泡沫浄瑠璃:秤金次の同級生が呪われて死ぬまでの話 作:天狗猿
モジューロ…あなたのこと嫌いじゃない
…でもマコちゃんとダブーラの勝負不完全燃焼で終わらせるの悲しい
東京都立呪術高等専門学校の最深部に位置する、特別遺体安置所。
ここは身元不明の呪霊被害者や、特級指定を受けた危険な術師の亡骸を一時的に保管するための、いわば呪術界の最暗部である。
防腐剤のケミカルな刺激臭と、オゾン発生器が放つ無機質で微かな稼働音が漂う氷点下の空間に、一人の女が立っていた。
臨床呪心師、九条薫。
彼女は、ステンレス製の冷たい解剖台に横たわる一つの遺体を見下ろし、白衣のポケットから取り出した医療用のメスとピンセットを、指先で弄っていた。
遺体は、右腕を肩から根こそぎ失った長髪の男──特級呪詛師、夏油傑である。
「……ふふっ、あははは」
九条は、誰に聞かせるでもなく、肩を震わせて静かに笑った。
彼女の指先が、自身の額に無骨に縫い付けられた「縫合糸」に触れる。それは通常の手術で施されるような医療的な処置ではなく、呪術的な『縛り』を伴う異様な傷跡だった。
「ご苦労だったね、夏油くん。高専時代……あの悩み多き時期に、君のカウンセリングを担当させてもらえたのは、私にとっても非常に有意義な時間だったよ」
九条の口から、冷酷な真実が語られる。
夏油傑の闇堕ち。
それは彼自身の葛藤と絶望の果てに起きた悲劇ではある。
だが、その裏で彼の精神的な綻びに巧みに付け入り、破滅の道へと緩やかに誘導していた「観測者」が存在していたのだ。
「大昔に、天元と同化するはずだった星漿体を消すために盤星教の理念を歪め、種を蒔いておいたことが……巡り巡って、こんな最高の結果に繋がるなんてね。いやはや、人生……長生きはしてみるものだ」
九条は、悠久の過去を懐かしむように目を細め、悦楽に浸った。
「目標のためには色々と動いてきたけれど、過去の努力が思わぬ好事に転じてパズルのピースが完璧に組み合わさることが…こんなにも嬉しいなんて思わなかったよ」
千年以上前から、天元の進化を促すために星漿体の暗殺を企て、盤星教を操り、伏黒甚爾というイレギュラーを引き寄せた。
そして今度は、呪霊操術という天賦の才を持つ夏油傑の肉体を奪うために、彼の孤独を深め、死へと導いた。
すべては、彼女───否、『■■』が描く、壮大で狂気的な計画の一部に過ぎなかったのだ。
「さて……この
九条は、手に持っていたピンセットを使い、自身の額に縫い付けられた黒い糸を、一本、また一本と引き抜いていく。
プチッ…プチッ…
皮膚を突き破り、糸が引き抜かれる乾いた音が、霊安室の静寂に響く。
糸がすべて抜かれた瞬間。
カパァッ……
九条の頭蓋が、蝶番のついた箱のように不自然な音を立てて上に開いた。
そこに人間の脳の姿はなく、代わりに、白い歯を剥き出しにした毒々しい赤桃色の「脳」
───■■の本体が、ドクン、ドクンと悍ましい律動で脈打っていた。
■■は、機能停止しつつある九条の肉体を操作し、銀色に光るメスを夏油の頭部へと滑らせる。
一切の無駄がない、洗練された手つきで頭蓋を切り開き、自身の本体である「脳」を、夏油の空っぽの頭蓋へと移植していく。
そして、夏油の額に再び、自身の存在を世界に繋ぎ止める呪術的な縛りである「縫合糸」を施した。
「さあ…起きろ『夏油傑』」
縫合を終えた直後。
死後硬直が始まっていたはずの遺体の指先が微かに痙攣し、堅く閉ざされていた夏油の瞳が、ゆっくりと見開かれた。
