禪院直哉成り変わりー禪院家が壊滅しないよう色々頑張ってみるー 作:AKHT‐47
新宿、歌舞伎町。欲望が渦を巻き、昼夜の境が曖昧になる街の片隅に、そのパチンコホール『熱風(ヒート)』はあった。自動ドアをくぐれば、そこは外界とは隔絶された別世界だ。耳をつんざくような電子音の洪水、タバコの紫煙、そして何百人もの人間が放つ、焦げ付くような射幸心の熱気。
「……チッ。回らねぇな」
「伏黒甚爾」は、死んだような魚の目で液晶画面を睨みつけていた。
「天与呪縛」によるフィジカルギフテッド。五感は野生動物を凌駕し、動体視力は飛来する弾丸すら捉える。だが、その超人的な能力も、パチンコ台の前では無力に等しい。
盤面を流れる銀玉の軌道が見えたところで、店側が微妙に調整した釘の歪み一つで、玉は無情にもヘソ(スタートチャッカー)を避けていく。
(……直哉から巻き上げた軍資金も、これで底か)
甚爾の手元にあったドル箱は、すでに空っぽだった。上皿に残った数発の玉も、乾いた音を立てて呑み込まれていく。
隣のシマでは、仕事サボりのサラリーマンが大当たりを引いて脳汁を垂れ流している。その対比が、甚爾の苛立ちを加速させた。
ふと、斜め向かいの並びから、異様な「熱」を感じた。
そこには、制服を着崩した、いかにも「今時の不良」といった風情の少年二人組が座っていた。
「キたキたキたぁ! 綺羅羅、見ろよこの保留変化! 赤保留だ! 期待値(熱)が跳ね上がったぜ!」
「いいよ金ちゃん、ノってるね! そのまま確変ブチ込んじゃいなよ!」
ツンツンに逆立った髪のガキが、レバーを叩きながら吠える。その隣で、長い髪を弄りながら楽しそうに笑う、中性的で男だか女だか分からないガキもいる。つい最近、「東京都立呪術高等専門学校」に入学したばかりの一年生、「秤金次」と「星綺羅羅」である。
平日の真っ昼間。それも呪術界の未来を担うべき高専生が、制服姿でパチンコに興じている。もしここに京都校の方で教師をやっている「禪院直哉」がいれば、苦言を呈しているだろう。あれは型破りな面はあれど、結構真面目な所がある………
甚爾は最後の一玉が外れるのを見届け、ゆっくりと席を立った。
そして、野生の肉食獣が獲物に忍び寄るような、気配を消した足取りで秤の背後に立つ。
「……おい、ガキ」
地獄の底から響くような、ドスの効いた低い声。
確変突入を賭けたリーチ演出に熱中していた秤の背筋に、冷たい氷柱を突き刺されたような戦慄が走った。
呪力はない。呪術師が放つ威圧感とは違う。だが、背後に立った男が放つ、研ぎ澄まされた暴力の気配は、並の特級呪霊すら凌駕していた。
「あぁ? なんだよオッサン、今いいとこ……」
振り返った秤の言葉が、喉の奥で凍りつく。
目の前に立っていたのは、口元に薄ら笑いを浮かべた、傷だらけの巨漢だった。その瞳は、ホール内のどの客よりも昏く、そして飢えていた。
「玉、なくなっちまってな。……ちょっと分けてくれや」
「は……? 何言ってんだアンタ、自分で借りろよ!」
「生憎、スッカラカンでな。財布の中身は埃しかねぇ」
甚爾は悪びれもせず、空の財布を振ってみせた。あまりに堂々としたカツアゲ宣言に、秤の額に青筋が浮かぶ。
「ふざけんな! なんで見ず知らずのオッサンなんかに……」
「……お前ら、その制服は東京の『呪術高専』の生徒だろ?」
甚爾の言葉に、秤と綺羅羅の動きが止まった。
「チッ………高専関係者かよ」
「へぇ、やっぱりそうか。最近の呪術師は随分とハイカラな格好をしてるんだな。……で、だ。未成年、それも高専の生徒が真っ昼間から制服でパチンコ打ってるってのが、あっちの学校の……そう、『夜蛾』とかいうクソ真面目そうな教師の耳に入ったら、どうなるかねぇ?」
