泡沫浄瑠璃:秤金次の同級生が呪われて死ぬまでの話   作:天狗猿

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弍:博徒(二〇一七年、六月)

群馬県の山間部。

アスファルトの熱気が逃げ場を失い、陽炎となって揺れる舗装道路に、一人の少女が這い出してきた。

足取りは泥酔者のように覚束なく、左右に揺れる。視線は焦点を結ばず、ただ虚空を彷徨っていた。剥き出しの肌には、刃物で刻まれたような無数の切り傷と、どす黒い打撲痕。

しかし、その無惨な肉体とは裏腹に、彼女が纏う白いワンピースだけは、たった今店から出してきたばかりのように白く、眩しく輝いている。

 

 

「……助け……て……」

 

 

掠れた、あるいは肺の奥から絞り出したような声。それが最後だった。

少女は力尽きた操り人形のように、熱を帯びた道路の上へ崩れ落ちた。

初夏の残酷なまでの陽光が、彼女のボロボロの肉体と、時を止めたような衣装の異常な美しさ───その致命的な「違和感」を、これ以上ないほど鮮明に照らし出していた。

 

 

 

 

群馬県、放置林。

かつて絹の道として栄え、人の血が通っていた山々は、今や管理を放棄された「緑の墓標」に覆い尽くされている。

密集したスギの枝葉が日光を完全に遮断し、地表には湿った腐葉土の死臭と、生理的な嫌悪感を誘うような濃密な静寂が澱んでいた。

ここは、現世の理が剥がれ落ち、呪いだけが肥大化する「境界」だ。

 

「いいか。今回の任務は、この山に巣食っている呪霊を祓うことだ。俺が術式の起点を叩く。お前らはその間に、捕らわれているもう一人のガキを回収しろ。救出された妹の方の話じゃ、兄がまだ中にいる。いいな、面倒ごとは起こすなよ。俺は呪霊を片付けた後は麓の道の駅で待ってるからな」

 

一年担任、日下部篤也は、いつものように覇気のない顔でキャンディをバリリと噛み砕いた。彼の視線の先、山の麓にあるプレハブ小屋のような建物の隣では、『期間限定・上州牛メンチ』と書かれた旗が、この世の緊張感など知らぬげにヒラヒラとなびいている。

 

「篤っちゃん了解! 瑠璃ちゃん、行こうか」

 

星綺羅羅が軽やかに斜面を跳ねる。その動きには一切の迷いがなく、重力という法から逃れたような、残酷なまでの美しさがあった。

 

「……チッ。湿気った山だ。熱の欠片もねえ」

 

 

秤金次は不機嫌そうに鼻を鳴らす。  彼は登山道を行くという「正解」を鼻で笑うように、ヤスリのようなザラついた呪力を足元から爆発させた。立ち塞がる藪や岩を力任せに粉砕し、強引に道を拓きながら突き進んでいく。その背中は、歩く暴力の塊だった。

 

最後尾を行く白波瑠璃の胸中には、黒い焦燥が渦巻いていた。

宮國に言われた「呪術師に向いている」という言葉。それを証明し、自身の価値を確定させたいという独善的な自負が、彼女の理性を薄く、脆く削り取っていく。

 

(……私なら、一人でできる。秤さんたちに、認めさせなきゃ。私はここにいてもいい存在だって、私が一番知ってるんだから)

 

瑠璃は足裏に微細な呪力の泡の膜を生成し、地表との摩擦をゼロへと剥離させる。

それは氷上を滑る以上の、物理法則を嘲笑う超高速移動。

木々と梢のわずかな隙間を縫い、慣性を殺して直角に曲がる。加速する意識の中で、秤たちの背中を追い抜く瞬間、彼女の心は全能感に似た高揚に震えた。

 

だが、その刹那――世界から音が消えた。  気づけば、周囲は粘膜のような濃密な霧に包まれていた。

 

(……結界? 「帳」じゃない。もっと生理的な、生き物の体内へ迷い込んだような……)

 

無謀が招いた孤立。

霧の奥から、周囲の景観から浮き上がった「異物」が姿を現した。

 

廃墟と化した療養所というよりは、古びた児童相談所か保育施設を思わせる、窓が極端に少ない、四角いコンクリートの塊。

その建物は長年放置されているはずなのにどこか清潔で、かつ暴力的なまでの圧迫感を放っていた。

外壁には雨だれの跡が黒い涙のように走り、無機質な鉄扉が、巨大な獣の口のように開いている。

 

 

