マサラタウンを出てしばらく歩いた。道は緩やかに続いていて見慣れない草花が道端に咲いている。遠くで鳴くポケモンの声が風に乗って聞こえてくる。
レッドは立ち止まって深く息を吸った。足元でイーブイが歩みを止める。相変わらずボールには入りたがらない。レッドは無理強いしなかった。
歩き出す。一歩また一歩。イーブイはレッドの少し後ろを歩いていた。周囲を警戒している様子で時々立ち止まっては耳を動かしている。いつ襲われるか分からないしいつ何が起きるか分からない。でもこの人間はまだ何もしてこない。優しく話しかけてくるだけで時々立ち止まって待ってくれるだけだ。イーブイにはその理由が分からなかった。
◆
草むらを抜けると開けた場所に出た。そこにポケモンの群れがいた。ポッポだ。数羽が地面をついばんでいる。
レッドは足を止めた。イーブイの体がわずかに強張る。
「……大丈夫。こっちから近づかなければ襲ってこない」
だがその言葉が終わる前に一羽のポッポがこちらを向いた。他のポッポより明らかに小さいがその目は鋭かった。
ポッポが羽ばたいてレッドたちの前に降り立つ。
「ポポッ!」
鳴き声が挑発のように響く。イーブイの耳がぴくりと動いた。バトルだとそれは分かる。
「……」
レッドはイーブイを地面に降ろした。イーブイは一瞬戸惑ったがすぐに体を低く構える。逃げない。耐える。それしかできない。
「イーブイ、たいあたり」
レッドの声が落ちる。イーブイの足が地面を蹴った。草を踏みしめる音がする。ポッポまでの距離が思うように縮まらない。体が重くて動きが追いつかない。
ポッポの翼が風を切る。体を捻って避ける動き。イーブイの体当たりは空を切った。
翼が叩きつけられる。痛みが走ってイーブイの体が地面を転がった。だが倒れない。耐える。それしかできないから。
「イーブイ、もう一度!」
レッドの声。イーブイはまた走った。また避けられてまた打たれる。鈍い。自分を呪う。遅くて使えない。それでも足は止まらなかった。
「イーブイ!」
レッドの声が聞こえる。怒鳴ってはいないし焦ってもいない。ただ呼んでいる。
「次はフェイントだ!」
体が動いた。走る。
ポッポが避ける動きを見せるが、その瞬間イーブイが軌道を変えることで、ポッポの予想を裏切って体当たりが命中する。
「ポポッ!?」
ポッポが地面に転がる。だがすぐに立ち上がった。翼を広げて風を起こす。かぜおこしだ。
「イーブイ、耐えろ!」
風がイーブイを打つ。体が吹き飛ばされそうになる。だが足を踏ん張った。耐える。それしかできないから。
風が止む。イーブイはまだ立っていた。
「……よく耐えた。イーブイ、たいあたり!」
走る。ポッポがまた風を起こそうとする。だが間に合わなかった。体当たりが再び命中する。ポッポが倒れ伏す。
「ポ、ポー……」
弱々しい鳴き声。イーブイはその場に座り込んだ。息が荒くて体が重い。だが勝った。
――勝った?
イーブイは自分でも信じられなかった。
ポッポがゆっくりと立ち上がる。レッドに近づいて小さく鳴いた。
「ポポッ」
それは讃えるような声だった。健闘を認めるような声だった。
レッドはキズぐすりを取り出した。ポッポに使ってイーブイにも使う。
「よく頑張ったな」
レッドがイーブイの頭を撫でる。イーブイはその手を見上げた。優しい。殴らないし怒鳴らない。勝ったから?それとも……
そのとき空気が変わった。イーブイの耳がぴくりと立つ。殺気だ。
「ギャース!!」
鋭い鳴き声とともに影が降ってくる。オニスズメだ。ポッポが反射的に身構える。
――あいつ。
縄張りが近く、何度も小競り合いをした相手だ。だが今は体が動かない。
オニスズメの嘴が迫る。ポッポが避けようとする。だが遅い。バトルの疲れが体を重くしている。イーブイも咄嗟のことで動けずにいた。
――間に合わない。
その瞬間だった。
「っ……!」
レッドが飛び出した。ポッポを抱えて背中で攻撃を受ける。
「がっ……!」
レッドの体が前に倒れる。
「ポ、ポポッ!?」
ポッポが信じられないという顔をする。人間が、人間がポケモンをかばった。
イーブイも動けなかった。
――なぜ。
なぜこの人間は。
「イーブイ!!」
レッドが叫ぶ。
「頼む!!」
その声にイーブイの体が動いた。考える前に迷う前にただ走った。オニスズメに向かって。
「ギャー!?」
たいあたり。全力で体を打ちつける。オニスズメが吹き飛んで地面に叩きつけられてそのまま飛び去っていく。
「ギャアアアッ……!」
鳴き声が遠ざかる。イーブイはその場に座り込んだ。体が震えていて息が上がっている。だがレッドは。
「……大丈夫かポッポ」
レッドがポッポを抱えたままゆっくりと立ち上がる。背中から血が滲んでいる。だがレッドは気にしていない。ポッポを見つめて優しく微笑む。
「怪我はないか?」
「ポ、ポー……」
ポッポが小さく鳴く。目が潤んでいる。
イーブイはその光景を見ていた。
――なぜ。
なぜこの人間は自分が傷ついてまでポケモンを守るんだ。意味が分からないし理解ができない。だが胸の奥に何かが引っかかる。温かいような苦しいような。
◆
レッドはポッポとイーブイにキズぐすりを使った。自分の傷は後回しだ。
「ありがとうイーブイ」
レッドがイーブイの頭を撫でる。
「お前が動いてくれたから助かったよ」
イーブイはその手を見上げた。
――お礼?
