善意による悪意 ークトゥルフ神話ー   作:ダンチ

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4 神山警察署刑事課

 

 裁判官殺害の報道から三日が過ぎた。事件は連日ワイドショーで取り上げられ、署内も慌ただしいままだった。その一方で、俺は優雅にコーヒーブレイクを続けていた。そもそも地域安全課の俺たちには関係のない騒ぎだ。仕事も別に増えていない。窓際族のシャングリラ、それが住問班(じゅうもんはん)だ。それなのに春野は事件の話題ばかり持ち出してくる。

 

「北島さん、犯人まだ捕まらないんですね」

「そりゃそうだろ。そんな簡単に解決するかよ」

「やっぱり折り紙って手がかりになりませんかね?」

 

 ため息が出る。春野の推理はいつも的外れだ。そもそもうちの課には関係ない事件だろうに、三日経ってもまだ折り紙の話をしている。まったく、こんな井戸端会議をせずに仕事をしろと言いたいところだ。が、実際のところ、仕事なんて俺たちには無いのだが。悲しいかな、左遷部署なんてこんなものさ。

 そんなことを考えながら、整理し終わった書類を無駄に整理していると、内線電話が鳴った。いつもの住民トラブルの通報だろう、と思いながら受話器を取る。

 

「地域安全課、北島です」

『北島さん、神山警察署刑事課の斎藤です。至急お話ししたいことがありまして、第二会議室まで来ていただけますか』

 

 住民トラブルの後始末を押し付けられるかと思っていたら、天下の刑事課様からのお呼び出しだ。なんだ、俺が逮捕されるってことか。裁判官殺人の容疑で北島、お前を逮捕するってか? 

 市民が警察に声をかけられた時、悪いことをしていなくても怖いと感じるという理由がよく分かる。警察官でも警察が怖いんだからな。念のため、念のためだが、俺が何かやらかしたのか聞いておきたくなった。

 

「はあ……何の件で?」

『例の裁判官殺害の件です。北島さんにご協力いただきたいことがありまして』

 

 協力? 俺に聞くことなんてあるのか。口の中が急に乾くのが分かる。くちびるがくっついて喋りにくい。俺は了解と伝えて受話器を置き、立ち上がった。刑事課から呼び出しなど、三年ぶりのことだ。指先が微かに震えた。

 

「北島さん、どうしたんですか?」

 春野がデスクから顔を上げて聞いてきた。その顔は、ワクワクという漫画の擬音がそのまま浮かびそうなほどだった。

 

「刑事課に呼ばれた。お前が最近お気に召している事件の件だってよ」

「うわあ! ついに僕たちにも重要事件の相談が! 一緒に行きましょう!」

「お前は来なくていい。呼ばれたのは俺だけだ」

 

 俺は反射的に拒否した。口の軽いコイツを連れて行くと、ろくなことにならない。しかし春野は既に立ち上がっている。

 

「えー、僕も行きたいです! 重要事件の話聞きたいですし!」

 

 面倒だが、ここで時間をかけてコイツを説得するより連れて行った方が早い。刑事課を待たせて、相手がイライラしている状況を作るよりか遥かにマシだ。俺は諦めて春野を連れていくことにした。

 二人で廊下を歩きながら、俺は無意識にネクタイに手をやっていた。春野の軽やかな足音とは対照的に、俺の靴音は妙に重く響いた。

 

 

 第二会議室に入ると、刑事課の斎藤警部補が一人で座っていた。大所帯で待ち構えている可能性も考えていたから、心のどこかでホッとした。コワモテの刑事たちに囲まれてしまっては、ナイスガイな俺でもさすがに耐えられない。最近はお手洗いの後、残尿感に悩まされているんだ。ビビって漏らしてしまうかもしれない。

 ちらりと斎藤を見ると、机の上に資料を広げており、表情は深刻だった。会議室の静寂が妙に重く感じられる。

 

「お久しぶりです、北島警部補」

 

 斎藤が立ち上がって挨拶した。四十代前半で俺と年齢が近い。あごひげを生やしており、体も大きく声が低い。立ち上がった彼の目線は俺とほとんど同じ高さで、威圧感がある。一目見れば刑事かヤクザかと思うほどのコワモテだ。

 

