地の文をみんながよむことで、おれが目を閉じた時に見ている光景をそのままみんなにも見てもらいたいんだけど、むずかしいね。
トキワの森。木々が空を覆い薄暗い。湿った空気が肌に纏わりつく。草むらから時折聞こえる虫ポケモンの鳴き声。
レッドは足を止めて深く息を吸った。
「ここがトキワの森か」
ポッポが肩から飛び立ってあたりを見回す。好奇心に目を輝かせている。あちこち飛び回っては木の枝に止まり葉をつついている。
「ポポッ!ポポー!」
イーブイがレッドの足元で小さく鳴く。
「ブイ」
落ち着けという声だった。ポッポがイーブイを見下ろして首を傾げる。
「ポポ?」
イーブイは小さくため息をついた。この鳥は警戒心というものがないのか。だがその無邪気な様子がどこか眩しかった。
レッドが小さく笑う。
「そうだな。でも気をつけないと」
森の奥へ進む。木漏れ日が地面に斑模様を作っている。
◆
森の奥、木漏れ日が差し込む静かな場所に一匹のキャタピーが葉を食べていた。毎日同じことの繰り返しだ。葉を食べて生きる。それだけ。
遠くで仲間たちの声がする。群れで固まっている。だがキャタピーは群れに馴染めなかった。いつも一匹でいる。
空を見上げる。木々の隙間から青空が見える。
――いつか。
いつか大空を羽ばたきたい。バタフリーになって自由に飛びたい。でも今は地を這うだけだ。ただ葉を食べて生きるだけ。
そのとき人の声が聞こえた。
「少し休憩しようか」
キャタピーが顔を上げる。人間だ。ポケモンを連れている。
レッドが木陰に座る。ポッポが肩に止まる。イーブイがそばに座る。
「お腹空いたな。みんなも食べよう」
レッドがポケモンフードを取り出す。ポッポに渡してイーブイにも渡す。
「ポポー!」
ポッポが嬉しそうに食べる。レッドに擦り寄る。レッドが笑って頭を撫でる。
イーブイは少し離れた場所で食べている。だがレッドの方を時々見ている。レッドが気づいて微笑む。イーブイは視線を逸らした。だがその耳が少しだけ下がっている。嬉しそうに。
キャタピーは木陰からその様子を見ていた。
――楽しそう。
人間とポケモンが一緒にいる。笑っている。仲間のように。
群れにいても孤独だった。みんな一緒にいるだけだ。でもあの人たちは違う。本当に繋がっている。
「そういえばイーブイ、最近よく僕の方を見るようになったな」
レッドが呟く。イーブイの耳がぴくりと動く。
「最初は全然目も合わせてくれなかったのに」
レッドが優しく笑う。イーブイは何も言わない。だが少しだけレッドに近づいた。
「ブイ」
小さく鳴く。レッドが手を伸ばす。イーブイは少し迷ってからその手に頭を預けた。レッドが撫でる。イーブイが目を細める。
ポッポがそれを見て楽しそうに飛び回る。
「ポポー!ポポポー!」
イーブイが小さくため息をついた。だが嫌そうではない。むしろ少しだけ楽しそうだ。
キャタピーの胸が熱くなった。
――あれだ。
自分が求めていたのはあれだ。ただ生きるんじゃない。目的を持って生きる。誰かと繋がって生きる。
レッドが立ち上がる。
「さて行こうか」
ポッポが肩に戻る。イーブイがレッドの隣を歩く。三人が歩き出す。
キャタピーは思わず這い出した。
「キャタ……」
小さく鳴く。レッドが振り返った。
「ん?」
キャタピーとレッドの目が合う。キャタピーは動けなかった。だが目を逸らさなかった。
レッドがしゃがみこむ。
「こんにちは」
優しい声だ。キャタピーが少しだけ近づく。ポッポが興味津々で覗き込む。イーブイがそれを軽く制した。
「ブイ」
急に近づくなという声。ポッポが素直に下がる。
レッドが手を伸ばす。キャタピーは迷ってからその手に触れた。温かい。
「またどこかで会えるかもな」
レッドが立ち上がる。三人が歩き出す。
キャタピーはその背中を見送った。胸の奥で何かが燃え始めている。
――ついていこう。
あの人たちと一緒なら自分の夢に近づける気がする。
キャタピーは這い始めた。レッドたちの後を追って。
◆
しばらく進むと短パン小僧と目が合った。
「おっポケモントレーナーか!勝負だ!」
少年が飛び出してくる。レッドは構えた。
「いけポッポ!」
「いけビードル!」
戦いが始まる。ポッポが素早く動いて風を起こす。ビードルが毒針を放つがポッポは軽々と避けた。風がビードルを押し返す。ビードルが体勢を崩す。
「ポッポもう一度!」
ポッポの翼がビードルを打つ。ビードルが倒れる。
「やったなポッポ!」
レッドがポッポの頭を撫でる。ポッポが嬉しそうに鳴く。イーブイも小さく鳴いた。
「ブイ」
よくやったという声だ。
