波は引いて、氷が溶けた 作:なめなめろう(旧名:ELDERSIGN)
9章下を完走して衝動のままに書いてます。拙い文章だと思いますがお許しください。
カドゥケウスが形を変え、ランスへと変わる。
「ふっ……!」
代行者が振るう剣を屈んで避け、その腹にランスを突き立てた。
「リアン……。俺を殺したところで終わらない……。代行者たちは……ずっとお前を追いかけるだろう……。汚物の中に隠れたところで……お前が隠蔽されることはない……」
そう言って代行者は下水道の汚水の中へと倒れ込み、二度と起き上がることはなかった。
淡々と、俺の始末した二人の代行者を眺める。指令は、都市の意思は、どうやら俺に死んで欲しいみたいだ。
「はぁ……ゴホッ、ゴホッ……」
血の混じった咳。顔と、袈裟斬りにされた身体が酷く熱く、痛む。じくじくと、燃えるように。
「あぁ、やれやれ……また、染め直さないとな」
疲労と痛み。どうにかそれを和らげようと、壁に背中を当て、座り込む。瞬間、ピピッと端末機から音が鳴る。
「これを詠めと?……俺には苦痛しかありません。それ以上の……」
そこまで詠んで、それが限界だった。
「はぁ……疲れるな……」
俺はもう、わからなくなってしまった。代行者を使って俺を殺そうとする都市の意思。俺にこうして詩を詠ませようとする都市の意思。どちらが都市の意思なんだ? いっそ……死んでくれと、ただ俺の端末機がそう言ってくれればいいだろうに。
端末機からビープ音が鳴り響く。どんどんと速く。詩を詠むことをやめた俺を急かすように。けれど、不思議と今だけは切迫感は感じない。普段ならビープ音に合わせて速くなっていった心拍数も、今日はいつも通りだ。
……これ以上代行者の命が無駄になるのも、忍びない。せめて、終わりくらいは選ばせてもらおう。風のままに、砂の城を作り、風のままに、砂の城を壊してきたのだから。
カドゥケウスを取り出し、武器を創り出す。そうして模られたのは……
「はっ……はは……ははははは!」
フォプーン。よりによって、フォプーンか。ああ、本当に、笑えるな。指令は、終わり方すら選ばせてくれないのか。人を殺すためのものではなく、愛する娘との過ごした時間。その象徴で死ぬことを求めているのか。
「娘……どうやらお前は……お湯を掛けて融かしてくれるのを……」
手に持ったフォプーンをこめかみに当てる。
「忘れたみたいだ」
そして、一気に押し込んだ。誰かを殺すのと同じように、自分を殺す。指令に逆らうのは……これで最後だな。
痛みはなかった。真っ暗になった視界で、最後に俺はただ速く鳴り続けるビープ音だけを聴いた。
ああ……寒い。本当に、寒いんだ……。
◇◇◇
「じゃあおとうさん。いつ幸せになれるの?」
「……は?」
気がついた時には、目の前に幼いヨシヒデがいた。
「……? どうかしたの?」
「い、いや……なんでもない……」
思わず顔の左半分に手を当てる。消えるはずのない燃える傷跡も痛みも、跡形もなかった。ここは、過去か? 走馬灯か? それとも、夢か?
ピピッと音がする。意識せずとも自然と手が動き、胸元にある端末機を取り出す。動きが身体に染みついていた。
「魔法のピピ様?」
「……ああ」
『ヨシヒデを育てろ。期限は無期限』
指令も、ヨシヒデも、全てあの頃のままだ。また……繰り返すのか? 余りにも永いあの時間を。あの痛みを。
にこやかに、純粋に笑うヨシヒデの目を見つめる。まんまるでキラキラと輝く美しい瞳だ。
「幸せか……それは……ゆっくり確かめていこうか」
本当に?……俺はいつ幸せになれるのだろう。
「結末を……取っておくんだ。それから娘がパパと同じくらいの大人になったら……その時に見るんだ」
そう俺が口にした言葉には、全て空虚な響きしかなかった。
ずっと……怖かった。結末を見ることを恐れていた。童話の結末を読んでしまえば、そこに自分の結末も書かれているような気がした。
果たしてこれが終わった後、俺に残るものはなんなのだろう。それを考えるたびに、ずっと終わりが来ないことを心の奥底で願っていたような気がする。
結局、俺の結末には何も残っていなかった。いや、それならどんなに良かっただろうか。
風によって砂の城が作られ、風によって砂の城が壊される。だから悲しむ必要はない。これほど、欺瞞に満ちた言葉はないだろう。
俺だってずっと前からわかっていた。だから俺は、ヨシヒデにサルを飼うことを勧めなかった。得た時より深く抉られると、わかっていたから。
結末を取っておく必要はあるのだろうか。いつまでも幸せになれない結末を取っておく必要が、本当にあるのだろうか。
教訓や教えなんて欠片もない俺の空っぽな人生。童話にすらなれない俺の物語に、結末を残しておく価値はあるのだろうか。
「じゃあそのときまで、毎日よんでくれるんだよね」
ヨシヒデが俺に小指を差し出す。まだ幼い、小さな小指。
「やくそく!」
考えがまとまらない。俺は、震える手で小指を立てて、ゆびきりげんまんをした。
「……パパ、泣いてるの?」
どくんと、心臓が跳ねた。目元に手を当てると、そこには一滴の涙があった。
「どうしたの? 痛いの?」
「いや……寒いんだ」
口を衝いて出た言葉だった。そんなことを言うつもりはなかった。いつもならきっと、嬉しいから、なんて言って誤魔化していたはずだった。
「うーん……じゃあ、ちょっとかがんで?」
「……?」
「もっとちっちゃく!」
言われるがままに、屈む。限界まで屈んでいるから、膝が床についてしまった。
そっと俺の頭を、ヨシヒデが触る。
「お湯! えへへ、どう? あったかくなった?」
「…………ッ」
歯を食いしばった。泣いてはいけない。泣いてしまえば、ヨシヒデが心配する。そう思っても、抑えられるものではなかった。
俺を包み込んでいた氷が溶けていく。そうして氷が水となり、それが涙になった。
涙を隠すように、そしてただ感謝と愛を伝えるように、ヨシヒデを抱きしめる。暖かい子供の体温。
「娘……愛している」
「……へんなの!」
その言葉は、この世界のどんなものよりも暖かかった。
そうして俺は、ようやく動けるようになったんだ。