夜の草原は昼とは違う顔をしていた。人の声は届かない。風が草を揺らす音だけが途切れ途切れに残っている。
◆
どうして他の子のように素早く動けないんだろう。どうしていつも一拍遅れるんだろう。
イーブイは考えることをやめられなかった。
走ろうとして遅れる。避けようとして間に合わない。叱責が飛んで殴られる。
――鈍い。
それはいつしか口癖になった。自分自身を責める言葉になった。自分を呪う癖だけが体に染みついていった。
耐えているうちは「まだ使える」と思ってもらえる。できることはただ耐えることだけで、だから倒れなかったし終わらなかった。
――そして捨てられた。
◆
レッドは遠回りだと分かっていながらその道を選んだ。家に帰りたくなかったわけじゃないが、すぐに帰る気分でもなかった。
負けた。それだけのことなのに胸の奥が重い。
笑い声が聞こえる。自分だけが取り残される感覚。足元を見て歩いていたから最初は気づかなかった。
かすかな物音。草が少しだけ不自然に揺れた。
暗がりの中に小さな影がある。目が合った瞬間レッドは息を詰めた。
怯えている。それははっきり分かる。けれど完全に身を縮めてはいない。静かに過剰なくらい警戒している様子だ。
――あ。
胸の奥に覚えのある感覚が落ちた。こいつも僕と同じだ。
レッドは近づかなかった。声もかけなかった。不用意に動けば警戒を強めるだろうし、急に動けば噛みつかれるかもしれない。
ゆっくりとポケットに手を入れる。影の耳がぴくりと伏せられた。
レッドは一度動きを止めて昼に母からもらったパンを取り出した。半分に割って地面に置く。それ以上何もしない。
過剰に刺激しないよう距離を取ってその場を離れた。
◆
イーブイはその場から動かなかった。
人間が去った。足音が草の向こうへ消えていく。それでも体はすぐには動かなかった。目が合った瞬間に走ったあの嫌な感覚がまだ胸に残っている。
――同じだ。
殴ってくる側じゃない。だがやられてきた側だ。
視線が定まらない。体の重心が落ち着かない。人間そのものを見ていたわけじゃなくて人間の癖を見ていた。殴られる前の間や声をかける前の躊躇、何もできずに立ち尽くすその姿。
だからこそわかる。こいつも弱い。
距離はある。逃げようと思えば逃げられる。だが足は動かなかった。腹が鳴った。小さく情けない音だ。弱っている。こんなところを見せるな。自分で自分に苛立つ。
それでも匂いは消えない。草の上に残されたパンの匂い。
イーブイは少し間を置いてから一歩だけ前に出た。距離を確かめるように何度も立ち止まりながら。
一口齧る。何も起きない。もう一口。それでも何も起きない。
全部食べ終えたあとで胸の奥に残ったのは安堵じゃなかった。
――こんなことで。
弱っているからだ。そう言い聞かせる。自己嫌悪だけが夜の草原に静かに沈んでいった。
◆
翌朝。レッドは研究所へ向かった。今日はそういう日だ。マサラタウンで育った子どもなら誰もが知っている。ポケモンをもらい旅に出る日。
扉を開けると研究所の中はいつもと変わらない。機械の低い駆動音と書類の山、薬品の匂い。
「来たか、レッド」
オーキド博士が振り返る。その足元にポケモンがいた。体を低く伏せて床に腹をつけるようにしている。逃げるでもなく近づくでもなくただそこにいる。
視線が合う。昨日の夜と同じだ。
「数日前にな、研究所の前におった。前のトレーナーのことは分からん。じゃがこの子は……素早さが低い」
イーブイの耳がわずかに動く。
「速さを好むトレーナーには合わんかったのじゃろう。それだけの話じゃ」
「逃げんかったそうじゃ。殴られても動けんでも耐えておったのじゃろう」
レッドは何も言わなかった。どう返せばいいのか分からなかったし言葉を探すほどの余裕もない。
博士が初めてレッドを見る。
「今日が旅立ちの日じゃ。この子をお前に託す」
