学園で有名な『氷』の美人姉妹を助けたくらいで、俺の平凡な生活は変わらない……と、思っていた。 作:沙悟寺 綾太郎
「よーし、じゃあここまで。全員ペンを置け」
数学教師の声と黒板に貼り付けられたタイマーの電子音が響くなり、俺は息をそっと吐き出した。
「最初の授業から小テストって、なんなんだよ」「本当それなー、最初は自己紹介からやって欲しいわ」
クラスメイトのあからさまな愚痴に正直なところ、俺も同意だ。
まあ、確かに言われた時はゾッとしたが、やってみると大したことのない復習問題だった。
「なあ、真壁。大丈夫だったか? 編入生じゃ結構厳しかっただろ?」
「ま、まあ。けど、予習復習してて良かった」
「って、ことは、かなり出来た感じか?」
「まあ、平均は取れてると思う」
あー、疲れた。問題よりも、五十点満点の振り分けを読むのがだ。
そう、あまり褒められたことではないが、点数は調整させて貰った。
まず、最初の十分で一度問題を全て解いて、解答は書き込まず、直接頭の中に記憶。後は、時間の経過とともに耳を澄ませる。
皆がどこで躓くか、どこの問題が難しいのかを知り、ペンが止まるタイミングを図るためだ。それさえ分かれば、正答率は見当がつく。
そして、最後の五分。得た情報を元に正しい解答と誤ったものを織り交ぜ、平凡な解答用紙を
平均点は、おそらく32点から35点の間。流石は進学校、このレベルの問題でほぼ全員が大筋は理解出来ている。
「よーし、じゃあ回収するぞー。次の授業は……明日の四限か。その時に返すからな」
その後は、これからの授業の目的と指針の説明。あとは、成績の付け方などを解説し終え、チャイムが鳴る。
「さて……逃げるか」
それこそ、うちの庭にたまにいた脱兎の如く。
「あ、真壁。さっきの話なんだけどさ」
「ん、ああ。さっきの話、ね」
あれか? パンツの話か?
「もしかしてだけどさ、あんまり踏み込まれたくない感じか? もし、そうなら、悪いことしたな」
悪い、と大野木は手を合わせた。
「え? あー、それは別にいいんだが」
バタン、教室後方の扉が開けて放たれる。
「喜一。約束」
「っ! 大野木! 俺は逃げる!」
対して俺は一瞬にして、窓を開く。
「ん、あ、ああ……っておい! ここ三階だぞ!」
「大丈夫だ! 俺がいた中学の屋上よりは低い! 正面に木もあるし!」
俺は大脱出ダイブに興じる。無論、まともに足を着けば骨を折るだろうし、頭から行けば怪我じゃ済まない。
だが、もしここで逃げなければ、教室で白葉きっと口にする。
──『パンツ見せて』と。
そうなれば、もはや致命傷。俺の世間体は完全に首を刎ね飛ばされ、助からないことは確定。高校三年間、『パンツ露出の真壁』と噂されることは想像に難くない。
だからこそ、俺は逃げるのだ。
「おりゃ!」
中庭。生垣から伸びたイチョウの木の枝へと片腕を引っ掛け、勢いを殺すように一度逆上がり、そこまで成功してしまえばあとは楽だ。
俺は想像した動きをなぞるように地面へと降り立つ。
「……さて、どこに行こうか」
一旦は、これで大丈夫。俺は拳と膝での着地、通称ヒーロー着地の態勢を解いて、辺りを見回した。
良かった。とりあえずは、周りに人はいない。
「そうだ、そう言えば行きたいとこがあるな」
ふと、俺の頭の中に過ったのはそう、学園の中で青春ポイントの高い場所、青Pスポットだった。
***
『ほら、あーん』
『ちょ、恥ずいって』
『いいでしょ? 誰も見てないし』
青空の下、降り注ぐ日の光を浴びながら、ベンチに寄り添いあうように座る二人。
柔らかい風が流れ、緩やかで穏やかな場所。
そう、俺が行ったのは、学校の最上階。
屋上だ。
「……う、うーん、想像と違う」
なんというか、もっと洒落ていると思っていた。
四方にベンチがあって、プランターやらから花が生えていたり。
が、現実は無情なり。目の前に広がっていたのは、一面のコンクリートと高いフェンス。しかも、その上部には有刺鉄線が貼られている。
淵の方には、鳩のフンが落ちているし、なんかちょっと汚い。
「嗚呼、無情」
ちょっとヴィクトル・ユーゴーの気持ちが分かった気がした。うん、あっさい理解だろうけど。
と、その時。
「──あんた、新入生?」
声をかけられた。反射的に振り返る。が、しかし、誰もいない。
「どこ見てんの? 上だ、上」
「上……あ、そんなとこに」
声の主がいたのは、昇降口の屋根の上だった。
「で? あんた誰? 新入生?」
「えーと、はい。そうですけど、あなたは?」
居たのは、胡座をかいたギャルだ。金髪の髪にピアス、腰に巻きついたカーディガン。
うん、こっちはイメージ通り。
「あたしは、芹川。芹川 都姫」
「あ、ふーん」
あー、まじで今日は運がない。前に大野木が関わらない方がいいって言ってた人じゃ。
「んで、あんたの名前は?」
「自分は、真っすぐな壁と書きまして、真壁と申します!」
あるいは、ストレートウォール。やっぱダサいな。
「へえー、新入生で編入生ってわけか」
「よくご存知で」
「そりゃ、あたしの名前聞いて平然としてるやつなんて、この学校じゃ編入生くらいだし。ま、一週間もしたらそんな態度も消え失せるけど」
え、なに、編入生全員ボコボコにしているのか?