「お久しぶりです、斎藤さん。隣にいるのは地域安全課の春野巡査です。後学(こうがく)のため、同席させることにしました」

 

 何の勉強になるかはわかりゃしないが、適当にごまかしておいた。この言葉には「新人だから多少の失礼は見逃せよ」という意味も込めている。四十五にもなると、こういう自己保身の駆け引きが板についてくるもんだ。

 

「よろしくお願いします!」

 

 春野が元気よく挨拶する。ああどうも、といった感じで斎藤の返事は素っ気なかった。

 

「それで、何のご相談でしょうか?」

 単刀直入に俺が聞くと、斎藤は資料を整理しながら答える。

 

「内線電話でお伝えした件で捜査が難航しておりまして、そこで今回の被害者が過去に担当した事件を洗い直していたんです」

「被害者が裁判官だから、恨みの線を追っているわけですか」

「そうですそうです。その中で、北島さんが捜査一課にいた頃の案件が引っかかりまして」

 

 斎藤がファイルを開く。厚めのリングバインダーだ。——まずいな。隣にいる春野の視線が俺に向けられるのが分かる。キラキラとした目が眩しい。間違いなく斎藤が言った捜査一課というワードに興味を示している。面倒なことになった。コイツに余計な質問をされないよう、本筋から話を逸らさないようにしたい。

 

「三年前のことですが、覚えていらっしゃいますか?」

「まあ、大体は。歳なのでもしかしたら曖昧かもしれませんが」

「何をおっしゃいますか。私とそんなに離れていないでしょうに」

 

 俺は平静を装ったつもりだが、斎藤には少しウケたらしい。ケラケラと彼は笑ってくれている。しかし、できれば早くこの話を切り上げたい。

 

「当時、北島さんの部下の……清水刑事が担当していた事件について、お聞きしたいことがありまして」

 

 斎藤が一瞬言葉を選ぶような間を置いた。清水。その名前を聞いた瞬間、手のひらに薄っすらと汗が滲む。最悪のパターンだ。

 

「清水が担当した事件……いくつもありましたが、どの件でしょうか?」

 俺は早く話を進めようとした。

 

「すみません」

 春野が手を上げた。

 

「北島さんって元警視庁捜査一課だったんですか? すごい! それで清水さんって誰ですか?」

 

 斎藤が俺の表情を(うかが)った。春野は俺の過去を知らない。どこまで喋っていいのか、その確認だろう。俺は少しだけ顔を左右に振って合図した。察してくれ、と。

 

「……北島さんの元部下で、以前捜査一課にいた刑事です」

 斎藤の声がわずかに慎重になった。俺の顔を見て状況を察したようだ。良いぞ、空気が読めるモテる男だ。

 

「で、具体的にはどの事件のことでしょうか?」

 俺は慌てて話を戻す。

「えー、北島さんが捜査一課って……」

 春野の声が、斎藤の言葉にかき消された。

「捜査線上に浮かんでいるのは光崎一家殺人事件です。母親と八歳の娘が殺害された、あれです。あの事件を公正忠(こうせいただし)裁判官は担当していました」

 

 この話、どこまで広がるんだ。勘弁してもらいたい、そう願っても斎藤は続ける。

「今回の裁判官殺人事件の現場に、この光崎一家の事件との関連を匂わせる物証が見つかりまして」

 

 斎藤が写真を並べた。裁判官が殺害された現場写真のようだ。

「あ」

 春野が小さく声を上げた。

「これ、北島さんと一緒にSNSで見た写真と同じですね」

 斎藤が顔を上げた。

「SNS?」

「はい、事件の当日に『正義の使者』って匿名アカウントがこの写真を投稿してたんです。僕、偶然見ちゃって」

 春野がスマートフォンを取り出そうとする。

 

「報告はしましたよね、北島さん?」

「……ああ、確かにしたな」

 斎藤が一瞬、視線を逸らした。

「ああ、あの件か。報告したのはお二人だったんですね」

 斎藤はどうやら知ってはいたようだ。

 

「それについてはSNSの運営会社にも協力を求めて、サーバーのログまで調べてもらいましたが」

 斎藤が一瞬、言葉を切った。

 

「痕跡すらなかったそうです」

 春野が困惑した顔をする。俺も驚きを隠せない。通常、インターネットに写真をアップロードすれば、必ずサーバーに痕跡が残るものだと聞いている。それすらもないというのか。

