泡沫浄瑠璃:秤金次の同級生が呪われて死ぬまでの話   作:天狗猿

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ドゥーラ…俺はどうしたら…
元々は人妻NTR絵師だったのにいつの間にか小説ばっかり書いている…



拾陸:宴のあと(二〇一七年、十二月末)

 

 

新宿と京都を舞台に未曾有の被害を出した「百鬼夜行」から、数日が経過していた。

特級呪詛師・夏油傑の死亡と、彼に連なる一派の壊滅により、事態は一応の終息を見た。

だが、呪術界という巨大な組織機構において、「戦いの終わり」は「政治の始まり」を意味する。

 

東京都立呪術高等専門学校。

 

その最深部に位置する、陽の光さえ届かぬ地下回廊。

そこに、重厚な木扉で閉ざされた「査問室」が存在する。

 

そこは、呪術界の行政機関である「総監部」──すなわち、旧態依然とした保守派の老人たちが、生殺与奪の権を握り、見えざる糸で術師たちを操るための玉座であった。

 

「……以上が、京都・伏見稲荷における防衛戦の顛末である……宮國蓮準一級術師の殉職は、誠に遺憾の極みと言わざるを得ない」

 

査問室に響くのは、感情の温度が完全に欠落した、皺枯れた老人の声だった。

御簾(みす)の向こう側、姿は見えないが、重圧を伴う「視線」だけが、冷たく降り注いでいる。

 

部屋の中央。

 

パイプ椅子に並んで座らされているのは、秤金次、星綺羅羅、そして白波瑠璃の三人だった。

 

瑠璃は、焦点の合わない虚ろな瞳で、自身の膝に置かれた両手を見つめていた。

 

反転術式によって再生されたその手は、ひどく白く、傷一つない。

だが、彼女の魂は未だに伏見稲荷の泥濘と、宮國の冷たくなっていく体温の中に置き去りにされたままだ。

 

宮國蓮の死。

 

その事実を咀嚼するには、数日という時間はあまりにも短すぎた。

 

「しかし、特級呪詛師・夏油傑の手駒であった『汨羅愛裏』の討伐、並びに特級仮想怨霊の祓除。これらの功績は、高く評価されるべきである」

 

別の老人の声が続く。

その口調は、戦場で血を流した者への労いというよりは、優秀な猟犬を撫でる主人のそれだった。

 

「よって、総監部は君たち三名の働きを鑑み、特例として『一級呪術師への特別推薦』を承認する方向で調整に入った」

 

「……は?」

 

沈黙を破ったのは、腕を組み、不機嫌そうに足を組んでいた秤金次だった。

彼は老け顔に刻まれた三本線の眉をピクリと動かし、御簾の向こうを睨みつけた。

 

「一級推薦、だと? 誰がそんなもん頼んだよ」

 

「……言葉を慎め、秤金次。これは上層部からの特例中の特例である。君のような、呪術の伝統を汚す賭博遊技(パチンコ)などという低俗な術式の使い手が、一級に推挙されるなど、本来あり得ないことなのだからな」

 

老人の声に、明らかな侮蔑の色が混じる。

 

「だが、結果は結果だ。我々は寛大である。君の実力『だけ』は、仕方なく認めてやろうということだ」

 

「……ちょっと待ってよ」

 

秤の隣で、星綺羅羅がスッと手を挙げた。

彼女の南十字座のピアスが、冷たい照明を反射して光る。

 

「その『推薦』って、誰が出したの? アタシたち、担任の日下部先生からは何も聞いてないけど」

 

御簾の奥で、微かな衣擦れの音がした。

 

「……推薦者は、御三家の一つ、禪院家より出ている」

 

「禪院、だと……?」

 

秤の目が細められる。

瑠璃の虚ろな瞳に、一瞬だけ鋭い光が宿った。

 

(……禪院、甚壱。あの時、伏見稲荷の正面防衛を放棄して、淀川で自分の「身内」を殺しに行っていた男……)

 

瑠璃は理解した。

これは、善意の推薦などではない。

禪院家が、身内の失態を誤魔化すため、そして「禪院家の汚点」であった愛裏を処理した自分たちに「借り」を作るために、この推薦を裏で通したのだ。

 

