禪院直哉成り変わりー禪院家が壊滅しないよう色々頑張ってみるー 作:AKHT‐47
京都某所、山中にある「呪術界御三家」の一角、「禪院家」。陰鬱な静寂が支配する廊下を、禪院直哉は上機嫌な足取りで進んでいた。その数歩後ろを、一分の隙もない足取りで付いてくる男がいる。「天与呪縛」の「フィジカルギフテッド」、至高の肉体と五感を有する「天与暴君」こと「伏黒甚爾」だ。自らの実力で主従関係を結んだ「格納呪霊」すら連れず、数多の「特級呪具」すら持たずに手ぶらで悠然と歩くその姿は、武器を持たずとも「完成された暴力」そのものだった。
「甚爾君、恵君の事伝える為に一応戻ってきたとはいえ、この家に戻って気に病んだりせえへん?」
甚爾は過去にこの家の者達から虐待やボイコットから、禪院家には並々ならぬ憎悪を抱いている。そんな家に再び訪れることへ、直哉は一応の心配を見せた。
「……今のところは問題ねぇよ。さっさとジジイのとこ行って終わらせるぞ」
甚爾の冷淡な声が、古びた壁に反射する。彼にとってこの屋敷は、忌々しい記憶の墓場であると同時に、今や「いつでも踏み潰せる過去」に過ぎなかった。ジジイとは甚爾の叔父であり直哉の実の父である「禪院直毘人」の事だが、腐ったミカンで作られた煮凝りの様である禪院家でも数少ない、甚爾がまともにやり取りできる相手だった。そんな相手に、今日の甚爾は伝えねばならぬ事がある………
◇◇◇
大広間の奥、当主・禪院直毘人は一人、昼間から酒を煽っていた。襖が開かれ、直哉と甚爾が姿を現しても、その表情は動かない。
「……何の用だ直哉、オマエが話があるといったから時間を設けたのだ………甚爾か」
直毘人の視線が直哉の後ろに着いていた甚爾に止まる。そこには「落ちこぼれ」を見る侮蔑ではなく、自分を脅かす「猛獣」を値踏みするような、奇妙に澄んだ敬意が混じっていた。
「パパ、単刀直入に言うわ。甚爾君が前に約束したらしい恵君を10億で売るって話……あれ、白紙にして欲しいんや。その代わり、甚爾君に払う予定やった10億はいらんから」怪訝そうな顔をする実の父親に対して、息子は立て続けに理由を説明する。
「理由は明白。甚爾君は、自分で子供を育てることに決めたんや……文句、ないよな?」
事態を把握した直毘人、息子には目をやらずに甚爾を真っ直ぐに見据えた。
「……甚爾。貴様が、親などという柄か?」
甚爾の人となりを知っている老骨は、オマエらしくもないとカッと笑い飛ばした。
「……ハッ。柄じゃねぇのは自分が一番分かってる。だが、他人に預けるよりはマシだ……そう決めた」
甚爾の言葉に、直毘人は鼻笑いをし、手元に持っていた酒を一気に飲み干した。
「……十億で売るという話も、元を正せば貴様という男への価値を含めての投資だった。だが、オマエ程の男が断るというのなら、こちらも手を引こう。呪術的な縛りを結んだわけでもない……持って行け、オマエの子供をどうしようと、オマエの自由だ」
契約書の類など、この二人には必要なかった。実力者同士、言葉一つで事足りる。直毘人は甚爾の目に宿った、かつての虚無とは異なる熱を感じ取り、その変質を認めたのだ。
「しかし直哉よ、甚爾の子供が禪院家に入らない以上………」
「はいはい、分かっとるよ。将来的に俺が当主になるのは確定したようなもんやから、当主としての自覚を持てって事やろ?」
物分かりの良い息子の言葉に、直毘人は益々満足を見せ、酒を仰ぎ、大いに笑った。
◇◇◇
交渉を終え、屋敷を後にしようとした二人、甚爾が戻る前に便所を済ませてくると一時別れ、用を足して戻りに行く最中、巨岩のような大男が前に立ちはだかる。鍛え上げられた肉体の
かつては憎しみすら向け合わなかった、いや、家の在り方が向き合う事すら許さなかったというのがより正確な兄弟。甚爾は甚壱の視線を真正面から受け止めた。
「……何の用だ、アニキ。今更出奔した俺になんか用か?」
甚爾の挑発的な言葉。だが甚壱は眉一つ動かさず、ただその低く重い声を響かせた。
「……甚爾。オマエの子供を数年後に禪院家に迎え入れるという話、本気で白紙にしたのか」
「ああ………生意気なクソガキが偉そうに背中押して来たんでな……ま、この家にいるより、俺といた方がマシだろ」
「……そうか」
直哉が背中を押したのは確かではあるが、最終的な判断は甚爾自身の情が下したものだ。まあ、ひねくれた側面のある彼は素直に認めないが。
甚壱は、甚爾の腕を、肩を、そしてその揺るぎない立ち姿を凝視した。呪力が一欠片もないために「出来損ない」と蔑まれてきた弟。だが今、目の前にいる甚爾は、そんな評価すら無意味にするほどの圧倒的な存在感を放っている。