自分がお礼を言われる?使えない自分が鈍い自分が。それでもレッドは笑っている。
「ポポッ!」
ポッポがレッドの肩に止まる。そして何かを伝えるように鳴く。
「ん?どうした?」
ポッポが空を見上げる。そこに大きな影が降りてくる。ピジョットだ。堂々とした姿で鋭い目をしている。ポッポの母親だろう。
ピジョットはレッドを見つめる。値踏みするように。そしてポッポを見る。ポッポが何かを訴えるように鳴く。
「ポポッ、ポポポッ!」
ピジョットはしばらく黙っていた。そしてゆっくりと頷く。
「ピジョー……」
ポッポがレッドの前に降り立つ。そしてモンスターボールに向かって自ら頭を下げた。
「……え?」
レッドが戸惑う。
「お前一緒に来たいのか?」
「ポポッ!」
力強い鳴き声。ポッポの目は真剣だ。
――この二人と。
ポッポは思う。この人間とこのイーブイと絆を感じた。人間がポケモンをかばって、ポケモンが人間を守る。それは母と父が見せてくれた姿と同じだ。
だから自分もそうなりたい。小さくて弱い自分だがこの二人となら強くなれる気がする。
「……分かった」
レッドがモンスターボールを取り出す。
「一緒に行こう」
ボールをポッポに向ける。赤い光がポッポを包む。ボールが一度揺れて二度揺れて、そして止まった。
「……よろしくなポッポ」
レッドがボールを腰につける。ピジョットが一度鳴いた。そして空へ飛び立つ。見送るように信じるように。
イーブイはその光景を見ていた。
――絆。
またその言葉が頭をよぎる。ポッポはそれを信じた。レッドとの絆を。だがイーブイはまだ分からない。信じていいのか期待していいのか。
それでも胸の奥に何かが芽生えている。
――なんだろう。
この気持ちは。温かくて少し苦しい。
レッドがイーブイを抱き上げる。
「行こうイーブイ」
その声は優しい。イーブイは何も答えなかった。ただレッドの腕の中で小さく目を閉じる。
◆
歩き続けて日が傾き始めた頃、町が見えてきた。トキワシティだ。
レッドはポケモンセンターに向かった。イーブイとポッポを回復させて自分の傷も手当してもらう。
「ありがとうございました」
レッドが頭を下げる。ジョーイが微笑む。
「いえいえ。またいつでもどうぞ」
ポケモンセンターを出ると夕日が沈みかけていた。レッドは少し歩いて町を見て回る。
イーブイはレッドの隣を歩いていた。知らない場所で知らない匂いがする。だが怖くない。レッドがそばにいるから。
――あれ。
イーブイは自分の心に気づいた。いつの間にかレッドといることが当たり前になっている。命令を聞くことに違和感がなくなっている。迷いが消えている。
――なぜ。
それが分からない。だが嫌じゃない。むしろ少しだけ心地いい。
「よーレッド」
その声にレッドが振り返る。グリーンだ。腰にモンスターボールをつけている。
「この先はジムバッジが8個ないと進めないってよ!まったくケチンボだぜあの警備員」
レッドは答えない。グリーンは気にした様子もなく言葉を続ける。
「そういやレッド、あれからお前ポケモンは捕まえられたか?じいちゃんの言葉に従うのは癪だけど俺は一応集めてる。もう4匹も捕まえちゃったぜ。レッドは何匹だ?」
「……2匹」
「俺の半分かよ!そんな調子じゃポケモン図鑑の完成も俺が先にしちゃうかもな!」
はははっ!とグリーンは軽く笑う。そして腰のモンスターボールに手をかけた。
「知ってるかレッド、旅の途中でポケモントレーナーの視線が合ったらやることは一つ」
「……」
レッドが身を低くしてモンスターボールを構える。さまになっているレッドの姿が意外だったのかグリーンが口笛を吹いた。
「へへっ。今度は長くもてよ。レッド!いけっ!オニスズメ!」
「いけっ!ポッポ!」
鳥ポケモンのそれぞれの鳴き声が響く。イーブイはレッドの足元で見ていた。
今度はポッポが戦う。自分は見ているだけだ。それでも胸の奥がざわつく。
――頑張れ。
そう思っている自分がいる。
「オニスズメ!つつく!」
「ポッポ、すなかけだ!」
オニスズメの攻撃に耐えながらポッポは正確にオニスズメの目にすなをかけていく。
「相手のHP(ヒットポイント)を減らさなきゃ勝てないんだぜレッド!」
グリーンが電子図鑑でポッポのHPを確認する。
「ポッポ、すなかけ!」
「はっ、つつくだ!オニスズメ!この前と一緒だなレッド!」
「……」
「なあレッド。お前とお前のポケモンのために言っとくぜ、ポケモントレーナーなんてやめちまえよ」
