善意による悪意 ークトゥルフ神話ー   作:ダンチ

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10 犯人逮捕

 光崎宅を後にしてから一週間が過ぎた。斎藤に聞き込み調査の件をそれとなく伝え、あまり進展はなかったことを謝った。春の日差しが相変わらず、ジリジリと肌を焼く。陽気な雰囲気が陰鬱な俺には刺さる。

 

 いつもいつものことだが、やることもなくデスクでボーッとしているだけの日々。神山警察署の窓から見える桜はもう葉桜になりかけている。いつも花見をしようとは思うが、気がついたら散っているんだよな。まあいいか、俺はブラインドを下ろした。

 

 春野は自分のデスクで、聞き込み調査のノートに書き記したメモを何度も見返している。ピーポ君の人形がノートの開きの重しになっている。あいつなりに情報を整理しているのだろうが、もう意味はない。そもそも俺たちの仕事は聞き込み調査の情報を刑事課に渡した段階で終わっているんだ。

 

「北島さん」

 春野がノートから顔を上げた。

 

「やっぱり光崎さんの記憶、詳しすぎません?」

「……どこがだ?」

「三年前の朝ごはんのメニューまで覚えてるんですよ。僕、先週の朝ごはんも怪しいのに」

 

 俺はコーヒーカップを手に取った。春野の言う通りではある。ちなみに、俺は昨日食べた夕飯すら思い返せない。光崎の記憶は、録画を再生しているようだった。時間の止まった部屋。埃一つない遺影。

 

「それに光崎さんの清水さんへの感謝って、どんなものなんでしょうかね? 細かい背景部分までは分からなかったので。」

 春野が続けたが俺は答えなかった。

 

 

 その時、廊下の向こうがにわかに騒がしくなった。足音が行き交う。くぐもった声が重なる。

 

「また何かあったんですかね?」

 春野が立ち上がって廊下の方を見た。

 

「分からん。また別の事件じゃないのか。俺らには関係ないさ」

 

 しばらくして、つけっぱなしにしていた事務室のテレビから緊急ニュースの音が流れてきた。春野が慌ててリモコンを手に取り、ボリュームを上げる。

 

『緊急ニュースをお伝えします』

 アナウンサーの緊迫した声が響く。

 

公正忠(こうせいただし)裁判官殺害事件で、警視庁は本日午後二時頃。法条忠信(ほうじょうただのぶ)容疑者、四十二歳を逮捕しました』

 

 俺はコーヒーカップを握りながら画面を見つめた。ようやく犯人が捕まったのか。

 

法条(ほうじょう)容疑者は元弁護士で、取り調べに対し犯行を認めているということです』

 

 画面には法条忠信(ほうじょうただのぶ)の顔写真が映し出された。痩せた頬、落ち(くぼ)んだ目。どうにも四十二歳には見えなかった。これが俺より年下の顔なのか。

 

『法条容疑者は二年前まで都内で個人法律事務所を経営していましたが、公正忠(こうせいただし)裁判官が担当した事件での敗訴以後、廃業。その後は様々な職を転々としていました』

「元弁護士……」

 

 春野が画面を見つめながら呟いた。

 

『動機については、過去に公正忠(こうせいただし)裁判官の下した判決に恨みを抱いていたとみられています。現在、警視庁では詳しい経緯を調べています』

「捕まったんですね」

 春野が振り返った。

 

「ああ、やっと解決したな」

 

 俺は画面を見ながら溜息をついた。弁護士が裁判官を逆恨みで殺害。俺たちには関係ないが、こりゃ地獄だな。法曹界全体が大騒ぎになる。裁判官の警護問題、弁護士会の声明、メディアの過熱報道。しばらくは関係者全員が針のむしろだろう。こういうのは年を取ると嫌でも分かる。こういう一つの過ちで職場環境が生き地獄に変わるのだ。

 

「なんかあっけないですね。もっとこう、裏で誰かが糸を引いてる的な展開かと思ってたのに」

「俺たちは聞き込み調査しかしていないからな。刑事課様バンザイってところだ」

 