その瞳に宿っているのは、もはやかつての理想に殉じた青年の悲哀ではない。未知への果てしない探求心と、どす黒い好奇心だけが底光りしていた。
*
査問会での秤と綺羅羅の乱闘騒動、そして二人の無期限停学という結末を経て、東京都立呪術高等専門学校の二年生は、白波瑠璃ただ一人となった。
先輩である三年生は元より停学中であり、宮國蓮という唯一の道標も失われた今、高専の「上級生」として稼働できるのは、実質的に彼女だけという異常事態に陥っていた。
その状況を、呪術界という巨大な機械の歯車を回す上層部が利用しないはずがなかった。
査問会の翌日から、瑠璃には嫌がらせのように過酷な呪霊討伐任務が昼夜を問わず次々と課された。
それは、彼女の「一級推薦」に対する見返りの要求であると同時に、危険な思想に傾きかねない空虚な少女を、終わりのない実務の歯車に組み込むことで、思考する暇を奪おうという総監部特有の陰湿で冷徹な管理術だった。
だが、瑠璃は一切の文句を言わなかった。
睡眠時間を極限まで削り、反転術式で脳髄と肉体の疲労を強制的に回復させながら、ただ黙々と、血まみれの機械のように呪霊を狩り続けた。
休めば、宮國の冷たい感触を思い出してしまう。
立ち止まれば、自分の中の底なしの空虚に飲み込まれて、完全に壊れてしまいそうだったからだ。
───二〇一八年、一月。
凍てつくような寒波が東京の街を覆い尽くした深夜。
その邂逅は、新宿区の外れに位置する、建設途中で放棄された廃ビルで、準一級相当の呪霊を単独で祓除した直後のことだった。
「……これで、終わり」
返り血で汚れ、指定の制服をボロボロにした瑠璃が、冷え切ったコンクリートの床に座り込んで荒い息を整えていた。
周囲には、先ほどまで彼女が殺し合っていた異形の呪霊の残骸が、紫色の煙となって大気中に溶けていく。
吐く息は白く、防寒具を持たない彼女の体温は本来ならとっくに奪われているはずだが、微弱に回し続けている反転術式が彼女の生命活動を強引に維持していた。
その時。
静寂に包まれた廃ビルに、不釣り合いなほど明るく、そして力強い足音が響いた。
「随分と働き者じゃないか、白波瑠璃」
声のした方を振り向くと、鉄骨の隙間から差し込む月明かりを背にして、長身の女性が立っていた。
季節外れの腹が露出したノースリーブのシャツに、赤いカーゴパンツ。そのスタイル抜群の身体から発せられているのは、隠そうともしない、空間を軋ませるほどの圧倒的で特級の呪力。
「……あなたは」
瑠璃は床に座ったまま、警戒の視線を向ける。
「初めまして。ただ世界から呪霊をなくしたいだけのしがない美女さ。さて、早速質問だが、どんな男がタイ───」
女がサングラスを額に押し上げ、ざっくばらんな笑みを浮かべて言葉を紡ぎかけた、その瞬間だった。
ドンッッ!!
瑠璃の姿が、呪霊の残骸の中から文字通り「消えた」。
足裏に極限圧縮した呪力の泡───『
対象が何者であれ、この精神状態の彼女に不用意に近づくのは自殺行為に等しい。
刹那の間に女の眼前へと肉薄した瑠璃は、一切の躊躇なく、右拳に殺傷的負圧の泡を纏わせ、女の顔面めがけて全力の『柘榴』を放った。
ゴォォォォォォンッ!!!
衝撃波が炸裂し、女が立っていた背後の極太のコンクリート柱が、原型を留めぬほどに粉砕され、鉄筋がひしゃげて吹き飛ぶ。
だが───瑠璃の拳には、肉を砕く感触はなかった。
「……こっわ。最近の若い子は血の気が多いねぇ」
背後から聞こえた呑気な声に、瑠璃は息を呑んだ。
(……この人、すごく速い。私の全力の拳が、かすりもしなかった……!)
