アドマイヤベガの双子の妹に転生しましたので、姉と一緒に頑張ります 作:雅媛
「……失礼します」
緊張で少し強張った手つきで、割り当てられた部屋のドアを開ける。
そこは、静謐な空気が流れる、図書館の奥のような落ち着いた空間だった。
部屋の隅、読書灯の下で本を読んでいた少女が、ビクリと肩を震わせてこちらを見る。
「あ、あの……」
クールな目元、しかしどこか怯えたような小動物的な仕草。
彼女こそが、ボクの新しいルームメイト、メジロドーベル先輩だ。
(うわぁ……本物だ。美人だなあ)
前世の知識があるボクにとって、彼女は名門メジロ家の令嬢であり、素晴らしい末脚を持つウマ娘だ。
そして同時に、極度の人見知りで、特に男性苦手であることも知っている。
中身が元男性のボクとしては、彼女に不快感を与えないよう細心の注意を払わなければならない。
事の発端は、数時間前の寮の部屋の発表の時であった。
「なんで私がアルタイルと同じ部屋じゃないの!!」
「当たり前だろう!!」
「ベガとアルタイルは二度と引き裂かれてはいけないのよ!!」
姉さんは割り当てられた部屋のルームメイトであるエアグルーヴ先輩と大モメにモメていた。
どうやら姉さんはボクと同じ部屋になれると信じ込んでいたらしい。
普通に考えて、姉妹を同じ部屋にはしないだろう。社交性を養うべき寮生活で家族同士の部屋にしていいことなど何もない。
結局姉さんがいくら文句を言っても変わることなく、姉さんはエアグルーヴ先輩に引きずられていった。
ボクはほっとした。これで安眠できる。あの抱き枕扱いから解放される。
とはいえ、目の前のルームメイトとちゃんと関係を築かなければならない。
「初めまして、メジロドーベル先輩。今日からお世話になります、アドマイヤアルタイルです」
ボクは努めて穏やかに、一定の距離を保って挨拶をした。
ドーベル先輩はおずおずと本を閉じ、視線を彷徨わせる。
「……メジロ、ドーベルです。よろしく、お願いします……」
「荷物は最小限にしてあります。共有スペースには極力物を置きませんので、もしボクの私物が邪魔だったらすぐに仰ってください」
「え、あ、はい。……別に、そこまでしなくても……」
「いえ、先輩のパーソナルスペースを侵害したくありませんから。ボクは空気のような存在だと思ってください」
ボクがテキパキと、しかし静かに荷解きを始めると、ドーベル先輩は少しだけ警戒を解いたようだった。
チラチラとこちらを見ているが、そこに「嫌悪」はない。むしろ「ホッとした」ような色が見える。
(よかった。どうやら「落ち着いた同室者」として認定してもらえそうだ)
姉さんの世話で鍛えられた「相手のペースを乱さないスキル」が、こんなところで役に立つとは。
この部屋は、静かだ。
誰もいきなり抱きついてこないし、誰も「星が呼んでる」とか言い出さない。
まさに聖域(サンクチュアリ)。
ボクはこの平穏な生活を噛み締めていた。
――その頃、もう一つの部屋が地獄と化しているとも知らずに。
◆
別室、エアグルーヴとアドマイヤベガの部屋。
「貴様! いい加減にしろ!」
女帝の怒号が響き渡っていた。
生徒会会長にして「女帝」の異名を持つエアグルーヴは、こめかみに青筋を浮かべて仁王立ちしていた。
その視線の先には、ベッドの上でアメーバのように溶けているアドマイヤベガの姿があった。
「……うるさいわね。耳がキーンってなるわ」
「誰のせいだと思っている! 荷解きもせず、なぜ床にぬいぐるみを散乱させている! ここは私の部屋でもあるんだぞ!」
「ぬいぐるみじゃないわ、結界よ。邪悪な気、主に貴女の小言から私を守るための」
「なんだと……!」
アヤベは虚ろな目でエアグルーヴを見上げた。
彼女にとって、この部屋は監獄だった。
整理整頓。規律。そして、ことあるごとに世話を焼こうとしてくるこの同室者。
「ほら、制服を脱ぎ散らかすな! ハンガーにかけろ!」
「……えー、面倒くさい。かけておいて」
「私は貴様の母親ではない!」
そう怒鳴りつつも、エアグルーヴの手は勝手に制服を拾い上げ、綺麗にハンガーにかけていた。
そう、エアグルーヴは根が真面目で面倒見が良い。
「だらしない奴」を見ると、放っておけない性分なのだ。
アヤベはそれを本能的に察知していた。
「ありがとう、お母さん」
「誰がお母さんだッ!!」
「……ああ、アルタイルに会いたい。アルタイルなら、黙って布団をかけてくれるのに……ここは砂漠よ。潤いがないわ」
アヤベはふらりと立ち上がった。
その手には、枕が握られている。
「どこへ行く」
「オアシスへ」
「待て! まだ消灯時間前だが、勝手な外出は――」
制止する女帝をスルーし、アヤベは亡霊のように部屋を出て行った。
◆
ボクの部屋では、穏やかな時間が流れていた。
ドーベル先輩とは、まだ会話こそ少ないものの、お互いに読書が好きだということが分かり、静かな空間を共有できていた。
先輩がいれてくれた紅茶を飲みながら、ボクは思う。
これが……人間の生活か……!
