禪院直哉成り変わりー禪院家が壊滅しないよう色々頑張ってみるー   作:AKHT‐47

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甚壱君は甚爾君の事を心のどこかで気にかけてた設定であって欲しい。


甚壱君

 甚爾君が姿を消してから、季節が一度巡った。あの日、俺の頸動脈を掠めたあの冷たい指先の感触は、今も消えない「呪い」のように俺の身体に刻み込まれている。

 

「……九百九十八、九百九十九、……千ッ!」

 

 早朝の鍛錬場。昇り始めた太陽が、容赦なく俺の視界を焼き、滴る汗が目に入って痛い。だが、瞬きすら許されない。十三歳の子供の肉体にとっては拷問に近い反復横跳びだが、これは単なる基礎体力の向上ではない。  俺が今行っているのは、一跳びごとに『投射呪法』を発動させる、超精密な術式運用訓練だ。

 

 視界を二十四分割された静止画(フレーム)に刻む。一秒という短い時間をスライスし、その一枚一枚に、筋肉の弛緩、重心の移動、空気の抵抗までも考慮した「正解の動き」を強制的に書き込む作業。一コマでも過度に物理法則を無視した無理のある姿勢を差し込めば、世界は無情にも俺をフリーズという名の檻に閉じ込める。    

 

 心臓が破裂しそうなほど脈打ち、肺が酸欠で悲鳴を上げる。視界は疲労でチカチカと明滅し、二十四分割された世界がバラバラに崩れそうになる。それでも、あの日背後に感じた、あの「ルールを暴力でぶち抜く絶望的な速度」を思い出せば、足が止まることはなかった。

 

「……おい。いい加減にしろ、直哉。呪力切れで死ぬぞ。当主の息子が訓練中に呪霊にでも転じられたなんて事態が起きては洒落にならん」

 

 地響きのような声が、鍛錬場の静寂を切り裂いた。振り返れば、そこには岩山のような巨躯の男が腕を組んで立っていた。禪院甚壱、出奔した甚爾君の実の兄であり、禪院家の準一級以上の術師を集めた戦闘集団である『炳』でも上位の実力者だ。一対一の格闘戦に優れるパパや俺の投射呪法とは対照的に面制圧に長けた術式を有している。その全身から放たれる呪力の圧は、十二歳の俺を容易に押し潰せるほどに重い。

 

「……なんや、甚壱君。……見ての通り、修行中や。邪魔せんといて」

 

 俺は膝を突きそうになるのを必死でこらえ、荒い息を整えながら、わざとらしく不遜な態度を取る。今の俺は「当主の子」というだけの、ただの神童に過ぎない。パパは唯一相伝の術式を継いだ俺が強くなる為の小遣いにはかなり融通を利かせてくれるが、子供である俺の影響力などまだまだ微々たるもの。禪院家を建て直して壊滅を阻止するには、もっと俺に同調してくれる人間を集めなければならない。俺は甚爾君の兄であるこの男に、この腐ったミカンを変える可能性を感じている。

 

「貴様のそれは修行ではない。自傷だ。……甚爾が消えてから、貴様はおかしくなった。あんな、呪力も持たぬ男の何が、貴様をここまで駆り立てる。あいつは……一族の恥だぞ」

 

 甚壱の言葉には、弟を蔑む響きはない。むしろ、どこか自分自身に言い聞かせるような、苦い後悔が滲んでいた。禪院家の風潮は絶対だ。

「呪力なき者は人にあらず」。その血も涙もない価値観の中で、彼は実の弟を救えなかった。いや、救おうとすれば彼自身も一族の中での居場所を失い、守るべき立場を追われるからだ。

 

「……『あんな男』? 甚壱君、あんた本気で言うてるん? あの人が本気を出せば、この家の連中なんて全員、瞬きする間に首を獲られるわ。それはあんたが一番よく分かっとるんとちゃうんか」

「……買い被りすぎだ。あいつは、何も持たずに逃げた。それだけのことだ」

「ええよ、信じんで。でも、俺はあの人の価値を正当に知っとる。……そして、あの人を蔑み、出奔させたこの家の『無能さ』もな」

 

 俺がそう断じると、甚壱の顔に険しさが走った。空気が一変し、肌を刺すような緊張感が漂う。

 