総監部もまた、宮國という犠牲を利用し、若い術師たちを「一級」という餌で自分たちの管理下に縛り付けようとしている。

 

 

「……ざけんじゃねえぞ」

 

 

秤の低い声が、地を這うように響いた。

彼はゆっくりと立ち上がり、パイプ椅子を蹴り飛ばした。ガシャン、と不快な金属音が室内に響く。 

 

「金ちゃん……」

 

綺羅羅が止める間もなく、秤は御簾へと歩み寄った。

 

「仲間が死んだんだぞ。宮國(あいつ)は、テメェらみたいな腐ったジジイの尻拭いをして、命を落としたんだ」

 

「秤金次。それが目上の者に対する口のきき方か」

 

「目上だぁ? 笑わせんな。テメェら、俺たちが京都で血みどろに何やってんだよ? あ゛ぁ゛っ!?」

 

秤の全身から、ヤスリのようにザラついた、暴力的な呪力が噴き上がり始める。

 

「それを……なんだ? 『仕方なく認めてやろう』だ? 『一級にしてやる』だ? 仲間の命に糞かけて出世しろってか?テメェらは呪術師でも呪詛師でもねえ……」

 

「犬以下だ」

 

「無礼な! 控えおろう、小童が!」

 

御簾の奥から、怒声と共に強力な呪力が放たれる。

しかし、秤は歩みを止めない。

 

「俺は、俺の『熱』で生きてる。テメェらみたいな、仇の冷え切ったジジイ共の愛玩動物オモチャになるつもりはねぇよ!!」

 

 バゴォォンッ!!!

 

地下の査問室に、爆発のような轟音が木霊した。

呪術界の重鎮たちを外界から隔てていた神聖な御簾と、重厚な障子が、秤金次の放った純粋な暴力によって木端微塵に粉砕される。

 

「ひぃっ……!?」

 

粉塵と木片が舞い散る中、姿を現したのは、しわくちゃな顔を恐怖に引き攣らせた数名の老人たちだった。

彼らは呪術界という巨大なシステムの脳であり、安全な暗がりから「駒」を動かす盤上の絶対者である。

自分が直接殴られるなどという物理的な危機は、何十年も前に忘却の彼方へ追いやってきた連中だ。

 

「き、貴様……! 自分が何をしているか分かっているのか!? 総監部への反逆は、呪術界そのものへの──」

 

「うるせぇよ、腐れ蜜柑」

 

秤は、ヤスリをかけたようなザラついた呪力を全身から立ち昇らせながら、最も偉そうにふんぞり返っていた老人の胸ぐらを掴み、軽々と吊り上げた。

 

「テメェらの言う『特例』ってのは、あのヒゲズラの野郎がやらかした失態(ケツフキ)隠蔽代(チップ)だろ? それを、さも自分たちの慈悲みたいに恩着せがましく押し付けてきやがって」

 

秤の瞳には、パチンコで全財産を賭ける時のような、底冷えする狂気が宿っていた。

 

「俺たちは、テメェらに飼われている犬じゃねぇ。俺の『熱』は、テメェらのちっぽけな天秤(スケール)じゃ計れねぇんだよ」

 

「……っ、護衛! 何をしている、この狂狗を捕らえろッ!」

 

別の老人がヒステリックに叫ぶと同時、査問室の四隅に同化していた隠し扉が開き、黒い装束を纏った総監部直属の護衛術師たちが一斉になだれ込んできた。

その数、十名。いずれも二級以上の実力を持つ、感情を殺した「処理部隊」だ。

 

「金ちゃんをワンちゃん扱いとか、そこはセンスあるね」

 

溜息と共に、星綺羅羅がしなやかにステップを踏んだ。

 

「★Acrux(アクルックス)から★Ginan(ギナン)へ……順路変更(ルートチェンジ)!」

 

綺羅羅が両手で飛び掛ってきた術師たちに触れる。

 

術式『星間飛行(ラヴランデヴー)』。

 

飛び掛かってきた二人の護衛に星座のマーキングが施される。

見えない引力と斥力の法則が、護衛たちの空間認識を無茶苦茶に狂わせる。

 

「なっ……体が、勝手に……!」

 

二人の護衛が、互いの意図とは無関係に猛烈な速度で弾き飛ばされ、壁に激突して頭蓋を割った。

 

