学園で有名な『氷』の美人姉妹を助けたくらいで、俺の平凡な生活は変わらない……と、思っていた。 作:沙悟寺 綾太郎
「今日は、このくらいにしとくか。あらかた
「そうだな、ちょっと疲れた」
キャッチボールを初めて、一時間ほど。球数にして、百球ほどで終わりの流れになった。
球数七十を超えた辺りで、ようやく俺の勘も戻ってきて、カーブ、スライダー、チェンジアップの三種類はストライクゾーンに入るようになった。
ま、独学で習得したものだから、ぶっちゃけぎりぎり変化球に該当するかなー? くらいだが。
「頼んでおいて、こんなこと言うのはほんとダサいけど、絶対手を抜いたりはしないでくれ。期間内に打てなかったら、俺が弱いってだけだからさ」
「……ああ、もちろん」
「それじゃ、今日はありがとな。本格的には明日の朝から頼むわ」
大野木は自転車に跨って、颯爽と走り去っていった。
「俺も帰るか」
手を抜かないでくれ、か。中々どうして厳しい意見だな。
俺は公園を出て、ゆっくりと足を進める。
グローブは渡されたままだった。
「……大野木って、実はかなり凄い選手なのでは?」
今日も取れる範囲のボールは全て取っていたし、なんとなくかなり出来る雰囲気があった。にも関わらず、野球部を辞めたというのはなんとも、勿体無い思ってしまう。
と考えながら歩いていると、意外に早く時間は流れるもので、気がつけば、駅の近くの住宅街までたどり着いていた。
ここまで来れば、家(銀花さんと白葉の)までは五分ほどだ。
とそこで、見覚えのある人物が前から歩いてきた。
「あっ」
「……ん? あっ」
お互いに気づく。そうなれば、無視は出来ないわけで。
「ど、ども。芹川先輩」
「確か……真壁? だっけ?」
俺が出会したのは、うちの学園にて、関わらない方が良いとされる人物の一人。
──芹川 都姫だった。
「いやぁ、奇遇ですね」
「そうかもね」
芹川 都姫。初対面で、かなり鋭いハイキックを繰り出してきた一つ上の先輩ではあるのだが……。
「えーと、夕飯の買い出し……ですか?」
芹川先輩の手には、両手に一つずつ大きな買い物袋があったのだ。
「半分はそう。あたしの夕飯。でも、もう半分は違う……てか、見たら分かるでしょ、それくらい」
「あはは、すみません」
「ちょうどいい。真壁、あんた付き合いなさい。今から」
芹川先輩は、袋の一つを差し出してくる。しかも、かなり膨らんでいる重そうな方だ。
「は、はい? なんで俺が……」
「あ? 何? か弱いレディーがこうやって頼ってんのに、手伝いもできないの? あんたは」
「いやいや、少し疑問に思っただけですよ」
か弱いレディーは初対面の人間に殺人級のキックを仕掛けてはこないだろ……。
とりあえず差し出された袋を俺は左手で受け取った。そして、その中に入っていたのは。
「これ、猫用の餌……ですよね。飼ってるんですか?」
しかも、一つや二つではない。少なくとも、十缶はある。買い溜めとかだろうか?
「だったら? ほんとは興味ないのに聞いてくんな。四の五の言わずに着いて来い」
「へ、へい」
こりゃ拒否するとまた蹴りをふっかけられそうだ。俺はおとなしく着いて行くことにした。
「えーと、ここは?」
「商店街裏の空き地じゃん、何処をどう見ても」
無言で歩くこと、二十数分。目的の場所は、駅前からしばらくの場所にある商店街のアーケード。そこから一本脇にそれた、小さな空き地だ。
辺りにはくるぶしくらいまでの雑草が生えそろっていて、錆びた倉庫と風化しかけた木材の束が無造作に置かれている。
「はい、お疲れ。袋そこに置いたら帰っていいから」
「え、それだけですか?」
あまりにも、素っ気なくね? 別に求めているわけではないけれど、何か一言ぐらいお礼があってもいいのではないだろうか?