高専関係者からは基本的に嫌われている為に、あまり関りはないが、甚爾は、パトロン(直哉)が以前、「東京の夜蛾学長は真面目な堅物、ちょっと融通が利かんとこもある」と褒める反面、愚痴っていた事があったので、東京校の生徒を恫喝出来るネタとしては使えると把握していた。
「……ッ!夜蛾のオッサンを引き合いに出すのは反則だろ………」
秤の顔が引きつる。「停学」の二文字が脳裏をよぎった。高専の規則は厳しい。特に「夜蛾正道」は、この手の素行不良には容赦がない。それに、彼は近代的な「生得術式」を持っているが為に、「上層部」とは折り合いが悪かった自分にも偏見を持たずに接してくれた事から、畏敬の念を抱いている。そんな学長に、今の非行を知られたくはない………
「……どうする? 玉を大人しく一箱分けるか、それとも、学校にチクられて確実な『停学リーチ』を引くか……」
甚爾はニヤリと笑い、秤の肩に手を置いた。その手は岩のように重く、抗えばどうなるかを無言で物語っていた。
秤は苦虫を噛み潰したような顔で数秒葛藤したが、結局、観念したように足元のドル箱を一つ掴んだ。
「……クソッ! 持ってけドロボウ! 一箱だけだぞ、不運なオッサン!」
「ハッ、話が分かるな。将来、いい博打打ちになれるぜ」
甚爾は悠々と秤の隣の台に腰掛け、分捕った玉を自分の台のサンドに流し込んだ。
ハンドルを握りながら、甚爾はチラリと隣の秤の台を見る。
そこでは、ラブコメ漫画に出てくるキラキラしたキャラクターたちが、画面狭しと駆け回っていた。大人気アニメタイアップ機『CR 私鉄純愛列車』である。
「……お前、そんなナリして、随分と乙女チックな台が好きなんだな」
甚爾が鼻で笑いながら液晶を指差す。画面では、主人公がヒロインの一人と顔を赤らめて見つめ合っている演出が流れている。確変中の熱いムービーだ。
「べ、別に好きで打ってるわけじゃねぇよ! この台、スペックが甘くて期待値(熱)が高いから打ってるだけだ! 俺は常に理論値で動いてんだよ!」
秤は慌てて目を逸らし、頬を赤らめながら早口でまくし立てる。図星を突かれた反応だった。
すると、二人の後ろで立ち見をしていた綺羅羅が、クスクスと笑いながら爆弾を投下した。
「もう、金ちゃんってば、見栄張っちゃってー。嘘ついちゃダメだよ。これ、最初に勧めたのは私だけどさ、金ちゃん今じゃドハマリして、漫画の単行本全巻揃えてるじゃん。それに、金ちゃんは期待値とか計算するタイプじゃないでしょう?」
「……おい、綺羅羅!」
「この前、円盤(ブルーレイBOX)まで予約したんでしょ? 2期の最終回放送した夜なんて、自室で録画見てボロ泣きしてたくせにー。『あいつらの純愛は本物だ…!』って」
「……ッアアアア! 綺羅羅! それは言うなよバカ!!」
秤が絶叫し、周囲の客が何事かと振り返る。彼の顔は、パチンコ台の赤保留よりも真っ赤に染まっていた。
「……ぷっ、ククク! 円盤まで予約して、アニメ見て号泣だと? 傑作だな、オイ」
甚爾が腹を抱えて笑う。あの「暴君」が、年相応の少年の恥ずかしい秘密に、人間らしい笑い声を上げた。
「う、うるせぇ! ストーリーがいいんだよストーリーが! 泣けるもんは仕方ねぇだろ!」
秤が半泣きで抗議する。
「それにさー、金ちゃん言ってたもんね。『自分の領域展開にこの世界観を落とし込むには、作品を深く理解しなきゃなんねぇんだ』って。ねー、金ちゃん?」
「やめろ! 俺の術式をこんな怪しいオッサンにバラすな!」
綺羅羅の言葉に、甚爾の笑いがピタリと止まった。
その鋭い視線が、改めて隣の不良少年を値踏みする。
「……領域、だと? お前、その年で『領域展開』が使えるのか」
「領域展開」それは呪術戦の極致。
