学園で有名な『氷』の美人姉妹を助けたくらいで、俺の平凡な生活は変わらない……と、思っていた。 作:沙悟寺 綾太郎
どくん、どくんと心臓がうるさかった。
お、落ち着け。まだ焦る時間じゃない。
「……喜一君、寒くはない?」
「だ、だ、だ、大丈夫です!」
そう、俺が今いたのは、銀花さんの部屋。
難しそうな背表紙が並ぶ大きな本棚。それと同じくらいの大きさのクローゼットがある。
勉強机の上には、数々の参考書や赤本が積まれていた。
そして、俺がいる場所、それはダブルサイズのベッドだ。
「少し、狭いかしら? ごめんなさいね」
「い、い、いえ! 全然平気です!」
ベッド。掛け布団の中。仰向けで隣り合う俺と銀花さん。
右手の指先には、銀花さんの指が絡んでいて、さらに熱を持っていた。
「こうして、誰かと一緒に寝るなんて思わなかった」
「白葉がたまに潜り込むって言ってませんでしたっけ?」
「あれは、白葉に湯たんぽ代わりにされているだけだもの。一緒に寝ているのとは少し違うわ」
「な、なるほど」
そう言われれば、確かに違うような気もする。
「喜一君は兄弟とかはいないの?」
「はい、一人っ子です」
「そうなのね。少し意外。料理も洗濯も慣れていたから、てっきり誰かのお世話に慣れているんだと思った」
「お世話自体は、慣れてますよ。俺、爺ちゃん婆ちゃんに育てられたので」
母も父も、幼い頃はかなり忙しかった。ほとんど家にはいなかったし、田舎のご近所付き合いで色々と手伝ったりもした。
「ねえ、喜一君。貴方のこと、何か話してくれないかしら」
「ええ、もちろん」
まあ、銀花さんと白葉になら話しても良いだろう。それに、銀花さんから二人のことを聞いたのに、俺が話さないのはアンフェアだ。
「俺、実はですね? こう見えて、かなりの田舎で育ちで」
「うん、なんとなく分かってた」
「え? ほんとですか?」
「だって、色々と反応が面白いもの。それに、助けてくれた時だって、方言を使っていたし」
「あ、確かに」
そうか、バレていたのか。なら、別に何も隠すことはないな。
「冬は腰くらいまで、雪が積もって、夏は虫が多い。ほんと、今思えば、なかなか過酷だったなと思います」
「凄いところね。いつか案内してもらおうかしら」
「いいですけど、多分引きますよ? バスは一日、三本だし、電車も三時間に一本とかなんで」
「それは……過酷ね」
「ええ。でも、一番きつかったのは同年代が誰もいなかったことですかね」
「え? 学校は?」
「勿論、ありましたけど、うちからはかなり遠くて、片道二時間くらいだったんです。だから、放課後に遊ぶとかはほとんど出来なかった」
今でも、たまに夢に見る。
深い雪の中を、一人走り回る夢を。サッカーも、野球も、全部を全部一人でした。
中学になってからは週末、サッカークラブや野球クラブにも通ったけれど、そこでもあまり上手くはいかなかった。
遊ぶことも、勉強も、孤独を感じずにはいられなかった。そんな日々が、俺の記憶にはこべりついている。
「喜一君は、だからこんなに優しいのね」
「え?」
銀花さんの言葉に驚いて、咄嗟に顔を向けると銀花さんはじっと俺を見ていて、同時に繋いだ手に力を入れた。
「ねえ、喜一君」
「は、はい。なんでしょうか?」
「もう少し、引っ付いてもいいかしら?」
「っ!? か、構いませんけど」
ぎゅっ。銀花さんは体を寄せて、俺の右腕を抱え込むように引っ付いた。
「あったかいわね。確かに白葉が喜一君のベッドに潜り込むのも理解できるかも」
「や、やめて下さいね? 朝起きた時、心臓に悪いんですよ」
「あら? 甘えても良いって言ってくれたのは喜一君の方よ?」
