波は引いて、氷が溶けた   作:なめなめろう(旧名:ELDERSIGN)

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断ち切る

 

 

 ヨシヒデとアラヤを逃すためには、親方たちを始末しなければならない。親方たちは執念深く、落ちぶれたとはいえ凄まじい強さを持っているから、いくらヨシヒデとはいえ勝つことはできないだろう。しかし、俺一人で全員を殺すのはかなり厳しい。つまり、協力者が必要だ。

 

「シオミ。いるか」

「リアン……?」

 

 白い着物に身を包んだ小指の親方、地慧星のシオミヨル。彼女はただ目を閉じてじっと座っていた。

 

 親方が別の親方の部屋に足を運ぶことは滅多にない。各々がヨシヒデの時間を分担して受け持っているからだ。顔を見合わせるのは何か重大な取り決めをする時のみ。事前に連絡もしないのは初めてのことだった。

 

「シオミ。お前を解放しよう。蜘蛛の巣は今日、滅びる」

 

 シオミが煙草を燻らせ、白い煙を吐く。

 

「ふぅー……はは。指令か? 今更……」

「だがずっとお前が望んでいたことだろう。俺がお前を縛るもの全てを断ち切ろう。一つ条件はあるが」

「……なんだ?」

「薬指の親方、カリストを殺せ。いくら親方といっても、油断しているならば殺せるだろう。その後はその足で蜘蛛の巣を出ていい。お前を俺は追いかけない」

「…………」

 

 ゆっくりと淀みなく立ち上がるシオミ。刀を抜く。青く輝く美しい刀身だった。

 

「本当か? 本当にそれで、私は解放されるのか?」

「ああ。お前が堕ちたこの穴は、埋められて二度と戻ることはない。役目を終えたんだ」

「ヨシヒデが、完成したのか……?」

「…………」

 

 シオミは何も言わない俺をじっと見つめた。そして気づいて、嗤った。

 

「は、はは。ははははは! リアン……いつもの端末機はどうした? カドゥケウスしか端末機を持っていないじゃないか。それにお前が阿頼耶識を持っているのも……そうか、指令に背いたのか? そこまでヨシヒデに情を抱いたのか?」

「そうだ」

 

 俺の答えにシオミはひとしきり嗤って、その声は次第に泣き声へと変わっていった。

 

「……私は、私をここへ落としたお前を、お前たちを許しはしない。二十年だ。私は二十年もの時間をヨシヒデに奪われた。全身は皺に覆われ、もう取り返しがつかない。何故、何故今になって……」

「すまなかった」

 

 シオミは右手に持っていた煙草を見つめた。残りわずかの煙草。先端は赤々と光っていた。そのまだ火の残った煙草を灰皿へと擦り付ける。

 

「……もう、いい。私はカリストを殺しにいく」

「……そうか」

「お前はどうするつもりだ」

「ヴァレンチーナとマティアスを殺す」

「は、私だけ生かすのはお前の温情か?」

「……シオミ。お前だけは、ただこの穴に落とされた被害者だ。ヴァレンチーナたちとは違う。ただ、それだけなんだ」

 

 そんな俺の返答を鼻で笑い、シオミは俺の側を通って部屋から出ていった。シオミから漂う香りは、ヨシヒデと同じだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「リアン……?」

 

 酒に酔い、赤らんだ顔。ヴァレンチーナはただ自堕落に酒精に溺れていた。

 

 カドゥケウスを起動させる。今回はバスタードソードか。一撃で殺すために脳天を狙い、その黒い剣を振るった。

 

「な! て、てめぇ!」

「やるな。流石は元アンダーボスだ」

 

 ヴァレンチーナは俺の振るった剣に咄嗟に剣を合わせ、軌道をずらされた。剣は僅かに彼女の太ももを切り裂いただけだった。

 

「なんのつもりだ、リアン! 指令か!?」

「さあ。なんだろうな」

 

 手斧。外れだ。だが今は手数が欲しい。問題はない。

 

「二。トロワ。四。五。」

 

 次々と武器を変えて畳み掛ける。実のところ、ヴァレンチーナにとって俺は天敵だ。

 

 ヴァレンチーナの持つ遺物、オーディンの目。未来予知をすると言われているが、本質は現状から全てを分析する計算機だ。しかし、カドゥケウスは攻撃を行うたびに一瞬にして形状が変化し、実際に攻撃を受けるまで予測不可能。ヴァレンチーナの予知眼は意味をなさない。

 

 故に、ヴァレンチーナは単純な地力によって俺に勝たなければならない。

 

