禪院直哉成り変わりー禪院家が壊滅しないよう色々頑張ってみるー 作:AKHT‐47
光陰矢の如しとはよく言ったもので、ドブカスこと禪院直哉に転生してからはや15年が経過した。少しでもこの世界を良くしようと日々鍛錬や呪霊討伐に明け暮れて金と力を蓄える日々、感傷に浸る暇はなかった。
家の連中は家から出る必要があるのかと驚いていたが、既にパパに話を通して呪術高専東京校への入学も控えている。夏になれば甚爾君が星漿体暗殺に一枚噛んで呪術界が狂い出してしまう。それだけは何としてでも避けねばならないと、今日も俺は自らの体に鞭を打つ。
「――直哉様、草鞋お履かせいたします」
鍛錬場へと向かおうとした俺の足元に、一人の女が音もなく膝をつく。 俺の従兄弟、真希ちゃんと真依ちゃんの母親だ。彼女は現当主である直毘人――俺のパパの弟である禪院扇の正妻という立場にありながら、その実態はいつも何かにキレている他責思考の塊・扇の顔色を常に伺うだけの存在。そして最近では、当主の愛息である俺の世話を焼く係に任命された、影のような存在だ。彼女の瞳にはいつも生気がなく、ただ義務を遂行するための空虚な光だけが宿っている。
「……ええって。自分で履けるわ。下がっといて」
俺は彼女の扱われように苛立ち、差し出された手を無造作に払い、自分で草鞋の紐を結ぶ。 女の顔に、隠しようのない戸惑いと怯えが走った。彼女のような生き方を強いられた人間にとって、主人が手助けを拒むことは単なる自立の表明ではない。「お前の役割はもうない」という不要宣告――すなわち死刑宣告に近い意味に取られてしまうのだ。
(……あ、ちょっと乱暴過ぎたかもしれん)
俺の心の中で、普遍的な現代人としての良心がちくりと痛む。
「務め? 自分の靴くらい自分で履くのが、人間の最低限の嗜みや。そない気にせんといてな」
怯える彼女に精一杯のフォローを試みてみるが、彼女はより一層縮こまってしまった。微妙な空気感を変えるのに失敗した俺は、苦肉の策として話題を変えることにする。
「あー……そんなことより、あんたの娘ら、どこにおるん」
何気ない質問。だが、俺にとっては重要な確認だ。原作での真希ちゃんと真依ちゃんは、一族の資産や権力を巡る謀殺に巻き込まれ、それがドミノ倒しのように禪院家壊滅の引き金となった。彼女たちに気を遣い、そのリスクを少しでも減らしておくことは、俺自身の生存戦略(生存フラグ)を立てる上でも不可欠なのだ。 俺の問いに、彼女は視線を泳がせ、震える指先を奥の回廊へと向けた。
「あの子たちは……奥の離れで。扇様が、『教育』を……」
その言葉が最後まで紡がれるのを待たず、俺は『投射呪法』を起動させていた。 「教育」なんて言葉で誤魔化しているが、あのパッとせぇへん叔父さんがやる事なんて、要は八つ当たりの虐待しかないやろ。脳内で世界が二十四分割のフレームへとスライスされる。最速の経路を選び出し、一秒の静止画の中に爆発的な加速を詰め込む。
廊下の奥から聞こえてくる、鈍い衝撃音。そして、押し殺した子供の泣き声。襖を乱暴に開け放つと、そこには予期していた中でも最悪の光景が広がっていた。
「出来損ないめが……! なぜ呪力も持たずに生まれてきた! 貴様らのせいで、兄に対する私の面目は丸潰れだ!」
狂気を含んだ怒号を浴びせているのは、禪院扇。床には、まだ幼い真希と真依が震えながらうずくまっていた。真希の頬は無残に赤く腫れ上がり、真依はただひたすらに、声も出せずに涙を流している。扇の手に握られた木刀が、冷酷な光を帯びて再び振り上げられた。
「……何しとるん、扇君。朝から騒がしいわ」
俺の冷え切った声に、扇がぎりりと首を回した。その瞳には、兄である直毘人への劣等感と、それを覆い隠すための歪んだ選民意識が、どす黒い濁流となって渦巻いている。
「直哉か。……これは教育だ。この出来損ない共には、自分がどれほど一族の足枷であるかを、その身に刻み込ませねばならん」
「足枷? ――笑わせんといて。あんたがパパに勝てん理由を、幼い子供のせいにして逃げとるだけやろ。情けないにも程があるわ」
一瞬、部屋の空気が凍りついた。扇の顔が、怒りと屈辱で沸騰したように真っ赤に染まる。若干十五歳のガキに、人生で最も触れられたくない図星を、真正面から、それもこれ以上ないほど傲慢に射抜かれたのだ。
