学園で有名な『氷』の美人姉妹を助けたくらいで、俺の平凡な生活は変わらない……と、思っていた。   作:沙悟寺 綾太郎

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第10話

 

 三年前に、亡くなった祖母がよく言っていたことがある。

 好きなことも、嫌いなことも、同じだけ頑張れと。

 

 好きなことを頑張れば、自信がつく。そうして、培った自信で嫌いなことを頑張れば、好きなことになる。

 

 そうして、一つずつ強くなってゆくのだと。

 その言葉が好きだった。

 

 だから、俺は努力できたのだ。

 勉強も、運動も、なんだって。

 

 けれど、俺は知ってしまった。

 努力は、確かに裏切らない。けれど、努力したからと言って、幸せになれるわけではないのだと。

 

 努力という対価の先にあるものは、決して肯定的なものだけではないのだと。

 

 

 俺が校門を飛び出して、三十分。病院にたどり着いた。

 

 ガラスの自動ドアを抜け、消毒液の匂いを鼻に感じながら、俺はロビーにいるであろう白葉を探す。

 

 幸い、すぐに見つかった。

 受付の横に、座っていてすぐに俺に気づいたようだった。

 

「白葉、大丈夫か?」

 

「喜一。早かった」

 

「え、あれ。意外と落ち着いてるんだな」

 

「うん」

 

 流石にいつもよりは元気なさげだが、それでも慌てふためいたりはしていない。

 

「銀花さんは?」

 

「今、点滴打ってる。元気が出る濃厚な奴」

 

 うわぁ、とんでもなく卑猥な言い方だ。

 

「貧血とかなのか?」

 

 倒れた、とだけ聞いているから、理由としてはそこ辺りだろうか?

 

「違う。姉ちゃん、体調崩していたのに無理してたから」

 

「え?」

 

 体調を崩していた? 初耳だった。

 

「お姉ちゃん、絶対人に弱ってるなんて言わない。完璧であろうとするから」

 

「……完璧、か」

 

 勉強も努力も出来て、人に弱みは見せない。加えて、家事のこともほとんどを苦しい顔一つ見せないで、こなしてしまう。

 

 確かに、完璧だ。それこそ論じる必要もないほどに。

 

「喜一は何故、体操着?」

 

「さっきまで体育だったからさ、飛び出してきたんだ」

 

 しかも、走ってきたから結構汗もかいてしまっている。シャワーを浴びたいところだ。

 が、今はそんなことはどうだって良かった。

 

「今って銀花さんと話せるのか?」

 

「うん。起きてると思う」

 

「そっか、じゃあちょっと行ってくる」

 

 少し、話しておきたかった。

 何故、そこまでするのかを、そうしなければいけないのかを、聞きたかった。

 

 点滴室は向かって右の廊下の突き当たりだった。

 

「失礼します」

 

 注意書きがあったけれど、基本的には患者の関係者は自由に出入りしていいらしい。

 

 中にはたった一人。一番奥のベッドに銀花さんはいた。

 淵に座って、参考書を読み耽っている。

 

「喜一君。貴方までここに来たのね」

 

「はい。白葉から話を聞いて、居ても立っても居られなかったので」

 

 冷静になってみれば、俺は部外者のようなものだから、銀花さんにしてみれば困惑しているかもしれないな。

 

「それで、体調はその……どうですか?」

 

「体が少し重いだけよ。お医者様曰く、日頃の無理が祟ったらしいけれど」

 

 そりゃあ、毎朝五時に起きて、学校と家事を全て完璧に行うなんて、きついだろう。

 

「少しは頼ってください。二人に世話になってますから。頼ってくれるなら、俺は……」

 

 掃除でも、料理でも、なんだって手伝う。むしろ、何もさせてもらえない今の方が少し辛い。

 

「ダメ。私が出来なくちゃいけないのよ、家事も勉強も、私がやるべきことは全部」

 

 ── 『必要だからしているだけよ。大したことではないわ』

 今日の朝、銀花さんがそう言っていたのをふと思い出す。

 

「なぜ、そこまで銀花さんは……自分に厳しいんですか?」

 

「自分に厳しいとは、思っていないわ。ただ、私には白葉がいる。あの子に不自由だけは絶対にさせられない。それだけ」

 

 だから、頑張るのだ。そういう代わりに、銀花さんは小さく笑みを作る。

 

