かれたけど、オレ、ろくでなし(イカれたやつ)に好かれやすいみたいだ」

 

宮國は、自身の胸に空いた致命傷から流れる血の熱さを感じながら、うっすらと笑みを浮かべた。

 

「あはっ! 夏油先生と私は違うよ?先生は難しいことばっかり考えてるけど、私はもっとシンプル。心があって言葉も通じるなら、呪術師か非術師かなんて関係ないじゃない?」

 

愛裏は宮國の胸板に頬を擦り寄せ、恍惚とした表情を浮かべた。

 

「ねえ、知ってる? さっき運ばせた美々子(あの子)達……夏油先生に、親としてじゃなくて、異性として性愛を抱いてるんだよ?ウケるね」

 

「……」

 

「でもさ、私も同じだけどね。ああいう、どこか壊れちゃってる人って、とーっても魅力的に見えるんだぁ」

 

「……この泥人形と言い、夏油と言い。キミは、壊れた人間が好きなんだな」

 

宮國の静かな指摘に、愛裏は図星を突かれたように少しだけ目を丸くした。

 

「……オレには、あの男(夏油)が何をしたいのか分からないね。猿が嫌い猿が嫌いと喚きながら、猿の文明(インフラ)がなきゃ、自分の『家族』に碌な生活もさせられない。そんな矛盾を抱えながら、悩める猿を助けて、悪どい猿を罰して、たまにやって来る術師を殺す」

 

宮國は咳き込み、血の塊を吐き出しながらも、言葉を止めない。

その視線は、愛裏を通して、その背後にいる狂った教祖の本質を見透かしていた。

 

「猿たちを殺し尽くすはずが、結局は仲間を夢に溺れさせ、破滅への道を突き進ませている。非術師は悪で醜い存在だと自分に言い聞かせて、善良な一般人を見ないようにしないと精神が持たない。あんな今にも折れそうな男の神輿を担ぐなんて、ご苦労なことだね」

 

「……すごいね、宮國先輩」

 

愛裏の瞳の奥で、ドロリとした歓喜の色が渦を巻いた。

 

「あなた、本当に夏油様のことが、あの子たちよりずっと分かってるんだね。……そういう賢くて、冷たくて、どうしようもないところ……すっごく、ゾクゾクする」

 

語るにつれ、宮國の息遣いが荒くなっていく。

失血により、彼の命の灯火は確実に消えかかっていた。

 

「私の術式、教えてあげるね。普通は、死体か呪力を持たない一般人しか操れないんだけどさ……こうやって、私が直接『(体液)』を飲ませてあげれば、呪術師の脳髄だって犯すことができるんだよ?」

 

愛裏は、自身の豊満な体を宮國に押し付け、湧き上がる欲望を抑え込むように、熱を帯びた吐息と共に涎を彼の耳元に垂らした。

 

「……なるほど。そのイカれた術式(性癖)のせいで、禪院家の男を駄目にして追放されたってわけだ」

 

「あはっ、大正解!……あぁ、どうしよう。宮國先輩のことが、どんどん好きになってきた。私って、惚れっぽいからさぁ」

 

愛裏は、宮國の唇に自らの血と泥に塗れた指を這わせた。

 

「ねえ、宮國先輩。死んだ後、友達じゃなくて、私の『恋人』になってよ。私の泥で、あなたの空っぽを、全部満たしてあげるから……!」

 

それは、死を目前にした男への、狂気に満ちた愛の告白だった。

 

だが。

 

「……最初にお礼を言っておこうか。ありがとう、君がこんなに醜い生き物だと知れたのは、いい冥土の土産だ」

 

宮國は、最後の力を振り絞り、ハイライトのない冷酷な瞳で愛裏を射抜いた。

死の間際にあっても、彼の中にある飄々としたニヒルな姿勢は、決して崩れることはなかった。

 

「……あぁっ……もう本当ッ……最…ッ高!」

 

自分を最後まで拒絶するその冷たい瞳。

愛裏は、そのどうしようもないほどの拒絶に、子宮の奥が痺れるような究極の愛おしさを感じた。

 

「抵抗しても、無駄だから……汚すね…ッ?汚すよ…?汚すッ…!」

 

愛裏は、傷だらけの宮國のシャツを乱暴に引き裂いた。

剥き出しになった蒼白な肌に、愛裏の口元から垂れた真っ黒な泥が、まるで意思を持った蛇のように這い回り、傷口から、そして口の端から、宮國の体内へと侵入していく。

 