「貴様……! 誰に向かってその口を叩いている……!」
「誰に向かって? 次期当主確定とも目される僕に向かって言うとるんか? ……扇君、あんたの剣筋は多少眼を見張るものもあるけど、中身が空っぽやねん。自分の娘の価値も分からんような器の狭い男に、これ以上この子らの教育は任せられんわ」
俺は扇の自尊心に多少気を遣いながらも――正確には「これ以上発狂されたら面倒やな」という打算を含みながらも――その殺気を鼻で笑い飛ばした。そして床に這いつくばる真希と真依の前に、壁のように立ちはだかる。真希が驚いたように、腫れ上がった目を開けて俺を見上げている。その瞳の奥には、恐怖に塗り潰されながらも、消えることのない「反骨」の小さな火が灯っていた。ああ、これや。俺が惚れた甚爾君と同じ「光」が、この子にもある。
「これからは、この二人は僕が預かる。アンタには任せられへんからな。
「……狂ったか! 呪力なき者に剣を握らせてどうする! 禪院の恥を晒すだけだ!」
「呪力がなけりゃ、肉体や呪具で補えばええ。甚爾君がそうやったように。……それとも何か? あんた、甚爾君に勝てるん?」
甚爾の名を出した瞬間、扇は金縛りにあったように言葉を失った。 かつて甚爾という「本物の怪物」によって、魂の奥底に恐怖を刻まれた連中にとって、その名は絶対的なタブーであり、逃れられぬ悪夢そのものだ。扇の手が、微かに震えているのを俺は見逃さなかった。
「……好きにしろ。どうせ、すぐに音を上げる出来損ない共だ。貴様の道楽に付き合う暇はない」
吐き捨てるように言い残し、扇は逃げるように部屋を去っていった。 後に残されたのは、埃の舞う部屋と、重苦しい沈黙だけだ。入り口で立ち尽くしていた母親が、おずおずと、あるいは絶望を深めた足取りで部屋に入ってくる。
「直哉様……。その子たちを、そのように……甘やかしてはいけません……」
彼女の言葉は、娘を想う親の慈愛ではない。自分の不遇と惨めさを、娘たちの存在のせいにしている、呪いの言葉だ。きっと、当主の愛息である俺が二人に面倒見よく接することで、周囲から怪訝そうな目でやいやいと言われるのを気にしてるのだろう。 (そんなん、甚爾君に付き纏ってた時から嫌ってほど慣れとるわ)
「……あんたも大変やな。自分の人生、全部誰かのせいにして生きるのは、さぞかし楽やろうしな。扇の叔父さんみたいに」
俺は床に座り込み、這いつくばる母親の目線を覗き込んだ。
「でもな、この子らはあんたの『出来損ない』やない。今弱くても強くなれるよう努力すればええし、そのための環境作りは俺が保証する。……何なら強くなれなかったなら、それはそれでええんや。自分の身の丈に合った呪いを祓ってもええし、戦うのが嫌なら別の道を探してもええ。この家におらんでも、生きていける力さえあればな」
俺は真希の細い手を強引に引き、立ち上がらせた。そして泣きじゃくる真依を、重いなどとは微塵も思わず抱き上げる。 真希の小さな掌は、すでに豆ができ、皮が剥けていた。誰に言われるでもなく、この子は自分と愛する妹を守るために、一人で戦おうとしていたのだ。その健気さが、俺の倫理観をチクリと刺してくる。
「ええか、真希ちゃん、真依ちゃん。家の連中は心ない言葉を投げかけてくるけど、そんなん気にせんでええ。いつか俺が全部、札束と権力と術式で、二人の……いや、この家で苦しんどる全員の盾になったるわ」
真希が、俺の手をぎゅっと握り返した。その力は、五歳児とは思えないほどに強かった。原作では「壊滅」の引き金となった彼女たちの憎しみや劣等感を払拭し、自分は胸を張って生きてもいいと思えるように。俺は全力で彼女たちを肯定する。
草鞋を履かせてもらう必要はない。俺は自分の足で立ち、この泥沼のような家から、連れ出せる奴は全員連れ出してやる。たとえそれが、呪術界で培われてきた固定観念という名の巨大な奔流に逆らうことだとしても。
(――甚爾君。あんたが捨てた『ゴミ溜め』の中から、俺は最高の宝石を拾い集めとるで)
俺は二人の頭を乱暴に撫で、冷え切った回廊を歩き出す。俺は、俺自身の手で刻むフレームの中に、皆の幸福を書き込んでみせる。
運命の日は近い。高専への入学。五条悟との出会い。そして――甚爾君との再会。待ってろ。全部、俺がひっくり返したる。