打撃が当たる直前、女は全く力みを感じさせない動作でその軌道を躱し、いつの間にか瑠璃の死角へと回り込んでいたのだ。
だが瑠璃は、驚愕を一切おくびにも出さず、ゆっくりと振り向いた。
そこには、何事もなかったかのように腕を組んで立つ女の姿があった。
「一つ。知らない人で私の名前を知っている人は、不審者だと学校で教わりました」
瑠璃は、冷たく淀んだ、すべてを拒絶するような瞳で女を射抜く。
「二つ。私の好きなタイプについては話したくありません。……初対面でそんなことを聞くなんて、不愉快です。以上の二つの理由だけでも、あなたの印象は最低です」
「ははっ、手厳しいね。いきなり顔面に致死の攻撃って……君、家入からはもう少し大人しい性格って聞いてたんだけど」
女は苦笑しながら、両手を軽く挙げて敵意がないことを示した。
「自己紹介が遅れたね。私は九十九由基。君がついこの間戦った夏油くんと同じ、『特級呪術師』の一人さ」
「あなたが……」
瑠璃は構えを解かず、脳内の記憶を探った。
かつて医務室で、家入硝子から聞いた話が蘇る。
特級のくせに世界を放浪し、任務を全く受けないろくでなし。
だが同時に、呪術という概念そのものを研究している、専門家の一人であると。
「君の活躍は聞いているよ。……少し、座って話そうか」
九十九は、コンクリートの瓦礫の上に腰を下ろし、瑠璃の空っぽな瞳を覗き込んだ。
「君が伏見稲荷で戦った相手……汨羅愛裏。彼女の術式『堕靡泥外法』について、私は以前から目をつけていてね」
その名前に、瑠璃の肩がピクリと反応する。
汨羅愛裏。
自分から宮國を奪い、その尊厳を泥で汚そうとした憎き敵。最後には瑠璃が自らの生得術式『泡沫塞釈』を最大出力で解放し、肉塊へと変えた狂気の少女。
「人類から呪力をなくす方法……その一つのアプローチとして、私は彼女に『スカウト』の声をかけたことがあるんだよ」
「……呪力をなくす?スカウト?あの、泥女を?」
瑠璃の声に、明確な敵意と不快感が混じる。
「ああ。彼女の術式は、単に死体を泥で操るだけじゃない。生者の脳に干渉し、その認知を書き換えるという、極めて稀有な特性を持っていた。もしあの泥の性質を応用し、人間の脳構造を『呪力を発現させない形』に書き換えることができれば……そう考えたんだ」
九十九の言葉は、冷徹な研究者としてのそれだった。
善悪や倫理ではなく、ただ「呪霊のいない世界」という目的のための「最適解」を探る目。
「禪院家に捨てられた直後の彼女に声をかけたんだけど、フラれてしまってね。結果的に、彼女は夏油くんという『呪術師だけの世界』を夢見る男に惹かれていった……まぁ、そこはいい。私が君の前に現れた本題は、そこじゃない」
九十九は立ち上がり、瑠璃を見下ろした。
その瞳には、人類の次なるステージ──『呪力からの脱却』を見据える、強い光が宿っている。
「君、私の『仲間』にならないか?」
「……仲間?」
「そうだ。私は今、ある目的のために仲間集めをしていてね。君にも私に力を貸してほしい。君も、そうやって上層部に飼われて、いつまでも対処療法で呪霊を狩り続ける毎日は、もうウンザリだろ? だから私と一緒に、呪いのない世界を作るため───」
「お断りします」
瑠璃は、九十九の言葉を冷ややかに、しかし絶対に揺るがない意志で遮った。
「え?」
「私は、誰かの崇高な理想にも、呪霊のいない世界にも興味ありません」
瑠璃は、自らの血に塗れた手を見つめる。
大切な人を喪い、何もできなかった自分。
その間違いを生んだのは無力な自分なのか、それとも歪んだ世界なのか。
「何も出来ないのは、もう嫌なんです……私はただ、生きる限り呪いを、そしてこの忌まわしい世界を屠り続ける……それが私の存在証明。仲間なんて……いらない」
瑠璃はそう言い残し、踵を返して廃ビルから立ち去ろうとした。
『自由に生きなさい』という母の呪縛。