「はいはい、ありがとー真壁」
「ま、まあ、いいですけど」
なんとも独特な人だなあ。と俺が思っていると、ズボンの裾を何かに引っ張られた。
「ん?」
「みゃー」
振り返ると、そこにいたのは。
「猫……」
あ、ガチか。この人、ほんとに野良猫に餌あげてるぞ。
驚いて、芹川先輩を見ると。
「なんだよ」
やんのか? みたいな目だ。俗にいうメンチをバチバチに俺へと向けてくる。
「い、いえ、予想外の展開……でも、ないのか?」
不良が野良猫に餌っていうのは、まあ定番だし。おかしなことではないのか?
「ほら、餌はあるから。食べな」
いつの間にやら、芹川先輩は俺が置いた袋の中から、缶詰を一つ取り出して、猫へと差し出した。
猫は芹川先輩へと擦り寄り、くるぶしの辺りに頭を数回擦ってから餌を食べ始めた。
「懐いてますね」
「まあ、ここいらの猫は大体知ってる」
「へぇ、そりゃ凄い」
ああ、確かにこうして、不良だと思っていた人が野良猫に優しくしているのを見ると、何処か胸の中が暖かくなった。
うん、ラブコメで女の子が惹かれるのもよく分かる。
「巷じゃ、野良猫に餌をやるな、とか言ってる奴らも多いけど、それはあまりにも無責任だとあたしは思う。こうして、人に近づいてくる猫は大体、人間に捨てられた猫ばっかりだし」
「……難しい話ですね」
確かに純粋な野良育ちの猫は、警戒心が強く、中々人には寄ってこない。
これほど近寄ってくる、擦り寄ってくるのはおそらく完全な野良ではないのだろう。
確かに、無責任だとも思える。
「ま、あたしが何も悪くないってわけでもないけどね。でも、こうして懐いてくれる奴らにはせめて、腹一杯で眠れるようにしてやりたい」
……あれ、この人。俺に対しては、初手からキックと掌底突きをかましてきたが、実はいい人なのでは?
そう思うほどに、今の芹川先輩は優しい目をしていた。
「で? まだ帰んないの?」
「あ、やっぱり俺には当たり強いんですね」
分かってたけど。うん。
「気に食わないのよ──何か、隠し事を後ろめたく思ってる奴は」
「……隠し事、ですか?」
「あんたは何か……隠し事をしてる。内容までは知んないけど……あたしも似たようなもんだから、分かるのよ」
「そう、ですか」
「ま、思ってたよりは嫌な奴ではなさそうなのは認めてあげる」
「そりゃどうも。芹川先輩も噂よりは酷い人じゃなさそうですねー」
「……やっぱ無し、あんたうざいわ」
「ありゃりゃ、嫌われちゃいましたね」
俺としては、頑張ってコミュニケーションをしているつもりなのだが、どうにもそれが気に食わなかったらしい。
「じゃ、俺はそろそろ帰ります」
「あっそ、さっさと行った行った」
俺は踵を返して、帰ることにした。
正直、こうして芹川 都姫に出会うことは想定外だったが、案外悪くはなかった。
というか、対人経験に明るくない俺からすれば、良い経験なのは間違いないのだし。
「……にしても、凄いな。ほとんど初対面の人に、
きっと、芹川先輩の言葉は正しい。
ある意味で、俺は嘘をついている。大きな隠し事があるのだ。
いや、正確に言えば、嘘ではないと言える。偽っていると言った方が正しいだろう。
「俺だって……何も考えずに、楽に生きたいんだけどな」
それが出来れば、どれだけ楽だろうか。自分のありのままを曝け出せば、どれだけ。
「ま、考えるだけ無駄だな」
なんだか心の中にモヤモヤが広がっていくのを感じて、俺は思考を手放すことにした。