瑠璃は、吸い込まれるように建物の中へと足を踏み入れた。

内部は、外の霧を忘れるほどに乾燥していた。埃っぽくも、どこかワックスや消毒液の古びた匂いが鼻を突く。

天井の低い廊下。白いタイル貼りの壁がどこまでも続き、等間隔に配置された蛍光灯が、給電されているはずもないのにチチチ……と死にかけの虫のような音を立てて明滅している。

 

廊下の壁には、色褪せた子供たちの絵がびっしりと貼られていた。どれもこれも顔の部分が黒く塗りつぶされ、画鋲の周りには茶褐色の染みが、乾いた血のように広がっている。

突き当たりの「プレイルーム」と思われる、がらんとした空間。

 

そこに、それはあった。

 

「……っ、う……」

 

瑠璃は絶句した。

そこには「施設の一部」と化した被害者たちの成れの果てが、椅子に座らされたり、壁に立てかけられたりして整然と並んでいた。

ある者は木の根が眼窩を貫き、ある者は皮膚が壁のタイルと一体化して干からびている。

呪霊に時間を吸い取られ、生きたまま「標本」として陳列された死体たちの行列。

その異様な光景は、死後さえも管理され、ビデオテープの中に永遠に記録されるアーカイブのようだった。

その最奥のテーブル。虚ろな瞳で座り込む少年を見つけた。

一種の催眠状態なのだろう、瑠璃が声をかけても、少年の焦点の合わない瞳は、見えないビデオカメラのレンズを見つめるように虚空を彷徨っている。

 

「……見つけた。大丈夫、今助けるから……」

 

「おっと、迷子という訳では……なさそうだな。その制服、高専の差し金か?」

 

背後からの声に振り返る暇もなかった。

ドッ、という重い衝撃が瑠璃の脇腹を襲う。蹴り飛ばされ、タイルの床に埃を舞い上げながら転がった瑠璃の視界に、痩せこけた男が映った。

 

安物のタクティカルベストを羽織り、その手には赤黒い呪力を纏った錆だらけの短刀が握られている。

 

 

(呪霊じゃない……呪術師!? ……いや、呪詛師か!)

 

「この子を……返してください」

 

「それはできない相談だな。こいつらはすでに買い手が付いてる『商品』なんだ。海外のコレクターだけじゃなく、最近は国内でも購入してくれる『同僚』が熱心でね。特に子供は、呪力の器として高く売れる」

 

「一人逃げてしまったんだがね……」と溜息を吐く呪詛師を睨みながら、瑠璃は泡を生成した。足元に滑り込ませ、超高速で間合いを詰めようとする。

だが、男の動作の方が遥かに速かった。

 

「遅いよ……それに動きが直線的すぎだ」

 

男が腕を振るうと、赤黒い血の刃が生き物のように飛び出し、瑠璃の左腕を、骨に達するほど深く貫いた。

 

「ぐ……あ……ッ!」

 

肉を割き、骨を削る感覚。神経を直接焼くような劇痛が脳を揺らす。

男の術式は、自分の血を付着させた刃物を自在に操るというもの。

瑠璃は机や柱を盾にして必死に逃げ回るが、逃げ場のない白い廊下で、男の猛攻は止まらない。

瑠璃は捨て身の掌底を叩き込もうと踏み込むが、男が少年に向けて刃を投げる動作を見せると、本能的な恐怖で体が強張った。

 

「あ……っ!」

 

その隙を逃さず、男の拳が瑠璃の腹部にめり込んだ。呼吸が止まり、崩れ落ちた瑠璃の頭を、男のブーツが無慈悲に踏みつける。

 

「馬鹿だなぁ。商品を傷付けるわけないだろ。……お前より、こっちの方が価値があるんだ」

 

男の投げた短刀は、少年の頸動脈数ミリの場所を掠め、壁に突き刺さっていた。

 

 

 

 

 

 

呪具と思われる冷たい鎖で床に拘束され、転がされた瑠璃の横で、男は自嘲気味に笑いながら、手際よく子供を一回り大きなトラベルバッグに詰め込んでいく。

 

「この山を支配している呪霊……あれは良い目隠しになる。時間は外界より遅く流れ、死体は腐らず標本になる。最高の倉庫だよ」

 

瑠璃は痛みに喘ぎ、歯を食いしばりながら男を睨みつけた。男は不意に手を止め、転がった瑠璃を見下ろした。その瞳は、録画が終わった後の砂嵐のように暗く、濁っている。

 

「……実は俺も昔は高専に通っていてなぁ」

 

男がポツリと漏らした言葉に、瑠璃は心臓が冷えるのを感じた。目の前で平然と子供を詰め込むこの怪物が、自分たちと同じ場所にいた。そんなことが信じられなかった。

 