『君の心臓が息の根を止める、その最後の瞬間まで。運命という名の呪いに、中指を立て続けろ』という、宮國の遺言。
孤独なまま、誰とも交わらず、自分自身をすり減らしてでも、運命に抗い続ける。
それが、彼女が宮國と交わした最期の約束だったからだ。
「そうか、それなら仕方ない。……でも、最後に良いことを教えてあげよう」
九十九の声が、去り行く瑠璃の背中に投げかけられた。
「───汨羅愛裏は、まだ生きているかもしれない」
ピタリと、瑠璃の足が止まった。
全身の血液が逆流し、沸騰するような感覚が、彼女の脳髄を貫いた。
「……生きている? ありえません。彼女は、私がこの手で殺した。グチャグチャの肉塊に変えたんです」
「物理的にはね。だが、彼女は特級に片足を突っ込んだ呪詛師だ。特級の残骸を舐めてはいけない」
九十九は、先ほどまでの軽薄な笑みを消し、真剣な表情で告げた。
「百鬼夜行の翌日。高専の遺体安置所に保管されるはずだった、夏油傑と……汨羅愛裏の遺体が、忽然と姿を消した」
「消えた……?」
「ああ。誰かが持ち去ったのか、あるいは、彼女自身が何らかの形で転生を果たし、夏油の遺体と共に逃げ去ったのか……総監部はその事実を完全に隠蔽しているが、私の情報網には引っかかってね」
「生きていると考える、それ以外の根拠は?」
「ないよ。でも、あの子の術式は死体を操る術式だ。なら、死後に『自分自身の死体』を操る技があっても、なんら不思議じゃない」
瑠璃の瞳の奥で、空虚の底で消えかかっていた極低温の炎が、再びメラメラと燃え上がり始めた。
愛裏が生きている。その可能性があるのだとしたら。
自分の目の前で宮國を嬲り、自分からすべてを奪ったあの泥の女が、まだこの世界のどこかで笑っているのだとしたら。
「……九十九さん」
瑠璃はゆっくりと振り返り、九十九を正面から見据えた。
その瞳には、かつての空っぽな空虚さはなく、代わりに、純粋で底知れぬ「殺意」と「飢餓感」が宿っていた。
「私は仲間になるつもりは、ありません……でも」
瑠璃は、血に濡れた己の拳を強く、爪が食い込むほどに握りしめた。
「私はもっと強くなりたい……強くならなきゃいけない。だから、私を圧倒的に強くするための『弟子』としてなら、あなたに付いていきます」
それは、呪い合う螺旋へと自ら身を投じる、修羅の決意だった。
愛裏という泥を、今度こそ完全にこの世から剥離し、消し去るために。
「運命に抗え」という呪いを、最も暴力的な形で世界に叩きつけるために。
「……弟子、弟子かぁ。私は、自分より年下の泥臭い男以外の弟子は取るつもりないんだけどなぁ」
九十九はわざとらしく肩をすくめてみせた。
「なら、私は勝手にあなたについていきます。あなたが諦めて、私を弟子にしてくれるまで」
瑠璃の絶対に退かない、という執念。
九十九は、瑠璃のその顔を見て、満足そうに笑みを深くした。
彼女は、この空っぽだった少女が、今まさに、世界を飲み込むほどの恐ろしい「獣」へと変貌しようとしているのを感じ取っていた。
「いいよ。それなら地獄の底まで付いてこいよ」
「……ええ、覚悟はできています『師匠』」
夜明け前の冷たい風が、二人の間を吹き抜ける。
こうして、白波瑠璃は特級呪術師・九十九由基という新たな師と共に、終わりのない呪いの螺旋へと足を踏み入れていくのだった。
*
東京都立呪術高等専門学校、最下層に位置する特別遺体安置所で目を覚ました特級呪詛師・夏油傑の肉体を乗っ取った『■■』が、ゆっくりと上体を起こした。
「……素晴らしい。呪霊操術の広大な
男は、自らの左手を握り、開き、その神経の伝達速度と筋繊維の応答を確かめるように、静かに微笑んだ。
次いで、彼の視線は自らの右肩へと落ちる。
そこには腕がない。
乙骨憂太と特級過呪怨霊・祈本里香が放った純愛の砲撃により、肩の関節窩から先が根こそぎ消し飛んでいたのだ。
「さて、まずは修復から始めようか」
男が静かに呪力を練り上げると、切断面からシュゥゥゥッという沸点を超えた高温の蒸気が噴き出した。
