学園で有名な『氷』の美人姉妹を助けたくらいで、俺の平凡な生活は変わらない……と、思っていた。   作:沙悟寺 綾太郎

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第21話

 

 朝。いつもより一時間ほど早く学校に行くと、既にグラウンドではジャージ姿の大野木がバットを振っていた。

 

「……来たか。よし、早速だけど始めようぜ」

 

「分かってる。けど、その前に肩を作らせてくれ」

 

「おう」

 

 鞄を近くサッカーゴールのポスト脇に置いて、グローブを着ける。柔かい。本当にいいグローブだ。

 

 十球ほど。肩を温めるためにミットを構えた大野木へと投げる。

 

 ストレート、変化球。投手の投げるボールは日によって、変化が違うこともある。

 その確認も踏まえて、肩を作る。

 

「よし……出来た。始めよう」

 

「早いな」

 

 ホームベースにキャッチャーはいない。だから、代わりにバッティングネットを配置する。

 

「よっしゃ、来い」

 

「分かった」

 

 振りかぶり、ボールを投じる。初球はとりあえずストレートだ。

 

 指先で押し出し、回転をかける。

 野球における変化球とは、マグヌス効果のことだ。

 

 回転によるボールが受ける空気抵抗の結果として起こる現象。つまるところ、その原理さえ理解できて、実践できるのならば、そう難しいものでもない。

 

「っ!」

 

 初球、ストレート。大野木は捉えきれず。

 ぎぃん、と鈍い音を鳴らして、掠めたボールはネットに吸い込まれる。

 

「……次、頼む」

 

「あいよ」

 

 ストレートにタイミングはあっていた。次は押し切られる気がした。

 

「手を抜くのは、ダメなんだよな」

 

 ならば、こちらとて、ここでもう一球ストレートを放るのはダメだな。

 

 俺の選択は、スタートと比べてかなり急速の落ちるカーブ。別に鋭いキレがあるわけでもないが、タイミングを外すだけなら、このボールがちょうどいい。

 

「くそぉっ!!」

 

 バットが空を切る。完全に狙い通りだ。

 

「……流石だな、変化球が来るとは思ってたけど、ストレートも捨てきれなかった」

 

「そりゃどうも」

 

 そうして、何度も何度も投じてゆく。時折、バットの芯がボールを捉え、高くふわりと、または低く鋭く飛んでゆく。

 

 けれど、ホームラン級の飛距離は中々出ない。あっという間に、一時間余りが経ってしまう。

 

「くそ……もう時間もあんまりないか。あと三球。それでラストにしよう」

 

「そうだな」

 

 そうして、俺は再び構えを取った。しかし、ちょうどその時。

 

「──ねえ、君たち。なーにをしてるのかなー?」

 

「げっ」

 

 とんとんと肩を叩かれて、振り返った俺の目に映ったのは、女子生徒だった。

 そして、その二の腕に巻かれていた腕章には。

 

「……生徒会、の人ですか」

 

「うん。そだよ。それより、こんな朝早くから何をしているのかなーと」

 

「え、えーと、ちょっと暇なので体を動かそうかと……」

 

「ふーん、そうなんだ?」

 

 なんだこの人。黒くサラサラとした髪に、涙ぼくろ。一見、当たり障りのない人当たりの良い感じだ。けれど、その目は。

 

「悪いんだけどー、そろそろ生徒達も登校してくるだろうからさ? 終わりにして貰えるかな?」

 

 ぞっと肝が冷えるような、深い闇のようなものが巣食っている。

 顔は確かに笑っていても、その感情は、その目は、笑っているようには感じられない。

 

 そう、印象としてはぽっかりと空いた深い穴。そんな何処か不気味でありながらも、少女特有の幼さも残っている。

 

「ん、どうかした? ……あれ、というか君見ない顔だけど、編入生なのかな?」

 

 白葉のような無表情ではない。あれは、ただ分かりにくいだけで確かに話せば、その顔に出ない『表情』は計り知れる。

 

 けれど、この人はそれが全く伝わってこないのだ。

 

「す、すみません! すぐ終わります! ……真壁、行くぞ」

 

 フリーズした俺へと、大野木は走ってきた。

 

「あ、ああ」

 

「うん、聞き分けが良くて助かるよー。くれぐれもここを使うなら、ボールが絶対に他の生徒に当たらない時間にしてね」

 

「はい、すみませんでした……」

 

 じゃあねー、と生徒会の人は手を振って、俺たちの背中を見送った。

 

「くそ、運が悪いな。あの人に目をつけられるなんて」

 

「知り合いか?」

 