木陰から見ていたキャタピーは目を輝かせた。ポッポが風を切って飛ぶ姿、自由に羽ばたく姿。レッドが優しく声をかける姿。イーブイが仲間を認める姿。
――いいな。
自分もあの中に入りたい。あんなふうに強くなりたい。大空を羽ばたきたい。
◆
日が傾き始めた頃レッドは野営の準備を始めた。木を集めて火を起こす。パチパチと薪が弾ける音。オレンジ色の光が周囲を照らす。
ポッポはレッドの隣で目を閉じかけている。一日飛び回って疲れたのだろう。小さく寝息を立て始めた。
イーブイは落ち着かない様子であたりを見回している。夜型なのか目が冴えている。レッドが準備をしている間もキョロキョロと周囲を警戒している。
「イーブイは眠くないのか?」
レッドが尋ねる。イーブイは小さく首を振った。
「ブイ」
大丈夫だという声。むしろこの時間の方が落ち着く。暗闇の方が安心する。
そのとき草むらが揺れた。イーブイが身構える。だが現れたのは一日中ついてきていたキャタピー。
「キャタキャタ!」
キャタピーが必死に這ってくる。レッドのそばまで来て見上げる。その目は真剣だった。
「……一緒に来たいのか?」
レッドが尋ねる。キャタピーが大きく頷く。
「キャタ!」
イーブイはキャタピーを見つめた。この小さな虫ポケモン。一日中ずっとついてきていた。バトルを見ていた。自分たちを見ていた。
――憧れてる。
イーブイには分かる。この虫は何かに憧れている。強くなりたいと願っている。大空を羽ばたくことを夢見ている。
レッドがモンスターボールを取り出す。
「分かった。一緒に行こう」
ボールをキャタピーに向ける。赤い光がキャタピーを包む。ボールが一度揺れる。二度揺れる。そして止まった。
「よろしくなキャタピー」
レッドがボールから出す。キャタピーが嬉しそうに体を揺らす。
「キャタ!キャタキャタ!」
ポッポが目を覚まして首を傾げる。
「ポポ?」
新しい仲間を見てすぐに理解した。ポッポがキャタピーに近づいてじゃれる。
「ポポー!」
キャタピーも嬉しそうに応える。
「キャタ!」
イーブイはその様子を見ていた。賑やかになった。少しだけ悪くない。
◆
夜が深まった。ポッポとキャタピーは焚き火のそばで眠っている。レッドも横になって目を閉じている。
イーブイだけが起きていた。夜の森は昼とは違う。静かで落ち着く。イーブイは小さく歩き出した。レッドから離れすぎないよう気をつけながら。
月明かりが木々の間から差し込んでいる。草を踏む音。遠くで鳴く夜のポケモンの声。風が葉を揺らす。
イーブイは立ち止まった。
――静かだ。
悪くない。こういう時間も。
そのとき背後で羽音が響いた。イーブイが振り返る。
スピアー。
大きな体が月明かりに浮かび上がる。両腕の針が鋭く光っている。羽音が低く響く。威圧感がある。野生のポケモンとは思えないほど鋭い眼光だ。
「ブイ!」
イーブイが警戒の声を上げる。その声にレッドが目を覚ました。
「イーブイ!?」
レッドが飛び起きる。スピアーを見て表情を引き締める。
「ポッポ!キャタピー!」
二匹も目を覚ます。スピアーを見て身構える。スピアーの羽音がさらに激しくなる。威嚇するように針を構える。
「キャタピーいとをはく!ポッポかぜおこし!」
キャタピーが糸を吐く。スピアーの動きが鈍る。ポッポが風を起こす。スピアーが体勢を崩す。
「イーブイ!」
レッドの声。イーブイは走った。だが攻撃には向かわない。体を低くする。じっと待つ。スピアーの動きを見る。
体が重くなる感覚がある。不思議だ。だがそれは嫌な重さじゃない。力が内側に溜まっていくような感覚だ。動きは鈍くなる。でも一撃は重くなる気がする。
――今じゃない。
スピアーが針を振るう。キャタピーに向かう。
「キャタ!」
キャタピーが糸で応戦する。だがスピアーの針が糸を切り裂いて迫る。
「ポッポ!」
ポッポが風で押し返す。スピアーが怯む。
イーブイは機を窺っていた。スピアーの動きを見ている。糸で鈍った動き、風で崩れた体勢。体が重い。だが力が満ちている。
――今だ。
イーブイが飛び出した。全力で走る。体は重いがその分一歩一歩に力がこもる。溜めた力を解放する。
「イーブイたいあたり!」
レッドの声と重なる。イーブイの体がスピアーに激突する。重い一撃だった。
「ブゥゥン!!」
スピアーが吹き飛ぶ。地面に叩きつけられて羽音が止む。動かなくなる。
イーブイは息を切らしながら立っていた。体が重い。だが不思議と悪い感じはしない。
「……やったな!」
レッドが駆け寄る。ポッポとキャタピーも集まる。
「ポポー!」
「キャタキャタ!」