甚爾が知る古い呪術界、自分の古巣だった禪院家において、領域を使える者は、「寿命を減らす縛り」も顧みずに「シン陰流」に大金はたいて入門していた直哉くらいのものだったが。それを、まだ十代半ばの、こんなチンピラのようなガキが扱えるというのか。
「あぁ? 使えて悪いかよ。……俺の生得術式は、最初から領域がシステムに組み込まれてる特殊なタイプなんだよ。必殺性能はないが、その分押し合いは強いし、自己バフの倍率に関しては他に追随する者はいないと自負してるぜ」
秤はバツが悪そうに、だがどこか誇らしげに答え、それを聞いた甚爾は、少しの間黙り込んだ。かつてないものとして扱われ、自身もそれに呼応するように、唾を吐きかけ、捨て去った呪術の世界。だが、時代は確実に進んでいるらしい。
(……腐った禪院家の連中よりも、こいつらみたいな新しい連中の方が、よっぽど面白いモン持ってやがる)
「……へぇ。大したもんだ。自分の『好き』を力に変えるってのは、悪くねぇ」
「………」
「金ちゃんを分かってくれるの?」
甚爾の何気ない誉め言葉は、術式差別を受けていた秤と、そのツレの擦れた心を、少しだけ溶かす『熱』になり得たようだ。かつて、禪院家から同じように差別を受けていた彼が、似たような境遇のギャンブラーの心を開くとは何の因果か………
「ハッ、その反応………オマエらも結構大変なんだな………」
五感の優れた甚爾は、人の心の機微は見逃さない。どことなく感謝の情念を向けられているのを察し、照れ臭さを誤魔化すように、ハンドルを握り直した。隣で「純愛」を力に変えて戦う少年の熱気に当てられたのか、彼の台のデジタルが、けたたましい音を立てて揃った。
「……お。ようやくキやがった」
「は!? オッサン、俺の玉で当てやがったな!?」
「ハッ、感謝するぜガキ共。これも『期待値』ってやつだろ?」
「………当たったんなら、ちょっとくらい返してくれてもいいんじゃない?」
◇◇◇
数時間後。
三人は、連れ立ってパチンコホールの自動ドアを出た。
外はすでに夕暮れ時。歌舞伎町のネオンが毒々しく輝き始めている。
結局、引き際を見誤った甚爾は当たった分もすべて呑まれた。秤の方は、「どんな設定でも30以内に当たる」豪運体質により、甚爾に渡した玉など些事と呼べる程度に収支をプラスにしていたが。
「……結局スってんじゃねぇか、オッサン」
「うるせぇな。博打ってのは、勝つか負けるかじゃねぇ。最後までヒリついた時間を楽しめたかどうかだ」
「負け惜しみにしか聞こえねぇよ。……綺羅羅、今日増やした金でどっか飯食い行こう。焼肉か、それとも寿司か………」
「いいねぇ。この前お肉たべたし、魚がいいかな!魚の方が太らないとも言うし………」
「ああ、俺も連れてってくれねーか?昼飯代もすっちまったから………今日何も食べてねーんだ」
「まだたかる気かよオッサン!同情誘っても駄目だ」
そんな軽口を叩き合いながら、三人は駅の方へと歩き出す。
カツアゲした側とされた側。奇妙な組み合わせだが、同じ「鉄火場の空気」を吸った者同士、不思議な連帯感が生まれていた。
「……ま、冗談だよ、高専のボウズ共。夜蛾のオッサンとやらによろしくな」
『今日は恵とカレー作ったよ!遊びは程々にして、早く帰って来てね』
娘から送られてきたLINEのメッセージをスマホ片手に見た甚爾は、二人に手を振って、雑踏の中へ消えていこうとする。
「……なぁ、アンタ。名前は?」
秤が背中に問いかける。同じ熱を共有した戦友として、そして底知れない「何か」を感じ取らせるその威圧感から、彼の事を知っておきたかった。
「……名乗るほどのモンじゃねぇよ。ただの、運の悪いオッサンだ」
甚爾は二人の方に振り返らずに名前をはぐらかし、夜の街へと姿を消した。