6.魔王の過去語り(1/15)
「悪いことは言いませぬ。どうか速やかにお引き取り願います」
おそらく村長か、あるいはそれなりの地位にいるであろう初老の男性は、その日クーヴィ村を訪れた二人の旅人にそう告げた。
『ずいぶんと面白い歓迎の言葉だな』
竹を編んだ籠を被った長身の旅人は、喉から出る声ではない不思議な声でそう言った。
「お引き取りって、何かあったんスかね?」
一方、明るい茶髪の小さな女の子は首を傾げた。
二人の反応ももっともなのだが、この村に滞在させるわけにはいかない。その理由を老人は説明し始める。
「実は先日から、この森にとても凶悪な魔獣が出没するようになりまして、夜な夜な獲物を求めてこの村を襲ってくるのです。村の衆でなんとか追い返し、幸いなことにまだ犠牲となったものこそいませんが、それもいつまで続くか……」
見ると、確かに村人達はどこか疲弊した様子で村の防備に備えていた。手入れする暇もなくなった畑は荒れ始め、そこかしこで伸び始めた雑草が目立ちつつある。壊れた家屋もそのままにされており、持ちうる余力のすべてを魔獣対策に当てていることは明白だった。
「そういうことだったんスか……。それじゃ、村のみんなでどこかに逃げることはできないんスか?」
「この村には女子供や年寄りも多いものですし、何より森の中はあの魔獣の狩場です。とてもではありませんが、逃げるのは不可能です」
『王都に救援の要請は? さすがにもう届けてはいるだろう?』
「それもすでに行っておりますが、救援の王立騎士団がこの村に到着するにはもう少し時間がかかるそうで……」
旅人の質問に答えるうちに、老人の語尾が徐々に弱くなっていく。もはや打てる手は打ち尽くし、あとは被害者が出ないようひたすら天に祈るくらいしかできないのだろう。
「クチナシさん、なんとかしてあげましょうよ!」
『馬鹿を言うな。俺達は慈善事業をやりにきたんじゃないんだぞ』
女の子は老人の話を聴いて、善意の心で男性を見つめる。
だが、男はそれをあっさりと断った。確かに彼の言う通り、ただ通りすがっただけの彼らに、クーヴィ村の危機を救う義理はない。
少女には悪いが、気持ちだけ受け取っておくつもりだ。
「そりゃそうっスよ。手を貸した分、後でちゃんと見返りは要求するっス」
前言撤回。もしかしたら女の子の方がよっぽど打算で動いている可能性がある。
男も彼女の言葉を聴いて、額に手を当ててため息を吐いた。おそらく、彼も老人と同じように、あまりにも清々しいくらいに打算で動く彼女に、驚きと呆れを感じているのだろう。
「それじゃおじいさん。その魔獣、ウチらでなんとかしてみせるっスよ!」
そんな二人の内心を量ることなど一切なく、少女は瞳を輝かせて老人に詰め寄った。
表情と言動と内心があまりにも一致していない。そのような澄み切った瞳をどうして維持できるのかが分からない。
戸惑いの中で老人は少しばかり思考を巡らせる。だが、最後に出てくる考えは変わらなかった。
「……そういってくださるのはありがたいが、お断りさせていただきます。お二人の力添えであの魔獣をどうにかできるとは思えませぬ。これ以上犠牲を出さないためにも、お二人には早く村を出ていただきたい」
沈痛な面持ちで老人は少女に答えた。本当は猫の手も借りたい状況だろうに、彼は旅人二人の安全を優先させた。
『手を貸す云々は置いておくとしても、だ。その魔獣について知っていることは教えてほしい。この森を抜ける時に出くわすかもしれん』
魔獣対峙に乗り気な女の子を抑えつつ、男は一歩前に出て言った。
押しのけられて文句を垂れる少女に目もくれない彼を見るに、彼女の扱いはずいぶん慣れたものらしい。
「……それもそうですな。では、儂らが見た奴についての情報をお教えいたしましょう」
そういうと老人は瞼を閉じ、思い出したくもない、おぞましき魔獣の様相を語り始めた。
体液を啜るためではない、肉を噛みちぎるために発達した大顎に、獲物を即座に麻痺させる猛毒の牙。
大の大人の背丈を優に超える巨躯を軽々と動かす八本の脚に、四方をくまなく見渡す十六もの単眼。
魔獣が吐き出す強靭な糸は、時に獲物を絡めとり、時に獲物に突き刺さる、全く異なる二面性を持って襲い掛かる。
夜闇に紛れ獲物を食らう、森の狩人の頂点に君臨した大蜘蛛の魔獣の話を聴き、旅人はお互いの顔を見合わせた。
「クチナシさん」
『ああ』
無理もない。あの魔獣はもはや人の手に負えるような存在ではない。
もしもあれに勝てるとするならば、それこそ伝説の勇者様くらいしか――。
「もしかしなくても、昨日の夜ぶっ飛ばしたあの魔獣っスよね?」
『もしかしなくとも、昨日の夜ぶっ飛ばしたあの魔獣だな』
「……え?」
二人の言葉に、今度は老人の方が驚きのあまり目を大きく見開いた。倒した? たった二人で? 村人総出で追い返すのがやっとだったあの魔獣を?
「いやいや、やつの視界からは逃れられませぬぞ。それに、どこから攻撃しようとも巨体に似合わぬ俊敏さで躱されます」
「クチナシさんの《炸裂》と、ウチの鋼の鋲の合わせ技で、体の下から攻撃したらほぼ一発だったスね」
『あの巨体が逆に死角になっていたからな。それに気付けていなかったらもう少し厄介だった』
「気付いたのはウチっスよ!」
『はいはいすごかったすごかった』
「やつの糸はどう対処したので?」
『捕縛用の粘り気のある糸と、転換術で硬化させた二種類の糸を、肉眼で区別するのはほぼ不可能だったからな。それも一度対処を間違えば、それだけで負けに直結しかねない』
「まあ、両方ともウチの盾で防げたんで、そこまで問題はなかったっスね」
「顎と毒牙は!?」
『近づかれさえしなければないのと同じだ』
「それとその牙なんスけど、何かの素材として売れるかなーって思って、折って持ってきたんスけど、これでよかったっスよね?」
そういって少女が懐から取り出したのは、あの大蜘蛛の牙に間違いなかった。根元からぽっきりと折られた牙にはもう毒は入っていないが、その鋭さはまだ健在だ。
「ええ……?」
これは果たして夢なのだろうか。とても現実味がない彼らの話に、老人は半ば放心してしまう。
今の老人にできることは、この二人の英雄を丁重にもてなすことくらいだった。