それだけだった。
レッドはイーブイから目を離せなかった。視線が合ってまた逸らされる。昨日よりほんのわずかにだけ嫌悪が薄れているように見えた。
「……」
レッドは口を開きかけて閉じた。代わりに小さく頷く。博士は何も言わない。
そのとき。
「よー、じいちゃん!もう始めていいか?」
研究所の奥から声が響いた。レッドの肩がぴくりと跳ねてイーブイの耳が音の方を向く。
グリーンが姿を現す。腰のモンスターボールを叩きながら楽しそうに笑っている。
「今日は旅立ちの日だろ?だったら最初はやっぱり勝負だよな!」
グリーンが腰のモンスターボールに手をかける。
「まったく……。ほどほどにせい」
オーキド博士が呆れたようにため息をつく。だがグリーンは聞いていない。
「いくぜレッド!」
レッドは視線を落とした。初めてのバトル。何を言えばいいのかもどこを見ればいいのかも分からない。
イーブイがレッドの足元で身構える。伏せたままじっと前を見ている。逃げない。だが前にも出ない。
「……」
レッドが小さく頷いた。イーブイが一歩前に出る。
グリーンが肩をすくめる。
「返事くらいしろよ。まあいいや。いくぜヒトカゲ!」
赤い光が弾ける。小さな炎を尾に灯したトカゲのポケモンが現れる。
レッドは反射的に声を出した。
「……い、いけ!」
何をさせるかも考えられていない。ただ始まってしまった。イーブイがゆっくりと前に出る。
「ヒトカゲひっかく!」
ヒトカゲが素早く距離を詰める。爪がイーブイを打った。
「っ……!」
イーブイが怯む。だが倒れない。
「イーブイ、た、たいあたり!」
レッドの声が震える。イーブイが走る。だが動きは遅い。ヒトカゲが避ける。
「おっそ!ヒトカゲもう一度!」
ヒトカゲの爪が再びイーブイを打つ。イーブイが転がる。それでも立ち上がる。
「イーブイ!」
レッドが叫ぶ。イーブイがまた走る。今度は当たった。ヒトカゲが少し下がる。
「おいおいまだやるのかよ」
グリーンが笑う。
「動き遅すぎだろ。ヒトカゲひっかく!」
攻撃が飛ぶ。応酬になる。イーブイは避けきれず何度も打たれる。それでも倒れない。踏みとどまってまた立つ。動きは遅い。だが引かなかった。
レッドは何も言えなかった。
「……っ!」
声を出すたびに遅れる。指示を考えるたびに間に合わない。それでもイーブイは耐えていた。攻撃を受けて体勢を崩しながらも立ち続ける。
レッドの拳が知らずに握られる。だが次の一撃を受ける前に。
「そこまでじゃ」
オーキド博士の声が落ちた。ヒトカゲが動きを止める。イーブイもその場に伏せた。
勝敗は誰の目にも明らかだった。
グリーンが鼻で笑う。
「はは。やっぱりな」
「泣き虫でしかもポケモンも満足に扱えないのな!レッド」
レッドは何も言わなかった。
「よさんかグリーン!」
「わりーなじいさん!俺はもう姉ちゃんからタウンマップもらって旅に出るからな!ばいびー!」
そそくさと出て行くグリーンをオーキド博士はあっけにとられたまま見送ってしまった。顔を伏すレッドとオーキド博士の間で沈黙だけが残る。
「レッド……」
博士がイーブイを回復させる。レッド自身も慰めなければならないだろう。しかしいつもならレッドがぐずりだすところだが。
「……っ!」
レッドが顔を上げる。目には涙が浮かんでいる。
「レッド!」
博士が声をかける。だがレッドは答えなかった。イーブイを抱きかかえて立ち上がる。
「待ちなさいレッド!」
レッドは踵を返した。そして走り出す。
「レッド!」
博士の声が背中に届く。だが足は止まらない。研究所の扉に向かって走る。
「あら?」
入口のところで声がした。レッドはぶつかりそうになって慌てて減速する。
マサラでは見ない女性だった。肩まで伸びる黒い髪に山吹色の和服からにじみ出る優雅な立ち振る舞いと気品。
「!?」