「……知っているか?扇から虐待を受けていた真希や真依…オマエの息子とも年が近い双子の二人も、今は直哉の采配で俺や信郎の庇護下、安息に過ごしているんだ」
「ハッ、俺がいた頃よりは、多少はこの掃きだめもまともになったんだな」
弟の皮肉に甚壱は視線を床に落とし、独り言のように続けた。
「……甚爾。お前も、自分の子を自ら育てるという道を選んだというのなら……もう、ここへは戻ってくるな」
それは、禪院家という呪縛に囚われた兄から、その鎖を断ち切った弟への、最大級の餞別だった。人並みの感情を見せない甚壱なりの、「外の世界で生きろ」という不器用なエール。
甚爾は、フッと短く笑った。
「……当たり前だ。二度と来るかよ、こんなカビ臭ぇ家はな」
「……ああ。行け」
「ま、アニキはこの家に残るんなら、精々頑張るこったな………俺みたいにいい嫁さんも見つけろよ」
「ハッ………生憎『躯倶留隊』や『炳』、『灯』の連中の面倒を見るのに忙しい………余計なお世話だ」
甚壱が静かに道を開ける。甚爾は一度も振り返ることなく、直哉の横を通り過ぎ、陽光溢れる玄関へと歩を進めた。
門を出て、京都の冷たい空気から解放されたところで、直哉が面白そうに甚爾の顔を覗き込んだ。
「なんや、甚壱君も意外と話せるやん。ごねると思ったパパもあっさり契約反古を認めたし、甚爾君も案外愛されてるなあ」
「………るせぇ。おい、直哉。さっさと帰るぞ。恵が今日、学校の工作で何か見せたいとか言ってたんだ」
「おっ、父親としての責務をちゃんと真っ当してるんやな! お祝のケーキ十個くらい買ったろか?」
「あんまり甘やかすなよ…そういうのは特別な日だけでいいんだ」
「フッ、正式に恵君が禪院家に買われずに済んだのはめでたいんとちゃいます?」
「………まあ、言われてみればそうかもしれんな」
直哉が携帯を操作する横で、甚爾は一瞬だけ、背後の古い屋敷を振り返った。そこには、かつての「透明だった自分」の影はもうない。あるのは、自分を必要とする子供たちと、自分の強さを信じ、文字通り「買い叩いた」お調子者の後輩がいる現在だ。
(……甚壱の野郎、一緒に住んでた時はろくすっぽ話した事もなかったが、あんなこと言いやがって)
不器用な兄の言葉を思い出し、甚爾は少しだけ、本当に少しだけ、優しい顔で前を向いた。案外、自分で気付いていないだけで、人というものは他者を心の底で気遣っているものなのかもしれないと、甚爾は思った。
「直哉、やっぱり恵と津美紀の為に、ケーキでも買ってくれねぇか?」
「もちのろんや。今日はめでたい日やからなぁ」
直哉にとって、それは二つの意味を持つ。「伏黒恵」が禪院家に買われずに済んだ事、そしてもう一つは、禪院家の「次期当主」が自分でほぼほぼ確定したことだ。当主になればよりいっそう家の膿を排除し、改革するのも容易くなるだろう。
◇◇◇
途中、ちょっと高めのケーキ屋によりながらマンションに戻ると、恵と津美紀が玄関まで走ってきた。
「あ、父さん、おかえり」
甚爾が親になると言ったばかりの頃は反発していた恵も、今では多少父親に対する子供の態度を見せるようになっている。
「今日は直哉さんも一緒なんですね、おかえりなさい!」
津美紀は相変わらず礼儀正しい。直哉が父親と帰ってくる時は、いつも丁寧に挨拶をする。
「それって………」
直哉が手に持った近所のケーキ屋のロゴに恵は目ざとく気付く。
「えっ、直哉さん…今日ってなんかお祝いの日でしたっけ…?」
津美紀は訝しみながら直哉に問う。自分の誕生日はまだまだ先だし、弟や父親の誕生日も12月だから結構間が空いてる。
「誕生日とはちゃうけど、今日は実際お祝いの日やで」
二人は露知らぬとも、禪院家という肥溜めと縁を切れたというのは実際めでたいことや。
「さ、今日のケーキも直哉の奢りだ。夕食と一緒に遠慮なく食っちまうぞ」
「………また直哉さんに金出させたの?」
「うっ………今日は直哉の方から奢るって言ったんだ………」
息子の冷たい視線と言葉に、暴君はショックを滲ませる。子供だけが、甚爾の唯一の致命的な弱点でもあり、愛すべきものでもある…
「二人共そんな辛気臭い雰囲気はやめて!魚焼いてご飯も炊いてるから、ケーキと一緒に食べよう!折角だから直哉さんも御馳走になってください。」
「おおきに。ほなお言葉に甘えて………」
そんな騒がしい夕暮れ。禪院家の冷たい畳の匂いではなく、洗剤と香ばしい夕食の匂いが混ざり合った、ごく普通の場所。直哉が札束と執着で勝ち取った平和は、今日もまた、誰一人欠けることなく続いていく。