 

「ええ!? でも僕、確かに見ましたよ。北島さんも見ましたよね?」

「ああ、見た」

 俺は短く答えた。斎藤が写真に視線を戻した。

 

「……その件については、もう追わない方針になっています」

 

 その言い方には、何かを言いたくても言えない空気があった。斎藤は理由を明言しない。おそらくだが、署内では俺の情報提供は虚偽扱いされているんだろう。だから斎藤は俺に気を使って話を逸らそうとしている。

 

「今回は、現場の物証を中心に捜査を進めていますので」

 斎藤が話題を変えるように続けた。

 

「でも椅子に座った人と、床に散らばった折り鶴。確かにこの写真と同じでしたよ!」

 しかし、春野は斎藤の意図を理解せず、真剣な顔で食らいつく。斎藤が少しだけ表情を和らげた。愛想笑いだろう。

「……参考にさせていただきます」

 

 その言葉には、「個人的には信じている」という微かな配慮が込められているように見えた。斎藤が咳払いをして、資料に視線を戻した。

 

「では、本題に戻ります」

 斎藤が写真を何枚か並べ直した。

「被害者の公正忠(こうせいただし)裁判官は、自宅の書斎で椅子に拘束された状態で発見されました」

 現場写真の一枚を指差す。

 

「そして現場には、異常な量の香水が撒かれていました」

「香水?」

 春野が首をかしげた。

 

「はい。鑑識の報告によると、一瓶(ひとびん)以上の香水が室内に撒き散らされていたようです。現場に入った捜査員が強烈な匂いで気分が悪くなるほどの量でした」

 斎藤が俺を見た。

 

「三年前の光崎家事件の記録を確認したところ、被害者の光崎美咲さんが愛用していた香水と、全く同じ銘柄だったんです」

 

 一瞬、会議室が静まり返った。春野はワクワクとした表情、斎藤は真剣極まりない表情。俺としては馬鹿じゃないのかとがっくりした気持ち。斎藤と春野がどう受け止めたかは分からない。まだ話は続きそうなのでツッコミは後に取っておこう。斎藤が別の写真を示す。

 

「さらに、現場にはこのような物が散乱していました」

 色とりどりの折り紙の鶴が床に散らばっている写真だ。

 

「折り紙の鶴、二十三羽です。全て丁寧に折られており、犯人が意図的に配置したと思われます」

「二十三羽? なんの意味があるんですか?」

「はい。光崎家事件の被害者、娘の陽菜ちゃんの誕生日が二月三日でした。二と三で、二十三羽」

 斎藤が続ける。

 

「陽菜ちゃんは折り紙が趣味で、特に鶴を折るのが上手だったと、当時の記録に残っています」

 

 嘘だろ。俺は(あき)れて腕を組み、背もたれにより掛かる。ため息代わりにムフッと鼻息が漏れ出る。いくら何でも無理があるんじゃないか。折り鶴や香水が現場にあったからなんだというのだ。こんなレベルの捜査が許されるのなら、亀の甲羅を火にかけて、割れ目で犯人を特定すればいい。

 

「待ってくれ。本気で言っているのか?」

 斎藤が気まずそうに顔を上げた。

 

「誰でも折り鶴くらい折れるし、二十三羽なんて数字も、探せばいくらでも意味づけできる。推理小説じゃあるまいし、こじつけだろ」

 この捜査レベルで給料が貰えるなら、来年の警視庁の採用倍率は一兆倍くらいになっちまう。

 

「……正直、私もそう思っています」

 斎藤が別の資料を開いて閉じて、落ち着きのない手遊びをしている。

 

「今回の捜査、先ほど難航していると申し上げましたが、実はその理由が少し特殊でして」

「特殊?」

「はい。現場のどこにも第三者の指紋は検出されず、目撃者もいない。周辺の監視カメラの映像も、肝心の時間帯だけ映像が乱れて使い物にならない」

 

 春野が首をかしげた。

「映像が乱れる? 故障ですか?」

「いえ、故障ではないようです」

 斎藤の声が低くなる。

「事件発生時の前後は正常に録画されているのに、事件当日の午後から深夜にかけて、現場周辺のカメラがすべて同時にノイズだらけになっていました。こんな広範囲に同じような事が起きるなんて技術的にあり得ない現象だと、鑑識も首を(かし)げているんです」