「あ…ぁ……宮…國さん……」

 

両腕を失い、血の海に伏す瑠璃の視界が、急速に黒く染まっていく。

愛する人が、目の前で泥に侵され、穢され、人形へと作り変えられていく。

自分は何もできない。助けることも、彼と共に死ぬことすら許されない。

 

「ごめん、なさい……」

 

圧倒的な暴力と、狂気に満ちた愛の泥濘の中で。

瑠璃の意識は、底なしの絶望へと沈み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

深い、深い、水底へ。

瑠璃の意識は、底なしの暗闇へと沈降していった。

 

両腕をもぎ取られた激痛も、目前で愛する人が泥に穢された絶望も、もはや遠い対岸の出来事のように希薄になっていく。

 

その暗闇の底で、唐突に「白」が爆ぜた。

無機質で、冷たく、消毒液の匂いがこびりついた白い空間。

そこは、見覚えのある病室だった。

 

『自由に生きなさい』

 

ベッドの上に横たわる、痩せ細った母の姿。

幼き日の瑠璃の手を握り、最期に遺した言葉。

かつての瑠璃は、その言葉を「母からの最後の愛」であり、「自分を解き放つ許し」だと思い込もうとしていた。

いや、そう思い込まなければ、自分が母の人生を食い潰したという罪悪感に押し潰されそうだったからだ。

 

だが、今の瑠璃は知っている。

その言葉が、決して無償の愛などという美しいものではなかったことを。

白い病室の壁が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちる。

現れたのは、狭く、カビ臭いアパートの一室。

そして、瑠璃が心の奥底に封印し、決して「思い出したくなかった」記憶。

 

  ドンッ! ドンドンッ!

 

うっぺらい鉄の扉を、乱暴に叩く音。

借金取りの男たちの粗暴な怒声が、夜のアパートに響き渡る。

震える母の手が、幼い瑠璃の肩を掴み、狭く暗いシャワー室の奥へと押し込んだ。

 

『瑠璃、絶対に声を出さないで。何があっても、ここから出ちゃダメよ』

 

扉の隙間から漏れる、薄暗い常夜灯の光。

玄関の扉が蹴破られる音。

土足で上がり込んでくる複数の足音と、母の必死に謝る声。

 

そして───。

 

『やめて、お願いだから……ッ!』

 

『うるせぇな! 金がねぇなら、体で払うしかねぇだろ!』

 

布が裂ける音。男たちの下劣な笑い声。

床に組み伏せられ、乱暴される母の姿。

シャワー室の扉の隙間から、幼い瑠璃は、ただ震えてそれを見ていることしかできなかった。

声を出すことも、助けに出ることもできない。自分の無力さが、母を犠牲にしているという圧倒的な事実。

その時、母の瞳と、隙間から覗く瑠璃の視線が交差した。

母の瞳にあったのは、娘を守ろうとする慈愛だけではなかった。

  

 ──なんで私だけが、こんな目に。

 

 ──お前さえいなければ。お前さえ、産まなければ。

 

明確な「憎悪」。

 

それが、母の本音だった。

体を壊してまで自分を守っていた母は、同時に、自分の人生を縛り付けた娘を心の底から憎んでいたのだ。

 

『自由に生きなさい』

 

病室で聞いたその遺言は、「愛」などではない。

「私はお前のために自由を奪われた。だからお前は、私のような惨めな死に方をするな」という、血を吐くような「呪縛」だったのだ。

 

白い空間が、グルグルと回転し歪み始める。

シャワー室の暗闇と、病室の白が混ざり合い、視界を歪める。

 

「……気づいたかい、白波くん」

 

不意に、背後から声がした。

振り返ると、いつか面談室で対話した、あの女──九条薫が立っていた。

その白衣姿は周囲の白に溶け込み、彼女の存在自体がこの空間のバグであるかのように揺らめいている。

 

「君が引いている『境界線』。それは、誰かを守るためのものじゃない。自分が傷つかないために、世界から距離を置くための臆病な防壁だ」

 

九条の言葉が、瑠璃の胸を鋭く抉る。

 

