学園で有名な『氷』の美人姉妹を助けたくらいで、俺の平凡な生活は変わらない……と、思っていた。   作:沙悟寺 綾太郎

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第8話

 

 騒乱のパンツ騒動から一夜が明けた、午前五時二十分。

 

 俺はようやく慣れ始めたベッドの上、目を覚ます。

 

「んー」

 

 随分と早く目が覚めた。しかも、眠気も尾を引いていない。

 

「よし……軽く走りにでも行こう」

 

 流石に、この辺りの簡単な構造は把握したし、学校前に軽く体を動かしたい。

 何故なら、今日の二限目は高校初の体育だ。

 

「さあ、俺をワクワクさせてくれよ。都会っ子達よ」

 

 にやり。含み笑いをしながら、階段を下る。

 

 サッカーは22人、野球は18人、バスケならば10人。スポーツには適切な人数というものがある。

 

 とはいえ、昔、祖父の家で読み漁った本では、それに加えて、控えの選手、マネージャー、そして、応援団とゆうに百人を超えるくらい多くの人が関わっているのだ。

 

 が、しかし。悲しいかな、田舎じゃそんな人数は集まらない。まともな人数で試合が出来るのは、土曜日に車で二時間ほどかかる隣町のクラブチームの練習でだけだった。

 

「くぅー、楽しみだなぁー」

 

 が、そう。都会は違う。

 一クラス三十人はいるのだ、なんの競技だって大抵出来る。

 

 俺はなんでもござれな気分で、ドキドキしたままリビングの扉を開く。

 すると。

 

「あら、喜一君。早いわね」

 

 机に教材を広げて、すでにブレザーへと着替え終えた銀花さんがいた。

 

「たまたま目が覚めたので。銀花さんこそ、かなり早いですよね」

 

「毎日ってわけではないけど、私は大体五時より少し前くらいには起きているわ。ここ最近は特にね。シャワーも浴びたいし」

 

 むむ。だからリビングに何処となくシャンプーの香りが漂っているのか。

 

「凄いですね、こんな早くから勉強するなんて」

 

「必要だからしているだけよ。大したことではないわ」

 

「それでも、ですよ。誰にでも出来ることではないです」

 

 一応、俺もそこそこに努力はしてきた自信があるけれど、今に思えば、かなりきついことも沢山あった。

 

 盲目的……馬鹿馬鹿しいとさえ思えることだって、それこそ両手の数じゃ足りないくらいにやってきた。

 

 だからこそ、分かる。

 例え、どんな努力であろうとも挑戦することと、出来ること自体が凄いのだと。

 

「……ありがとう。そうだ、コーヒーを淹れるけれど、喜一君もどうかしら?」

 

「いただきます……というか、それなら俺が淹れますよ。勉強の邪魔をするのも悪いですし」

 

「そう? だったら、お言葉に甘えようかしら」

 

 湯を沸かし、マグカップを二つ。インスタントだから粉を入れて、沸かせばすぐに出来上がった。

 

「お待たせです」

 

「いえ、ありがとう……何か、変な感じがするわね。コーヒーもお茶も淹れるのが普通だから、こうして誰かにしてもらうのは」

 

 銀花さんはどこか感慨深そうな目をして、湯気の立ち上るマグカップを見つめていた。

 

 改めて、銀花さんは本当に凄い人だな、そう思った。

 

 高校生で、家事と学校の両立だけでも凄いのに、それでいて学年トップをキープし続けてあるのだから。

 

 でも、だからこそ疑問に思う。

 

「銀花さん、不躾なこと聞いてもいいですか?」

 

「なにかしら?」

 

「ご両親は何をされているんです?」

 

 一軒家、それもかなり立派な家だ。借家とは思えないし、もし俺と一緒で中学高校に通うために引っ越してきたにしては、やはり両親がいないのは、妙だ。

 

「……海外で仕事、といつもなら嘘を吐くんだけどね。喜一君には本当のことを言っておくわ」

 

 そう言って、銀花さんは一口コーヒーを飲む。ほっと一息ついてから、話し始めた。

 

「両親は、もういないわ。五年ほど前に、事故にあって亡くなった」

 

「……すみません、聞くべきじゃなかった」

 

「いえ、いいのよ。もうずいぶん昔のことだし、別に引き摺ってなんていないから」

 