「オラァッ!!」

 

秤は吊り上げていた老人をゴミのように放り投げると、殺到する護衛たちに向けて拳を振り抜いた。

彼の打撃は、触れた箇所から相手の呪力防御を削り取る。

防御の上からでも激痛をもたらすその「ザラついた呪力」は、規律正しく動く護衛たちの陣形を、単なる暴力の嵐で蹂躙していく。

 

骨が砕け、血飛沫が舞う。

 

 

本来、この査問会は、若く危険な才能を「一級」という権威で首輪を繋ぎ、彼らの『獣性』を総監部の管理下に置くための冷徹な儀式であった。

 

だが、老人たちは致命的な見誤りをしていた。

秤金次という男が、権威や大義といった「冷めた条件」では決して動かない、純粋な『熱』の獣であることを。

 

乱戦の最中。

 

パイプ椅子がひっくり返り、護衛の術師が血を吐きながら床を転がる。

その血飛沫が、部屋の中央で立ち尽くしていた白波瑠璃の頬に、べっとりと跳ねた。

 

「……」

 

だが、瑠璃は瞬き一つしなかった。

目の前で仲間たちが呪術界の禁忌(タブー)を犯し、暴れ回っているというのに、彼女の瞳は深海のように暗く、凪いでいた。

その光景は、彼女にとって完全に「色のない映画」のように見えていた。

 

(……宮國さんなら、こういう時、どうしたんだろうな)

 

瑠璃の心の中は、恐ろしいほどの空虚だった。

彼女の魂は、反転術式で肉体を繋ぎ止めたあの瞬間から、どこか現実から剥離してしまっていたのだ。

 

「ぐわぁっ!」

 

秤の蹴りを受けて吹き飛んだ護衛の一人が、瑠璃の足元に転がってきた。

男は苦痛に顔を歪めながら、瑠璃を巻き添えにすべく呪具のナイフを振り上げようとした。

 

「瑠璃ちゃんッ!」

 

綺羅羅が叫ぶ。

しかし、瑠璃は避ける素振りすら見せない。

 

彼女はただ、無表情のまま右足を持ち上げ、男の顔面を一切の感情を交えずに踏み砕こうとした。

瑠璃の足裏には、微細な『泡』が圧縮され、チリチリと青い火花を散らしている。

もし踏み抜けば、男の頭蓋は真空破砕によって跡形もなく消し飛ぶ。

 

「白波、やめとけ」

 

直前で、一人の男が瑠璃の足と護衛の間に割って入り、刀の鞘で彼女の踵を受け止めた。

 

「……日下部、先生」

 

瑠璃が視線を落とすと、そこにはよれよれのトレンチコートを羽織り、口に棒付きキャンディを咥えた二年の担任・日下部篤也の姿があった。

彼は騒動の知らせを聞きつけ、面倒臭そうに頭を掻きながらも急いで査問室へ駆けつけてきたのだ。

 

「それ以上やったら、俺じゃ庇えなくなる…こいつらは、もう戦意喪失だ」

 

日下部は、足元の護衛を一瞥して言った。

彼の言葉通り、護衛たちは皆、呻き声を上げて床に伏し、立ち上がる者は一人もいなかった。

 

「日下部……! 貴様、今の暴挙を見ていたな! このような狂犬どもを飼い慣らすこともできんとは、高専の教師として恥を知れ!」 

 

部屋の隅で縮こまっていた総監部の老人が、日下部を盾にするようにしてヒステリックに怒鳴り散らした。

 

「いやぁ、ウチの生徒がご迷惑おかけして面目ない。まったく、最近の若い奴は血の気が多くて困りますわ」

 

日下部は、キャンディを口の中で転がしながら、のらりくらりと老人の怒りをかわす。

その態度は、激昂する上層部を小馬鹿にしているようにも、面倒事から適当に逃げようとしているようにも見えた。

 

「貴様……! このような失態、ただで済むと思っているのか!」

 

「いやいや、ちゃんと始末書は書きますから……それに、こいつらだって『百鬼夜行』で命張って戦ってきたんです。冷静な判断ができなかったんじゃないんですかね?」

 

