ある日、フィオーレ王国の北方。人里から遥か離れた峻険な山岳地帯に佇む古代遺跡。
ラクサス・ドレアーは、石造りの通路を歩きながら舌打ちした。
「……チッ。観測魔力に異変、か。じじぃもめんどくせえ依頼を寄越しやがる」
S級魔導士指定の依頼――それは、ギルドマスターであるマカロフが直々にラクサスに託したものだった。「最近、北方の遺跡周辺で魔力の流れが乱れている」という報告を受け、その調査に赴いたのだ。
遺跡の最深部に辿り着いたラクサスは、その光景を目の当たりにして思わず足を止めた。
広間の天井に、禍々しい漆黒の穴が開いていた。
「……これは……」
ラクサスの表情が険しくなる。その穴の周囲には、空間そのものが歪んでいるかのような揺らぎがあり、周囲の石材や空気中の魔力(エーテル)を猛烈な勢いで吸い込んでいた。
「まさか……アニマ、だと……?」
かつてナツたちがエドラスへ飛ばされる原因となった、超亜空間魔法「アニマ」。あの騒動は既に解決したはずだった。だが、目の前に広がっているのは紛れもなく、その残滓だ。
「古代遺跡の魔力と共鳴して、再発生したってのか……?」
ラクサスは即座に踵を返した。これ以上近づくのは危険だ。ギルドに戻って、マカロフたちと相談する必要がある。
だが――その時だった。
ズッ……ゴゴゴゴゴゴゴッ!!
突如、アニマから漆黒の触手が伸び、ラクサスの身体を捉えた。
「……ッ!? 野郎……ッ!!」
反射的に全身から黄金の雷を爆発させる。触手が焼き切れ、一瞬だけ解放される。だが、アニマはその雷の魔力すら喰らい、さらに巨大化していく。
「ふざけんな……ッ! 離しやがれッ!!」
再び伸びてきた無数の触手が、ラクサスの四肢を、胴体を、首を絡め取った。凄まじい引力。視界が歪み、空間がガラスのように砕け散っていく。
(クソッ……このまま、どこかに飛ばされるのか……!?)
脳裏に浮かぶのは、祖父マカロフの顔。雷神衆の三人。ナツやエルザ、グレイたちの顔。そして――ギルドの仲間たち全員。
(……すまねえ、みんな、少し離れちまうみてぇだ……)
ラクサス・ドレアーの意識は、黄金と漆黒が混ざり合う混沌の中へと吸い込まれ――フィオーレ王国の空から、姿を消した。
場所は変わって、日本。人里離れた深い山中。
そこには、ライザー・フェニックスとの決戦を控えたリアス・グレモリーと、その眷属たちの姿があった。
「……はぁっ、はぁっ……! まだだ、まだいける……!」
兵頭一誠が神器(ブーステッド・ギア)を構え、必死に汗を流している。だが、その動きは見るからに限界が近い。
「一誠、無理はしないで。あなたが倒れたら元も子もないわ」
「で、でも……! 部長を、あんな奴の嫁になんかさせられねえ……!」
一誠の必死な形相に、リアスは胸が締め付けられるのを感じた。
彼は、自分のために必死になってくれている。木場も、小猫も、朱乃も、アーシアもみんな。
だが――現実は、あまりにも残酷だった。
(……負ければあと数日で、私はあの男の妻にならなければならない。イッセーは転生悪魔になってまだ日が浅い。ライザーには、不死鳥の眷族が十五人もいる。どう考えても、勝ち目なんてない……)
リアスは、自分の無力さに歯噛みした。
(本当に、これでいいの……? このまま、私の望まない形で生きていくの……?)
その時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
修行場の空が、一変した。
つい先程まで穏やかに晴れていた空が、突如として禍々しい黄金色に染まり、大気が物理的な圧力を持って震え始めたのだ。
「な、何……!?」
一誠が驚愕の表情で空を見上げる。
「この雷は……私の雷とは、全く違う……!」
朱乃が警戒して空を見上げる。それは彼女の雷とは全く異質な、暴力的で、世界そのものを粉砕しようとするかのような圧倒的なプレッシャー。
「部長……! あれ……!」
木場が指差した先――空に、巨大な黄金の魔法陣が浮かび上がっていた。それは悪魔の魔法陣でも、天使の魔法陣でもない。全く未知の、異質な紋様。
そして――
――ドォォォォォォォォォォォォン!!!
