禪院直哉成り変わりー禪院家が壊滅しないよう色々頑張ってみるー 作:AKHT‐47
東京での「野暮用」をすべて終わらせ、俺は数ヶ月ぶりに京都の禪院家へと足を踏み入れた。 相変わらず、ここは空気が重い。歴史という名のカビが壁の隅々までこびりつき、人の心を腐らせるような独特の澱みがある。だが、今の俺にはこの澱みを、札束の暴力で物理的に換気するだけの準備がある。
「おかえりなさい、直哉さん! 星漿体護衛……お怪我はなかったと伺ってますが、念のためお召し替えを」
玄関をまたいですぐ、俺の目の前に現れたのは「
俺自身、彼にはかなり好感を持っている。かつて、俺が術式の訓練で泥塗れになっていた時、周囲の大人たちが「次期当主がそんな無様な姿で」「呪力がゼロの出来損ないになぜああも執着するのか」と嘲笑い、訝しむ中、彼だけは黙って綺麗な手拭いを差し出してくれたことを思い出す。
「……蘭太か。ええよ、そんな畏まらんといて。あんたの顔見ると、この腐敗した箱庭にも、まだマシなもんが残っとるんやなって安心するわ」
俺は彼を追い越し、実家の敷居を跨ごうとしたが、ふと背後の蘭太の方へ振り返った。 彼は驚いたように瞬きをしたが、すぐに穏やかな、どこか悲しげな笑みを浮かべる。泥の中に咲く蓮のように、周囲の穢れに染まらぬ清廉さが彼にはあった。
「もったいない言葉ですよ! 俺は昔から貴方を尊敬してますから。直哉様が次期当主として立派に歩まれるのを支えたいだけです。行く行くは、旧態依然としたこの家を変えられると信じて――」
「……ええ子やな、あんたは。ホンマ、奇跡やわ」
蘭太のような人間が報われる家にする。それが、俺がこの家を壊さずに「作り変える」と決めた理由の一つでもある。
俺はそのまま、母屋の裏にある厨房――というよりは、もはや「中世の作業場」に近い場所へと向かった。 そこでは、数十人の女中たちが、煙に巻かれながら巨大な釜で飯を炊き、真冬のような冷水で山のような洗濯物を手洗いしていた。
「昔っから思ってたが……あり得へん。正気か、これ」
俺の呟きに、女中たちが怯えたように手を止める。禪院家は百人を超える大所帯だ。それを維持するために、未だに薪を割り、釜で炊飯し、手で洗い物をする。この平成の世に、ここだけ明治初期かそれ以前の風景が広がっている。女中たちの手を見れば、あかぎれや霜焼けで赤黒く腫れ上がっている。あまりのギャップに眩暈がした。
別に男と女で役割分担をするのは否定しない。希望した者は女性であっても躯倶留隊や灯、実力次第では炳に参加する事も制度上は禁止されていない。勿論、女性蔑視が蔓延るこの家でのし上がるのは至難の業だが…とにもかくにも、まず第一に、女中達に無駄に負担を掛けるこの環境は迅速に変えるべきだ。
「直哉様、何か不手際がございましたでしょうか……」
「不手際しかないわ。……蘭太、パパ達はこれを見てなーんも思わんのやろか?」
「現当主様は……特に生活の細部には興味を抱いておられないご様子でした。老人たちは、これが禪院家の伝統的やり方だと」
直毘人の欠点は、そこにある。彼は術式のセンスと力、そして酒さえあれば、足元の人間がどれほど非効率な苦痛を強いられているかに無頓着すぎた。禪院家の人間にしてはアニメが好きなど現代的な部分もある事にはあるが(恐らく生得術式の影響?)、弱者への興味のなさはつくづく「禪院」だと思いやられる。昔は俺に受け継がれた「投射呪法」のレクチャーの為に一昔前のアニメを仲良く見た記憶もあるが、それがより一層その無関心さへの落胆に繋がる。
「当主ってのは家の全員を背負って生きてくもんやないんか? この現状を放置するなんて、そんなんただの怠慢や。……蘭太、裏の門を開けてみ。俺の私財で注文した『文明の利器』が届く頃や」
俺の合図と共に、数台の大型トラックが禪院家の門をくぐり抜けた。 中から次々と運び出されるのは、最新型の業務用縦型洗濯機乾燥機能付き、大容量の食洗機、そして給食センターや飲食店で使うような大鍋にマイコン制御の工業用炊飯ジャー、ガスを台所に通す作業も今日中にやる見込みだ。さらには、母屋の全室に設置するための最新式エアコンの山だ。木造建築は断熱性が悪いので行く行くは樹脂サッシやトリプルガラス、断熱塗料などを使い時間が掛かっても壁や床を補強していく。
呪術界と繋がりがある非術師の業者は少ないので手配には苦労したが、金の力(キャッシュ)で強引に納期を早めさせた。勿論パパ達には無断で。