「言葉を慎め。貴様がどれほど才にあふれていようと、ここは禪院家だ。古きを否定し、一族の理を乱せば、待っているのは内紛と粛清だけだぞ」 

「分かっとるわ。だから、僕は今すぐこの家を変えるなんて無理なことは言わん。……ただ、少しばかり『掃除』と『補強』をしておきたいだけや」

 

 俺は汗を拭い、甚壱の懐へ一歩踏み込んだ。見上げるほどの巨漢。その影に飲み込まれそうになりながら、俺は彼の瞳を真っ直ぐに見据える。

 

「甚壱君。あんたが束ねる『躯倶留隊』。術式を持たんというだけで、一族の底辺と蔑まれてる連中やけど……。あんただけは、彼らを差別対象ではなく同じ一族の人間として対等に扱っとるな。まあ上下関係はあるけど…だから彼らもあんたを慕っとる。違うか?」

 

「……それがどうした。彼らは術式を持たぬ。それだけで、この家における彼らの価値は決まっている」

「なら、その価値を僕が買い取るわ。……僕の『投資』を受けてほしい。パパから引き出した僕の今後の養育費と、将来の当主としての資産の『前借り』。これを使って、躯倶留隊の装備を抜本的に整えたい。特級呪具とまでは言わん。でも、もっと効率的に呪霊を殺せる殺傷能力の高い武具や、生存率を上げるための防具を揃えることはできる」

 

 甚壱が怪訝そうに、その太い眉をひそめた。

 

「……なぜ貴様がそこまでする。躯倶留隊を強化して、何の得がある。彼らが強くなればなるほど、術式を持つ『炳』の面々との軋轢は深まるぞ」

「この時代錯誤な家を変えたいからや」

 

 一人の少女が、すべてを破壊し尽くしに来る…そんな未来が決して訪れないように。

 

「甚壱君、あんたも心の底では思っとるはずや。術式がないだけで、これほど腕の立つ連中が飼い殺しにされ、命を安売りしとるのは、一族の損失やと。……彼らに居場所を、役割を、そして『戦士としての誇り』を与えたい。……それは、あんた一人じゃ家の風潮に逆らえなくて出来んかったことやろ?」

 

 甚壱の呼吸が止まった。図星だったのだろう。彼は甚爾という弟を助けられなかった罪悪感を、躯倶留隊への面倒見の良さで紛らわせていたに過ぎない。だが、一族の壁は厚く、彼らに陽の目を見せることも、正当な報酬を与えることもできなかった。

 

「……直哉。貴様、本当に十三か? その眼、その物言い……到底、子供のそれではない」

「中身は大人、言うてほしいん? ……単に、俺は自分の欲しいもん、望ましい未来のために動いとるだけや。俺は、あの人が戻ってきてもいいと思えるような家を作りたい。その為に俺の味方を増やしたい。そんだけや」

 

 俺は、あの日甚爾君に渡した、ボロボロな小切手を思い出す。彼は今、どこで何をしているのか。居場所なんて、俺のようなガキには到底探せない。裏の仲介人を通じて宛先を「禪院甚爾」の名にして金を流しても、それが「受け取られた」という事務的な事実が確認できるだけで、本人の足取りは煙のように掴めない。

 

 恐らく、禪院家に関わるのはもう辟易しているのだろう。よく彼との仲介を請け負う韓国人も、居場所を絶対に漏らすなとキツく言われてるのか、彼の居場所を聞いても誤魔化されるだけだ。

 

 それでも、送り続ける。金がすべてだとは思わない。だが、いつか来る「その時」に、彼が迷わずこちら側へ寝返るための、最低限の「誠意」という名の首輪。

 

「……躯倶留隊への投資か。一族の長老や他の炳や灯の連中には、俺がうまく説明しておこう。直哉の『英才教育』の一環として、直轄の部隊を持たせるための準備だとな」

 

「助かるわ。……よろしく頼みます、甚壱君。あんたが味方におってくれたら、これほど心強いことはない」

 

 巨躯の男が、初めて俺の前で小さく、自嘲気味に笑ったような気がした。それは、禪院家という数百年積み上げられた強固な岩盤に、初めて目に見えるほどの小さな「ヒビ」が入った瞬間だった。

 

 一歩。また一歩。  俺は一秒を二十四枚に刻むように、着実に外堀を埋めていく。――甚爾君。あんたがどこでギャンブルに溺れてようが、女の家を渡り歩いてようが、僕の視界からは逃がさへんからな。    

 

 次に会うときは、あんたの「最速」を、僕の「札束」と「情熱」で必ず超えてみせる。

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