「高専に来てからの君を振り返ってみなよ。君は誰かを助けた気になっているかもしれないが、本当に君一人の力で救えた命が一つでもあったかい? 秤金次がいなければ、宮國蓮がいなければ、君はただ自分を壊しながら周囲を巻き込むだけの、不完全な爆弾に過ぎない」

 

九条の言葉に、反論できない自分がいた。

 

そうだ。自分は無力だ。

 

母が蹂躙されるのを見ていた、あのシャワー室の幼い日から、本質的には何も変わっていない。

視界が明滅する。

組み伏せられていた母の姿が、ノイズと共に、泥に犯され、血に染まる宮國蓮の姿へと重なった。

 

『瑠璃ちゃんはすっごく頑張り屋さんだから、きっと腕の骨を折ったくらいじゃ反撃してくるよね?』

 

『だからさぁ……もいでおいでね?』

 

愛裏の無邪気で残酷な声が、耳鳴りのように響く。

 

「……何もないままだと、今度は母親や宮國くんだけじゃない。秤や綺羅羅……君に居場所をくれた彼らも失うことになるぞ。君のその空っぽな両手から、すべてがこぼれ落ちていくんだ」

 

九条の声が、蛇のように瑠璃の心臓に絡みつく。

 

何もない。何も守れない。

 

母の呪縛に縛られ、他者の温もりに依存し、結局はすべてを喪うだけの存在。

どうしようもない自己嫌悪が、瑠璃の魂を黒く塗り潰していく。

 

四角い箱のような、閉じた世界。

 

その内側で、互いに傷つけ合い、殺し合い、呪い合う円環。

 

廻り続ける地獄の歯車。

 

誰かが言っていた。運命とは、逃れられない呪いなのだと。

そして、この歯車が廻っていく先にあるのは、母と同じ「無力なまま蹂躙される」という末路だ。

 

「……違う」

 

白い空間の中で、瑠璃はぽつりと呟いた。

周囲には、母の幻影、怯える幼い自分、そして九条の影が、彼女を取り囲むように立っている。

 

「『自由』って……何も選ばないことじゃない。流れに身を任せることでもない」

 

瑠璃は、無いはずの両腕に力を込める力を込める。

 

「自由とは…運命とは…自分の意志で選び、死ぬまで戦い続けることだ」

 

ドンッ…!ドンドンッ…!

 

再び、扉を乱暴に叩く音が響いた。

しかし、それはかつてアパートで聞いた誰かが扉をこじ開けようとする音ではない。

「運命」という名の、理不尽な暴力が、瑠璃という卵の殻を叩き割ろうとする音だ。

 

「……私は、私を憎悪する」

 

瑠璃が閉じた瞳を開く。

宿っているのは、果てしなく昏く、そして純粋なまでの「自己への呪い」。

誰かを守りたいという綺麗事ではない。

何も守れない自分自身への、圧倒的なまでの憎悪。

それが、彼女の魂に強烈なエゴを産み落とした。

 

「この無力な私を、私自身が絶対に許さない……だから、全部ぶっ壊す」

 

その強烈な自己否定こそが、白波瑠璃という呪術師の「呪力のリミッター」を完全に破壊するトリガーだった。

限界まで圧縮された負の感情が、限界臨界点を突破する。

白い地獄の空間に、ピシリ、と亀裂が走った。

 

 パチン。

 

そして、少女の魂の奥底で。

 

一つの、小さな「泡」が弾けた。

 

 

 

 





バレ
サトーのメンチカツを買うために行列に並ぶ虎杖だったがなんと自分の前は真人だった
そしてそれに気づいた真人はまさに悪魔のような所業を思いつく

真人は自分の番で残存するメンチカツを全て買い占めるという蛮行に出る
絶望し苦悶の表情を浮かべる虎杖を見て真人はご満悦
しかし虎杖の後ろに並んでいるシムリア人達がブチギレして真人に文句を言い始め自体は大混乱へ

「なんだよ!!俺がガキみてぇじゃんか!!チクショー!!」
真人は買い占めたメンチカツを虎杖を含めた後ろのシムリア人に配ることに
買い占める為に使ったお金を損しただけの結果に終わった
瑠璃と宮國は幸せなキスをして終了

第二章で見たい内容

  • セクシー九十九との修行編
  • 夏映画・福岡分校編
  • メロンパンとの呪霊モンマスターの旅
  • ぼっち伏黒
  • 自由にやれ…呪詛師のように
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