「炊飯器はここや。コンセント足りんかったら増設して。エアコンはまず女中たちの寝室と、真希たちの部屋を最優先。……長老らの部屋? ああ、あいつらは後回しでええわ。死なへん程度に冷やしとけ」俺は指示書を片手に業者に要望と命令を飛ばす。
「な、直哉様!? これは……一体何ごとなのですか!」
異物(家電)の搬入に気づいた古参の門弟たちが、血相を変えて飛んできた。
「見ての通りや。女中らの負担を減らす。……飯を炊く時間は、ボタン一つで終わらせる。洗濯や皿洗いに奪われてた時間は、休息に使えばええ。掃除も箒や雑巾だけなんていつの時代やっちゅう話。……一族の女を非効率なやり方で疲弊させるような時代は、今日で終わりや」
運び込まれる家電の山を見て、女中たちは呆然とし、やがて一人、また一人と震える手でドラム式洗濯機に触れた。中には、あまりの衝撃に、あるいは「これでようやくあの冷水から解放される」という安堵からか、涙を流す者までいた。
「直哉様、しかしこのような事をすれば、長老たちが黙っては……『禪院の伝統が穢れる』と騒ぎ出すに決まっております!」
門弟の一人が必死に訴えるが、俺は鼻で笑い飛ばした。
「文句があるなら俺のところへ来いと言え。……あ、それとこれ。長老らの部屋に置く最高級エアコンの設置費用も僕が持つ。文句言う口に、札束と冷気を同時に流し込んで黙らせたるわ。案外夏でも快適に過ごせるとなれば黙るんとちゃうか?」
俺の一喝でこれ以上は何も言うまいと、憂いを抱えた門弟達は去って行った。まあ無理もない、今の禪院家で一番強いのは俺だし、逆らえないだろう。あまり強さで我を通すのは好きではないのだが、この家を変える為には多少の強引さは必要だろう。
俺は再び業者との作業に戻る。 慌ただしく動き回る中、背後から小さな二つの気配が近寄ってきた。
「……なおや、くん? なにしてるの?」
振り返ると、まだ幼い真希と真依が、不思議そうにこちらを見上げていた。扇のおっさんの虐待から守る為に今は禪院の中ではある程度信頼できる甚壱君の庇護下にいる。五歳の二人は、大きなトラックや運び込まれる機械の山に目を丸くしていた。
「お、真希に真依か。……見ての通りや。このクソ暑い家を、天国に変えてやろうと思っとんねん」
俺は屈み込んで、二人の目線に合わせた。真希ちゃんの短い髪が、業者の持ち込んだ扇風機の風に揺れている。
「なおやくん、これ、すずしい……。魔法?」
「真依ちゃん、これは魔法やない。お金の力や」
真依ちゃんの問いに俺が即答すると、横で真希ちゃんが「……おかね?」と小首を傾げた。
「そうや。真希ちゃん、真依ちゃん。お前らもな、将来『呪力がない』とか『術式が弱い』とか、そんなつまらん事で悩む必要はない。僕がこの家を、お前らが一生快適に、好き勝手に生きられる場所に変えたる。……冬に冷たい水で手を洗うことも、夏に蒸し風呂みたいな部屋で寝ることも、今日で終わりや。分かったか?」
俺が二人の頭を乱暴に撫でると、真希ちゃんは「よくわかんないけど、なおやくんかっこいい!」と笑い、真依ちゃんは「……アイス、たべれる?」と俺の裾を掴んだ。精進料理ばかり食べてる禪院家では早々食べれない為、たまーにこっそり俺が外から買ってきたのを与えているのだ。
「アイスでも何でも、冷凍庫に山ほど詰め込んでやるわ」
俺は立ち上がり、呆然と立ち尽くす蘭太の肩に手を置いた。
「蘭太。力を持つ者がすべきなのは、弱者を踏みつけることやない。弱者が弱者のまま、特別な才能がなくても、笑って暮らせる環境を整えることや。……ノブレス・オブリージュとも言うやろ? この家で無駄に蓄えられた金なんて、そのための道具に過ぎん」
蘭太の瞳に、熱いものが宿る。彼は深く、深く腰を折って、俺に頭を下げた。
「……はい……直哉さん、いや、直哉様。貴方こそ、俺たちの真の当主です!」
文明開化の音が、禪院家の静寂を塗り替えていく。俺は二人の少女が、新しいエアコンの風を浴びてはしゃぐ姿を眺めながら、確信した。
パパの部屋から、酒の匂いと共に「……何か外が賑やかやのう。お、これは風が出る機械か?」という呑気な声が聞こえてきたが、俺は無視して次の指示を出した。
「次は、床暖房やな。冬に霜焼け作るような家なんて、格好悪くて甚爾君を呼べへんわ。徹底的にリフォームしたる」
札束の弾幕を張って、誰も不幸にならない「最強の箱庭」を作る。俺の改革は、まだ始まったばかり。
今回の話、高専入学前にやっても良かったと思い、今更ネタを思い付いた自分を呪いたい。