レッドは彼女と目を合わせるのを避けて脇をすり抜けた。そのまま駆け出して行く。
「オーキド博士、あの子は?」
エリカが研究所の中を覗き込む。オーキド博士がため息をついた。
「おお、エリカさん。この前言っていたポケモンをあずける予定だった子の一人なんじゃが……。初戦に負けたショックで飛び出してしまってなあ」
「まあ……どんなバトルでしたの?」
「相手はわしの孫でグリーン、使ってたのはヒトカゲじゃ。今飛び出していったのがレッドで二匹とも今日が初めてじゃから、ひっかくと体当たりの応酬じゃったのう」
「なるほど。本当に初めてでしたのね」
「おお、しまった。旅立ちのついでにトキワシティから荷物を持ってきて欲しかったんじゃが、二人に頼みそびれてしまったわい……」
「それなら私にお任せください。飛行ポケモンを持ちあわせていますので」
「おおすまんのう。ジムリーダーにおつかいなんてさせてしまって申し訳ない」
「いえいえ。オーキド博士のお役にたてるのなら些細なことでも光栄なことです。それと一つ教えていただけたいのですけど」
「なんじゃ?」
エリカはふわりと微笑む。
「レッドくんどこに行ったのか心当たりはございますか?」
◆
雨が降っていた。どこまで走ったのか帽子と服が水分を吸って体に張り付いている。草原に出た頃にはすでに降り始めていて、それでも足を止められなかった。
「……」
レッドは座り込んだ。雨に打たれる水たまりをなんの意味もなく見つめる。
腕の中でイーブイが小さく身じろぎした。抱きかかえられてここまで連れてこられた。逃げることもできたはずなのにイーブイは抵抗しなかった。
――なぜ。
怒鳴られなかった。殴られなかった。負けたのに動けなかったのに期待された通りにできなかったのに。
イーブイはその理由が分からなかった。人間の腕は温かい。雨に濡れているのに冷たくない。不思議な感覚だった。嫌いじゃない。けれどそれがどうしようもなく居心地が悪かった。
――弱い。
イーブイは自分を呪う。こんなことで心が動く。鈍い自分がまた甘えている。
「……」
レッドがぽつりと呟いた。
「なぜ勝てないのだろう」
雨音だけが答える。
「グリーンと自分は何が違うのだろう。グリーンはいつも自信満々だ。いつも自分は勝てるという確信がある」
俯いた顔。雨が後頭部から目尻まで垂れてきて地面に一つ二つと雫となって落ちていく。
「きっと勝てる。今回は勝てる。そう思っても……また負けるんじゃないか。一生勝てないんじゃないか」
イーブイの耳がわずかに動く。
「……僕もお前も」
レッドがイーブイを見下ろす。
「弱いんだな」
その言葉にイーブイは目を逸らした。否定できない。事実だ。鈍くて遅くて使えない。だから捨てられた。
――同じだ。
イーブイは思う。こいつもやられてきた側だ。負け続けてきた側だ。だから殴らない。だから怒鳴らない。ただ同じ痛みを知っている。
「そんなところにいると風邪を引いてしまいますよ」
その言葉とともにレッドの頭上に傘があった。しかしレッドから落ちる雫が止まらない。レッドは目元を一度拭ってから目線を横に移して先ほどすれ違った和服の女性を視認してからまたすぐに地面へと顔の向きを戻した。
エリカは肩を落とした。噂に聞いていた少年は大分敗北が堪えているらしい。彼を知るグリーンの姉曰く「レッド君、けっこう無口だからグリーンが調子にのっちゃうのよね……」。オーキド博士曰く「レッド自身は優しい子なんじゃがなあ……。グリーンが一度怪我をしたことがあったんじゃがすぐに走って大人を呼びに来てくれたんじゃよ。しかしグリーンは”レッドに見捨てられた”って勘違いしてしまってのう。後でグリーンに訳も話したんじゃがそれ以来グリーンとレッドが勝負事をするようになってしまったんじゃよ」。