 

 監視カメラがよりにもよって事件の時間帯だけノイズまみれになる。そんな偶然があるだろうか。SNSの投稿が痕跡を残さず消えた件といい、この事件には不可解な要素が多いな。まるで何者かが痕跡ごと掻き消しているようだ。

 

「蜘蛛の糸でもいいから掴みたい状況なんです」

 斎藤が写真を指差した。

 

「だから、この香水と折り鶴の演出が、現時点で最も確実な手がかりなんですよ」

 視線が俺に向けられた。

 

「しかも、光崎家事件の詳細は一般には公開されていないんです。報道規制がかかっていて、美咲さんの香水の銘柄も、陽菜ちゃんの誕生日も、捜査資料にしか残っていない。だからこそ、もうこれしかないって状態で」

 

 俺は黙り込んだ。確かにその通りだ。偶然で片付けるには、符合(ふごう)が多すぎるということか。香水をわざわざぶち撒けて、折り鶴を撒き散らして。確かに関連性をどうにか見せつけたいという意図はあるのかもしれないが。春野がさらに前のめりになった。

 

「ところで、その光崎さんの事件って、いつの事件ですか? 具体的にどんな事件だったんですか? 今回裁判官が殺された事との関連性が全くわからなくて」

 

 斎藤が俺を一瞥する。俺は軽く頷いた。事件の概要程度なら構わない。

 

「三年前ですね。当時、大きく報道されました」

「……三年前? あんまり見た覚えがないですね。そんなニュース、報道されてたかな?」

「私は当時の担当じゃないので詳しくは……北島さんの方がご存知かと」

 

 俺に振るのか、鬼畜だな斎藤。だが、俺は絶対に答えんぞ。他人に教えたところで何になる。俺にメリットがない、教える必要もない。俺には関係ない。

 俺が押し黙っていると、斎藤は諦めたように話を続けた。

 

「光崎さんは教師をされていましたが、事件後に退職され、現在も当時の住居に住んでいるようです」

「え、じゃあその光崎さんが容疑者ってことですか? 殺しの動機がありますし。ご家族が殺された事件なんですよね? ん? でも被害者遺族が裁判官を殺すってこと? 今回に被害者である裁判官がその光崎一家殺人事件の担当をしていたってこと?」

 

 春野がうんうんと唸りだし、推理ごっこを始めている。

 

「捜査本部も当初は怨恨(えんこん)による復讐と疑って調査したようですが——」

 斎藤の言葉に、春野が「怨恨?」と口を挟みかけたが、思いとどまったようだ。

 

「光崎さんにはアリバイがありました。事件当日、光崎さんのご自宅周辺の監視カメラは生きていましてね、彼が一歩も外出していないことが確認できました。」

「被害者宅周辺の監視カメラの映像が乱れているのに、光崎の自宅周辺は問題なかったのか」

「はい、公正忠(こうせいただし)裁判官の自宅周辺だけ映像がおかしい、という感じですね」

 

 地域全体ではなく、本当に被害者宅の周辺だけということか。

 

「そんな状況で捜査が行き詰まっていまして」

 斎藤がぱたんと資料を閉じた。

「解決の糸口になればと光崎さんに話を聞きたいのですが、完全に口を閉ざしている状態なんです。光崎さんは清水刑事と懇意(こんい)にしていたと聞いています。元上司である北島さんになら、心を開いてくれるかもしれないと思いまして」

 

 懇意、ね。綺麗な言葉だ。俺に言わせれば、ただの暴走だったが。

 

「地域住民への安全確認という形で、光崎さんに接触していただけないでしょうか」

 

 なるほど、そういうことか。遺族への聞き取りを地域安全課の業務に紛れ込ませたいわけだ。そして清水との縁を期待して、俺に白羽の矢が立った。この薄っすらとした関係性があれば、もしかしたら光崎が口を開くかもしれないと。俺は一瞬ためらった。だが、断る名目が思いつかない。

 

「事件当時、光崎と直接話したことはありませんが……やってみます」

「ありがとうございます」

「具体的には何を聞いておけばいいんですか? っていうか、僕は何も情報をもらってないんですけど!」

 春野が口を挟む。まあ、こいつの視点からすると何もわからないからな。教える気もないが。

 

