長きにわたる探索者のキヴォトス生活も佳境に向かって来ているようで…これからどうなるんでしょうねぇ…
…読者様方が、最後まで彼の勇姿を見届ける事を作者は願っております。
経験に基づく予感
大量の書類が山積みになったシャーレの執務室。カタカタと響くキーボードの打鍵音と、書類をめくる紙擦れの音だけが部屋を満たしている。
「……なぁ先生、これマジで今日中に終わらせる量ですか? 労働基準法って概念、この街にあったりします?」
"まあまあ、ここを越えれば山場は抜けるから……あ、ありがとう"
文句を叩きつけながらも、探索者は手際よく淹れたてのコーヒーが満たされたマグカップをデスクに置く。先生は申し訳なさそうに、けれど心底ありがたそうにそれを受け取り、一口口にして息をついた。
いつも通りの、くだらなくも平和なシャーレの日常。
そんな時だった。
コロン
乾いた木か、あるいは樹脂が硬い表面を転がるような、小さく澄んだ音が響く。
「っ!?」
探索者の動きが完全に止まった。手に持っていたマグカップのフチが、カチャリと微かに音を立てる。
先生が首をかしげる暇すら与えず、探索者は弾かれたように立ち上がると、そのまま窓際へと歩み寄り、見渡す限りの青空を睨みつけるようにじっと見つめた。
「……おいおい、冗談だろ」
誰に聞こえよがしでもなく、探索者は低く呟く。
その空は真っ赤に染められていた
「クソったれ!Kシナリオ!」
探索者は急いでスマホを操作し吐き捨てる。先生の疑問にも答えず最低限の荷物を持ち、窓から地面へと降り立つ。
"ちょっと待って! 急にどうしたの!?"
窓枠に手をかけ、身を乗り出した先生の切迫した叫びすら振り払うように、探索者は地面に着地した衝撃を殺して駆け出した。
見上げる空は、血を流しているような赤に染まっていた。
日常が、一瞬で死んだ。
スマホの画面を素早くタップし、暗号化された通信を飛ばす。
「Kシナリオか、それに準ずる非常事態だ!! 今すぐに全勢力を集め先生の指示を待て!」
受話器の向こうから聞こえる短い返答すら確認せず通話を切ると、探索者はシャーレのオフィスを見上げる。窓枠から身を乗り出し、真っ赤に染まった空の下で悲痛な表情を浮かべる先生と目が合った。
「先生! そこから離れるなよ!!」
"嫌だ! 私もついて行く!!"
遮二無二叫ぶ先生の言葉に、探索者は一瞬だけ苦々しく眉根を寄せた。本来なら『安全な駒』として盤上の奥に伏せておくのがセオリーだ。だが、この街において『先生』という存在が持つ理不尽なまでの奇跡と絶対的な指揮権を、探索者は身を以て知っている。
「……いや……アリではあるか……よし急げ!!」
腹を括った探索者は、降りてきた先生の腕を引いて一気に走り出した。
「いいか先生、状況は最悪だ! 政治の化かし合いも企業の利益争いも、全部まるごと吹き飛ばす『世界のルール破り』が始まりやがった!」
「俺も何も状況は理解してない!!だからこそ情報を取りに行く!!命だいじに、持ち帰るのが目的──」
探索者が言い切る前に、視界の隅で「異物」を捕らえる。
それは人型の小さな女の子のような姿をしており、あまりにも不気味な、言葉にできない歪みを纏っていた。
赤く染まった街の真ん中で、まるで背景の空間を削り取ったかのようにポツンと佇んでいる。その輪郭を認識しようとした瞬間、探索者のこめかみが鋭く痛んだ。
「……ッ、下がれ先生!!」
探索者は即座に先生を背中に庇い、懐から銃を引き抜いて構えた。
その瞬間、その少女から黒く、鋭い槍のような物が探索者に飛んでくる。
「クソ…っ!?」
探索者はその程度の攻撃を避けれないほど弱くはない。だが——
自分のすぐ後ろに立つ「先生」の存在が、回避行動の選択肢を瞬時に奪い去った。
「クッ…!!」
避ければ、黒い槍は一直線に先生の身体を撃ち抜く。咄嗟に判断した探索者は、自らの身体を肉壁にして先生の前へと割り込んだ。
ズドッ、と嫌な音が赤く染まった街に響く。
胸口を刺し穿った黒い槍は、物理的な破壊以上に、探索者の存在そのものを汚濁させるような理外の狂気を流し込んできた。視界が急速に明度を失い、世界の輪郭が歪んでいく。
その瞬間、急激に意識が薄れていく
視界が歪む
耳鳴り
思考が千切れる
(――まずい)
そう判断した瞬間には、もう「まずい」という言葉すら意味を失いかけていた。
(のこせ…しゅだんを…)
「せんせ……こいつ……ひらけ……」
途切れ途切れの声とともに、探索者は首から千切り取った勾玉を、震える手で先生の手のひらに強く握り込ませた。
そのまま膝から崩れ落ち、探索者の身体がコンクリートの地面へと叩きつけられる。手のひらに残された古風な勾玉だけが、昏い異界の光を弾いて冷たく冴えた光沢を放っていた。
"待って! しっかりして!!"
