学園で有名な『氷』の美人姉妹を助けたくらいで、俺の平凡な生活は変わらない……と、思っていた。 作:沙悟寺 綾太郎
騒乱のパンツ騒動から一夜が明けた、午前五時二十分。
俺はようやく慣れ始めたベッドの上、目を覚ます。
「んー」
随分と早く目が覚めた。しかも、眠気も尾を引いていない。
「よし……軽く走りにでも行こう」
流石に、この辺りの簡単な構造は把握したし、学校前に軽く体を動かしたい。
何故なら、今日の二限目は高校初の体育だ。
「さあ、俺をワクワクさせてくれよ。都会っ子達よ」
にやり。含み笑いをしながら、階段を下る。
サッカーは22人、野球は18人、バスケならば10人。スポーツには適切な人数というものがある。
とはいえ、昔、祖父の家で読み漁った本では、それに加えて、控えの選手、マネージャー、そして、応援団とゆうに百人を超えるくらい多くの人が関わっているのだ。
が、しかし。悲しいかな、田舎じゃそんな人数は集まらない。まともな人数で試合が出来るのは、土曜日に車で二時間ほどかかる隣町のクラブチームの練習でだけだった。
「くぅー、楽しみだなぁー」
が、そう。都会は違う。
一クラス三十人はいるのだ、なんの競技だって大抵出来る。
俺はなんでもござれな気分で、ドキドキしたままリビングの扉を開く。
すると。
「あら、喜一君。早いわね」
机に教材を広げて、すでにブレザーへと着替え終えた銀花さんがいた。
「たまたま目が覚めたので。銀花さんこそ、かなり早いですよね」
「毎日ってわけではないけど、私は大体五時より少し前くらいには起きているわ。ここ最近は特にね。シャワーも浴びたいし」
むむ。だからリビングに何処となくシャンプーの香りが漂っているのか。
「凄いですね、こんな早くから勉強するなんて」
「必要だからしているだけよ。大したことではないわ」
「それでも、ですよ。誰にでも出来ることではないです」
一応、俺もそこそこに努力はしてきた自信があるけれど、今に思えば、かなりきついことも沢山あった。
盲目的……馬鹿馬鹿しいとさえ思えることだって、それこそ両手の数じゃ足りないくらいにやってきた。
だからこそ、分かる。
例え、どんな努力であろうとも挑戦することと、出来ること自体が凄いのだと。
「……ありがとう。そうだ、コーヒーを淹れるけれど、喜一君もどうかしら?」
「いただきます……というか、それなら俺が淹れますよ。勉強の邪魔をするのも悪いですし」
「そう? だったら、お言葉に甘えようかしら」
湯を沸かし、マグカップを二つ。インスタントだから粉を入れて、沸かせばすぐに出来上がった。
「お待たせです」
「いえ、ありがとう……何か、変な感じがするわね。コーヒーもお茶も淹れるのが普通だから、こうして誰かにしてもらうのは」
銀花さんはどこか感慨深そうな目をして、湯気の立ち上るマグカップを見つめていた。
改めて、銀花さんは本当に凄い人だな、そう思った。
高校生で、家事と学校の両立だけでも凄いのに、それでいて学年トップをキープし続けてあるのだから。
でも、だからこそ疑問に思う。
「銀花さん、不躾なこと聞いてもいいですか?」
「なにかしら?」
「ご両親は何をされているんです?」
一軒家、それもかなり立派な家だ。借家とは思えないし、もし俺と一緒で中学高校に通うために引っ越してきたにしては、やはり両親がいないのは、妙だ。
「……海外で仕事、といつもなら嘘を吐くんだけどね。喜一君には本当のことを言っておくわ」
そう言って、銀花さんは一口コーヒーを飲む。ほっと一息ついてから、話し始めた。
「両親は、もういないわ。五年ほど前に、事故にあって亡くなった」
「……すみません、聞くべきじゃなかった」
「いえ、いいのよ。もうずいぶん昔のことだし、別に引き摺ってなんていないから」
