禪院直哉成り変わりー禪院家が壊滅しないよう色々頑張ってみるー 作:AKHT‐47
仙台市内の喧騒を少し離れた場所に位置する、完全予約制のフレンチレストラン。そこは、かつての伯爵邸を改装したという石造りの重厚な建築物で、周囲を丁寧に手入れされた黒松の生垣に囲まれている。歴史の重みを感じさせる鉄製の門扉の前には、直哉が特別にチャーターした、漆黒の輝きを放つロールス・ロイスが静かに滑り込んだ。
「直哉さん、本当にいいのか……? ここ、ワシが見たことないような値段の看板すら出てなかったぞ。入る前から足が震えて、地面の砂利を踏む音さえ贅沢に聞こえる……」
虎杖倭助は、不慣れなネクタイを弄りながら、店の雰囲気に圧倒されていた。普段は岩手で質素に暮らす彼にとって、白手袋のスタッフが恭しく扉を開ける光景は、異世界の出来事のように思える。
「倭助さん、ええんですって。今日は『秘密保持契約』の成立祝いと、単純な俺の気まぐれ。パトロンに遠慮は禁物ですよ。俺が最高級の時間を買って、それを貴方たちにプレゼントしたいんです」
直哉は完璧な仕立てのイタリア製スーツを翻し、余裕に満ちた笑みで倭助の肩を優しく促す。その横で、悠仁は目を輝かせながら、ふかふかの絨毯の感触を楽しんでいた。
(……フン。小賢しいやり口だ。大方、俺や小僧の機嫌でも取って、いつかは高専とやらの体制組織に引き込みたいのだろう。だが、この金満な雰囲気……悪くない。平安の貴族共が好んだ、あの鼻に付く虚飾の香りがするな)
悠仁の頬に浮かんだ宿儺の口が、誰もいない廊下で密かに嘲笑う。
「じいちゃん、ここ、お城みたいだね! でも、靴脱がなくていいの? 汚しちゃったら怒られる?」
「悠仁、行儀良くしとれよ……直哉さん、この子が粗相をせんか、ワシは気が気でないよ」
「ははは。悠仁君、ここではお城の王様になったつもりでいればええ。全部俺が許したるからね」
通された個室は、キャンドルの炎が揺らめき、銀食器が鈍い光を放つ静謐な空間だった。窓の外には美しくライトアップされた日本庭園が広がり、現代の仙台とは思えないほど静まり返っている。
最初に出されたのは、一口サイズのフォアグラのテリーヌ。貴腐ワインのジュレが添えられた、宝石のような一皿だ。
「……うわっ、なにこれ。なんか、レバーみたいな味がする。俺、ハンバーグの方がいいなぁ。これ、苦くない?」
四歳の悠仁は、その複雑な味を理解できず、小首を傾げる。
「悠仁、贅沢言うな。……それにしても直哉さん、このコースだけで、ワシの一ヶ月の食費になりそうだな……」
倭助が震える手でフォークを握る。
「小僧、変われ。食の真髄も分からぬ奴にこの贅沢は無用だ」
悠仁の意識がスッと沈み、宿儺が表層に現れる。彼は直哉を一瞥し、不遜にフォークを口へ運んだ。
「直哉よ、この肉はなんという?」
「フォアグラのことですか? 特別に太らせたガチョウの肝臓ですよ」
(……ほう。フォアグラとやらの脂の重厚さを、腐敗させた葡萄(ワイン)の甘みが完璧に調律しているな。 平安の世では、肝などただ焼くか蒸すかの野蛮な喰らい方しかなかったが、このテリーヌとやらの滑らかさは、血と内臓の荒々しさを芸術にまで昇華させておる。……現代の術師共は、呪術は退化したようだが、食の研鑽だけは一丁前というわけか)
「宿儺さん、お口に合いましたか?」
「直哉よ。呪術のレベルは劣化しているが、料理人という奴らの執念は、ある種の呪いに近い……平安の世、俺の専属料理人だった男にも負けてないわ。 素材の原型を留めぬほどに弄り回し、別次元の美味を創り出す……クク、面白い」
(……その料理人って、裏梅のことか? それにしても、ホンマ丸くなったなあ……。平安の暴君が、フレンチのマリアージュを語るとはね)
フォアグラの脂身を口に運び、ミネラルウォーターで流し込みながら、直哉は時代の変遷を噛み締めていた。
次に出されたのは、琥珀色に透き通ったコンソメスープ。三日間かけて雑味を取り除いたという、究極の「液体」だ。
「……爺ちゃん、これ、ただのお湯? 具が入ってないよ! 誰かが食べちゃったのかな」
意識の戻った悠仁が、スプーンで皿を掻き回す。
「悠仁、これは出汁を味わうもんだ。……だが、確かにこれは凄いな。雑味が一切ない、清らかな味だ……。飲むのがもったいなくなるほどだ」
(小僧、これはお湯ではない。幾多の生命の魂の残り香だけを抽出した滴だ。 牛の骨、香味野菜、それらが死の淵で放った旨味を、この一滴に凝縮させておる。余計な固形物を排し、純粋な概念として食らう……この引き算の美学、平安の茶の湯に通じるものがあるな……まぁ、腹は膨れぬが)
