「……聞かせてください。その賭けの内容を」
リンが真摯な眼差しで促す。
"それは良いんだけど…その前に聞いてもらいたいことがあるんだ"
そういうと先生は、あの黒い勾玉の中から出てきた小さな手紙の内容を語り始める。
『これを見ている誰かへ。
この勾玉を拾った、もしくは託された誰か。多分、先生がこの状況を打開するのに一番可能性が高い。だからこれを手渡してほしい。
そして先生。これを見ているということは、私は死んでいるか意識不明の状態となっているだろう。
そして世界が滅びそうになっているはずだ。
もし世界が滅びそうじゃないなら、戯言と思ってこの紙は捨てておいてくれ。
でも、もし世界の危機なら——うちのカジノに行き、支配人に「K案件だ、私の自室に入らせてくれ」と言ってくれ。そう言えば、先生なら入らせてくれるはずだ。
そこにある机の引き出しの裏にある穴に、シャー芯を刺せ。二重底になっているから、中に紙が入っている。
そこにある座標へ向かえ。
同行者はハッカー(リオが好ましい)、ゲーム開発部の誰か、ホシノ、カヨコ、そして先生だ。本来なら…ミカも欲しいが、恐らくこの状況では読めない。動向はそちらの判断に任せる』
読み上げる先生の声が静かな会議室に響き渡る。狂気とも思える徹底した先回り。己の死すら「予定調和」として盤面に組み込んだ、あまりにも探索者らしい手紙の文面に、居合わせた全員が息を呑んだ。
「……ハッ、本当に……どこまでも、どこまでも人を食ったような人間ですね」
アコが頭を押さえて深く、深く溜め息を吐く。
「自分の命すら捨て駒にして、裏の裏まで仕込みをしておいたというのですか……?」
「……違うと思う」
カヨコの一言に、アコが顔を上げる。
「え?」
「あの人は、自分を捨て駒にしたんじゃない」
先生は手の中の勾玉を見つめ、静かに言葉を重ねた。
「自分がいなくなる可能性を、最初から計算に入れていただけだと思う」
「……」
「死ぬつもりだったわけじゃない。絶対に生きて戻るつもりだった。でも、万が一自分が動けなくなったとき、世界が詰んでしまわないように……その時のために、次の手を残していたんだと思う」
カヨコが自分なりの推論を口にし、そして先生は、小さく息を吐く。
"……本当に、嫌になるくらい準備がいいよね"
「……まったくです。自分一人で全部背負い込んで、倒れてなお私たちを動かそうなんて……生意気で、本当に癪に障る人ですね」
アコは毒づきながらも、どこか憑き物が落ちたように小さく微笑んだ。
「でも、それだけの理由と用意があるのなら……その『賭け』、乗る価値は十二分にありそうです」
アヤネもその言葉に同意し、
「ええ。24時間というコストは決して軽くありませんが、あの人が遺した最後の隠し札なら……この詰みかけた盤面を引っ繰り返す決定打になるかもしれません」
「決まりですね。では、指定されたメンバーの手配はシャーレと連邦生徒会で速やかに行います」
ハナコは一度だけ、先生の手の中にあった黒い勾玉へ視線を落とした。
「……先生。どうか、無事に戻ってきてくださいね」
ハナコの言葉を受け、先生はポケットに勾玉と手紙を仕舞い込んだ。
"ありがとう……それじゃあ、ちょっと隠し金庫を暴きに行ってくるよ"
──────────────────────────
探索者が経営するカジノ。
赤い空の下でも変わらず厳格な重厚感を漂わせるその館の入口には、招かれたメンバー——カヨコ、ホシノ、モモイ、ミドリ、そしてリオを引き連れた先生の姿があった。
「うわぁ……ここが例のカジノ? なんだか大人な雰囲気がすごすぎるんだけど……」
「お姉ちゃん、静かに。……緊張感持って」
モモイが周囲を見回しながら気後れしたように呟き、ミドリが低く注意を促す。ホシノはあくびを噛み殺しながらも、その瞳の奥に鋭い光を宿して重厚なドアを見上げていた。
重厚な観音扉の前には、仕立ての良いスーツに身を包んだ黒服の支配人が静かに立っていた。一行が近づくと、彼は一切の無駄がない美しい動作で深々と一礼する。
「……Kシナリオ案件ですね。鍵は開けてあります」
「やっぱり……話が通ってるんだ」
カヨコが呟くと、支配人は冷徹な、けれどどこか寂しげな眼差しで先生を見つめた。
「オーナーからは常々言い渡されておりました『もし私が倒れた場合、そして私が危ないと判断し『Kシナリオ』と口にした場合、先生を一切の疑義を挟まず自室へ案内しろ』と……どうぞ、奥へ」
支配人が静かに扉を押し開けると、豪華絢爛な内装のカジノフロアが広がっていた。だが、そこに客の姿はなく、静まり返った重厚な空気だけが漂っている。
一行は支配人の先導に従い、奥にあるオーナー専用の執務室へと足を踏み入れた。
中は思っているよりも豪華という感じではなく、無機質なコンクリートが剥き出しの部屋。強いて言うならばモニターの数が多いことが挙げられるだろう。
「うげ……外のカジノがあんなにキラキラだったのに、部屋の中はすっごく地味……っていうか、なんか怪しい秘密基地みたい」
モモイが思わず声を漏らし、室内の無機質な空間を見回す。