「ぐ! ハァ、ハァ……」

「シス。足が止まってきているな」

「黙れ!」

 

 ヴァレンチーナも気づいているだろう。自身に死が迫っていることを。

 

「七。八。あと一つ」

 

 鞭で剣を絡めとり、スティレットで腕の腱を突き刺す。

 

「ヌフ。完了」

 

 俺のその言葉に、ヴァレンチーナは遺物の入った右目を大きく見開いた。

 

「知っているだろう、予測に意味はないと」

 

 俺の家庭が壊れた日を思い出す。妻と娘がただ俺に手を伸ばして助けを乞う。それをただじっと眺めた、あの日。指令への憎しみを抱いた。そして、俺は心が壊れないために指令のおかげで俺はこの家庭を築けたのだと、だから大丈夫なんだと、自身を騙した。

 

 過去の深い絶望と苦しみが心を生み出し、それは凝固して望となる。カドゥケウスに輝く光輪が一つ巻き付いた。

 

「Furioso-Replica」

 

 手斧、スティレット、バスタードソード。

 

「くそ……がぁ!」

 

 レイピア、ハンマー、大剣。ヴァレンチーナの姿勢が崩れる。

 

 ランス、鞭、そして……鎌。最後の一撃は空間ごとヴァレンチーナを切り裂いた。

 

「こ、この……模造品野郎が……」

「今までご苦労だった、ヴァレンチーナ。もう休んでいい。二度と戻らない栄光に縋り付く惨めな日々は、これで終わりだ」

 

 ヴァレンチーナは最後まで血走った目で俺を睨み、そして息絶えた。

 

「さて、次が問題だな」

 

 手元に視線を落とす。そこにはフォプーンを形成したカドゥケウスがあった。

 

「ここまで指令を無視し、親方まで殺したからな。流石にもう手を貸してはくれないか」

 

 神託端末機カドゥケウス。こうなってしまってはもう使い物にはならないだろう。

 

 マティアスと俺は、普段ならほぼ互角。向こうが遺物を使いこなせないことを鑑みると、僅かに俺が優勢だ。だがそれもカドゥケウスが使えること前提。カドゥケウスがないとなればその勝敗は……

 

「……厳しいだろうな」

 

 だが、まあ、なんとかなるだろう。こちらには奇襲の分アドバンテージがある。

 

 俺の持つ阿頼耶識はヨシヒデとシオミ以外の人間には抜けないが、ヨシヒデは阿頼耶識の鞘で人を斬ったこともある。それと同じように戦えば問題はない。少なくとも手斧とスティレットよりはマシだ。適度に重みも長さもあって、丈夫だ。

 

 カドゥケウスをポケットに入れ、もはやただ唯一の武器となってしまった阿頼耶識を握りしめて、俺はマティアスのいる部屋へと向かった。

 

 

 

 マティアスのいる部屋は倉庫のようで、無数の未開封のおもちゃが並べられ、まるで展示されているようだった。人が住むにはあまりにも無機質で温もりがない。だが、奇襲するにはもってこいだった。

 

 部屋の真ん中には、鎖をぐるぐるに巻かれて封印されている剣を手入れしているマティアスがいる。

 

 物陰に隠れて、息を潜める。そして、心を鎮めて過去の記憶を思い返していく。深い憎しみと絶望を冷静に固めて力にする。どれだけ深い感情なのか、そしてどれだけ冷静なのかによって、望の個数は変わる。

 

 気づけば阿頼耶識の鞘には、望が三つ巻き付いていた。その阿頼耶識の先端をマティアスの頭へと向ける。

 

 高速の突きで、頭部を破壊する。これが唯一の勝ち筋だろう。……今の俺には人差し指に特有の、青い解禁の花びらがない。指令の加護を持たない分、一撃で決める必要がある。

 

 グッと脚に力を込める。そして筋肉をバネのように収縮させ、解き放った。弾丸のように駆け出し、絶死の突きをマティアスの頭部へと撃ち込む。

 

 突きがマティアスに当たるその瞬間。マティアスはゆっくりとこちらを振り向き、俺はその目と、視線が合った。

 

 ピンボールのようにマティアスの身体が吹き飛ぶ。一瞬でいくつもの棚を突き抜け、多くのおもちゃがめちゃくちゃに破壊されていく。遂にはマティアスは部屋の壁にぶち当たり、部屋全体が大きく揺れた。

 

 突きの体勢のまま、マティアスが消えていった方向をじっと睨む。嫌な予感がした。

 