宿儺は悠仁の耳のあたりから、ボソボソと贅沢なレビューを続ける。直哉はそれを見て、愉快そうにワインを傾けた。
「宿儺さんにそう言ってもらえると、博多や仙台まで走った甲斐がありましたわ。……あ、悠仁君。次の魚料理は君でも食べやすいソースにしといたからね。少し甘めで美味しいよ」
メインディッシュは、蝦夷鹿のロティ。赤ワインとカカオ、そしてジビエ特有の血のソースが皿を彩っている。
「……なんか、お肉が赤いよ。大丈夫かな? まだ生じゃない?」
悠仁が不安そうに見つめる。
「これはジビエといってな、野生の鹿さんや。生命のエネルギーが詰まっとるんやで。悠仁君も強くなれるよ」
直哉が優しく解説する。
(野生か……懐かしい。かつて野を駆ける鹿を呪力で引き裂き、その場で喰らった肉の味を思い出す。だが、これは別物だ。火の通しが極めて緻密。 肉の繊維を壊さず、しかし野性の臭みをソースの苦みで制圧している。このソースに使われているカカオとやらの隠し味……これが鹿の鉄分と共鳴し、口の中で血が躍るような錯覚を覚える……倭助よ、貴様も食え。この強靭な生命力、老いた肉体には毒だが、魂の滋養にはなる)
「……ワシも頂こう……んん、これは。重い味だな……直哉さん、このジビエ、さぞや高いんだろうな……こんないいもん人の金で食べたら、明日からワシ、お粥だけで過ごさんとバチが当たる気がするぞ」
「倭助さん、気にせんといてください。明日も美味しいもん食べて、悠仁君を大きくせなあきませんから……偶には贅沢してもバチは当たらんでしょう?俺の金は、こういう時間のためにあるんです。俺が稼いだ金が、貴方たちの血肉になる…パトロン冥利に尽きるって奴ですわ」
最後は、数種類のデザートワゴンと、こだわりの
悠仁はようやく、見覚えのある「甘いもの」の登場に、この日一番の笑顔を見せた。
「わあ! ショートケーキにチョコレート! これ、全部食べていいの!? まるでお誕生日みたいだ!」
「ええよ。悠仁君はこれが一番のご馳走やろ? 好きなだけ選び」
悠仁が口の周りをクリームだらけにして頬張る。その無邪気な姿を、直哉は眩しそうに見守っていた。
(……甘いな。だが、このマカロンとやらの食感。外側の儚い崩れ方と、中の濃厚な生地の対比。平安の和菓子にはなかった、糖分による暴力的なまでの幸福だな……まぁ、最後がこれなら、あの小僧も満足だろう)
会食が終わり、直哉はテーブルの脇に置かれたチェックシートに、一切の迷いなくブラックカードを添えた。
倭助は、スタッフが回収していく伝票の隅に記された「桁外れの数字」をチラリと見てしまい、白目を剥きそうになったが、隣で悠仁が幸せそうに自分と直哉の手を繋ぐのを見て、必死に言葉を飲み込んだ。
「直哉さん、今日は……本当にありがとう。ワシら家族にとって、一生の思い出になった。冥土の土産には豪華すぎるがな」
「思い出で終わらせんといてください。季節が変わったらまた行きましょう。俺が呪術界のパトロンとして、最高の美食を教え込みますから」
レストランを出ると、仙台の夜風は心地よい湿り気を帯びていた。
街灯のオレンジ色の光が、黒いロールス・ロイスのボディに反射し、宝石のように輝いている。直哉はスタッフにたっぷりとチップを渡し、再び三人を車内へと促した。
車窓を流れる杜の都の灯りを眺めながら、倭助は少しだけ酔ったのか、穏やかな寝息を立て始めた。悠仁もまた、デザートによる「暴力的な幸福」に満たされたまま、倭助の膝に頭を預けて眠っている。
「……クク。直哉よ、次は酒の味を教えろ。この時代の醸造技術も、食と同じく進化しているのだろう?」
悠仁の中から響く宿儺の問いに、直哉はバックミラー越しに微笑んだ。
「ええ、とっておきのヴィンテージを用意しておきますよ。宿儺さんが『退屈だ』と言わんようなやつをね………ただ、大人になってからですよ?器の悠仁君はまだ子供じゃないですか」
「そうだ宿儺………幼子が酒を飲むのは発育に悪影響を及ぼす………」
「案ずるな、俺が主導権を完全に握っている間は、平安の姿になれる………酒を味わった後は、反転術式で酒の酔い成分、アルコールを取り除けばいい。アルコールも一種の毒物だからな。さして難しい事ではない………」
「はえーっ、流石呪いの王、そんな事まで出来るなど器用ですわ」
星空の下、静かに走る高級車。
直哉が作り上げたこの「より良い世界」は、呪いの王の舌すらも、そして最強の器の魂すらも、いつの間にか現代の美食と、パトロンという名の優しき毒で飼い慣らし始めていた。