コン、コン。
控えめなノックの音がした。
ドーベル先輩がビクリとする。
「……はい」
ボクがドアを開けると。
そこには姉さんが立っていた。
「……アルタイル」
「姉さん? どうしたんだ、その顔」
「……枯渇したわ」
姉さんはボクの返事も待たず、ズルズルと部屋の中に侵入してきた。
そして、ボクのベッドにダイブし、枕に顔を埋めて深呼吸を始めた。
「すー……はー……。うん、これよ。この匂い。生き返るわ……」
「ちょっと、姉さん! 何やってるんだ!」
ボクが慌てて引き剥がそうとするが、姉さんはコアラのようにしがみついて離れない。
「無理よ。あっちの部屋は空気が薄いの。酸素濃度が低すぎて、私の繊細な肺では呼吸できないわ」
「エアグルーヴ先輩の部屋だろ? 何を言ってるんだ」
「あの女、口を開けば『片付けろ』『立て』『シャキッとしろ』って……。私の安眠を妨害する音波兵器よ」
なるほど。
予想はしていたが、やはりエアグルーヴ先輩とは相性が最悪だったらしい。
むしろ、あの厳格な先輩相手にここまでだらけられる姉さんの図太さに感心する。
「あ、あの……その人は……?」
奥で固まっていたドーベル先輩が、おずおずと声をかけた。
姉さんは布団から顔だけ出し、ドーベル先輩をジッと見た。
「……誰?」
「ボクのルームメイトのドーベル先輩だよ! 失礼だろ!」
「ふーん……。静かそうな子ね。……害はなさそう」
姉さんはそれだけ言うと、また布団に潜った。
ドーベル先輩は「害……」と呟いて瞬きしているが、不思議と嫌そうな顔はしていない。
姉さんの態度があまりに自然体すぎて(あるいは無礼すぎて)、逆に緊張する要素がないのかもしれない。
「すいません先輩、これ、ボクの双子の姉なんですが……すぐに追い出しますから」
「い、いいわ。……双子、なんでしょ? 仲が良いのね……」
ドーベル先輩は少し羨ましそうに微笑んだ。
いや、これは仲が良いというより依存症なんです。
その時だった。
ダダダダダッ!
廊下から、猛烈な足音が近づいてきた。
この足音、ただならぬ気配。
バンッ!!
ノックもなしにドアが開け放たれた。
そこに立っていたのは、鬼の形相をしたエアグルーヴ先輩だった。
「見つけたぞ!!」
「ヒッ……!」
ドーベル先輩が小さな悲鳴を上げてボクの背中に隠れる。
エアグルーヴ先輩の迫力は、彼女には刺激が強すぎたようだ。
「ちっ、追手が来たわ」
姉さんは舌打ちをして、さらに深くボクの布団に潜り込んだ。
エアグルーヴ先輩は部屋の中に入ってくると、ボクとドーベル先輩に一瞬だけ申し訳なさそうな顔をした。
「ドーベル、それにアドマイヤアルタイル。騒がしくして申し訳ない」
「い、いえ……」
「だが、この愚か者を回収せねばならんのでな。……おい、出てこいアドマイヤベガ!!」
女帝の手が伸び、布団ごと姉さんを引っぺがそうとする。
「嫌よ! 帰りたくない! あそこは牢獄よ!」
「貴様の生活態度がだらしないのが悪いんだろう! ほら、立つんだ! 点呼の時間だぞ!」
「やだー! アルタイル、助けてー! 妹成分が足りないのー!」
駄々っ子のように手足をバタつかせる姉と、それを必死に引きずっていく女帝。
カオスだ。
静寂だったボクの部屋が、一瞬で嵐に巻き込まれた。
「……アルタイル。代わって。貴女があっちの部屋に行きなさいよ」
「嫌だよ! なんでボクがとばっちりを受けなきゃならないんだ」
「薄情者! 鬼! 彦星のくせに!」
結局、姉さんはエアグルーヴ先輩によってズルズルと廊下へ引きずり出されていった。
廊下の奥から「覚えてなさい、私は必ず戻ってくるわ……アイル・ビー・バック……」という怨嗟の声と、「うるさい、早く歩け!」という怒号が遠ざかっていく。
嵐が去った後。
部屋には再び静寂が戻った。
しかし、さっきまでの「図書館のような静けさ」とは少し質が違っていた。
「……ふふっ」
ドーベル先輩が、口元を押さえて笑っていた。
「あ、すいません。先輩、怖かったですよね」
「ううん。……すごいね、お姉さん。あのエアグルーヴ先輩に、あんな風に言えるなんて」
「単にわがままなだけですよ」
「でも……なんだか、賑やかで楽しそう」
ドーベル先輩は、少しだけリラックスした表情でボクを見た。
「アルタイルちゃんもしっかりしてるけど……お姉さんがいると、大変だね」
「ええ、もう本当に。……苦労かけます、先輩」
「ふふ」
どうやら、姉さんの襲来のおかげで、ボクとドーベル先輩の距離は少し縮まったらしい。
ボクは苦笑いしながら、姉さんが嵐のように散らかしていったベッドを整え直した。
ルームメイトは、世話焼きの女帝と、人見知りの令嬢。
そして、隙あらば侵入してくるポンコツ姉。
ボクのトレセン学園生活は、安眠とは程遠い場所で、それでも確かに回り始めたのだった。