「じゃ、本題。さっさと消えてくんない? ここ、あたしのサボり場所なんで」
「あー、申し訳ないんですけど、もうちょっとだけ居てもいいですかね? ちょっと訳がありして」
現在は追われる身。つまり、都合がいいのだ。芹川 都姫のいるこの場所に留まることが。
「……はあ? なんで、あたしがお前の都合に合わせないといけないんだよ」
「それを言われると、返す言葉もないですね」
「なら、消えろよ」
胡座を解き、芹川 都姫は屋根から降りてきた。
着地のしなやかさと一瞬、見えた身のこなし。何か、スポーツ……いや、格闘技をやっていた感じだ。
「仏の顔も三度まで。最終警告だ、消えな。新入生」
臨戦態勢。と、言ったところだろうか。
構えは、オーソドックスな空手。けれど、無駄な力も抜けているし、かなりレベルが高い。
少し、興味が湧いた。
「いやって言ったら? どうなります? 俺」
「はあ、バカだね。あんた」
構えから、一歩踏み込む。距離を詰めると同時に、攻撃へのタメを作る動き。
「っ!!」
言葉にならない、鋭い呼吸と共に繰り出されたのは、ハイキック。頭、いや、首元を狙った一撃だ。
「おわっと」
いけない、フォームがあまりにも綺麗なものだからギリギリまで、反応が遅れてしまった。
「っ!? なら! これは!」
驚愕の色を瞳に映しながらも、二の手。腹部へ狙いを済ませた掌底。
「……フルコンタクト空手。型は剛柔流に近いかな」
手を横から軽く叩き、流す。直線的な強い力というものは、受けるのは苦だが、流すにはもってこいだ。
「っ!? やっぱり!」
芹川 都姫は何かを感じ取ったように、背後へとステップを踏み、距離を取る。
「あらら、もう少し打てましたよね? もう、満足ですか?」
「……あんた、何者?」
「真っすぐな壁で、真壁です」
「なんで避けれた? 一撃目もそうだけど、二撃目も」
「ちょっとだけ齧ってたので、空手」
三ヶ月くらいで辞めたが。
「へぇ、他には何を? あたし一応、空手で全国出たけど、蹴り技を完全に避けられたことないんだけど?」
「柔道とボクシングと……あ、あとセパタクローを」
それぞれ一ヶ月、半年、二週間だけだが。
「ふーん、変なやつ。面白いじゃない」
言って、芹川 都姫は背を向ける。
「今日は許してあげるわ」
「お、ありがとうございます」
と、俺が頭を下げると同時。
キーンコーンカーンコーン。ここで休み時間終了の合図だ。
「授業始まるんで、俺行きますね」
「あれ、サボりに来たんじゃないの?」
「いえいえ、避難ですよ避難」
パンツ露出からの避難だ。
「あっそ。なら、さっさと行け」
「あ。はい。それじゃ」
とまあ、そんな感じで俺は教室へと戻る。
大野木の言葉は結果的には正しかったんだなぁ。そんな風に俺は思った。
「──まあ、怖くはなかった、か」
けれど、少し物足りない、というか都会の不良というのだから、もっとこう……とんでもないと思っていた。
だから少し、肩透かしを食らったのも事実だった。