イーブイは三匹を見回した。
――みんなで。
自分一匹では勝てなかった。みんなで戦ったから勝てた。キャタピーが動きを止めて、ポッポが隙を作って、自分が決めた。
「いい連携だった!みんな!」
レッドが三匹を撫でる。その瞬間キャタピーの体が光り始めた。
「キャタ……!」
体が変化していく。硬い殻に包まれる。トランセルへの進化だ。
光が収まる。そこにはトランセルがいた。
「トラン……」
レッドがポケモン図鑑を向ける。
『トランセル。さなぎポケモン。殻の中で進化の準備をしている。殻は非常に硬い。虫ポケモンは成長が早く短期間で進化する』
「虫ポケモンは進化が早いんだな」
レッドが呟く。トランセルはやる気満々という様子で体を揺らしている。
「トラントラン!」
イーブイはトランセルを見つめた。さなぎになった。動きは制限される。だがその目は輝いている。前を向いて戦おうとしている。
◆
朝が来た。森を抜ける手前でまた短パン小僧と目が合った。
「勝負だ!」
少年が飛び出してくる。
「いけトランセル!」
レッドがトランセルを出す。トランセルが地面に現れる。
「トランセルか!こっちはコラッタだ!」
コラッタが飛び出してくる。素早い動きだ。トランセルは動けない。
「コラッタたいあたり!」
コラッタが突進してくる。トランセルに激突する。
「トラン……!」
トランセルが揺れる。だが倒れない。
「トランセルかたくなる!」
トランセルの殻がさらに硬くなる。コラッタが再び体当たりする。だがトランセルは耐える。
「トランセルいとをはく!」
トランセルが糸を吐く。コラッタの動きが鈍る。
「コラッタもう一度!」
コラッタが糸を引きちぎって突進してくる。トランセルに再び命中する。
「トラン……!」
トランセルが耐える。体を揺らしながらも倒れない。殻が衝撃を吸収している。
「トランセル大丈夫か!」
レッドの声。トランセルが応える。
「トラン!」
大丈夫だという声。まだ戦える。
イーブイはその姿を見ていた。トランセルは耐えている。だが自分がかつて耐えていたのとは違う。
自分は嫌なことから逃げるために耐えていた。次に殴られないために、捨てられないために。ただただ耐えていた。痛みに耐えていた。恐怖に耐えていた。
だがトランセルは違う。戦うために耐えている。勝つために耐えている。反撃の機会を待っている。前を向いて踏ん張っている。
――そうだ。
イーブイは思う。自分がやりたかったのはこれだ。ただ耐えるんじゃない。戦うために耐える。勝利のために踏ん張る。
そしてレッドとならそれができる気がする。もうあの頃の自分じゃない。
「いけトランセル!」
イーブイが小さく鳴いた。
「ブイ!」
応援の声。頑張れトランセル。お前ならできる。
ポッポも鳴く。
「ポポー!」
トランセルが反応する。みんなの声を聞いて体を震わせる。イーブイさんが応援してくれている。ポッポさんも。レッドさんも。
――みんなのために。
トランセルは思う。自分も頑張らなきゃ。イーブイさんみたいに。耐えて耐えて最後に反撃するんだ。
「トランセルたいあたり!」
トランセルが体を揺らして前に飛び出す。コラッタに激突する。コラッタが吹き飛ぶ。
「コラッタ!」
コラッタが倒れる。勝負あり。
「やったなトランセル!」
レッドが駆け寄る。その瞬間トランセルの体がまた光り始めた。
「トラン……!」
殻が割れる。中から羽が現れる。触角が伸びる。バタフリーへの進化だ。
光が収まる。そこには美しいバタフリーがいた。
「フリィー!」
バタフリーが羽ばたく。空を舞う。夢にまで見た大空だ。自由に羽ばたく喜び。風を感じる。太陽の光を浴びる。
レッドが笑う。
「すごいぞバタフリー!」
ポッポも一緒に飛び回る。
「ポポー!」
イーブイはその光景を見上げていた。バタフリーが夢を叶えた。耐えて耐えて最後に羽ばたいた。自分の力で掴み取った。
イーブイの胸に何かが芽生える。
――自分も。
自分もあんなふうに。レッドと一緒に。前を向いて戦いたい。ただ耐えるだけじゃなく。勝利のために。
早く戦いたい。レッドの声に応えて走りたい。全力で。
バタフリーがイーブイのそばに降りてくる。
「フリィー」
ありがとうという声。イーブイが応援してくれたから頑張れた。
イーブイは小さく鳴いた。
「ブイ」
おめでとう。お前は格好よかった。
レッドが三匹を見回す。
「さあ次の町に向かおう。ニビシティだ」
森を抜ける。木々の向こうに光が見える。開けた場所に出る。
イーブイは前を向いて歩いた。レッドの隣を。新しい仲間たちと共に。胸の奥で何かが確かに変わり始めていた。