 春野はまだブーブー文句を垂れている。裏で糸を引く黒幕か。糸を引くなら納豆の方がいいな。陰謀論と違って健康に良い。俺はコーヒーを一口飲み込んだ。これで終わりだ。光崎善人(こうざきよしひと)への疑念も、あの家で感じた違和感も、全て俺の考えすぎだったのだ。これでハッピ—エンドだ。

 

 事実は小説より奇なりだっけ? そんなことはない。現実なんて逆恨みの殺人くらいが関の山。ディープステートによる謀殺だったり、黒魔法による遠隔殺人なんて存在しないのさ。さあ、日常がこれで戻って来る。

 

 

 

 その時、内線電話が鳴った。

 

「はい、地域安全課の北島です」

『刑事課の斎藤です。今、お時間ありますか?』

「ええ、大丈夫ですが」

『少しお話ししたいことがありまして。第二会議室まで来ていただけますか』

 

 電話越しでも、斎藤の声のこわばりが解けているのが分かった。明るい口調だ。事件も解決したことだし、俺へのお礼だろうか。たいした手伝いはしていないが、礼節ってやつなのかもな。

 

「分かりました。すぐに向かいます」

 受話器を置くと、春野が期待に満ちた顔でこちらを見ていた。

 

「北島さん、僕も行っていいですか?」

「お前は留守番してろ」

「えー」

 春野が不満そうな顔をする。

 

「事件解決の報告だけだろ。お前が行く必要はない」

 

 俺は立ち上がりながら答えた。正直なところ、斎藤と二人で話したかった。聞き込み調査で大暴れしたバカチンを連れていく気にはなれない。今度は光崎一家殺人事件について事後調査をしましょう!なんて言われたら困る。

 

 

 俺は一人で悠々と第二会議室に入ると、斎藤警部補が缶コーヒーを持って立っていた。その表情は疲れているが、どこか安堵の色が浮かんでいる。一週間前の緊張した様子とは大違いだ。

 

「お疲れ様です」

 俺が声をかけると、斎藤がこちらを向く。

 

「ああ、北島さん。お疲れ様です」

 

 斎藤が椅子を勧めてくれた。よく見ると机の上にはもう一つ、缶コーヒーが置いてある。斎藤の奢りか、ありがたい。俺は腰を下ろしながら、斎藤の様子を(うかが)った。

 

「ニュース見ましたよ。犯人逮捕おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 

 斎藤がコーヒーを一口飲んだ。缶をデスクに置いて、首を左右に傾ける。ゴキ、と小さな音が鳴った。

 

「いやー、長かった」

 

 斎藤が椅子の背もたれに体重を預けて、天井を仰ぐ。神山署の刑事課はこの一週間、戦場みたいなものだったのだろう。なんせ裁判官が殺されているんだ。警視庁本部の面々が何度も出入りしているのだろう。まさに思い出に残る大大大捜査だ。俺は関係なかったが。

 

 斎藤が天井から視線を戻した。

 

「結局、光崎さんは無関係でしたね」

「……そうですね」

 

 斎藤が何か続けようとしたが、俺が先に口を開いた。

 

法条(ほうじょう)弁護士の動機は何だったんですか」

「ああ、それが妙なんですよ。大きな動機が二つありまして」

 

 斎藤が首を傾げた。

 

「一つは過去の裁判で公正忠(こうせいただし)裁判官の判決に不満を持っていたっていう些細な動機みたいです」

 

 ひどく短絡的だな。賢い弁護士先生の動機とは思えない。

 

「しかも経緯を聞くともっと情けない話でして」

 

 ほう、判決に不満を持っていたという理由よりも理解しがたい動機とはなんだろうか。

 

法条(ほうじょう)弁護士は軽微な書類不備を公正裁判官に法廷で指摘されたみたいです。それがきっかけで精神的にひどく傷ついたと。それで弁護士を廃業したみたいです。『公正忠(こうせいただし)は俺の人生を破壊した』と主張しているらしいですよ」

 

 この世の地獄みたいな逆恨みだな。内容が高度なものを取り扱っているだけで小学生の喧嘩と変わらないじゃないか。

 

「二つ目が凄くてですね。『光崎さんの気持ちを代弁したかった』って供述してるんです」

 

 なぜ光崎の名前が? なにか関係しているのか?

