波は引いて、氷が溶けた 作:なめなめろう(旧名:ELDERSIGN)
蜘蛛の巣からアラヤと抜け出して三年が経った。
リアンから貰った刀の鞘には、翼の巣への移住権が付いていた。ご丁寧に家と土地まで用意してな。おかげで争いごとや面倒ごとに巻き込まれることはほとんどなかった。
「アラヤ、レン! 朝だ、起きろ!」
「ふぁ〜……ねむい……」
「主様、今日は公園でピクニックでございます。楽しみにしていらしたではないですか」
「うん……おきる……」
巣に住んでからも色々あったが、一番の変化はレンの存在だろうな。路地裏で血を流して倒れているレンをアラヤが見つけて看病したが、身寄りがないらしく、アラヤもレンに懐いたから養子にした。レンも見つけてくれたアラヤに恩義を感じたせいで、アラヤのことを主様と呼ぶ変なやつになっちまったが。
「弁当、ボール、レジャーシート、あとは……これでいいな。アラヤも準備できたか?」
「うん! 準備万端!」
「では参りましょう」
家を出て、公園までの道を三人並んでゆっくりと歩く。心地いい朝日が差していた。
巣での暮らしは、蜘蛛の巣と比べれば本当に平和だ。殺しの依頼でしか訪れられなかった巣で、こうやって平和に住んでいる。変な話だ。
「着いたな」
俺たちの家の近くには結構でかい自然豊かな公園がある。天気のいい日はたまにここに来て時間を潰す。今回で来るのが……四回目か?
「レン、アラヤと先に行って遊んでろ」
「良秀様……よろしいので?」
「俺は一服する。すぐに行く」
「承知しました」
結局、煙草はやめられなかった。ただ、アラヤの前で吸うのは身体に良くないから、こうして一人で吸っている。アラヤがいる時に口が寂しくなったら飴を咥えるが。
「……は?」
喫煙所へ向かう途中のベンチ。そこにはありえない人がいた。
「リアン……?」
「……ん?」
黄色にも金色にも光る目、年齢不詳の若々しい顔、そして大人になっても何故か絵本を読んでいる。間違いない、リアンだ。髪の毛はなぜか真っ白になってはいるが。
「俺のことを知っているのか?」
「お前……記憶が……」
「ふむ……横に来て座ってくれないか。少し時間があるなら話したいんだが……いいかな?」
挙動に不審なところはない。穏やかな雰囲気。辺りにも見知らぬ気配や殺気はない。……まあ、大丈夫だろう。
リアンの側に座る。少し懐かしい心地がした。
「リアン、と俺のことを呼んだね。それが俺の名前なのか」
「ああ……今までは名前、どうしてたんだ」
「手のひらに文字が刻んであったんだ。ほら」
リアンの右手を見る。そこには痛々しい傷跡が残っていた。そしてその傷跡は、良秀と読めた。
「だから、ヨシヒデと名乗っていた。なんだかしっくりこなかったけれどね」
「…………」
何もかも忘れたリアンが唯一身体に刻んだもの。それが、良秀。忘れてもなお握りしめられるように、刻んだのか。
「……俺が、ヨシヒデだ」
「……そんな気がしたんだ。君を見た時から。俺と君はどんな関係なんだ?」
「親子だ。もちろん、俺が子だ」
「それは……いいな。そうか、俺には娘がいたのか」
「娘どころか、孫までいるぞ。それも二人」
「……なんだって?」
リアンは錆びついた機械のように首を回した。よほど衝撃が大きいらしく、絵本を手から落とした。
「まさか一日で俺に家族がこんなに増えるなんてな……」
「今丁度向こうで遊んでる。お前も来るか?」
「邪魔にならないか?」
「なるな。でも俺の娘もお前と多少の面識はある。可愛い孫だ、遊んでやれ」
懐かしい顔に会って、もう煙草を吸う気にもならない。さっさとアラヤのところに行くか。
「ああ、そうだ。行く前に教えてくれ。リアン……はどうやって書くんだ?」
「……手を出せ。書いてやる」
俺の言葉に従って、素直に手を差し出すリアン。その手のひらに人差し指をとん、と置いてスペルを書こうとして、ふと小さな嘘を思いついた。
「
「意味は絆、つながり。いい名前だろ」
「……ああ。思っていたよりずっといい名前だ」
小さな嘘。たった一文字の違い。それでも
「ああそれと。俺はヨシヒデじゃない」
「……?」
「りょうしゅうだ。そっちの方がいいだろ?」
「ああ、そうだね。りょうしゅう、か。いい名前だ」
ベンチから立ち上がる。公園は楽しそうにはしゃぐ声で満ちていた。
「りょうしゅう」
「あ?」
「……すまないね、呼んでみただけだ。なんだか、呼びたくなってしまって」
「は。娘の前ではやめろよ」
リアンと二人並んで歩く。俺は、アラヤに自分が与えられなかったもの全てを与えたいと思っていた。けれど、まさか自分が今になって与えられなかった幸せを受け取るなんてな。
そんなことを思いながら歩いていると、後ろから声が聞こえた気がした。
――ありがとう、
「……どうしたんだ?」
「いや、なんでもない」
振り返ってもそこには誰もいなかった。でも、確かにそこには何かが居た。
「リアン、絆は斬るだけじゃ断ち切れないみたいだな」
小指に巻き付いた赤い糸。それはアラヤとレンの方へとずっと伸びていた。そして、人差し指に巻き付いていた赤い糸は、確かにリアンへと巻き付いていた。きっとそれが断ち切られることは、ないだろう。
これにて完結です。ここまで読んでくださりありがとうございました!
リアンがどうすれば幸せになれるのかを考え、人差し指である限り幸せになれないと思った結果、生まれた物語です。
全てを忘れてただ家族と生きる。そんな鏡世界があってもいいんじゃないかな……なんて思ったりします。リアン、幸せになれ。