「知り合いではない……けど、中等部からの持ち上がりならみんな知ってる。言ったろ? 関わらない方がいいって」

 

 確かに、言っていた。生徒会、芹川先輩、月乃江姉妹。確かこの三つは、学園内でも恐れられているのだったか。

 

「ぶっちゃけ、個人的には生徒会が一番怖い。部に所属していたってのもあるが」

 

「……そんなにか」

 

「ああ、中学の時、二年の後半からキャプテンしてたんだけど、部長会議ってのがあってだな?」

 

 よほど怖かったのだろうな、表情が強張っていた。山でたけのこを掘ってたら、前からクマが突進してきたような顔だ。

 

「あの人は、なんて名前なんだ?」

 

礼堂 美桜(れいどう みお)。生徒会副会長の二年生だ」

 

 礼堂……うむ。心のメモリーに記録しておこう。なんとなく、田舎者の勘だがあの人に関わると、俺の平凡な生活(死にかけ)にトドメを刺されてしまうような気がする。

 

 俺たちはトイレで制服に着替えてから、教室へと向かった。

 

 すると、なぜだか廊下に人だかりが出来ていた。

 

「ん、なんの騒ぎだこりゃ」

 

「さあ?」

 

 どうやら、うちの教室の前のようだし。

 

「まさかとは思うけど……」

 

 あれかな、銀花さんか白葉が何か忘れ物でも届けに来てくれたのかな?

 と思い、人ごみをかき分けて教室へと入ると。

 

「あ、やっと来た。ったく、待たせすぎなんだけど」

 

「……あ、ああー」

 

 そこにいたのは、予想外の人物だった。

 その人は、太々しく黒いタイツの足を組み、気怠そうに俺の席に座っていた。

 

「なあ、なんでここにいるんだよ……」「いや、俺に分かるわけないだろ」

 

 クラスメイト、並びに周囲の生徒の動揺が見て取れる。

 

「な、なあ、真壁。まさかとは思うけど……お前のお客さん……だったりするか?」

 

 座ってるの、お前の席だし。と大野木は苦笑いをする。

 

「聞いてんの? ねえ──真壁」

 

「……はい」

 

 ざわ、ざわ。いつかのように教室はざわめき立つ。

 

「ほら、面貸せ。話があんだよ」

 

「ちょ、ま! ぐわぁー」

 

 そのまま首根っこを掴まれ、親猫に運ばれる子猫のように、俺は教室の外へと連れて行かれた。

 そのついでに、自分に集まる周囲の目へと睨みを効かせる。

 

「んで、あんたらは何見てんの? 見せ物じゃないんだけど」

 

 中々の迫力だ。集まっていた生徒らは蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの教室へと消えていった。

 

「芹川先輩? 俺、何か怒らせることしましたっけ?」

 

 廊下をしばらく引き摺った後で急に芹川先輩は手を離す。

 

「うげっ」

 

 俺は尻餅を突く。

 

「は? 誰が怒ってるなんて言った?」

 

「いやでも、顔怖いですよ?」

 

 もう少し愛想の良さというか、可愛らしさのようなものがあれば、随分と印象も変わるだろうに。顔立ちと容姿だけで見れば、十分に美少女と呼べそうだし。

 

「これはそういう顔なんだよ、つべこべ言わずに着いてこい」

 

 走って逃げる? 不可能ではないだろう。が、今ここでそうしたところで、次の休み時間にも同じことが起こるだけだ。

 

 そのまま、屋上へと到着する。

 ぎぎぃーと耳障りな鉄扉が開いて、背中の辺りがぞくぞくっとする。

 

 朝の日差しが直撃して、俺は反射的に眉を顰めた。

 

「それで、わざわざ何の用ですか?」

 

「まあ、大したことじゃないんだけどさ。さっき、あんたともう一人が遊んでんのここから見てたんだけどさ」

 

「そう、なんですね」

 

 確かにここ、屋上からならよく見えるだろうな。

 

「それがどうかしました?」

 

「……あんたって、さ──左手、怪我してんの?」

 

 まじかよ。この人、どんなだけ鋭いんだ。

 俺は驚きを胸のうちに押し込むようにして、表情を偽る。

 

「え? してませんけど?」

 

「……そ、ならいいんだけど」

 

 なんとも納得が行かなそうな顔をする芹川先輩は首を傾げた。

 

「ま、今から話すのが本題。……あんたに、ちょっと頼みがあるんだけど」

 

「え?」

 

「その、さ? 猫とか……飼えたりしない?」

 

 ……なんだ、この展開。

 

 

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