先生の悲痛な叫びが赤惨な空に響き渡る。だが、どれだけ肩を揺さぶっても、探索者の身体からは急激に温度が奪われていき、肌は冷たく白く変わっていく。刺さったはずの黒い槍はすでに影のように消え去っており、傷跡すらない。
ハッと息を飲んで先生が顔を上げ、周囲を見回す。
先ほどまでそこに佇んでいたはずの少女の姿は、どこにもなかった。まるで最初から存在していなかったかのように、周囲には赤く染まった不気味な街並みと、沈黙だけが広がっている。空間を削り取るような異物は、爪痕だけを残して唐突に消え去っていた。
手のひらの中にある古風な勾玉が、ズキリと微かに脈動する。
まるで探索者の生命の灯火と引き換えにするかのように、先生の手の中で冷たく、けれど確固たる意思を持って鈍い光を放ち続けていた。
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探索者が精密検査を受けて数時間が経った。その体は完全な仮死状態。コールドスリープを行っているかのように体温は極限まで低下し、脳波も心拍も検出限界スレスレの状態で停止していた。
救急救命室のモニターが発する無機質な電子音だけが、静まり返った集中治療室に響く。
『……生物学的には、すでに死亡していると言っても過言ではない』
立ち会った医療スタッフは、青ざめた顔でそう首を振った。どんな先進医療を以てしても、探索者の体を蝕む「冷たさ」の原因を解明することはできない
"…それでも、やるべき事は変わらない。そうだよね"
ベッドの上の冷え切った手にそっと触れ、語りかける。先生は固く握りしめていた勾玉を掌の上で転がす。
その異質な滑らかさを指先で確かめていた時、微かな違和感を覚える。勾玉の片端に、肉眼では見落としてしまいそうなほど極小の穴が空いていた。
気になって爪をひっかけ、少し力を込めて捻ってみる。
パカッ——
軽い音とともに、黒い漆喰のような勾玉の先が精密なパズルのように外れた。空洞になった内部から出てきたのは、固く折りたたまれた一枚の小さな紙切れだった。
"……えぇ……用意周到すぎるでしょ"
広げて目を通した先生の顔から、思わず緊張感が抜け落ちる。
呆れ半分、けれど胸の奥に確かな温もりが宿るのを感じながら、先生は紙切れをポケットに仕舞い直し、立ち上がり、全員の待つ対策室へと向かうのであった。
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シャーレの会議室には、重息するような沈黙が満ちていた。
「結論から申し上げますと、あの塔を2週間以内に破壊しなくてはなりません」
リンは重々しい空気の中、その言葉を紡ぐ。
その言葉を聞いているのはアヤネ、ハナコ、アコ、カヨコ、ユウカ、そして先生の計六人。彼女たちは所属する学園こそバラバラだが、共通点を挙げるならばそれは各校が誇る参謀であり、『秀才』であること。
そしてリンの言う『あの塔』とは、突如としてキヴォトス各所に出現した真っ赤な螺旋状の塔のことを指す。会議室に行く際に目に入った窓からでも視認可能なデカさであり、血のように惨状を呈する空へと刺さる禍々しい柱だ。
「現在、キヴォトスに出現した六つの塔。それらを今から『虚妄のサンクトゥム』と命名します」
リンの説明に伴い、モニターには六つのエリアに突如聳え立った巨大な歪みが映し出される。
「えーと…つまりあれは偽物のサンクトゥムタワーってこと? それならこの空の色もエネルギー体のことも納得が行くけど」
「これを……2週間以内に破壊すると…?」
ユウカとアヤネの発言に、リンは「えぇ」とひと言だけ同意し、状況の説明と目下の目標を話し出す
ティーパーティーとシスターフッドが協力し、古書館から発見したデータにあった名前。更にそんな色彩がもたらしたタワーから放たれた光には、精神を錯乱させる効果があるとミレニアム陣営からの報告があったこと
ついでに約300時間後に臨界点に到達し、キヴォトス全域にそれが広がる時間制限付きで
「まとめますと、『虚妄のサンクトゥム』はこのままでは約2週間後に臨界点到達の見込みになります」
「そうなったら…」
「世界は終焉を迎える…全てが終わりですね」
「…探索者さんがいれば…」
ふと誰かがポツリと呟いた。それが誰だったのかは誰にも分からない。
けれど、その言葉は会議室にいた全員の胸に、冷たく刺ささった。政治の裏をかき、カイザーの鼻を明かし、どんな汚い泥の中でも不敵に笑っていたあの人間。横柄で、口が悪くて、けれど誰よりも冷徹に現実を打ち破ってきた「大人」の不在が、あまりにも重く圧しかかる。