「!」
イーブイの耳がぴくりと立つ。
――やめろ。
その言葉に反発する。なぜだろう。なぜそう思う。
「ポケモントレーナーていうのはなポケモンを道具のように自在に扱って勝利を勝ち取るもんだ!どんなに強いポケモンを使おうが命令してる奴がヘボだと勝てねえんだよ」
「……」
「お前て弱い上に口下手だろう?使われてるポケモンがかわいそうだぜ!俺なんかじいちゃんの孫だからポケモンのことだってお前よりわかってるしバトルも強い!そうだ俺が勝ったらポケモンよこせよ!お前の分も頑張ってやるよ。このグリーン様が未来の世界チャンプのポケモントレーナー様がな!」
イーブイの体が震えた。
――違う。
その言葉が胸の中で叫ぶ。レッドはそんな人間じゃない。道具のように扱わない。
自分を守ってくれた。
ポッポをかばってくれた。だから。
「…………違う」
レッドの声が響いた。確かでしっかりとした言葉だった。
「あん?」
「ポケモントレーナーはそんなものじゃない!」
レッドは顔を上げてグリーンを正面から見据えた。
「ポケモントレーナーとはポケモンとの絆を育み勝利の光を目指すものだ。好き勝手に命令して道具のような扱いをして勝てるようなものじゃあない!」
「なっ!?」
グリーンは知らない。こんな意思をもった煌きを放つ瞳のレッドなど知らない。
イーブイはレッドを見上げた。
――そうだ。
それがレッドだ。だから自分はここにいる。
「それを証明してやる!ポッポ!かぜおこし!」
攻撃に耐えていたポッポの眼が開いて一気にオニスズメから距離をとって羽ばたく。
「くっ!オニスズメつつくだ!」
しかしオニスズメの攻撃は外れた!
「なに!どうして!?もう一度だ!」
グリーンは気づかない。オニスズメの攻撃がポッポのすなかけによって途中から空を切っていたことを。レッドはオニスズメの命中率が十分に落ちてから反撃にでたのだ。
「トドメだ!かぜおこし!」
ポッポが一段と甲高く鳴いて羽ばたいて作り出した風のかたまりをオニスズメにぶつける。オニスズメは力のない鳴き声を上げて倒れ伏した。
「そんな……俺のオニスズメが……」
グリーンが呆然とした表情でオニスズメをモンスターボールに戻す。
「こんな……こんなの認めねえ!畜生!」
グリーンはバトルを中断して走り去っていく。
「待てグリーン!……」
レッドは追うのをやめてポッポに近寄った。
「よくやったぞポッポ。頑張ったな」
「ポー♪」
ポッポにキズぐすりを使って背中を撫でるとポッポが陽気にレッドへ擦り寄ってくる。
その瞬間イーブイの中で何かが弾けた。
胸の奥から込み上げてくる。抑えきれない。止められない。気がつけばイーブイはレッドに飛びついていた。
「うわっ!?」
レッドが驚いてよろめく。イーブイは必死にレッドの胸にしがみつく。体が震えている。自分でもなぜこんなことをしているのか分からない。
ただ嬉しかった。レッドが勝ったことがグリーンの言葉を否定したことがポッポが誇らしげに鳴いていることが。全部全部が。
「イーブイ……?」
レッドの声が優しく降ってくる。イーブイは顔を上げることができなかった。自分でも理解できない感情に戸惑っている。
――なんだこれは。
前のトレーナーの時にはこんな気持ちにならなかった。勝っても負けても何も感じなかった。ただ次に殴られるかどうかだけを考えていた。でも今は違う。
レッドの温もりが胸に染みる。鼓動が聞こえる。
「……ありがとうイーブイ」
レッドがイーブイの頭を撫でる。
「お前も頑張ってくれたから」
イーブイは目を閉じた。体の震えが少しずつ収まっていく。
「イーブイの出番、今回はなかったけど油断せずに行こう」
ポッポがレッドの肩に止まってイーブイはレッドの腕の中に収まった。
「さて道を変えてまずはトキワの森か。今度はどんなところかな」
(あっ……そういえば僕グリーンに勝ったのか)
しかし今は些細な事に思える。不思議だ。もっと大事なことができたからだろう。
「……なんでもないよ。さて行こうか皆。まだまだ旅は始まったばかりだよ」
イーブイはレッドの足元で目を閉じた。
――この気持ちは。
まだ名前をつけられない。だが確かにある。胸の奥に。温かく優しく少しだけ苦しいけれど。
――悪くない。
そう思った。
少年は本当の意味で歩み始める。ポケモントレーナーになるためにタマムシシティであの人に礼を言うためにポケモン達と共に勝利の光を目指す旅に。