轟音と共に、修行場のすぐ近くの森に巨大な黄金の雷柱が突き刺さった。
大地が揺れ、爆風が吹き荒れる。木々が吹き飛び、山そのものが悲鳴を上げているかのようだった。
「みんな、行くわよ! 何が落ちてきたのか確認する!」
リアスたちは武器を手に、雷が落ちた場所へと駆け出した。
森を抜けた先にあったのは、巨大なクレーターが穿たれた凄惨な光景だった。
直径数十メートルはあろうかという大穴。その中心に、一人の大男が横たわっていた。
逆立った金髪に、黒いファーのコート。鍛え上げられた逞しい身体。右目には、雷のような形の傷跡。
そして――意識を失っているはずなのに、周囲を威圧するほどの凄まじい「魔力」が漏れ出している。
「これは……人間……?」
リアスが警戒しながら近づく。だが、その「気配」は尋常ではなかった。
「部長、これ……ヤバいっスよ……! こいつから感じる気配、ライザーのやつより……いや、比べ物にならないくらいヤバいですよ…!」
一誠が冷や汗を流しながら後退する。
「朱乃、これを見て。あなたの雷とは質が全く違う……もっと暴力的な魔力よ」
「ええ……。まるで、雷そのものがこの男の血肉になっているかのようですわ。それに……」
朱乃が真剣な表情で続ける。
「この方の周囲だけ、異常なほど空気中の魔力濃度が高いんです。まるで、この方自身が魔力の源泉であるかのように……」
リアスは男の顔を見つめた。酷く消耗しているが、普通の人間ではないことは一目でわかった。
「……とりあえず、私たちが滞在している別荘に運びましょう。このまま放置して、万が一暴走でもされたら山が消えてしまうわ」
「で、でも部長……こんな危険な奴を……」
「大丈夫よ、裕斗。それに……」
リアスは男の表情を見つめた。鋭い顔立ちだが、どこか憂いを帯びた表情。
「なんとなく、この人は信じていい気がするの。……何かに必死で抗おうとして、力尽きたような感じがする……」
数時間後。グレモリー家所有の別荘。豪華な客間のベッド。
ラクサスがゆっくりとその目を開けた。
「……あァ……?」
視界が揺れる。頭を割るような痛み。身体中の魔力が、まるで絞り尽くされたかのように枯渇している。
(……ここは……どこだ……?)
知らない天井に人とはどこか違う気配。
バチッ……バチチチチチッ!!
ラクサスの身体から、反射的に黄金の雷光が迸った。
「――ッ!?」
部屋中の空気が一瞬で帯電し、リアスたちの髪が逆立つ。それは殺意ではない。ただ「目覚めた」だけで、周囲がこれほどの圧力に晒される。
「うわっ……! な、何だこれ……!?」
一誠が思わず後退する。反射的にブーステッド・ギアを発動させて、構えてしまう。
「落ち着いて! 敵じゃないわ!」
リアスが叫ぶと、ラクサスの雷光が静まる。だが、その眼光は鋭いまま。
ラクサスは即座に上体を起こし、周囲を警戒した。
目の前には、紅い髪をなびかせた少女が立っていた。その後ろには、警戒心を隠しきれない少年や剣を持った少年、拳を握っている小柄な少女に、微笑みながらも魔力を練っている女性がいる。そして涙目で震えているシスター服の少女がいる。
(……ガキばっかりだが、普通の人間じゃねえな。妙な気配を纏ってやがる……)
「ここはどこだ。……お前らが、俺を運んだのか」
低く、重い声。それだけで部屋の空気が張り詰める。
「そうよ。ここは私――リアス・グレモリーの別荘。……答えてもらえるかしら。あなたは何者? 人間でありながら、あんな暴力的なまでの魔力を持って、何をしにここに現れたの」
ラクサスは首の骨を鳴らし、ぶっきらぼうに答えた。
「……ラクサスだ。魔導士ギルド『妖精の尻尾(フェアリーテイル)』のS級魔導士、ラクサス・ドレアーだ」
「……魔導士ギルド? フェアリーテイル……?」