日下部の言葉には、どこか冷めた、しかし確かな生徒への優しさが含まれていた。

彼は本質的に臆病で、面倒事を何よりも嫌う。

だが、死線を超えてきた生徒たちを、安全な場所から見下して駒として扱うこの老人たちのやり方に、彼なりの不満を抱いていたのは事実だった。

 

「……フン。これ以上、貴様と話すことはない……早々に立ち去れ。沙汰は追って下す」

 

老人は、これ以上は自身の権威に傷がつくのを恐れたのか、吐き捨てるようにそう言った。

日下部は「はいはい」と軽く手を振ると、生徒たちに向き直った。

 

「ほら、帰るぞ……お前ら、やりすぎだ」

 

日下部の言葉に、秤は鼻で笑った。

査問室は、完全な廃墟と化していた。

壁は穿たれ、高価な調度品は砕け散り、総監部の老人たちは部屋の隅で身を寄せ合いながら、恐怖と屈辱に震えている。

 

「秤金次……こんなことをして、ただで済むと思うなよ……! 呪術界に、貴様の居場所など……!」

 

「居場所だぁ?」

 

秤は、肩についた埃を払いながら、心底つまらなそうに鼻を鳴らした。

 

「最初から、んなもん期待してねぇよ。テメェらが俺たちを利用しようってんなら、俺は俺のやり方で、『熱』を全部かっさらうだけだ」

 

秤は自身の学生証をポケットから取り出すと、老人たちの足元へと無造作に投げ捨てた。

プラスチックのカードが、血溜まりの上に乾いた音を立てて落ちる。

 

「俺は降りる。飼い犬になっても、負け犬にまで堕ちたつもりはねぇからな」

 

「アタシも、アンタらみたいなカビの生えた連中の下で働くのは、もうウンザリ」

 

綺羅羅もまた、あっけらかんとした口調で同意し、秤の背中に寄り添った。

それは、呪術高専という「正規のルート」からの、完全な決別宣言だった。

日下部は止めることなく、ただその光景を黙って見つめていた。

彼には、秤の「熱」を止める権利も、引き留める言葉も持ち合わせていない。

 

「行くぞ、綺羅羅……瑠璃、お前も来い」

 

秤が顎で促す。

瑠璃は、血塗れの顔のまま、ゆっくりと首を横に振った。

 

「……私は」

 

瑠璃の声は、ひどく掠れていた。

 

「私は……ここに、残ります」

 

「あ?」

 

秤が眉をひそめる。

 

「お前、あんな理不尽な目に遭って、宮國を死なせた連中の下にまだ尻尾を振るつもりか?」

 

「違います」

 

瑠璃は、焦点の合わない瞳で、ただ虚空を見つめていた。

 

「私は……まだ…きっと…壊し足りないから」

 

その言葉には、一切の熱がなかった。

ただ、冷たく、どこまでも沈み込んでいくような絶対的な「空虚」。

宮國から遺された『運命(呪い)に抗え』という呪縛。

それを全うするためには、この呪いの中心地(システム)の内部にいなければならないという、彼女なりの理屈だった。

秤は、瑠璃のその「目」を見て、少しだけ表情を硬くした。

それは、ギャンブラーが絶対に手を出してはいけない、破滅だけを求めてテーブルに座る人間の目だったからだ。

 

「……そうかよ。勝手にしろ」

 

秤は短く吐き捨てると、背を向けた。

 

「でもな、瑠璃。お前の中の『熱』が冷めちまった時は…俺の所に来い。いつでも、熱くさせてやっからよ」

 

「……」

 

瑠璃は答えなかった。

秤金次と星綺羅羅は、崩れ落ちた扉の向こう、僅かに光の射す地下回廊へと去っていった。

その後ろ姿が闇に溶けて消えるのを、瑠璃はただ暗い査問室の中、静かに見送った。

 

 

 

 

 

 

査問室での騒動から数時間後。

東京都立呪術高等専門学校の最下層に位置する、死を管理する場所──霊安室。

消毒液と線香の香りが混ざり合う、凍てつくように冷たいその空間に、二人の人影があった。

 

「……随分と派手にやったらしいじゃないの」

 

白衣のポケットに両手を突っ込み、目元の深い隈を指でなぞりながら、家入硝子が呆れたように口を開いた。

 

