この探索者の100話を超えた膨大な話数を最後まで読んでくださった皆様に、改めて感謝を。そして、もしよろしければ―― 評価と感想のほど、何卒よろしくお願いいたします。
嫌な予感しかしない
エデン条約を巡る一連の騒動がどうにかこうにか一転落着し、残された膨大な後処理に追われていた探索者と先生。そんな折、二人は連邦生徒会本部ビルへと足を運んでいた。
執務室のドアを開けると、書類の山から顔を上げた七神リンが、眼鏡の奥の瞳を僅かに和らげて二人を迎える。
「あぁ、先生、探索者さん。お待ちしておりました」
"こうして直接会うのは久しぶりだね"
「私は……面接試験以来ですかね?」
探索者が記憶を掘り起こしながら呟くと、リンはコホンとひとつ咳払いをして、卓上の書類に手元を戻した。
「そうですね……時間もありませんので早速ですが本題に入りましょう。先程もお伝えした通り、シャーレの報告書周りに関するお話です」
「……?」
首をかしげる先生に対し、リンは淡々と、しかしどこか頭を抱えたそうな声音で言葉を続ける。
「活動の内容について口を出す訳ではありません。多くの生徒から良い評判が出ているのは存じておりますし……ただ問題は、その事後処理です。連邦生徒会に報告書などを提出して貰っていますが……」
そう言ってリンは、手元にあった書類の一束を二人の前に提示した。
「例えばこの書類。請求書の内訳が、全てアラビア数字になっています」
"……駄目なんだっけ?"
素朴な疑問を口にする先生の横で、探索者はうんうんと深く頷いてみせた。
「まぁ、字が汚いと誤読することもありますしね。そのせいで私の肋骨がなくなりかけたこともありましたねぇ……」
"怖いよ!?"
「そのあたりの事情はわかりませんが……その通りです。公文書に手書きで金額を記入する際には、偽造防止および誤読防止のため、漢数字での記載をお願いしています」
「銀行とかだと結構そういうのありますよね」
探索者のフォローに、リンは容赦なく次の書類を指し示した。
「他にも、例えばこの捺印。空欄から3cmずれています」
「……その辺は良いんじゃ? ここら辺は量が多いとどうしても雑になっちゃうんですよ……」
助け舟を出そうとする探索者だったが、リンの冷徹な眼光に押し切られる。
「このような不備があると後処理の手間が増えてしまうので、修正していただきたく……まぁ、今ここでやってくだされば良いのですが」
申し訳なさそうに肩を落とす先生。その隙を突いて、探索者はサッと足を出口へと向けた。
「……おっと、お祈りの時間が来てしまったみたいなので、お先に失礼します」
「帰す訳ないでしょう。そもそも先生たちが最初から不備の無い書類を出してくだされば済んだお話です」
「正論パンチが先生と私を襲う!!」
理詰めの鉄槌を食らった探索者がオーバーに倒れ込む素振りを見せるが、リンの手加減なき指摘は止まらない。
「それだけではありません。どうしてこういった報告書において、砕けた言葉で書くのですか。機密文書なので外部の方は見ないとはいえ、真っ当な文章で書いてください」
「……マジすか」
"堅苦しいのより読みやすいかなって……"
「分からない場合は、以前お渡しした連邦生徒会公文書規定第15条に……」
こうして、探索者と先生の長く面倒な「公文書修正地獄」の幕が切って落とされた。
ペンを握りしめ、リンの細かいチェックを受けながら必死に書類を書き直していく二人。そんな殺伐とした執務室に、遠慮がちなノックの音が響き、一人の生徒が滑り込んできた。
「あの、リン先ぱ……い、いえ行政官。少々ご相談が……」
入ってきたのは、金髪に黒い翼が特徴的な岩櫃アユム。連邦生徒会・調停室長だ。
「どうしました?」
ペンを止めたリンが問いかけると、アユムは焦りを隠しきれない様子で書類を胸に抱え直した。
「その、緊急の事案で……えっと、SRT特殊学園の撤去についてなのですが……一部の生徒が反発し、公園を占拠してデモを始めたとか……事前に準備していた部隊では阻止が難しいようで……」
「……はぁ、でしたらヴァルキューレの警備局に連絡を」
「あ、りょ、了解です……!」
指示を受けると、アユムは慌ただしくお辞儀をして部屋を飛び出していった。
バタバタと去っていく背中を見送りながら、先生が尋ねる。
"何か問題でも起きた?"