「フルネームで光崎善人(こうざきよしひと)さんという方です。最近の生活の様子や、近所の方との関わり、何か変わった点がないかなどを確認していただければ。表向きは地域の安全確認ですが、実際は光崎さんの現在の状況を把握したいんです」

「もっと詳しいことが知りた—」

「分かりました」

「よろしくお願いします」

「明日にでも伺います」

 

 俺は短く答えた。「ちょっと北島さん!」と隣で小僧が(わめ)いているが、無視することにした。綺麗なお姉ちゃん相手なら何でも答えてやるが、俺のことをオジサン呼ばわりするガキンチョには、これで十分だ。

 

 挨拶を済ませて廊下に出ると、待ってましたと言わんばかりに春野が質問攻めを始めた。

 

「北島さん、清水さんが捜査一課の刑事で、北島さんが上司だったってことは……北島さんも、もともとは捜査一課だったんですか? というかそもそも清水さんと光崎さんってどういう関係なんですか? 斎藤さんは明らかに過去の話を知っている前提で話してたのでチンプンカンプンでした! 僕は仲間ですよね? 仲間なら教えてくれますよね? 前提がそもそも全く分かんないんだったら、捜査協力なんて出来ませんよ? だから教えてください! あ、でも明日行くんですよね? 教えてくれますよね? 北島さん?」

 

 春野は一息で捲し立てた。質問なのか主張なのか、もはや分からない。コミュニケーションとは双方向性に行うものであって、一方的にまくしたてるのであれば、それはスピーチというのだろう。春野のスピーチ爆撃に、俺は足を止めるしかなかった。健気な若者がちょっとかわいそうだったので、質問の一つにだけ答えてやることにした。

 

「……まあ、俺が捜査一課にいたのは昔の話だ」

「うわあ! 警視庁で刑事さんってことはエリートじゃないですか! なんで今は神山警察署の地域安全課に?」

「人事異動だ。よくあることだろ」

 

 俺は早足で歩き始めた。靴音が廊下に響く。これ以上詮索されたくない。

 

「でも普通、警視庁の捜査一課から神山警察署の地域安全課に異動って……何か大きな失敗でもしたんですか?」

「春野、あまり詮索するな。過去のことは過去だ」

 声が予想以上に鋭く出てしまった。やってしまった、部下を委縮させたくない。年下を傷つけてしまうのが一番怖い。ちらりと春野を見てみるとたいして気にしていない様子だった。こういう時、こいつの鈍感さは助かる。だが、清水のことは思い出したくない。

 

「清水さんって、どんな人だったんですか?」

 すまん春野、やっぱり少しは空気を読んでほしい。ストレスで胃液が少し持ち上がり、喉の奥が重くなったように感じる。四十五歳の胃袋は繊細なんだよ。お前も二十年後には理解するだろう。

 

「真面目な刑事だったよ」

「僕より優秀だったんですか?」

「……ああ、優秀だった。それだけは間違いない」

 

 俺は短く答えた。それ以上は話したくなかった。

 

「斎藤さんも、その清水さんに直接頼めばいいのに、何で僕たちに頼むんですかね? やっぱり僕が優秀だからかな?」

 

 それだけはない、と口から出かかったが飲み込んだ。ここで突っ込めば会話が続く。俺はツッコみたいという気持ちを飲み込むために、深く息を吸い込んだ。

 

「明日、聞き込み調査をするか」

 

 光崎の名前は出さなかった。避けている自覚はある。光崎のところに行くとは明言しない。まだ逃げられる余地を残している自分に、呆れた。斎藤の依頼は「光崎善人(こうざきよしひと)に接触してほしい」だった。だが、俺はそれを「周辺調査」にすり替えている。いや、すり替えてなどいない。これは正当な手順だ。いきなり本人に会うより、まず周辺住民から情報を集める方が効率的だろう。そう、これは捜査の定石なんだ。決して逃げているわけじゃない。

 

「はい! 頑張ります!」

 

 春野がこのすり替えを理解せず、元気よく返事をした。光崎善人(こうざきよしひと)。清水が最後まで心を痛めていた遺族。三年越しの対面は、俺にとって避けたかったものになるだろう。

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