彼女の視線の先には、反転術式による過剰な治癒の代償か、あるいは単に絶望のせいか、幽鬼のように青白い顔をした瑠璃が立っている。

 

「心配しなくても、あの二人は五条が上層部に掛け合って、停学だけで済んでるよ」

 

家入の言葉は、淡々とした事実の羅列だった。

本来であれば、総監部への直接的な暴行と反逆は、呪術界からの永久追放、最悪の場合は秘匿死刑すら免れない大罪である。

それを「無期限の停学」という形にねじ曲げたのは、五条悟という現代最強の術師が持つ特権的暴力(プレッシャー)の賜物だった。

 

「……そうですか」

 

瑠璃の返事は、どこか遠くから響いてくるように虚ろだった。

秤と綺羅羅がどうなったかという事実は、今の彼女の心には一切の波風も立てない。

彼女の視線は、部屋の中央に置かれた、冷たいステンレスの台に乗せられた黒い遺体袋にだけ注がれていた。

 

「……先生。私も、反転術式、使えるようになりました」

 

瑠璃は、自らの両手を見つめながら、ポツリと呟いた。

 

あの時、自分の体を真っ二つに切断し、細胞を一から編み直した。

その治癒の規模と速度だけを見れば、現代最強・五条悟や麒麟児・秤金次、あるいは家入自身すらも凌駕するほどのデタラメな出力だった。

 

それだけの奇跡を使えるようになった。

それなのに。

 

「……私以外、誰も治せない。私だけが、私を直せるだけ……何の役にも、立たなかった」

 

「そっか……」

 

家入の返事は、残酷なほどに冷めていた。

その態度は、学生時代、同じように反転術式という「奇跡」を手にし、誰かを救えるという全能感に満ちていた頃の自分への自嘲でもあった。

 

(……反転術式なんて、万能じゃない。死んだら治せないし、壊れた心も治せない)

 

かつて、大量の非術師を呪殺した親友・夏油傑。

彼を止められず、五条に連絡することしかできなかったあの新宿のタバコスペースでの無力感。

 

そして先日、その五条がその手で夏油を殺した。

家入は、夏油の遺体を解剖に回すことを、五条の感情を汲んで見逃した。

それが呪術医としての職務放棄だと分かっていても、かつての親友をメスで切り刻むことなど、彼にも、彼女自身にも耐えられなかったからだ。

 

多くの仲間の死を見送ってきた家入にとって、この冷めた態度は、自らの精神が崩壊するのを防ぐための防衛機能(コーピング)だった。

 

「……本当に見るの?」

 

家入が、遺体袋のジッパーに手を掛けながら問う。

 

「……はい。私も、前に進まないといけないから」

 

瑠璃の声は震えていた。

だが、その瞳には、彼が遺した呪いと向き合うという強迫観念めいた意志が宿っている。

 

「じゃあ、私は止めないよ」

 

ジィィィ、と、重い音が霊安室に響く。

袋が開かれた。

そこには、家入の手によって生前と変わらない形に整えられた、宮國蓮の遺体が横たわっていた。

致命傷だった胸の傷は綺麗に縫合され、顔の汚れも拭き取られている。

ただ、その肌は雪のように白く、ハイライトのない瞳は永遠に閉じられたままだ。

 

瑠璃の呼吸が、ヒュッ、と止まる。

 

その時。

 

重い霊安室の扉が、ゆっくりと開かれた。

 

「あぁ……ようやく来たか」

 

家入が、短く息を吐いて扉の方へ視線を向ける。

そこに入ってきたのは、お団子結びをしたツインテールのような髪型が特徴的な、一人の女性だった。

 

宮國蓮の姉、宮國睡蓮。

 

彼女の顔立ちは宮國蓮に似て、どこか人間離れした、静謐な冷たさを漂わせている。

 

「……あなたが、白波瑠璃さんだね」

 

睡蓮は、瑠璃の前に立つと、静かに、しかし確かな感情を込めて頭を下げた。

 

「弟の最期を看取ってくれて、ありがとう。あの子から、あなたの話は少しだけ聞いていたよ」

 

「……お姉、さん」

 