リアスは眉をひそめ、後ろの朱乃と顔を見合わせた。
「聞いたことがないわね。この人間界の魔術結社にも、冥界の記録にも、そんな名前の組織は存在しないはずよ」
「……なんだと?」
ラクサスの瞳に鋭い色が混じる。
「知らねえだと? フィオーレ王国最強のギルドだぞ。……まさかここはイシュガルじゃねぇのか?」
「ふざけているの? フィオーレ王国なんて国、世界のどこにも存在しないわ。ここは日本の、とある山の中よ」
ラクサスは沈黙した。
「日本」「フィオーレが存在しない」――その言葉を咀嚼するように、部屋の隅々、そして窓の外に広がる山並みに視線を走らせる。
大気中のエーテルは驚くほど薄い。
だが、全く感じないわけではない。
となると、ナツたちから聞いた話を信じるならエドラスでもない。
ラクサスは自分の掌を握りしめた。こっちの世界に来た影響か、アニマに吸い込まれる時に放った雷の影響か、魔力がかなり消耗している。エーテルが薄いこの世界で、いつになったら回復しきれるか……。
(……クソッ。この世界には、俺の「常識」が一切通用しねえのか……)
苛立ちと焦燥が、ラクサスの胸を締め付ける。
「……俺のいた世界は『アースランド』と呼ばれてる。かつて仲間が、魔力が枯渇しかけた『エドラス』っていう別の世界に飛ばされた話を聞いたことがあったが……」
ラクサスは窓の外、沈みゆく太陽を睨みつける。
「……今の話を聞く限り、ここはそのどちらでもねえらしい。国どころか、世界の仕組みそのものが違うようだな。……笑えねえ冗談だ。アニマの野郎、とんでもねえ置き土産を残しやがった」
リアスは男の言葉に戦慄した。
この男が狂言を吐いているようには見えない。あの時感じた圧倒的な魔力に見合うだけの、重い「真実」が言葉に乗っていた。
「……異世界、から来た。まさかそんなことが……。でも、あなたが落ちてきた時の雷も、私たちの知る魔術や魔力とは異なっている……。確かに異世界から来たってことを考えれば辻褄が合うわね」
リアスは一歩歩み寄り、改めてラクサスを見る。
「……ラクサス。混乱しているでしょうけど、今のあなたには行く宛がないはずよ。……ひとまず、ここに留まって状況を整理したらどうかしら? 私はリアス・グレモリー。……これでも、この世界の『悪魔』の中ではそれなりの地位にいるつもりよ」
そう言って、リアスと眷属たちは背中から悪魔の翼を展開した。
漆黒の、禍々しい翼。
「悪魔、だぁ?」
ラクサスは怪訝そうに眉を寄せた。
「……何だこの餓鬼ども、普通のガキではないなと思っていたが。……なるほどな。どいつもこいつも、妙な気配を纏ってやがるわけだ」
ラクサスの視線が一誠に向けられた瞬間、一誠の全身が硬直した。
木場も無意識に剣の柄を握り直し、小猫は珍しく警戒の色を隠せていない。
「……悪魔に異世界、か」
ラクサスは小さく笑った。それは自嘲とも、諦観とも取れる笑み。
「……ギルドに戻る方法を探さねえとな」
そう呟いて、ラクサスは再びベッドに身体を預けた。魔力の消耗は想像以上に酷い。
「……しばらく、厄介になる。その間、この世界のことを教えてもらうぜ」
リアスは頷いた。
「ええ、構わないわ。それに……」
リアスは一誠たちを見た。彼らは未だにラクサスから目を離せないでいる。
「あなたほどの力を持つ存在が、この世界で野放しになるのは危険だもの。監視……という言い方は悪いけれど、お互いのためにもここにいてもらった方がいいわ」
「……フン。好きにしろ」
翌日。
別荘のリビングに、リアスたち眷属が集まっていた。ラクサスはソファに座り、リアスが淹れた紅茶を飲んでいる。
「……で、この世界には悪魔、天使、堕天使ってのがいて、三つ巴で争ってるのか」