 

「代弁?」

「ええ。光崎家の事件を知って、自分も正義を果たしたくなったと。公正(こうせい)裁判官が関わっていたことを知って、自分の現状と重なってどうしても許せなくなったって」

「……法条弁護士と光崎に接点は?」

「それが、見つからないんですよ」

 

 斎藤が肩をすくめた。

 

「本人は『ネットで光崎一家の事件を知った。投稿を見て共感した』って言うんですけど、どの投稿か聞いても『消えた』『見つからない』って」

 斎藤が頭を掻いた。

 

「事件発生してすぐに、北島さんが殺人現場の写真がネットに上がってるって報告してくれたじゃないですか。あれも結局見つからなくて。もう全部、容疑者の妄想なのかなって」

 

 俺は黙った。見間違いなわけがない。春野も一緒に見ていた。

 

「署内でも噂になってるんですけどね。都市伝説?とかいうやつ。北島さん、知ってます?」

「いや、知らないですね」

 

 俺はしらばっくれた。春野を連れてこなくて正解だった。あいつがいたら「僕、知ってます!」と大声で言い出しかねない。知らない(てい)にしておけば関わらずに済む。

 

「……まあ、変な話ですけどね。正直ホッとしましたよ」

 斎藤が苦笑いを浮かべた。缶コーヒーを両手で包み込むようにして持っている。

 

「実は、署内のみんな内心ビビってたんですよ」

「ビビってた?」

「ええ」

 

 斎藤が声を潜めた。周囲を気にするように視線を巡らせてから続ける。

 

「光崎さんが裁判官殺しに関わってたらどうしようって」

 俺は缶コーヒーに目を落とした。そういえばまだ開けてすらいなかった。

 

「だって、あの裁判官が殺されるとしたら、あの事件以外に理由が思いつかないじゃないですか」

 プルタブに指をかけたまま、どうにも開ける気になれなかった。

 

「あんな露骨な司法介入やられたら、そりゃ恨まれますよね」

 斎藤が自嘲気味に笑う。その笑いには、どこか乾いたものがあった。

 

「司法介入って……」

「ああ、まあ噂ですよね」

 斎藤が付け加える。

 

「でも、署内じゃみんな思ってることですよ。証拠があれだけ揃ってて無罪なんて、普通ありえないですから」

 俺は黙って頷いた。

 

「だから、光崎さんにアリバイがあると分かった時も……」

 斎藤が少し躊躇ってから続けた。

 

「『本当かよ』って正直疑いましたもん。監視カメラの映像、何度も確認しましたよ。でも本当に一歩も外に出てなかった」

 斎藤がカップの縁を指でなぞった。

 

「でも結局、全然関係ない弁護士の私怨(しえん)でしたからね。まさかそんなオチとは思いませんでしたけど、世の中そんなもんすよね。テレビドラマじゃないんだから」

 

 斎藤が缶をあおり、残りのコーヒーを一気に流し込んだ。何かを飲み込むように、喉が大きく動いた。

 

「まあ、これで安心して眠れます」

 

 その言葉を聞いて、俺は頷くことしかできなかった。斎藤の言う「安心」。それは署内の皆が共有している感情なのだろう。光崎善人(こうざきよしひと)という、理不尽な被害に遭った男が、復讐に走らなかったことへの安堵。もし彼が犯人だったら、俺たちは光崎一家惨殺事件を思い出さなければならなくなる。犯人を捕まえながら、有罪にできなかった事件。そんな過去を掘り返されずに済んだことへの安堵。

 