負と負のエネルギーを掛け合わせ、正のエネルギーを生み出す『反転術式』。
だが、その回復のプロセスは、白波瑠璃や家入硝子が扱うそれとは全く次元の異なるものだった。
■■の反転術式は、単なる細胞の強制増殖ではない。
それは呪術という概念を用いた、極めて緻密で無駄のない
切断された動脈と静脈が管を伸ばし、神経のネットワークが光ファイバーの如き精度で配線を終え、筋肉の繊維が鋼線のように精巧に編み上げられていく。
血肉を創り出すという神の御業を、彼は千年の経験則に基づく徹底した「効率」で実行していた。
わずか数秒の後。
そこには寸分の狂いもなく完全に再生された、夏油傑の屈強な右腕が存在していた。
「うん、悪くない。呪力の出力も、肉体との適合率も申し分ないね。これならすぐにでも───」
男が満足げに真新しい右腕を振り下ろそうとした、その時だった。
──グチュッ……ドロォ……
静寂に包まれた氷点下の安置所に、ひどく場違いな、粘着質の水音が響いた。
男が視線を向ける。それは、彼が横たわっていたすぐ隣の解剖台から聞こえていた。
そこには、汨羅愛裏の「残骸」が安置されていた。
白波瑠璃の『泡沫塞釈』による真空崩壊の直撃を受けたその死体は、四肢が完全に炭化し、首から上は頭蓋の半分以上が欠損している。
本来であれば、呪力はおろか細胞活動すら完全に停止しているはずの、単なる消し炭の塊だ。
だが。
その黒焦げの肉塊の中心、かろうじて残った心臓の裏側あたりから、どす黒い「泥」が不気味に脈打ちながら溢れ出していたのだ。
「おや……?」
男は、警戒するどころか、純粋な好奇心に目を細めた。
溢れ出した泥は、まるで明確な意志を持つアメーバのようにステンレスの台を這いずり、隣の台へとボタボタと滴り落ちていく。
そこには、百鬼夜行の巻き添えになり、検体として運び込まれていた身元不明の「幼女の遺体」を収めた黒い遺体袋が置かれていた。
泥は、遺体袋の僅かな隙間を見つけ出すと、蛇のように内部へと侵入していく。
ドクンッ……ドクンッ!!
次の瞬間、遺体袋全体が、内側から激しく脈打ち始めた。
心音ともつかない異様な律動が部屋に響き渡り、厚手の合成樹脂でできた袋の表面が、内側からの圧力でゴムのように引き伸ばされる。
「ほう。これは……」
ビリィィィッ!!
遺体袋が、内側から鋭い爪で無惨に引き裂かれた。
防腐液と泥が混ざった赤黒い粘液を撒き散らしながら、そこから身を起こしたのは――蛹から羽化する毒々しい蝶のように、真新しい肉体を手に入れた「愛裏」だった。
「ぷはっ!あ〜、死ぬかと思った。いや、実際一回死んだんだけどね!」
幼女の姿に成り代わった愛裏は、長い髪にこびりついた泥を鬱陶しそうに振り払いながら、ケラケラと底抜けに明るい笑い声を上げた。
その顔の造作は、かつての豊満な少女の面影を一切残していない。
だが、片目だけが異様に血走り、狂気的な色欲を湛えているそのアンバランスな表情は、間違いなく汨羅愛裏そのものだった。
「自死の縛りか……なるほど、実に面白いね。特級に片足を突っ込んでいたとはいえ、まさかここまで術式を昇華させていたとは」
男は、感嘆の声を漏らしながらくつくつと喉の奥で笑った。
『堕靡泥外法・極ノ番『
白波瑠璃の術式によって己の肉体が素粒子レベルで崩壊させられる直前、汨羅愛裏は自らの命を絶つ「自死の縛り」を代償に、極ノ番を完遂していた。
その効果は、自身の術式、記憶、そして魂という概念的情報のすべてを極限まで濃縮して「泥」へと溶かし込み、死後、最も近くにある遺体を新たな
肉体に対する異常なまでの執着と、死体を玩ぶことへの究極の愛を持つ彼女だからこそ到達できた、死の概念すらも泥で汚染し、ハッキングする狂気の術式である。
「うわ、びっくりした。先生、もう起きちゃったの?」
愛裏は、防腐液に濡れた全裸のまま解剖台の上に座り込み、隣で微笑む夏油の姿を見て小首を傾げた。