「じゃあ、この家は……二人の家、ということになるんですか?」

 

「一応ね。けど、土地の権利のもう半分は叔母さんが持っているの。私が成人するまでの間は、預かっておくってことらしいわ」

 

「そう、なんですね」

 

 安易に踏み込んではいけない領域だ。俺は少し後悔した。

 

 不躾すぎるだろ、ほんと。ああ、空気が読めないこの性格だけは努力じゃどうにも出来ないらしい。

 

「……喜一君は本当に、お人好しね。そこまで同情してくれなくてもいいのよ?」

 

「いや、その何か事情があるというのは分かっていたんですけど……あはは、俺馬鹿なんで」

 

 もっと俺の察しが良ければ、きっと銀花さんの口から言わせないで済んだのに……こんな切ない顔をさせずに済んだのに。本当に、不甲斐ない限りだ。

 

 とまあ、分かりやすく凹む俺に銀花さんは微笑んだ。

 

「やっぱり。喜一君と話していると、すごく安心する」

 

「え?」

 

「出会った時から、私たちを……私と白葉を()()に扱ってくれてるのが分かるの。学校でも、どこでも、そうはいかないから」

 

 銀花さんはまた一口、コーヒーを飲む。持ち上げたマグカップの中身を見つめるその目は何処か、物悲しげに俺には見えた。

 

「私も白葉もどうしても、目立ってしまうから。この銀色の髪もそうだけれど、色々とね」

 

 呆れたように、銀花さんは呟いた。

 

「俺は、すげえ綺麗だと思います。銀花さんの髪も、白葉の髪も」

 

「ありがとう、目立つのは嫌で……でも、母から受け継いだものだから染めたくはなくて」

 

 なるほど、お母さんからの遺伝なのか。

 銀色の髪、正確にはプラチナブランドに近いようだから、北欧……スカンジナビア地方くらいをルーツに持っているのだろうか。

 

「……喜一君は聞き上手ね。色々とおしゃべりになってしまうわ。だから、あの子も貴方を気に入っているのでしょうね」

 

 銀花さんは少しだけ、正面に座る俺へと顔を近づけて、緩く首を傾けた。

 

「気に入られてる、んですかね?」

 

 嫌われてはいない……と信じたいが、白葉は本当に何を考えているのか、読めない。

 

「ええ。あの子が私以外で人に懐いているの見たことないもの」

 

「……なんか猫、みたいですね」

 

 そういえば、うちの田舎にもいたな。漁師から魚を奪ったかと思うと、後でその店先にどでかいドブネズミを置いてゆく猫。

 猫にしてみれば、お礼なのだろうが、今に思えば、ありゃテロだ。

 

「出来れば、喜一君にはそのまま、特別扱いしないで欲しい。きっと、白葉もそう思ってる」

 

 特別扱いをしない。

 なんとなくだけど、言葉の意味が分かるような気がした。

 

 姉妹揃って、人目を引きつける圧倒的な容姿に、一度として、主席の座を失ったことがないという実力。

 

 学園では、天才だとか『氷の姉妹』だとか。その言葉通りの扱い受けてきたのだろう。

 

 良くも、悪くも、だ。

 しかし、つまるところそれはある種、腫物のような扱いだとも言えてしまう。

 

 出来るゆえの、孤独。そして、孤独ゆえの異質。

 

 ──ああ。分かる。分かるとも。

 走って走って、ふと自分の周りに誰も立っていないことを知った時の、寂しさは。

 

「……湿っぽい話はこれくらいにしましょうか。そろそろ、朝食を作らないといけないし」

 

「手伝います。俺」

 

「あら、何かするつもりだったんじゃないの?」

 

「いえいえ、大したことじゃないんで。それはまたの機会に」

 

 せめて、悲しい話をさせてしまった罪滅ぼしがしたくて、俺は立ち上がった。

 

 今に思えば、いくらだって気づけたはずだった。

 朝五時に起きて勉強をして、ご飯を作り、学校でも頑張って、帰ってきても掃除や洗濯をしなければならない。

 

 そんな彼女が無理をしていないはずがないことに、気づかなければいけなかったのだ。

 

 ──俺という、努力しか取り柄のない奴は。

 

 しかして、今の俺にこれから起こる出来事を知るはずもなく、呑気に学校へと繰り出すのだった。

 

 

 

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