スポットライトが闇を切り裂き、バットを銀色に縁取る。
彼は己の喉が裂けんばかりに腕を振りかぶり、凄まじい臭気に支配されたステージを指さした。
「さあ、第一試合のゴングだ! 最初はケンからだ!!」
ケンシロウの視線の先には、皿の上に鎮座するドリアンがあった。
半分に割られ、見る者を拒絶するかのような頑丈な殻。
「……う。まるでラオウの茶色く灼けた拳に似た色と重圧。表面にひしめく鋭く硬き棘は、中世の撲殺武器メイスを思わせる。そしてこの、鼻腔を蹂躙する腐ったタマネギのごとき生ゴミの臭気……。天は、これを本当に食べ物として地上に遺したというのか!?」
ケンシロウは覚悟を決め、震える指先でスプーンを握る。
薄黄色の果肉を掬い、それを口に運ぼうとした刹那――!
会場に座っていた仁星のシュウが、カッと目を見開き叫んだ。
「待て、ケンシロウ! 揮発性の硫黄化合物に似たこの不吉な臭気……これは毒だ! 命を捨ててまで食すものではない!」
シュウの警告に、ケンシロウの動きがぴたりと静止する。
「やはりそうか……。ユリア、許してくれ。俺は、まだそちらには行けない。……残念だが、パスだ」
「おおーっと! 世紀末救世主、まさかの戦前逃亡で0点だあーっ!」
バットの絶叫が響き、隣でリンが静かに頷く。
「……賢明な判断かもしれません。死んでしまっては、この先の戦いを勝ち抜けませんから」
そのとき審査員席のシンが椅子を蹴って立ち上がり壇上のケンシロウに指を突きつけ糾弾した。
「臆したか、ケンシロウ! 貴様はユリアを愛するに相応しくない。やはり俺だけがユリアを愛する資格を持つ男だ。今すぐ彼女を俺に寄こせ!」
ケンシロウはゆっくり頭を振る。
「ユリアは、突然現れた棘に覆われたの武装トラックに跳ねられて、そのままどこかに消え去ってしまった。だからもう俺の傍には……」
シンは、さらに激高した。
「貴様がついていながら一体何をしていたんだ!」
「本当に突然だったんだ。トラックは、そのまま走り去ってしまった。そこに残されていたのは、”UD”が刻まれたトラックのエンブレムだけだったんだ……」
「なんだと!いったい誰がそんなことを……」
ギリギリと歯を食いしばるシン。
「フフフ……この世で一番美しいのは、この俺なのだ」
シンの隣で密かにほくそ笑む裏切りのユダであった。
一方、舞台の奥深くに静かに佇む仮面とマントの影。
その影がケンシロウとシンの声にわずかに揺らいでいた。
「さあ、次はトキ、あんたの番だ!」
「あまり無理をなさらないでください……」
リンの祈りにも似た言葉を受け、病める天才・トキがゆっくりと皿の上に手を伸ばした。
しかし、その指が果肉に触れた瞬間、トキの頬が引きつる。化学兵器のごとき臭気が、彼の衰えた肺を直撃した。
「カハッ……ゴホッ! ゲホォッ!!」
「ああーっと! トキ選手、いきなり激しい咳き込みだ! 大丈夫かーっ!?」
トキは果汁のついた震える手で口元を押さえるが、その瞳はなおも慈愛に満ちて微笑んでいる。
「……ふ……。この腐敗臭……。かつて死の灰を浴び、私の肺を焼いたあの日。核の炎に包まれた街の、あの焦げ付いた死の煙の匂いに似ている。指に絡まるこの果汁は、滅びへ向かう肉体と、無理やり命を繋ごうとする糖分……。これらが今、この審判の机の上で『絶望のデュエット』を奏でている……」
トキはそれだけを言い残すと、ガクリと首を垂れた。
「トキ! トキィーーッ!!」
ケンシロウが飛び出し、突っ伏した兄を抱き起こす。
「……も、もはや……くっ、やはり毒だったのか!」
ケンシロウの魂の叫びにトキの体がピクリと動き、ゆっくりと瞼を開きケンシロウに微笑んだ。
「……大丈夫だ。放射能で汚染された空気の中でも保ち続けたこの命。この程度の臭気で散ることはない」
その光景を、妖星のユダが優雅に髪をかき上げながら冷笑する。
「その醜態……全く美しくないな。×をくれてやろう。0点だ」
長兄ラオウは、隣で倒れ伏していた弟を冷たい眼差しで一瞥した。
「ふん、くだらぬ。これしきの臭気で気を失うとは、トキも落ちたものよ。……よいか、その臭気地獄の底で、我が覇道を見届けよ!」
ラオウは皿の上のドリアンを「むんず」と鷲掴みにした。
そして、あろうことか殻ごと口の中へ放り込み、凄まじい音を立てて咀嚼し始める。
バリッ、ボキィッ!