「……いえ、お気になさらず。よくある事ですので。連邦生徒会長の失踪以降、こういった事は日常茶飯事です」
疲弊の混じった溜息をつくリンに対し、探索者は訂正用の修正テープをカチカチと鳴らしながら、事も無げに付け加える。
「なんでも、前後で犯罪係数が1.5倍になったらしいですね」
「不吉な数値を軽々しく算出しないでください」
"SRT特殊学園っていうのは……?"
先生の疑問に対し、リンはペンを動かす手を止め、少しだけ遠くを見るような目をした。
「……SRT、すなわちSpecial Response Team。文字通り特殊な任務に対応するためのエリートたちの学園でした。少し前……連邦生徒会長が居た頃までは、ですね」
"それってどういう……"
「まぁ、曰く付きの物件ですからねぇ……」
探索者が含みのある笑みを浮かべると、リンは冷ややかに咳払いをひとつ挟んだ。
「いえ、今は気にする事ではないでしょう。それよりも先生たちは、早く書類の修正をお願いします」
"うぐっ……"
再びカリカリと虚しいペン音が室内に響き渡る。それからまた暫くして──
「あの、行政官……」
案の定というか、既視感のあるノックとともに、またしてもアユムが駆け込んできた。
「はい、また何か問題が?」
「えっと、それが……デモの制圧に向かった警備局の生徒たちが、逆に制圧されてしまったとかで……」
「……デモを起こしたのは一部の生徒なのですよね?」
頭を抱えそうになるのを耐えながら問うリンに、アユムは恐縮しきりで頷く。
「は、はい。数としては小隊ひとつ分みたいなのですが……やはりSRTですし、火器が相当強力な事もあって警備局だけでは……」
「……参りましたね。大事にはしたくないのですが……仕方がありません。ヴァルキューレ警察学校の公安局に連絡を。対テロ業務に特化した彼女たちなら、いくら相手がSRTのエリートでも対処出来るでしょう。防衛室の方には連絡しておきます」
「は、はいっ……!」
バタバタとアユムが部屋を出ていくのを見送り、先生がリンへ視線を向けた。
"私に手伝える事はある?"
「先生、止めときましょう。この書類仕事からは逃れられませんよ。ヘタに機嫌損ねるよりも、さっさと終わらせたほうが鬼を見ずに済みます」
「……誰が鬼ですか」
背後から刺さる鋭い視線をスルーし、探索者は「修正テープ、あと3本いりますかねぇ」などと現実逃避を続けた。
そして、また少し時間が経った頃──
「行政官……っ!」
アユムが完全に急ぎ足で部屋へ飛び込んできた。
「嫌な予感しかしないですね! 行政官!」
「……まさかと思いますが……」
嫌な予感を察知した探索者とリンの視線が交差する。アユムは半泣きになりながら報告を口にした。
「はい、公安局の生徒も皆……」
「局長もやられたんかぁ……」
デスクワークがメインとは言え、あの「狂犬」ことカンナの実力は確かだ。いくらエリート揃いのSRTが相手だったとしても、そう簡単にやられるはずがない。探索者はそのあたりの戦術的パワーバランスを熟知していた。
「い、いえ! カンナ局長は現場の指揮を担当してるそうなので無事です! 彼女からの報告によると『公園に近づく事も出来ないまま、大量の狙撃とトラップによって部隊が壊滅した』と……」
「あぁ……トラップと狙撃のセット。嫌な組み合わせですねぇ」
「さらにクロノススクールの記者たちも現場に来てしまい、中継によって状況が過熱しているみたいで……このままですと問題がどんどん大きく……」
「やっぱメディアはクソっすね」
「全く、どうしてこう次から次へと……」
吐き捨てる探索者の横で、リンは限界寸前の溜息をつく。そこでアユムが意を決したようにリンへと歩み寄った。
「あの、リン先輩……こういう時こそシャーレの先生に助けて貰うというのは……? 先生の指揮能力は勿論、各学校からすぐに精鋭を動員して貰うことも可能ですし……ヴァルキューレで太刀打ち出来ない以上、もう手段はそれくらいしか……」
「…………はぁ。先生、少々問題がありまして」
顔を上げたリンの表情は、完璧な営業用スマイルであり、探索者が冷や汗を流す中、リンは静かに言葉を紡ぐ。
「本来なら私達だけで片付けておきたいところですが……お願いできますか?」
"よし来た!!"