だが、彼女はすぐに動物のように鼻をヒクつかせ、その唯一残った狂気の目で、男を値踏みするように見つめる。
「……あれぇ? あなた、誰? 先生じゃないよね〜」
愛裏は、幼い足をプラプラと揺らしながら、まるで世間話でもするかのように指摘した。
「先生の匂いと、ちょっとだけ違うもん。なんかこう……もっと古くて、カビ臭いっていうか」
「おや」
男は、一切の動揺を見せず、むしろ観察対象への興味を深めたように口角を上げた。
「自分が死から蘇ったことよりも、私が本物の夏油傑ではないことに気付くとは……君は、私が誰なのか、驚かないのかい?」
「驚く? なんで?」
愛裏は、血と泥に塗れた指先で、自身の新しい幼い唇をなぞりながら、心底不思議そうに笑った。
「私にとって、肉体なんてただの『
愛裏は、解剖台からぴょんと飛び降りると、男────夏油の体を乗っ取った■■の足元にすり寄り、その死装束の裾を、まるで恋人にすがるように愛おしげに掴んだ。
「夏油先生と
愛裏は、男の脚に自身の血まみれの頬を擦り寄せ、恍惚とした吐息を漏らした。
「その素敵な肉体さえここにあれば、私はそれで十分幸せだからさ……ねぇ、新しい先生、前の先生より、もっと楽しいことして遊んでくれる?」
肉体こそがすべてであり、魂はその付属物に過ぎない。
精神性やイデオロギーなどという不確かなものを一切排除し、ただ「死体という物質」だけを愛し抜く。
それが、呪詛師・汨羅愛裏の絶対的な哲学であった。
「……ははっ、あはははは!」
■■は、その狂った答えを聞いて、腹の底から愉快そうに高笑いした。
かつて夏油傑が従えていた「家族」たちは、皆、夏油の魂や思想、その悲哀に惹かれていた。
だが、この少女だけは違う。彼女は純粋に、狂気的に「肉体という物質」だけを貪り食おうとしているのだ。
「素晴らしいよ、君は。私がこれから思い描く『混沌』に、これほどふさわしい逸材はいない」
男は、愛裏の泥に塗れた幼い頭を、まるで愛玩動物を撫でるように優しく撫でた。
「君のその狂気、私が存分に楽しませてもらおう……これから、私と一緒に面白いモノを見に行かないかい?」
「いくいくー! 先生と一緒にいると、『友達』がいっぱい増えそうだもん!それに……」
愛裏は、自身を殺した少女の顔を思い浮かべ、嗜虐的な笑みを深めた。
「また、瑠璃ちゃんとも遊びたいしね!」
血塗れの地下室で、千年の呪いと、泥の狂気が手を結んだ。
それは、純粋な利害と狂気だけで結ばれた、最も悍ましい契約の瞬間だった。
かくして、二つの運命は完全に反転し、それぞれの呪いの螺旋へと足を踏み入れる。
一人は、空っぽの器に自己への憎悪を満たし、他者との境界を切り裂くため、特級呪術師・九十九由基という「圧倒的な暴力」に師事した白波瑠璃。
もう一人は、他者の境界を泥で侵し、肉体という容れ物を貪り愛するため、最悪の呪詛師・■■の下で新たな混沌へと身を投じた汨羅愛裏。
決して交わることのない二つのイデオロギー。
だが、呪いの連鎖が続く限り、二人の『死の味』を孕んだ闘争は、やがて来る未曾有の惨劇───「渋谷事変」という名の地獄の淵で、再び激突する運命にあった。
これで第一章は終了や
貞操逆転禪院家が執筆し終わったら第二章を書く予定ですよぉ
あっちなみに第二章の内容どっちを中心に置いて欲しいか一応聞くでやんす
第二章で見たい内容
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セクシー九十九との修行編
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夏映画・福岡分校編
-
メロンパンとの呪霊モンマスターの旅
-
ぼっち伏黒
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自由にやれ…呪詛師のように