「それに、条件なのよ。私と白葉が、二人であの家に住むためのね」

 

「条件、ですか?」

 

「ええ。前に話した叔母からの条件。私が卒業までしっかりする代わりに、二人で住む。叔母とは住まない」

 

「……だから、完璧じゃないといけない」

 

「ええ。そう、私は完璧ではなくてはいけないの。二人の生活を、白葉を、あの家を、守るために」

 

 言葉を失った。それくらいには、銀花さんの背負ったものは重かった。

 

「でも、こんなことになって、やっぱりダメね。私は」

 

「そんなこと、ないですよ」

 

 立派だ。銀花さんのことは、誰にも馬鹿になんてさせない。絶対に。

 

「ねえ、喜一君は、私たち姉妹のことを学園でどう聞いた?」

 

 銀花さんはベッドの隣の椅子へと「座わったら?」と目線を送る。

 長話になるなら、確かに座った方が良さそうだ。

 

「えーと、二人とも成績はずっとトップで誰もが、憧れるような天才……だと」

 

 そして、『氷の姉妹』。グループに属することもなく、浮ついた話の一つも出ない存在。

 

 高嶺の花というよりも、夜空の星のような手が届かない存在。

 

「その話、一つ間違いがあるわね。私と白葉がずっと主席だったのは本当だけど、天才というのは間違いね」

 

 銀花さんは膝の上に置いた参考書の表紙を手でなぞった。

 

「──天才なのは、白葉だけ。私はただの凡人だもの」

 

 謙遜ではないのだろう、一目でそう思わされるほどに、真剣な目だった。

 

「だから、努力は怠れないの。そうしなければ、学年トップも今の生活も守れない」

 

 ああ、そうかと。納得がいった。

 俺は部屋が決まれば、あの家から出てゆく。そんな俺に、一度でも頼ってしまえば、銀花さんの中でその選択肢が出来てしまう。

 

 そうなればきっと、俺がいなくなった後も今のように頑張れないかもしれない。だから、銀花さんは去る俺には頼らないのだ。

 

 俺が同じ立場だったとしても、こうするかもしれない。でも、努力がいつだって、人を幸せにするとは限らないのだ。

 

 だから、俺は。

 

「銀花さん、今日は帰れそうですか?」

 

「これが終われば、帰っていいそうよ」

 

「なら、待ちます。一緒に帰りましょう、三人で」

 

 部屋が決まるまで、きっとあと数日も掛からないだろう。けれど、それまでは。

 

「今日の夕飯は、俺が作ります。洗濯も掃除を銀花さんが元気になるまでは俺がやります。銀花さんは休んでて下さい」

 

 俺が、銀花さんを支えたい。そう強く思った。

 

「でも、喜一君にそんなことをさせるわけには……」

 

「むしろ、ここで何もさせてもらえない方が俺としてはきついです。それに、助走だと思ったらいいんです。こういう時は」

 

「助走?」

 

「はい。銀花さんはずっと頑張ってますから」

 

 どうやったって、人は疲れる。疲れてしまうのだから。

 

「たまには、少しくらい休んでも文句を言いませんよ、誰も。というか、絶対に休んでもらいます。銀花さんは、俺にとって大事な人で──()()()()()()、ですから」

 

 俺は、絶対に嫌だ。

 人の努力が目の前で崩れる瞬間など見たくない。そして、それが恩人ならば、尚更。

 

 そうなるくらいならば、俺が全力で支えたい。

 

「っ……喜一君……ありがとう」

 

 銀花さんは少し驚いた顔をした後で、頬を少しだけ赤く染めた。

 うん、ちょっと我ながら恥ずかしいことを言ってしまっただろうか。

 

「いえいえ、お礼を言うのはいつだって俺の方ですよ。本当に、お世話になってます」

 

 少し、緩んだ気がした。焦りや悔しさのようなものが、銀花さんの周りから。

 

「……一つだけお願いがあるの」

 

「はい。なんでしょう?」

 

「白葉に、包丁と……洗濯機だけは触らせないで」

 

「……ええ。薄々、そうじゃないかと察していました」

 

 そう、ここまでの話で一度として、白葉の存在が出なかったわけ。

 それは。

 

「白葉って……家事は、何が出来るんですか?」

 

「いいえ、何も」

 

「ですよねー」

 

 よし、頑張ろう。うん……。

 

 

 

 

 

 

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