書類地獄からの脱出の兆しに、先生はガタッと椅子を蹴って立ち上がった。
「はい、一旦この書類についてはお気になさらず。私が何とかしておきますので」
「助かります行政官! 神!」
「およそ状況は掴めていると思いますが、一部のSRTの生徒たちがデモを起こしています。彼女たちを止めて来てください。小隊ひとつとの事でさほど人数が多いとは思いませんが……SRTの銃火器は相当強力ですので、お気をつけ頂ければと。現場にはヴァルキューレの生徒たちもいますのでサポートしてくれるはずです」
"うん、それじゃあ行って来るね!!"
脱兎のごとく執務室のドアへ向かう先生と探索者。
「ご武運を……それと書類を何とかすると言っても、先生たちにも帰ってきたらまた……って、聞いているんですか二人とも!!」
背後から届くリンの叫びを完全に聞こえないふりをして、二人は速足で廊下を駆け抜け、戦火の煙る現場へと向かうのだった。
──────────────────────────
連邦生徒会のビルをリンから逃げるように抜け出した探索者と先生は、SRTの生徒がデモを繰り広げているというD.Uの「子ウサギ公園」へと足を踏み入れていた。
公園の敷地内からは、絶えず腹に響く爆音と甲高い銃声が鳴り響いている。その音の激しさが、ただならぬ戦闘の凄惨さを物語っていた。
「さてさて、取り敢えずカンナさんと合流しましょうかね。そっから状況確認ですね」
"そうだね、恐らくどこかで陣地を敷いていると思うんだけど……"
まずは指揮をとっているであろう公安局長を探すべく、二人が公園の周囲を歩いていると、遮蔽物の裏から苛立ちの籠もった怒声が聞こえてきた。
「誰の許可を得てる! さっさとカメラを止めろ!」
「噂をすれば何とやらですね」
声のした方へ向かうと、そこには険しい表情を浮かべたカンナと、テレビのニュース番組などでよく見かけるクロノス報道部の二人組がいた。
「……探索者と……どちら様で?」
「お久しぶりですね局長」
"お疲れ様"
合流した二人を見つけるや否や、クロノス生のレポーター・シノンとカメラマンのマイが、獲物を見つけたと言わんばかりにカメラとマイクの標的をこちらへ切り替えてきた。
「おっと! ここでまさかのシャーレの先生と、その補佐を務める事務員がいらっしゃいました!」
「ここ最近、キヴォトス各地にて数々の問題を解決して来たシャーレが、どうやら今回の騒動の解決に動いたようです!」
「どうでしょう!? 今回の騒動について何か先生から一言貰えないでしょうか!」
「えっと……」
グイッと突きつけられたマイクに先生が言葉を詰まらせると、すかさず探索者がその間に割って入った。
「何勝手に撮ってるんですか? 肖像権の侵害で訴えますよ」
「いや、そこをなんとか!」
「貴様らァ! 撮影も取材も許可した覚えは無いぞ! さっさと出ていけ!」
怒髪天を突く勢いのカンナの怒号に、シノンとマイは苦笑いを浮かべながら後退りする。
「おっと、不味いですね!」
「本格的に怒られる前に距離を取るとしましょうか!」
二人は手際よく機材をまとめると、脱兎のごとくその場を離れていった。
「はぁ……」
"本当にお疲れ様……"
深々と溜息をつくカンナに、先生が苦労を労う。
「いえ、この程度は日常茶飯事ですので……それで探索者は、一体何の用で……」
「行政官から頼まれてね。はい、これ」
探索者が懐から差し出したのは、七神リン直筆の紹介状だった。
「これは、行政官の紹介状…防衛室の代わりに……なるほど、シャーレが助っ人で……」
「先生は実際にお会いするのは初めてですね。今回の作戦において責任者を担当しています。公安局局長、カンナです」
"初めて"
「んで、現地の状況は?」
探索者の問いに、カンナは厳しい顔つきのまま周囲に視線を投げた。
「そうですね、見ての通りと言いますか……兵力はほとんど残っておらず、士気も底を突いています」
言われて周りを見渡せば、泥と硝煙に塗れ、ボロボロの姿で地べたにへたり込んでいる者や、力尽きて倒れ込んでいるヴァルキューレの警備局員たちがちらほらと見受けられた。
「当初は数で制圧するつもりでしたが、SRTの火力はデタラメで……もう残りの人員も……」
「お待たせしました、生活安全局のキリノです! もう今すぐ出動しても良いですか!?」