 しかし俺の心の奥には、拭えない違和感が残っていた。法条忠信(ほうじょうただのぶ)の動機。ネットで光崎一家の事件を知った。投稿を見て共感したという理屈。聞き込み調査で聞いた、ネットの投稿を見ると攻撃的になるという証言。そして住民たちの「正義」ブーム。光崎のあの異常に詳細な記憶。これらは全部、偶然か。

 

「北島さん?」

 斎藤の声に、俺は我に返った。

 

「ああ、すみません」

「何か気になることでも?」

「いえ、別に」

 

 俺は首を振った。これ以上、詮索する理由はない。もう事件は終わったのだ。そう、ハッピーなのだ。ゴールデンウィークが楽しみだ。もう、大丈夫なはずだ。

 

「そうですか。まあ、変な事件でしたけど解決して良かったです」

 斎藤が立ち上がった。

 

「北島さんの協力、本当に助かりました。ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ」

 

 俺は礼を言って、会議室を後にした。もらった缶コーヒーは開けもせず、そのまま持ち帰ることになった。

 

 

 

 事務室に戻ると、春野が待ち構えていた。デスクに頬杖をついて、口を尖らせている。お留守番がそんなに不満なのだろうか。

 

「北島さん、どうでした?」

「ああ、事件解決の報告だけだった」

 俺はデスクに戻りながら答えた。

 

「ほらー、僕も行けばよかったじゃないですか」

「なんでだ、お前が行っても何も変わらんだろ」

 

 春野が不満そうに鼻を鳴らした。しばらくふてくされていたが、すぐにノートを引き寄せた。こいつは切り替えが早い。

 

「そういえば」

 春野がノートを見返している。

 

法条(ほうじょう)さんって変ですよね」

「何がだ?」

「法条さんの動機、『裁判官に恨みがあった』って報道されてますけど、具体的に何されたんですかね? ニュース見てても、『過去の裁判で不当な判決をされた』としか言ってなくて。でも、それだけで人を殺しますかね?」

 

 俺はコーヒーカップを手に取った。今日も今日とてインスタントコーヒーだ。斎藤からもらった缶コーヒーは忙しいときのために取っておこう。まあ、住問班(じゅうもんはん)が忙しくなることはありえないがな。

 ケトルでお湯を沸かす間、暇だ。春野も聞き込み調査で頑張っていたし、少しは共有してやるか。

 

「……斎藤から聞いたんだが法条は『光崎さんの気持ちを代弁したかった』って供述してるらしいぞ」

「え、何ですかそれ」

 春野が身を乗り出した。

 

「光崎家の事件を知って、自分も正義を果たしたくなったと。公正(こうせい)裁判官が関わっていたことを知って、どうしても許せなくなった、とのことらしい。ちなみに光崎と会ったことはないらしい」

「会ったこともない人の気持ちを代弁するって……変じゃないですか?」

 

 それはそうだが、犯罪者の言い分なんて考えないほうがいい。頭がおかしくなるぞ。

 

「それに」

 春野が続ける。

 

「なんで光崎家事件の演出をしたんでしょう? 香水とか折り鶴とか。自分の恨みなら、自分のやり方でやればいいのに」

 

 春野の指摘は鋭かった。支離滅裂な言い分の割には手の込んだ殺しではあった。拷問したり、折り鶴や香水か。

 

「あと、法条さんがどうやって光崎家事件の詳細を知ったのかも結局分からないままですよね。僕がネットで調べても全然でてこなかったのに」

「まあ……捜査は終わったんだ。これ以上詮索してもな」

 俺は話を打ち切ろうとした。

 

「そうですけど……」

 春野が窓の外を見た。

 

「なんか、スッキリしないですよね」

 

 スッキリしない。まあ、殺しの案件でスッキリすることなんてないさ。そう、こういうものなのだ。俺はケトルで沸いたお湯をカップに流し込む。これで終わりだ。そう思うことにした。窓の外では、葉桜が風に揺れていた。

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