「えーと、そういう意味では……」
もちろん、これほどの美少女にそんなことをされて、多少なりとも喜ばない男などいないだろう。けれど、なんというかハチャメチャに緊張する。
「冗談よ。けれど、たまにはこうして、一緒に寝るのも良いかもしれないわね」
「……俺、男なんですよ? もうちょっとこう、警戒した方がいいと思います」
「誰でもいいわけではないわよ。私は喜一君だから今、こうして一緒にいたいと思ったの」
「そ、それは……ありがとうございます?」
「ほんとに……考えたことすら、なかった。男の子とこうして一緒に寝るなんてこと」
吐息が耳にかかる。妙に艶やかで、腕に感じる柔らかな感触のせいで、緊張がさらに加速する。
「そろそろ、眠りましょうか」
「そ、そ、そ、そうですね!」
口ではそう言ったものの、この状況でまともに眠れるはずもなく、俺は夜通し天井のシミを数えるのだった。
そうして、朝がやってくる。
「……ん。おはよう、喜一君」
「おはようございます」
銀花さんの目がそっと開く。長いまつ毛と綺麗な瞳にまたも心臓がどくんと跳ねる。
「喜一君、きちんと寝れた?」
「えーと、あんまり」
ぶっちゃけ全く寝れていないが、それを言えば、銀花さんのせいみたいになってしまうから、そう言った。
……いや、美人すぎる銀花さんのせいといえばそうなのだが。
「今は……六時三十分。久しぶりによく寝られた気がする」
「それでも、まだ早いですけどね」
朝食の用意は既にしてある。しばらくすれば、ご飯も炊き上がるだろう。
「さて、と」
俺は立ちあがろうと、掛け布団を捲る。が、しかし、服の裾を銀花さんにつままれた。
「今日は、一緒にいてくれるのよね?」
ん、あれ? なんか銀花さんの様子がいつもと違う?
「ええ、もちろんですよ」
「……そう」
俺が頷くなり、銀花さんは安心したように笑った。
こういうのをギャップ萌えと言うのだろうか? 普段、クールな銀花さんが今こんなにも甘えてくるのは、正直かなり可愛い。
「とりあえず、朝食を作ります。銀花さんはもう少し寝てていいですから」
「いいえ、もう十分寝られたわ。喜一君のおかげかしら」
やべぇ、重ね重ねめちゃくちゃ可愛い。いつもも勿論可愛いけど、どちらかと言うと綺麗という言葉の方が似合う印象なのだ。
「じゃあ、リビングに行きましょうか」
「ええ」
立ち上がる俺と銀花さん。なのだが……。
「えーと、銀花さん?」
「なあに? 喜一君」
銀花さんはずっと俺の腕に引っ付いたまま。話す素振りは愚か、ぐいぐいとさらに体を押し付けてくる。
とはいえ、離れて欲しい、なんて俺にはとても言えないわけで。
「い、いえ、なんでもないです」
「そう、なら行きましょうか」
少し歩き難いけど、まあ階段には手すりがあるから別に問題もない。
リビングの電気をつけてから、俺と銀花さんは中に入った。
「喜一君。朝食の準備、手伝うわよ?」
「うーん、いえ大丈夫です。簡単なものを作るだけなので」
「そう、なのね」
トーストをオーブンに入れて、焼き上がるとバターを塗って皿の上に置く。
この過程の間も、銀花さんは離れなかった。手は離してくれたけれど、ずっと親鳥についてゆく小鴨のように俺の周りをひょこひょこと歩いていた。
「ん……おはよ」
ちょうどスクランブルエッグを作り終えた頃、白葉がリビングにやってきた。
「あら、白葉。今日は早いわね」
「あ、お姉ちゃん。元気そう……というか、喜一と距離が近い」
白葉は俺と銀花さんを交互に見比べるように、視線を向ける。
「……むむむ、まさかヤった?」
「「やってない!」」
とんでもない誤解を生みながらも、俺と銀花さん二人っきりの一日が始まるのだった。