そしてレッドは連戦連敗中。彼が逃げ出すと大抵この場所で塞ぎこむという。エリカは別にレッドに一目惚れしたとか泣き虫な男の子を叱咤激励したいとかそこまでの思いがあってレッドを追ってきたわけじゃあない。
(新しいポケモントレーナーの門出に少しだけ手助けしてもかまわないでしょう)
「レッドさん」
「!」
レッドの体がぴくりと動いた。
「オーキド博士にお名前をお聞きしました。私はエリカ、ポケモントレーナーをしております」
レッドはなおも動かない。
「グリーンさんにポケモンバトルで勝ちたくはありませんか?」
エリカは返答を待つ。数秒の沈黙の後レッドはゆっくりと口を開いた。
「無理だよ。どうせ勝てない」
「どうして?」
「いつもそうなんだ。こっちがどんだけ頑張ってもグリーンはいつも僕よりも上なんだ。どうせ頑張ったって無理だよ」
「なるほど……」
エリカは少し考えてから言葉を選ぶように続けた。
「……レッドさんはポケモンの公式試合を見たことがありますか?」
レッドがエリカの方を見ずに応える。
「テレビでニドリーノとゲンガーが戦っているのは見た」
「最近の公式戦ですね。あれはいい試合でした」
エリカが弾むように続ける。
「ポケモンバトルに必要な戦略、戦術、技術……それら必要な要素が全て噛み合った試合はとても心躍るものです」
レッドは無感動に
「勝てなきゃ意味無いじゃん」
とにべもない。
「ええ。試合、特にプロの公式試合はなによりも結果が求められます。しかしプロの公式試合だろうとポケモンを初めて持ったトレーナー同士の試合であろうとポケモンバトルで最後に勝敗を分ける不変の要素があります」
エリカは一度言葉を区切って
「何だと思いますか?」
レッドに微笑みかけた。レッドは不思議そうな顔をして
「ポケモンの強さじゃないの?」
「いいえ違います」
ばっさりと切り捨てられた。
「わかんないよ、ポケモンの強さより必要なものなんて」
「……ポケモンバトルで勝つために一番大切な要素、それは」
雨が勢いをなくしてきている。
「トレーナーとポケモンとの絆です」
その言葉を聞いた瞬間イーブイの耳が伏せられた。
――絆。
知っている。聞いたことがある。前のトレーナーも同じことを言っていた。『絆があれば勝てる』『お前との絆を信じてる』。そして負けるたびに殴られた。
絆なんて嘘だ。勝てなければ何の意味もない。
イーブイは目を閉じた。また同じことを言われる。また同じように期待される。そしてまた裏切ることになる。鈍い自分には何もできない。
「……絆?」
レッドが呟く。
「はい。レッドさん、イーブイを地面に降ろしてみてください」
レッドは躊躇いながらもイーブイを地面に降ろした。イーブイは体を低く伏せたままじっとしている。
「レッドさん、オーキド博士からいただいたポケモン図鑑をイーブイに向けてみてください」
「えっと……」
レッドはポケットから赤い電子図鑑を取り出してイーブイへ向けた。イーブイを感知した図鑑から電子音が響く。
『イーブイ。しんかポケモン。不安定な遺伝子を持ち周囲の環境や石の放射線によって突然変異する可能性を秘めている』
「しんかポケモン……」
「ええ。イーブイは多様な進化の可能性を秘めたポケモンです。レッドさんこれを」
「これは……?」
レッドはエリカから茶色い種子のようなものを受け取る。
「ポケモンフードです。これをイーブイに」
「あっ」
レッドがかがんでイーブイに差し出すとイーブイは一度匂いを嗅いでゆっくりと口をつけた。食べながらも警戒は解けない。いつ取り上げられるか、いつ殴られるか。だが何も起きない。
「ポケモンは剣や盾では決してありません。この地上に住む生物の一つ。好き嫌いがあり感情があります」
食べ終わったイーブイがレッドを見上げる。レッドは何も言わずにもう一つ差し出した。イーブイは戸惑いながらもそれを受け取る。