 部屋には埃と煙が立ち上っていた。そこに突如として穴が開く。鎖の巻かれた大剣の投擲。凄まじい速度で飛んでくるそれを、阿頼耶識を盾にしてなんとか防ぐ。

 

「は、ははははは! いやあ、危なかった! 気づかなかったら一撃で死んでたな。反射的に強化刺青の力を引き出せて良かったぜ」

 

 笑いながら歩いてくるマティアス。頭部から血がダラダラと流れてはいるが、命に関わるようには見えない。奇襲は失敗だ。

 

「で、一体どういうことだ?」

「それを知る必要はあるのか?」

「は、そうだな。まあ、俺を殺しにくるって言うなら、お前でも殺すだけだ」

 

 マティアスの刺青が紫色に輝く。

 

「お前相手に手加減なんかできねえ……怨恨の刺青最高出力……レーヴァテインの封印解除だ!」

 

 剣の鎖が解け、赤い刀身が姿を現す。マティアスにこの遺物、レーヴァテインを使いこなすことはできないが、関係はない。彼の膂力でこれを振るわれるだけで殆どの相手は即死するだろう。

 

「ふっ!」

 

 軽々と振るわれるその大剣を鞘で受け流していく。焼け付くような熱気、受け流しているにもかかわらず伝わる力。両手が痺れる。

 

「即決処刑だ!」

「……ッ!!」

 

 フルスイングされるレーヴァテイン。受け流すことはできない。阿頼耶識の鞘で受け止めることしかできなかった。

 

 衝撃が全身に伝わる。まるでさっきのマティアスのように俺はおもちゃの棚へと吹き飛んだ。

 

「がはっ……」

 

 血を吐く。内臓をやられたか。まずいな。

 

「…………?」

 

 そしてそこで気づいた。両手が熱い。咄嗟に手元を見ると、そこには抜き身の阿頼耶識があった。

 

「今の攻撃で……鞘が砕けたのか……」

 

 天殺星刀、阿頼耶識。存在を斬り、時間を斬り、概念を斬り、天を殺す。しかし、適性のないものは抜こうとしただけで廃人となった。これをまともに振るえるのはヨシヒデだけ。そしてそのヨシヒデさえも、刀を抜いて使ってしまえば記憶を切り刻まれる。

 

 なら、俺がこれを振るって何かを斬れば、果たしてどうなる?……記憶どころか精神すら切り刻まれるだろう。いや、それで済めばいいほうだ。存在すら斬られ、世界から消えてもおかしくはない。

 

「はっ……はは……ははははは!」

 

 だが、それがどうした? 娘を守るために、そんなことを躊躇するわけがないだろ。

 

 俺はずっと……ずっと後悔していた。娘と妻が死ぬのを傍観していたことを。ヨシヒデに阿頼耶識を使わせ、そのたびに記憶を失わせていたことを。そして、蜘蛛の巣の結末にヨシヒデが幸せになる未来がないことを。

 

 本当は、君に最高な人生を与えたかった。

 

「ありがとう……阿頼耶識。俺にチャンスをくれたんだな」

 

 阿頼耶識の柄をしっかりと握る。刀身は白く輝き、それでいながら透き通っている。今まで見てきたどんな刃物よりも美しかった。

 

「無我夢中……阿鼻叫喚……支離滅裂」

 

 そう唱えて、駆け出す。たった一振りに今までの全てを賭ける。文字通り、全てだ。

 

「リアン……お前!?」

 

 マティアスは阿頼耶識を抜いた俺を見て慄いた。それはそうだろうな。マティアスも親方だ、阿頼耶識の力くらいは知っている。

 

 ……マティアス? なんだ、それは。……なるほど、忘れてしまったのか。握っているだけで。早く勝負を決めないとな。

 

 たった一度の踏み込みで懐に潜り込み、阿頼耶識を横に薙ぐ。それを男は屈み、間一髪で避ける。だがそれはブラフだ。

 

「……クソ!」

 

 ポケットに入っていたカドゥケウスを目の前の男へと投げつける。それを防ぐために、男は大剣を盾のように構えた。そして、それも残念ながらブラフだ。既にカドゥケウスは使い物にならない。それを知らないで警戒したお前の負けだ。

 

「終わりだ」

 

 カドゥケウスと大剣ごと男を真っ二つに切る。この刀に斬れないものはない。天をも殺す刀。その名に恥じない切れ味だった。

 

 そして、男を斬った瞬間。悲鳴を上げるかのように、俺の全てが鋭く削り取られていく。記憶が薄れていく。心が刻まれていく。俺が消えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後に浮かんだのは、ヨシヒデと、娘と、妻。家族たちの顔だった。

 

 

 

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