睡蓮は、眠るような弟の顔を見下ろした。

その瞳には、悲しみというよりも、どこか遠い記憶を懐かしむような穏やかさがあった。

 

「いつかはこういう日が来ることは分かっていたよ……でも、なんでだろうね。互いにあまり話したいと思わなかったんだ」

 

睡蓮は、瑠璃の方へと視線を戻す。

 

「あいつの生き様は、あいつが決めたこと……それに伴う結果も含めてすべてあいつの人生だ。最期に好きな女に抱かれて死ねたんだ。男として、これ以上の死に様はないだろうね……あなたは、自分を責める必要はないよ」

 

その言葉は、どこか宮國と似た命を達観したような、俯瞰した響きを持っていた。

睡蓮は家入の方を向き、小さく頷いた。

 

「少し、彼女を一人にしてあげようか」

 

「そうだね。私らは、先に出ておくよ」

 

家入は白衣のポケットから、小さな何かを取り出し、瑠璃へと差し出した。

 

「私たちは先にもう出るからこれは渡しておくよ」

 

瑠璃が震える手で伸ばすと、手のひらにコロンと、銀色の小さなピアスが転がり落ちた。

宮國がいつも身につけていた、あのピアスだ。

ただそれだけが、瑠璃の手元に残されていた。

 

家入と睡蓮が、静かに霊安室から退室していく。

重い扉が閉まり、瑠璃は完全に一人になった。

 

冷たいステンレスの台。

目の前には、生前と全く変わらない、けれど絶対に目を覚ますことのない宮國の遺体。

 

高専で共に過ごした日々、彼から手渡された本、彼との会話、そして、最期に唇に残した、鉄錆のような死の味。

 

「宮國さん……私、明日から頑張るよ」

 

瑠璃は、誰に聞かせるでもなく、虚空に向かって呟いた。

そして、宮國の冷たい胸に顔を埋め、彼の残したピアスを強く、強く握りしめた。

 

「だから…ッ…ごめん…なさい……今、は…赦して……ッ」

 

決壊したダムのように、涙が溢れ出す。

声にならない嗚咽が、冷たい霊安室の壁に反響し、孤独な少女の悲鳴となって響き渡った。

 

 

霊安室の外、薄暗い地下回廊。

家入硝子と宮國睡蓮は、扉から漏れ聞こえる瑠璃の嗚咽を背にしながら、冷たいコンクリートの壁にもたれかかっていた。

 

「……タバコ、もらえますか」

 

睡蓮が、ぽつりと口を開く。

 

「君、未成年だろ」

 

「硝子さんも、学生時代吸ってましたよね?」

 

家入は、フッと短く笑い、呆れたようにため息をついた。

彼女は白衣のポケットから煙草の箱を取り出し、一本を睡蓮の口に咥えさせ、自身のジッポライターで火を点けた。

シュボッ、という小さな音と共に、赤い火種が灯る。

睡蓮は、慣れない手つきで深く煙を吸い込み、そして、むせることもなく静かに紫煙を吐き出した。

揺れる煙が、地下の冷たい空気に溶けていく。

数秒の、重い沈黙。

扉の向こうからは、まだ少女の泣き声が聞こえている。

 

「……やっぱり」

 

睡蓮は、短くなった煙草を指先で弄りながら、感情の読めない声で呟いた。

 

「あいつはクソ野郎でした……女を泣かせるような男は、クソです」

 

その言葉は、弟への最大の賛辞であり、そして、彼がいなくなった世界に対する、姉としての精一杯の呪いだった。

 

 

 




宮國蓮
────────────
年齢      18歳(享年)
身長      177cmくらい
体重      60kg以上
所属      東京都立呪術高等専門学校三年
高専入学方法  スカウト
等級      準一級
趣味・特技   読書、粉のポカリを上手く作れる
好きな食べ物  コーヒー、蕎麦
苦手な食べ物  お汁粉
ストレス   元カノからの鬼電
一人称     「俺」
イメージソング Tears For Fears 『Mad World』
        サカナクション 『グッドバイ』
生得術式    墨糸操法

第二章で見たい内容

  • セクシー九十九との修行編
  • 夏映画・福岡分校編
  • メロンパンとの呪霊モンマスターの旅
  • ぼっち伏黒
  • 自由にやれ…呪詛師のように
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