「……もう終わってるっぽくない? これ、もはや私達の出番じゃないでしょ」
バタバタと駆け寄ってきた二人組を横目に、カンナが冷ややかに言い放つ。
「……この生活安全局だけです」
「……」
探索者はまるでレモンを直接齧ったかのような、なんとも言えない渋い顔を浮かべた。
やって来たのは、生活安全局の中務キリノと合歓垣フブキの二人だった。
生活安全局はヴァルキューレ警察学校の組織の一つだが、他部署に行けない落ちこぼれの集まりという印象が世間一般には根強い。実際は市民に密接な、前世で言うところの「交番のお巡りさん」に近い部署なのだが、戦闘や学業が苦手な生徒が集まりがちなため、そういったイメージが先行してしまうのだろう。
ちなみに公安局長を務めるカンナ自身、本当は生活安全局を志望して入校したものの、顔が怖すぎて市民に圧迫感を与えるという理由で落とされ、その優秀なスペックから公安局へ回されたという経緯がある。以前、その裏話を聞いた探索者が腹を抱えて爆笑した結果、カンナから強烈な腹パンを食らったのは記憶に新しい。
「あ、先生! 奇遇ですね、ヴァルキューレの支援に来てくださったのですか?」
「こんな現場にまで来るなんて、相変わらず大変だねぇ」
「先生の指揮さえあれば、もう作戦は成功したも同然ですね! さあ、このまま放っておく訳にはいきません! 早速出動しましょう!」
「待て、勝手に動くな。お前たちが出て行って何になる?」
意気揚々と突き進もうとするキリノの襟首を、カンナがガシッと掴んで引き留めた。
「警備局も公安局もほとんどやられたんだぞ。お前たちが相手になると思っているのか? そもそも碌な武器だって持っていないだろうに……何を根拠に勝てると? ……自分の腕前くらい分かっているものだと思ったがな?」
この中務キリノという生徒、正義感と熱意は人一倍なのだが、致命的なことに「射撃の腕前が絶望的」という欠点があった。以前その腕前を見せてもらった際、目と鼻の先にある的にすら面白いくらい当たっていなかったのを探索者は覚えている。銃社会のキヴォトスにおいて、その精度では前線の戦闘部署へ配属されるのは難しいのが現実だ。
「まぁ、その通りですね。バンザイ突撃は最終手段です」
探索者も助け舟を出すように頷く。
キリノは猪突猛進で戦闘に向いているとは言い難く、フブキはスペックこそ高いものの極度の怠惰で事務作業向き。相手が特殊部隊のエリートたるSRTである以上、戦力として頼るには少々心もとない。
「で、ですが、市民の方々も怖がっていますし……このまま見ているだけ、と言う訳には……」
「……意欲は買おう。しかし、気合だけではどうにもならない。我々が他の方法を見つけるまで、とにかくここで待機していろ」
「は、はい……」
「ラッキー。ま、言ってる事はその通りだしね」
"…ここを占拠している生徒たちについて、何か情報とかある?"
先生が尋ねると、カンナは手元の端末を操作しながら答える。
「はい、SRT特殊学園所属の1年生チーム……RABBIT小隊です」
「……兎かぁ……」
「何か?」
「いえ……兎にはいい思い出がないだけです。続けてください」
探索者は渋い顔を浮かべながら、「ここはあの世界じゃない……大兎は居ない、大兎は居ない……」と何やら小声でぶつくさと呪文のように呟いている。
「は、はぁ……本来ならSRTの閉校に伴い、ヴァルキューレの警備局に転向する予定だったのですが……」
「……それが気に入らないのか公園を占拠してデモ活動……アホなんですかねぇ?」
探索者は心底呆れたような表情を隠そうともしない。
「その通りです……数は少ないものの装備は最先端。主にそれが理由で、ここまで手こずってしまい……」
"なるほど……見ても良い範囲で、他に詳細な情報とかある?"
「一応、連邦生徒会から提供された各生徒の資料なら……」
カンナが書類を取り出そうとしたその時、探索者たちの頭上をブーンと羽音を立てて一台の小型ドローンが通過していった。
「……顔ならあれを見た方が速いかもしれません。不本意ですが、クロノスの中継ドローンが中に入ったようなので」
カンナの言葉に促され、一同はドローンの飛んでいった子ウサギ公園の奥へと視線を向けたのだった。