学園で有名な『氷』の美人姉妹を助けたくらいで、俺の平凡な生活は変わらない……と、思っていた。 作:沙悟寺 綾太郎
学校を休むというのは幼い俺にとって、地獄の始まりだった。
爺ちゃんと婆ちゃんは朝早くから畑に行ってしまうし、見舞いに来てくれるような友達もいなかったから。
日がな一日、面白くもないテレビを見たり、古く日焼けた漫画を読んでみたり、とにかくすることがなくて、退屈だったのをよく覚えている。
だから、よほどのことがない限り休みたいなんて思えなかった。
けれど、その記憶は今、穏やかに塗り替えられてゆく。
「どう、結構面白いと思うのだけれど」
昼食を食べ終えて、落ち着いた午後。
居間のソファーで、俺は銀花さんにおすすめされた映画を見ていた。
「なるほど、なるほど。この人が犯人だったとは」
「かなり、意外なところよね。けれど、もう一度見てみると、ヒントはかなりあるの」
銀花さんは推理小説がかなり好きらしい。コナン・ドイルやクリスティ、などメジャーなものから聞いたことのないようなものまで、色々と。
実際、今見ていた映画も、海外の推理小説が原作だ。
「例えば、最初のところ……ここの会話のシーン」
「あ、ほんとだ。確かに伏線になってますね」
推理小説、サスペンスは面白い。読んでいて、見ていて、知らない世界で巻き起こる事件を追体験しているような不思議な感覚がする。
けれど、それよりも好きなものの話をする銀花さんはいつもよりずっとお喋りで楽しげで、見ているこっちが嬉しくなる。
「喜一君はどんな本を読むの?」
「そうですね、色々読みますけどスポーツものとかが好きかもです」
「スポーツもの?」
「はい、野球とかバスケとかを主題にした作品です。漫画でも小説でも結構好きで」
家に色々とあったから、というのもあるが、俺にしてみれば、ある意味憧れのような感情があった。
「それに田舎じゃ、まともにそういう遊びは出来なかったんで」
「少し、悲しい話ね」
「いえいえ、昔の話なんで特になにも思ってませんよ」
それよりも、と俺はふと気になったことを尋ねてみる。
「銀花さんは、何かスポーツとかやっていたんですか?」
そう言えば、スポーツ関係の話は聞いたことがない。苦手だったりするのだろうか。
「スポーツ……一応、陸上競技をやっていたわ。まあ、県ベスト4程度だったから、中学二年でやめてしまったけど」
「す、凄いですよ、それは」
「そうでもないわよ。勉強と違って、いまいち結果に繋がらなかったもの」
銀花さんにしてみれば、県ベスト4ではダメなのか。基準が多分、かなり高いのだろうな。
「それに……その」
「どうかしたんですか?」
何か、他にも理由があったのだろうか。俺が尋ね返すと、銀花さんは少し恥ずかしそうに耳の辺りを指でなぞった。
「その……胸が、ね? 大きくなってしまったから」
「っ!? す、すみません!」
おいおい、何を食い気味に聞いているんだ、俺は。
セクハラ。もはや言うまでもなく、俺の言動がそれに該当する。そんな気がした。
「えーと、はい。ちょっと自分の顔面を殴ってきます」
「きゅ、急にどうしたの?」
「いえ、ほんとに気が回らない自分に嫌気がさしまして」
はあ、これに関しては言い訳も出来ない。俺はやっぱりコミュニケーションが下手だ。
少し落ち込みそうになっていると、銀花さんは俺の頭を緩やかに撫でた。
「喜一君は、今のままでいいのよ。だって、その方が可愛いもの」
「か、可愛いですか?」
「ええ。可愛い」
はにかんで、銀花さんは肩を寄せてきた。いや、銀花さんの方がよっぽど可愛い。
うむ……なんか複雑だ。
ひょっとして、俺は男として見られていないのだろうか。
「喜一君が、弟なら……いいえ、それはそれで少し困るかも」
「あははは、俺も二人と
二人と兄弟なら、今のようにドキドキはしないかもしれない。それに、なんというか……そう、恋愛対象にもなれないだろうし。
「そうね。きっと、私も喜一君と同じことを考えてると思う」
「へ、へぇー」
そうだろうか……ま、そうであれば、うん。いいな。
「ん、気のせいかしら。さっきからリビングの方で何か音がしてない?」
「そう、ですかね……あ、そうか。俺の携帯です、多分」
机の上なら、きっとそうだ。俺は立ち上がる。大体、その相手が誰であるのかも見当がつく。
「少し、席を外しますね」
「ええ」
リビングに行くと、確かに俺の携帯が震えていた。
「もしもし?」
『あ、喜一。ごめんなさいね、こんな時間に。今は学校?』
「うん。そうだけど、ちょうど休み時間」
ああ、嘘を吐くのは忍びないなぁ。けれど、今の状況を説明するには、ちょっと複雑すぎる。
「ん、あー、別に平気だけど。どうかしたの?」
母の声だった。
『部屋の件なんだけどね、見つかったわよ。来週から入れるわ』
「……そっか」
思ったよりは早かったな。もう数日はかかると思っていた。
『駅から徒歩、十分だし学校からも近いの。住所とか詳しいことはまたメールで送るわね』
「うん。ありがとう。じゃ」
『あ、待って。喜一』
「なに?」
『学校は、楽しい?』
心配するような、そのくせ遠慮しているような。簡単にはいい表せない声音だ。
「……楽しいよ」
『そう。ならいいの。じゃ、また連絡するからね』
「はーい」
そうして、電話を切る。俺は携帯を閉じると同時にポケットに突っ込んだ。
「この生活も、あと数日で終わりか」
元々、この状況がおかしいのは重々承知だった。ほとんど見ず知らずだった姉妹の住むこの家に転がり込んでいる現状が。
結構楽しかった。純粋にそう思う。
が、俺にはまだやり残したことがある。
それは。
「お待たせしました。銀花さん」
「ええ。相手は親御さんかしら?」
「はい、母でした。どうやら部屋が決まったようで。来週には移れるかと」
「……そう、なのね」
少し寂しそうに見えた。と言っても、俺の主観だからあまり信用は出来ないけれど。
「それより、銀花さん。体調の方は大丈夫ですか?」
「ええ。もう熱も下がったし、体もずいぶん楽になったわ」
嘘はついていなさそうだ。昨日と比べれば、顔色もずいぶん良くなったし、今朝も昼も食欲もあった。
「良かった。なら、週末出かけませんか? ちょっと銀花さんに見せたいものがありまして。勿論、俺と銀花さんと白葉の3人で」
「いい、けど。どこに行きたいの?」
首を傾げた銀花さんは問うてきた。
「それは週末まで、秘密ということで。じゃあ、俺は夕飯の買い出しに行ってきます。銀花さんはゆっくりしててくださいね」
一つ、銀花さんには知っていて欲しいことがあった。
それは、努力した人は報われるということ。
頑張ったのなら、それ相応の褒美があって然るべきだし、自分を甘やかすということも時には必要である、ということを。
だから、俺は銀花さんを精一杯楽しませたい。
それが、俺がこの家で役に立てる最後のことだと、思った。