ドリアンの鋭い棘が口中で暴れ狂い、ラオウの口からは様々な風味が広がっていく。
だが、拳王は眉一つ動かさない。
平然とそれを嚥下すると、やおら咆哮した。
「ぬうううん! このバターのような滑らかさ、アーモンドキャラメルのような風味! ……だが、軟弱よ! このような媚びた甘さは、覇王たる俺の口には合わぬ!」
スタジオを揺るがすラオウの怒りの闘気に気圧されたサウザーは、思わず〇ボタンを押してしまった。
「さすがは覇王。自らの嗅覚や痛覚さえも支配下におくとは……」
隣のハートが、鼻中にサウザーの指を吸い込んだまま、涎を垂らして〇を押す。
「甘いものが食べたくなったよう。困ったものがあったらアタシが何でも食べるよう」
サウザーは、ハートの丸い顔面を足て踏みつけ、涎でベトベトになった指を引き抜かんと必死に足掻いた。
「貴様のせいで俺が困っておるわ。早く指を返さんかあ!」
意外と息の合った二人のやり取りを横目にリンが、得点の発表をする。
「やりましたー。ラオウさんが2点獲得でーす」
「うわははは! 偽ケンシロウは腰抜けだぜ! 次は俺の番だ!」
異様な興奮を隠せない男――ジャギが、フォークを振り回して立ち上がった。
「俺が満点を奪って、このオーディションを終わらせてやる! 勝者である俺の名を言ってみろぉー!!」
ジャギは激しい異臭をものともせず、猛り狂う獣のように果肉を口へ放り込んだ。
「甘い! 甘いぞおー! バニラの風味に混ざり合う、この複雑な苦味と酸味! まさに果物の王様……北斗神拳伝承者にふさわしいのは、この食べ物だあーっ!!」
ジャギの狂ったような咀嚼音が、静まり返ったスタジオに不気味に響き渡る。
「うははは! どうだ、この食いっぷり! まさに『王』の器よ! 判定はどうした、早く俺に満点を与えろ!」
だが、その時。ジャギの背後に、音もなく巨大な影が落ちた。
死神のごとき威圧感を纏い、いつの間にかケンシロウがそこに立っていた。
「……ジャギ。貴様、そのヘルメットを取ってみろ」
静かな、しかし地響きのようなケンシロウの声がスタジオの空気を凍りつかせた。
ジャギの肩がビクリと跳ねる。
「な、何を言ってやがる、このヘルメットは俺の魂だ! 貴様のような奴に脱げと言われる筋合いはねえ!」
ケンシロウの眼光が、鋭くジャギの鼻孔付近を射抜く。
「貴様、そのヘルメットの下に何を隠している?」
「な、何のことだ! 俺はただ、鼻の下が人より長いだけだぜ!」
ジャギは必死に顔を背け、誤魔化そうとする。
しかし、ケンシロウの鋼の指先が、容赦なくジャギのヘルメットの縁を掴んだ。
「き、貴様! やめろ、離せ! 俺の名を言ってみろぉーっ!!」
「……言わせるまでもない。貴様の名は『卑怯者』だ」
バキィッ!!
凄まじい力で引き剥がされたヘルメットが床に転がり、高音を立てて跳ねる。
露わになったジャギの素顔――その両の鼻の穴には、赤いプラスチックと真鍮の輝きを放つ「ショットガンのカートリッジ」が、みっちりと、隙間なく詰め込まれていた。
「な、なんだとぉーっ!?」
実況のバットが舞台から転げ落ちんばかりに絶叫する。
「あ、あれは……散弾銃の弾だ! ジャギの野郎、鼻の穴に弾薬をブチ込んで、物理的に臭いを遮断していやがったんだ!」
リンもまた、軽蔑の眼差しをジャギに向ける。
「……卑劣です。己の鼻を塞ぎ、嗅覚を放棄して点数を取りに行くなんて……。これはもはや『食レポ』ではありません」
「お、おい! 待て! これは……これはファッションだ! 世紀末の最先端の鼻ピアスなんだよぉ!!俺はウソが大きれぇなんだ!!」
ジャギが必死の弁明をするが、もはや手遅れであった。
闇の中から地獄の鐘のような声が響く。
最上段の雛壇にカサンドラ獄長・ウィグルの巨体が現れた。
「……ジャギよ。貴様の悪行、天界の美食神が許しても、この『監獄の掟』が許さぬ。我が監獄のルールを汚した罪、その身で贖え! ライガ! フウガ!」
「「ハッ!!」」
突如として現れた二人の巨人、二神風雷拳の使い手・ライガとフウガが、ジャギの両脇を軽々と掴み上げた。
「わっ、離せ! 離しやがれ! 俺はまだ失格じゃねえ! 異世界を……俺の異世界をよこせえぇぇーー!!」
ジャギの情けない悲鳴がスタジオに虚しく木霊する。
ライガとフウガは無表情のまま、暴れるジャギを軽々と吊るし上げ、奈落の底へと続く舞台袖へと引きずっていった。
「ジャギ選手、ルール違反により即刻追放、失格だあーーっ!!これにはスポンサーの美食神様もご立腹だぜ」
バットの宣告が下り、一品目「ドリアン」の戦いはラオウの勝利に終わった。
マスクを脱ぎ去ったバットは再びマイクを握り、闇を切り裂くような声で叫んだ。
「さあ、ドリアン地獄を生き残った強者ども! 二品目はこれだ! 見た目はドス黒い闇、中身は鮮血の衝撃的料理だぁー!!」
「なに!」
その料理の名を耳にしたとき、ケンシロウに衝撃が走った。