「『自分なら誰かを助けられる』『自分ならどんな呪いでも祓える』。……そう本気で信じ込める、めでたい時期が俺にもあったよ」

 

「……でもさぁ、お前くらいの時に『化け物』に会ったんだ」

 

男の独白は、独り言のように淡々と続く。

 

「俺は“あいつ”の二つ上の先輩だった。“あいつ”が入学してくるまで、俺こそが世界の中心だと信じていたんだ。だが……あいつの一瞥だけで、俺の二十年はゴミ屑になった。この世界は才能が全てだ。神様に愛された本当の天才の隣で、誰が命を懸けて呪いを祓いたいと思える? 努力? 根性? そんな言葉、あいつの睫毛一本の前で霧散するよ」

 

 

男は瑠璃の瞳を覗き込み、錆びた短刀の切先を彼女の右目に近づけた。

冷たい金属の感触が、まぶたに触れる。

 

「ガキの頃、誰でも一度は自分を『天才』だと思う時期はあるだろ? 俺もそうだった。でも、もっと本物の化け物が現れて気付くんだ。『あぁ……自分は凡人なんだな』って。……才能を支えに生きる奴は、それが折れた時に一番惨めに崩れる。お前も俺と同じだよ。 『向いてる』なんて誰かに言われて、いい気になってるだけの、空っぽな人間だ」

 

 

瑠璃の心臓が激しく跳ねた。宮國に言われ、密かに誇りに思っていたその言葉。

それが、実は自分を「こちら側」へ繋ぎ止めるための、あるいは絶望へ突き落とすための虚飾に過ぎなかったのではないか。

図星を指された屈辱と、自分自身への底知れない失望が、傷口の痛み以上に彼女を蝕んでいく。

 

 

「お前がここに来てるってことは、他にも誰か来てるんだろうなぁ……。後輩の命を奪うほど落ちぶれてはいないが、俺が『商品』と逃げるための時間は稼がせてもらうよ」

 

 

男は狂気的な微笑を浮かべ、白波のまぶたに刃先を押し当てた。

 

「……せめて、何も見えなければ、自分の無才に絶望することもないだろう?」

 

刃がわずかに肌に食い込む。瑠璃が絶望に歯を食いしばり、固く目を閉じた、その瞬間。

背後のコンクリート壁が、内側から爆発した。

 

 

 

「……熱がねえなあ、オッサン。言い訳ばっかで、反吐が出るぜ」

 

 

瓦礫の塵の中から現れたのは、不機嫌を絵に描いたような秤金次だった。

その呪力は、触れるものを削り取るヤスリのように激しく、荒々しく逆立っている。

 

「金ちゃん、瑠璃ちゃん見つけた!」

 

秤が開けた大穴から、星綺羅羅が飛び出してくる。

綺羅羅の手が瑠璃の体に触れると、彼女の胸元に不気味な星形のマークが浮かび上がった。

 

「……ッチ。今日はもう、後輩には会いたい気分じゃないんだけどな」

 

呪詛師が舌打ちし、懐から二本の刀を抜き、秤と綺羅羅に放つ。触れれば腐敗の呪力を流し込む必殺の呪具。だが、秤は避けなかった。

 

「あ?」

 

秤のザラついた呪力が、迫り来る刃を正面から弾き飛ばす。

 

「綺羅羅!」

 

「了解っ!」

 

綺羅羅がもう一本の刃に空中で触れると、斥力が弾け、刃は無力な鉄屑となって壁へと叩きつけられた。

 

「才能だの、なんだの。そんなくだらねぇ物差しで生きてるから、そんな惨めな面になるんだよ、先輩」

 

秤が足を踏み出す。その一歩ごとに、床のコンクリートが粉砕される。

 

「俺は、俺の『熱』を愛してる。俺が勝ちてえから勝つ。それ以外に何が必要だ?」

 

術式によって弾け飛ばされた刀が空を舞い、呪詛師の手元へ戻る。再び秤の頸動脈を狙って迫るが、秤の背後に突如として、巨大な「自動ドア」の幻影が出現した。

 

バァン!!