あの人間がいれば、この常理を外れた状況に対してだって、眉一つ動かさずに回答を返してくれたのではないか。
世界が終わると告げられても、いつものように「労働基準法が仕事してないんですが」とくだらないブラックジョークと文句を言って
そして最後には、
「まあ、よくあることですよ」
とでも言うように、完璧な解決策をテーブルの上へ放り投げてくれたのではないか。
「───『虚妄のサンクトゥム』は、計6か所存在します」
静寂を破ったのは、ヒマリの事務的な声だった。彼女は淡々と車椅子を操作しながら、会議室のメインモニターにキヴォトス全域の立体マップを投影する。
「アビドス砂漠、D.U.近郊の遊園地、ミレニアム郊外の閉鎖地域、トリニティとゲヘナの境界付近、ミレニアム近郊の新しい土地───そして、D.U.の中心地点」
赤く明滅する6つの座標。血のような空から降り注ぐ歪みが、まさにその地点を中心に街を侵食していることを示していた。
「『虚妄のサンクトゥム』を守っている存在───あれらは今までキヴォトスに出現した、奇怪な現象の全てが凝縮されているのです」
ホログラムの表示が切り替わり、幾重にも重なる巨大な脅威の影が浮かび上がる。
「デカグラマトンの預言者、トリニティの複製、そして先日ミレニアムの廃墟で発見された『Divi:Sion』…そう───」
ヒマリの声は静かだったが、そこに込められた事実はあまりにも重かった。
「デカグラマトン第3の預言者『ビナー』」
「スランピアに複製されたアミューズドール『シロ&クロ』」
「『聖徒の交わり』───『ヒエロニムス』」
「デカグラマトン第4の預言者『ケセド』」
「デカグラマトン第8の預言者『ホド』…」
一つひとつ名が挙がるたびに、画面に映し出される厄災の影。
"…なるほど、そういうことなんだね"
静かに画面を見つめていた先生がぽつりと呟く。その言葉を受け、ヒマリが車椅子の上から淡々と頷いた。
「…先生は彼らをご存じなのですね。それぞれの守護者を倒さなければ『虚妄のサンクトゥム』を破壊することは出来ません」
「…まぁでも、要は各地の守護者を倒せば万事解決なのよね?」
呆れたように息を吐きながらも、アコが状況を端的に整理する。
「そういう事ですね。時間も無いですから、すぐにでも準備を───6つのエリアを同時攻撃…連合作戦を想定して動きましょう」
「そうだね。時間も限られているし」
頷き合う面々に対し、それまで静かに思考を巡らせていたモモカが、諦めたような、けれど鋭い口調で介入した。
「やる気があるのは分かったけどさ、ちょっと話聞いて?」
モモカは画面の端に表示された不穏な熱源反応を指差す。
「この作戦を進行するなら、各自治区の市民や生徒の避難先の確保、それと同時に自治区の治安維持もしなきゃいけなくなるんだよ」
敵は守護者だけじゃない。さっきまで街で遭遇したような理外の異形や、暴走した無人兵器が各地に出現している。戦い慣れた生徒たちならいざ知らず、戦う力を持たない市民にとっては十分生命に関わる脅威だった。
『それについてはご心配なく』
通信ウィンドウから、威厳に満ちた聞き覚えのある声が響く。
『各自治区の治安維持は私達が対応いたします。───これこそが本来、私達の務めですので』
画面に映し出されたのはトリニティのナギサだった。彼女は穏やかな、けれど揺るぎない表情で画面の向こうから告げる。
『異論はありませんよね、ミカさん、セイアさん?』
『あははっ♪ま、そんな感じで任せちゃってよ☆』
通信の奥から、弾んだミカの声が割り込んでくる。
『今回はちゃーんと大人しく、ナギちゃんとセイアちゃんが言う通りに動くからさ。トリニティの方は心配しないで』
続けて通信から聞こえてくるティーパーティーの面々の声。それを皮切りに、通信画面には次々と各学園の重鎮たちが顔を並べ始めた。ゲヘナからは風紀委員会、レッドウィンターからは事務局、百鬼夜行からは陰陽部───キヴォトス全土から、シャーレと先生を支える支援の声が怒涛のように寄せられていく。
「全ての作戦は、先生を中心に展開します」
リンが重々しく全軍の指揮権を先生へと委ねる。
"うん、分かった。でも…一つだけお願いがあるんだけど"
「なんでしょう?」
覚悟を決めた先生の言葉に、リンは少しだけ不思議そうに首を傾げた。先生は胸ポケットから、死に際に託していった『黒い勾玉』を静かに取り出し、卓上に置く。
"一つだけ大きな賭けをしたいんだ。失敗すれば24時間失うけど…"
一度言葉を切り、先生は集まった参謀たちの顔をまっすぐに見つめ返した。
"成功すればこの作戦が大きく動くかもしれない"