本棚には背に各学園の名前が記され、精密にプロファイリングされた膨大な資料などが几帳面に並べられている。ゲヘナ、トリニティ、ミレニアムはもちろん、アビドスや SRT、レッドウィンターや山海經。果ては裏社会の組織やカイザー・コーポレーションに至るまで、彼がどれほどの時間と手間をかけてこの街の情報を収集し、分析していたかがひと目で窺えた。
「……うわぁ、見てこれ。うちの部活のことまで細かく書いてあるんだけど……『ゲーム開発部:トラブルメーカーで何をしでかすか分からない。Lessonに向いているか?』だって…」
ミドリが感嘆と呆れが混ざった溜め息を漏らし、ホシノは目を細めて本棚の最上段を覗き込んだ。
「へぇ……おじさんたちの学校のことも、ずいぶんと詳しく調べてくれてたんだねぇ……ホント、手間の掛かることばかりする大人だ」
「……この部屋にあるデータ、これ一つでキヴォトスの勢力図がひっくり返るレベルだよ」
カヨコが呟き、リオも上で感心したように顎に手を当てた。
「……これだけの情報を個人の力で蓄積していたのね」
華やかなカジノの真下に隠された、静かな狂気と圧倒的な執念の跡に圧倒されながらも、先生は迷わず部屋の中央にある頑丈なスチールデスクへと歩み寄った。
そして手紙の指示通り、デスクの引き出しの裏側へとそっと手を伸ばす。指先に微かな穴の感触を得ると、持参したシャープペンシルから芯を一本抜き取り、その極小の穴へと迷わず突き刺した。
カチリ——
硬質な機械音が部屋に響き、引き出しの底部が静かにスライドして二重底の隠しスペースが姿を現した。
二重底から現れた一枚の紙と鍵。そこに記されていたのは、几帳面な字で書かれた無機質な数字の羅列だった。
そして、その列から少し離れた余白に、意図的に強調された『57.4』という謎の数値。そのすぐ下には、皮肉と信頼が入り混じったような手書きの注釈が添えられている。
『天才の一撃』
「数字の羅列……暗号座標、でしょうか?」
ミドリが身を乗り出して紙を覗き込む。
「でも、この『57.4』と『天才の一撃』って……どういう意味?」
「…上の番号は座標で間違いないとは思うけど…何かの、合言葉かな…恐らくその座標で使うんじゃ?」
カヨコが顎に手を当て、紙に記された数字と不可解な文言を静かに見つめた。
「合言葉……うーん、あの人がわざわざ二重底の中に隠すような言葉だからなぁ。『開けゴマ』みたいな単純な話じゃないよね、絶対」
リオ腕を組み、いつになく眉をひそめて画面と紙交互に見つめていた。
「……この『57.4』という単度の数値と『天才の一撃』という不仕付けな単語の組み合わせ……現時点では明確な解が出ないわ」
リオは悔しそうに小さく唇を噛む。
「……この不完全な情報の残し方…文字通りの『現地に行けばわかる』という仕掛けなのでしょう」
「あの万能ハッカーのリオ先輩でも分からないなんて……」
ミドリが紙の数字をもう一度覗き込み、ごくりと唾を呑み込んだ。
「でも、解読できないってことは……現地に行かないと何も始まらないってことだよね。この数字の意味も、そこで何をするのかも」
ホシノが肩をすくめ、銃の安全装置を確かめるようにカチリと音を立てた。
「現地に行けば、嫌でも種明かしが待ってるってわけだねぇ……考えるより、まずは行ってみようよ、先生」
"……うん。この『57.4』と『天才の一撃』の意味、現地で直接確かめに行こう"
先生の言葉に全員が強く頷き、一行は暗号の示す座標へと足を踏み出すのだった。
目的の座標は、トリニティ地区の住宅街に佇む、どこにでもある普遍的な一軒家だった。
見過ごしてしまいそうなほど周囲に溶け込んだその建物の玄関には、二重底に収められていた鍵が驚くほど滑らかに噛み合った。
だが、重厚な扉を開けて足を踏み入れかけた一行は、全員がその場で息を呑むことになる。
「……うわぁ。外観は普通の家なのに、中身は全然普通じゃない……」
モモイが引きつった声を漏らした。
ドアの向こうに広がっていたのは、生活感など欠片もない一面のコンクリート空間。壁も天井も補強された灰色の壁面に囲まれ、部屋の中央、殺風景な床面には地下へと続く重厚な金属製のハッチがひとつ、静かに鎮座していた。
「外観を偽装した地下施設へのエントランス……」
ミドリが警戒しながらハッチの周りを見回す。
「これだけの設備を市街地のど真ん中に極秘で建設するなんて、普通の手段じゃ不可能ね……一体どれだけの資金とコネを裏で回していたのやら」
リオは上からコンクリートの質感を確かめるように視線を走らせ、ため息混じりに呟いた。
「……なるほどね。表のカジノだけじゃ満足できずに、こんな怪しい穴ぐらまで隠し持ってたんだ」
ホシノが呆れたように肩をすくめ、銃を構え直してハッチへと近づく。
「先生、鍵は開いてるみたい……下から何が出てくるか、確かめに行こうか」
カヨコが静かにハッチのレバーへと手を伸ばし、先生の頷きを確認して一気にそれを引き上げた。
重い金属音とともにハッチが開くと、地下へと続く深い暗闇と、冷たく澄んだ機械の駆動音が一行を迎えた。