 

鉄の扉が刃を挟み込み、木っ端微塵にへし折る。

 

「ウルセェよ、ガキィ!!」

 

呪詛師が叫ぶと、秤が踏み締めた床のタイルの隙間から、無数の新たな血の刀が剣山のように突き出した。秤の四肢、腹部、肩を刃が容赦なく貫く。

 

「……ハッ。何だよ、意外と楽しめるじゃねえか、オッサン」

 

「瑠璃ちゃん、見ててね。これが金ちゃんの術式だよ」

 

口から血を吐きながら、秤は嗤っていた。

 

 

 

領域展開────『坐殺博徒(ざさつばくと)

 

 

 

一瞬にして世界が、目が眩むような色彩と爆音で塗り潰された。

直後、その場にいた全員の脳に、思考で理解するより早く術式のルールが流れ込む。  

 

 

──────CR私鉄純愛列車、確率変動、期待度、一回転目──────。

 

 

そして瞬刻。確定演出の爆音と共に「大当たり」が告知される。

領域が解除された瞬間、立ち上る膨大な呪力と共に、秤の全身を貫いていた傷が、反転術式によってシュウシュウと煙を上げながら修復されていった。

 

「……っ!? ふざけてんのか!!」

 

呪詛師が困惑し、狂ったように新たな刀を生成して秤を切り刻む。だが、無限に溢れ出す呪力が、傷を負った端から消し去っていく。

 

「ふざけてねぇよ!俺は、いつだって本気で生きてんだよ!」

 

直後、秤の拳が、呪詛師の顔面にめり込んだ。

一発、二発、三発。

息をつく暇もなく、男の全身に無限の呪力を込めたラッシュが襲い掛かる。反論の余地も、小細工な術式の付け入る隙もない。

 

「が……あ……っ!」

 

暴風と見紛うその打撃によって、男の体は壁を突き破り、建物の外、深い森の中まで弾き飛ばされた。

かつて高専で挫折し、錆び果てた一本の刃は、一人の博徒の理不尽なまでの「熱」の前に、文字通り粉々に折れた。

 

 

 

 

「金ちゃん、この子弱ってるけど生きてるよ」

 

綺羅羅が少年を抱え上げ、秤に報告する。

 

「俺は外のゴミを拾ってくる。お前はガキを持て」

 

「あの人、生きてるの?」

 

「知るか。死ななきゃ生きてんだろ」

 

秤は道端に落ちていた刀を拾い上げると、瑠璃を拘束していた鎖を一太刀で断ち切った。

そして、立ち上がれない瑠璃の腕を不器用に掴み、無理やり立たせる。

 

「おい、白波……シャキッとしろ。まだ山は降りてねえぞ」

 

綺羅羅の背中で少年が泣き出すのを聞きながら、瑠璃は自身の空虚を噛み締めていた。

秤の言葉には、宮國の冷徹な賞賛も、日下部の諦念もない。

ただ、「お前には自分の意志があるのか」という剥き出しの問いだけが、劇痛となって胸を刺す。

 

 

山を下りると、麓の道の駅。

そこでは日下部篤也が、既に山の呪霊を「のらりくらり」と、だが完璧に処理し終え、ベンチでソフトクリームを舐めていた。

 

 

「……お、戻ったか。ガキも無事だな。って、後ろのそのボロ雑巾は誰だ?」

 

「多分、呪詛師だ。白波と俺に刀で切り掛かってきた」

「だからそんな服がボロボロなのか。……面倒事を起こすな、っつっただろ。ま、いい。……生きてるか白波。高専に戻ったら家入に見てもらえ」

 

 

日下部が、力なく頷く瑠璃の頭をポンと叩いた。

 

 

「ねえねえ、篤っちゃん! 頑張ったご褒美にソフトクリームおごってよ!」

 

「俺はバニラとチョコのミックス」

 

 

綺羅羅と秤が、当然のような顔で日下部を囲む。

 

 

「……おい。教員の給料はそんなに高くねえんだぞ。自分で買えよ……あー、分かったよ! 一個だけだぞ!」

 

 

文句を言いながら、渋々財布を取り出す日下部。

 

 

「ほら、お前のはこれな」

 

 

瑠璃に手渡されたのは、涼しげなラムネ味のソフトクリームだった。

三人がふざけ合い、秤がミックスを一口で頬張って「冷てっ」と顔を顰める。

その光景は、あまりに「日常」で、瑠璃にとってはあまりに遠かった。

 

 

(私は……。どこにも混ざらないんじゃない。……どこにも、私がいないだけなんだ)

 

 

手に残ったラムネソフト。

初夏の暑さによって、少しずつ溶け始めた淡い水色が指を伝う。

その甘さは、地獄で見た標本の遺体よりも残酷に、彼女の「空虚」を突きつけていた。

 

呪術関係でR-18創作が書きたくなってきたので希望アンケートに答えてくれ。必要だろ

  • 貞操逆転で禪院家♀に引き取られるショタ
  • 宮國(≡)の女性上位ヤンデレ
  • まずは書いてる奴ある程度進めろよ原始人
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