「正確には『争っていた』ね。今は三大勢力で停戦協定を結んでいるわ。……でも、過激派による小競り合いは今でも続いているけれど」
ラクサスは紅茶のカップを置き、リアスを見た。
「……なるほどな。で、お前はその悪魔の中でも名家の令嬢、ってわけか」
「ええ。グレモリー家は純潔の悪魔の血を引く名門よ。……でも、それゆえに色々と面倒なこともあるの」
リアスの表情が僅かに曇る。
ラクサスはその変化を見逃さなかった。
「……お前ら、何か抱えてんだろ」
「……え?」
リアスが目を見開く。
ラクサスは一誠たちを見渡した。
「昨日会った時から思ってたが……お前ら全員、妙に張り詰めた空気を纏ってやがる。特にそこの赤髪の嬢ちゃん、お前だ」
リアスの肩が、ビクリと震えた。
「……何の話かしら」
「とぼけんな。俺は『妖精の尻尾』で何年も魔導士をやってきた。依頼に向かう前の緊張、戦いを控えた焦燥、大切なもんを失いそうな時の恐怖……そういう『顔』は、嫌というほど見てきたんでな」
ラクサスは立ち上がり、窓の外を見た。
「……俺は他人の事情に首を突っ込む趣味はねえ。だが、世話になった礼くらいはしたいと思ってる」
「……礼?」
「ああ。俺を拾って、こうして匿ってくれた。その礼だ」
ラクサスは振り返り、リアスを見据えた。
「……もし、お前らが何か『戦わなきゃならねえ理由』を抱えてるってんなら――その力になってやってもいい」
リアスは息を呑んだ。
この男は、出会って一日しか経っていないのに、自分たちの「事情」を見抜いている。
一誠が堪らず口を開いた。
「……部長は、数日後に婚約者と決闘するんです! 負けたら、部長は望まない結婚をしなきゃいけない! でも、相手は不死鳥の一族で、眷属も十五人いて……今の俺たちじゃ、勝てるかどうか……!」
「イッセー……」
リアスが一誠を止めようとするが、一誠は続けた。
「……俺、部長を助けたいんです! でも、力が足りなくて……!」
その必死な表情に、ラクサスは僅かに目を細めた。
昔戦った、「九鬼門」のテンペスターを思い出す。
「……不死鳥、ね。面倒くせえ相手だな」
ラクサスはリアスを見た。
「……で、お前はどうなんだ。戦う気はあるのか?」
「……当然よ。私は、自分の人生を他人に決められるつもりはないわ」
リアスの瞳に、強い意志の光が宿る。
ラクサスはその目を見て、小さく笑った。
「……いい目だ。そういう目をした奴は、嫌いじゃねえ」
ラクサスは拳を鳴らした。
「……いいぜ。俺が、お前らを鍛えてやる。ただし――」
ラクサスの瞳が、鋭く光る。
「――俺の修行は、死ぬほどキツいぞ。ついてこれるか?」
一誠が即座に答えた。
「当たり前です! 俺、絶対に部長を守ってみせる!」
木場も剣を構えた。
「僕も、部長のためなら何でもします」
アーシアも少し涙目になりながらも強い瞳で頷く。
「わ、私にできることなら、が、頑張ります!」
小猫も小さく頷いた。
「……頑張り、ます」
朱乃も微笑んだ。
「ふふ、これは楽しみですわね」
リアスは、眷属たちの顔を見て、そしてラクサスを見た。
「……ありがとう、ラクサス。お言葉に甘えさせてもらうわ」
ラクサスは窓の外を見た。
(……ギルドに戻る方法は、まだ見つかってねえ。だが、それまでの間――)
ラクサスの脳裏に、祖父マカロフの言葉が蘇る。
『ラクサス。強さってのは、誰かを守るためにあるもんじゃ』
(……じーじ。俺は、まだ仲間を守り切れる力を持っちゃいねえ。だが――)
ラクサスは拳を握った。
(――少しでも、あんたに近づけるように……この世界でも、やれることをやるさ)
「……じゃあ、明日から始めるぞ。覚悟しとけ」
ラクサス・ドレアーの、新しい「依頼」は――かつてないほど奇妙な形で、幕を開けた。