「じゃあ、この家は……二人の家、ということになるんですか?」
「一応ね。けど、土地の権利のもう半分は叔母さんが持っているの。私が成人するまでの間は、預かっておくってことらしいわ」
「そう、なんですね」
安易に踏み込んではいけない領域だ。俺は少し後悔した。
不躾すぎるだろ、ほんと。ああ、空気が読めないこの性格だけは努力じゃどうにも出来ないらしい。
「……喜一君は本当に、お人好しね。そこまで同情してくれなくてもいいのよ?」
「いや、その何か事情があるというのは分かっていたんですけど……あはは、俺馬鹿なんで」
もっと俺の察しが良ければ、きっと銀花さんの口から言わせないで済んだのに……こんな切ない顔をさせずに済んだのに。本当に、不甲斐ない限りだ。
とまあ、分かりやすく凹む俺に銀花さんは微笑んだ。
「やっぱり。喜一君と話していると、すごく安心する」
「え?」
「出会った時から、私たちを……私と白葉を
銀花さんはまた一口、コーヒーを飲む。持ち上げたマグカップの中身を見つめるその目は何処か、物悲しげに俺には見えた。
「私も白葉もどうしても、目立ってしまうから。この銀色の髪もそうだけれど、色々とね」
呆れたように、銀花さんは呟いた。
「俺は、すげえ綺麗だと思います。銀花さんの髪も、白葉の髪も」
「ありがとう、目立つのは嫌で……でも、母から受け継いだものだから染めたくはなくて」
なるほど、お母さんからの遺伝なのか。
銀色の髪、正確にはプラチナブランドに近いようだから、北欧……スカンジナビア地方くらいをルーツに持っているのだろうか。
「……喜一君は聞き上手ね。色々とおしゃべりになってしまうわ。だから、あの子も貴方を気に入っているのでしょうね」
銀花さんは少しだけ、正面に座る俺へと顔を近づけて、緩く首を傾けた。
「気に入られてる、んですかね?」
嫌われてはいない……と信じたいが、白葉は本当に何を考えているのか、読めない。
「ええ。あの子が私以外で人に懐いているの見たことないもの」
「……なんか猫、みたいですね」
そういえば、うちの田舎にもいたな。漁師から魚を奪ったかと思うと、後でその店先にどでかいドブネズミを置いてゆく猫。
猫にしてみれば、お礼なのだろうが、今に思えば、ありゃテロだ。
「出来れば、喜一君にはそのまま、特別扱いしないで欲しい。きっと、白葉もそう思ってる」
特別扱いをしない。
なんとなくだけど、言葉の意味が分かるような気がした。
姉妹揃って、人目を引きつける圧倒的な容姿に、一度として、主席の座を失ったことがないという実力。
学園では、天才だとか『氷の姉妹』だとか。その言葉通りの扱い受けてきたのだろう。
良くも、悪くも、だ。
しかし、つまるところそれはある種、腫物のような扱いだとも言えてしまう。
出来るゆえの、孤独。そして、孤独ゆえの異質。
──ああ。分かる。分かるとも。
走って走って、ふと自分の周りに誰も立っていないことを知った時の、寂しさは。
「……湿っぽい話はこれくらいにしましょうか。そろそろ、朝食を作らないといけないし」
「手伝います。俺」
「あら、何かするつもりだったんじゃないの?」
「いえいえ、大したことじゃないんで。それはまたの機会に」
せめて、悲しい話をさせてしまった罪滅ぼしがしたくて、俺は立ち上がった。
今に思えば、いくらだって気づけたはずだった。
朝五時に起きて勉強をして、ご飯を作り、学校でも頑張って、帰ってきても掃除や洗濯をしなければならない。
そんな彼女が無理をしていないはずがないことに、気づかなければいけなかったのだ。
──俺という、努力しか取り柄のない奴は。
しかして、今の俺にこれから起こる出来事を知るはずもなく、呑気に学校へと繰り出すのだった。