「ポケモントレーナーとはひとつひとつのポケモンを知りそして相手に知ってもらい絆を育み共に強さを目指す……。レッドさんあなたは今イーブイの一部を知りました」
エリカがレッドにポケモンフードの箱ごと手渡す。
「しかしイーブイの全てではありません。これからレッドさんはもっとイーブイの事を知りそしてイーブイにあなた自身を知ってもらう必要があります」
「僕自身をイーブイに知ってもらう?」
「ええ」
レッドがイーブイを見つめる。イーブイは目を逸らした。
「互いの事を知り共に切磋琢磨して絶対に切れない絆のもとに望む勝利の光がある……。それがポケモントレーナーです」
――絶対に切れない絆。
イーブイの耳がわずかに震えた。そんなもの存在しない。勝てなければ切れる。使えなければ捨てられる。自分はそれを知っている。
「……」
レッドは餌を食べるイーブイを見つめる。初めてグリーンのヒトカゲと戦った時自分はなにを考えていただろうか。
『グリーンに勝ちたい!』『このポケモンバトルでなら!』
『なんであっちの攻撃の方が強いんだ!』『あっちのポケモンにすればよかった!』
『どうせまた勝てない』
「……」
「……僕も」
レッドは初めてエリカの瞳を真正面から見つめた。
「僕もなれるかな。そんなポケモントレーナーに」
「なれるかどうかはこの世界の誰にもわかりません。大事なのは」
エリカは抱擁力がこもった声で言う。
「“なりたい”という意思があるかどうか。レッドさん、ポケモントレーナーになりたいですか?」
レッドは目をつぶった。
『レッド、お前ポケモンバトルも弱いんだな!』
『レッド、少しはグリーンに言い返したらどうじゃ?』
『レッドくんごめんね。グリーンにはいつも言ってるんだけど……』
強くなれるだろうか。もうあんな目で見られることはなくなるだろうか。ポケモントレーナーになればグリーンに勝つことができるのだろうか。
……いや勝つことができるかどうかじゃない。
自分は望んでいる。なににも変えがたい強さを。勝利の光を。
「……ポケモントレーナーになりたい。なってグリーンに勝ちたい」
「はい。それではレッドさんはまずなにを始めますか?」
「もっとイーブイの事を知りたい。ポケモンのこともポケモンバトルの事も」
「ええ」
エリカが本当の意味で微笑む。
「そのエリカさん」
「はい?」
レッドがイーブイを見つめる。イーブイは視線を逸らしたまま動かない。
「よかったら少し教えてくれませんか?ポケモンのことちょっとでいいんで」
「もちろん。構いませんわ」
雨はもう止んでいた。
◆
レッドは研究所に戻ってオーキド博士にポケモン図鑑とモンスターボールを受け取った。
イーブイはボールに入ることを拒んだ。レッドはそれ以上無理強いしなかった。
「それではレッドさん」
エリカが微笑む。
「旅の途中もし私のジムに来ることがあればいつでも歓迎しますわ」
「はい……ありがとうございました」
レッドは小さく頭を下げた。
イーブイはエリカを見上げる。優しい笑顔で温かい声だ。
――でも。
イーブイは思う。この人もきっと同じことを言うんだ。絆があれば勝てるって強くなれるって。そして勝てなければ失望する。使えなければ見放す。それが人間だ。
レッドはイーブイを抱き上げて研究所を後にした。
マサラタウンの出口。見慣れた景色の向こうに知らない道が続いている。
一歩踏み出す。草が揺れる。風が頬を撫でていく。
「……行こう」
レッドが呟く。
イーブイは何も答えなかった。ただレッドの腕の中で小さく身を縮める。
――また。
イーブイは思う。また期待されてまた失望される。鈍い自分はまた同じことを繰り返す。
それでも。
この人間はまだ殴らない。まだ怒鳴らない。
――なぜ。
その理由がまだ分からなかった。
レッドは歩き続ける。イーブイを抱いたまま。同じ痛みを知る二人で。