重い金属ハッチの向こうに現れたのは、地下へと深く滑らかに落ち込んでいくスロープだった。
段差の一切ないバリアフリー設計。もしリオが来ずヒマリ連れた一行でも、滞りなく奥へと進める配慮がなされている。
「スロープ……車椅子でも問題なく降りられるようになっているわね……本当に、どこまで計算しているのやら」
リオはスロープの先を見つめる。
地下へ潜るにつれて、肌を撫でる空気が急激に冷たさを増していった。外の真赤に染まった不気味な熱気とは対照的な、静寂と冷気。コンクリートの壁に足音が重く反響し、一行の緊張感をいや応なしに高めていく。
「なんか……ひんやりしてきたね。エアコンが効いてるとかじゃなくて、地下深く特有の冷気っていうか……」
モモイが自分の腕を擦りながら、小さく身を縮める。
「静かにしてお姉ちゃん……」
ミドリが警戒を怠らず、武器を握る手に力を込めた。
「……これだけの深さまで掘り進めているとなると、上の『ただの一軒家』は完全に偽装だね。防音と耐震、それに外部からの走査も遮断する構造になってる」
カヨコが壁面に埋め込まれた特殊な緩衝材を目ざとく見つけ、低い声で分析する。
「へぇ……おじさん、こういう秘密基地みたいな場所はちょっとワクワクしちゃうけど……流石に今回は緊張感があるねぇ」
ホシノが目を細め、冷ややかな暗闇の先を睨みつける。
一同が警戒しながら歩いていると終着点であるアラミド複合防壁扉の扉が見える。隣には認識用のタブレットが置かれていた。
『虹彩認証をしてください』
淡い青光を放つ液晶パネルに、無機質な文字が浮かび上がる。
「虹彩認証……? ちょっと待ってよ、そんなのあの本人がここにいないと入れないんじゃないの!?」
「まさか……ここまで来て手詰まり? あの人、自分以外の認証データを登録してあるようには見えないけれど……」
ミドリも不安げに眉をひそめ、重厚な防壁扉を見上げる。
だが、カヨコは取り乱すことなく静かにパネルへと近づくと、その下部に備え付けられた小さなスロットを目ざとく見つけ出した。
「……ううん、たぶん大丈夫。パネルの横、見て」
カヨコが指刺した先には、光学センサーのすぐ隣に、カードキーや外部デバイスを接続するための小さな端子がひっそりと設置されていた。
「認証スキップ用の物理ポート……ね。ハッキング出来る?」
「ええ、もちろん。この程度のハックなら造作もないことよ」
リオをパネルの前まで進めると、自分の持ってきたパソコンへ伸びるコードを迷わずそのポートへと差し込んだ。
ピコン——
接続された瞬間、パソコンの画面に短いシリアルコードが走り、リオが操作した瞬時に緑色の承認シグナルが点滅する。
『マスターキーを認識。虹彩認証をバイパスします——Welcome』
だが、その色は突如として禍々しい赤へと変わった。
ブザー音が静寂な地下空間に低く重く鳴り響く。
『エラー:生体反応の不一致。ゲストの虹彩認証を要求します』
「なっ……!? 緑色に光ったじゃん! なんで赤になるの!?」
モモイが思わず叫び、身を乗り出す。
「……マスターキーの権限自体は通ったはず……! なのに、強制的に生体認証の要求へと割り込まれた…!?」
「……なるほどね。二重のセキュリティってことか」
カヨコが目を細め、赤く明滅するパネルを見つめる。
「ハッキングを行える『誰か』が侵入することは織り込み済み。でも、最後の扉だけは……本人の生体データがなければ絶対に開かない仕組みになっている」
「ちょっと待ってよ……それじゃ完全に手詰まりじゃん!」
モモイが頭を抱えた。本人は今、仮死状態となって倒れているのだ。この場に連れてきて認証させることなど、どう考えても不可能だった。
"いや…多分違うよ"
先生は確信を持って目を判別機械へと通す。
あの人ここまで綿密な準備を重ね、自分の不在を想定した手紙まで遺しておいて、最後にこんな「詰み」を残すはずがない。絶対に、別の抜け道が用意されているはずだった。
「先生……? 何か気づいたの?」
"見てて"
先生が虹彩をカメラに通すと
『Welcomeゲスト様。探索者様からの贈り物はありますか?』
機械的な電子音が静寂を切り裂き、パネルの画面に新たな入力画面が浮かび上がった。
「えっ……!? 認証された……の? っていうか、ゲスト様!?」
モモイが驚きのあまり叫び声を上げる。
「探索者様からの贈り物……? 先生、それって……」
"勾玉っぽいけど…どこにもハメる所がないね…"
先生は手の中にある黒い勾玉を見つめながら、困惑気味に首をひねる。パネルの周りを見回しても、凹みやスロットらしきものはどこにも見当たらなかった。
「ハメる場所がない……? じゃあ、一体どうやって渡せばいいのよ!?」
モモイが頭を抱えてパネルに顔を近づける。
「……待って。物理的に差し込むんじゃないのかも、音声認識じゃない?」
「あー!さっきの『57.4』と『天才の一撃』!」
モモイがポンと手を叩き、大発見をしたかのように目を輝かせる。
「絶対それだよ! あの紙に書いてあったやつ! 合言葉ってそういうことだったんだ!」
「いきなり大声出さないでよ……でも、確かに筋は通ってるかも。音声入力のトリガーなら、物理的なスロットが無くても納得がいくし」
ミドリが耳を押さえながらも、感心したように頷いた。
「なるほどねぇ。暗号座標とセットで書いてあった言葉……ここで使うためのパスコードだったってわけだ」
ホシノが手元のショットガンを抱え直しながら、どこか感心したように目を細める。
カヨコもパネルの横に配置された小さなマイク孔を目ざとく見つけ、静かに息を吐いた。
「……パネルの横に集音マイクがある。先生、試してみる価値はあると思う」
先生は手の中の勾玉を握り直し、パネルのマイクへ向かってゆっくりと口を開いた。
"……57.4、天才の一撃"
静寂が地下空間を包み込む。
次の瞬間——パネルのマイク孔が淡い青光を放ち、機械的な電子音が小さく響いた。
『コード認証。この単語に心当たりはありますか?正直にお答えください』
予想外の問いかけがスピーカーから投げかけられ、その場にいた全員の動きがぴたりと止まった。
「……は?」
モモイがぽかんと口を開け、マイク孔を二度見する。
「なになに!? パスワード言ったら『心当たりありますか?』って聞き返されたんだけど!? どういうこと!?」
「静かにしてお姉ちゃん…システムが応答を待ってる」
ミドリが警戒を強めながらも、困惑したように眉をひそめた。
「心当たり……って言われても、これは二重底の引き出しから出てきた紙に書かれていただけですし……」
リオが顎に手を当て、パネルの画面を鋭い目で見つめる。
試すような電子音が、静かにチクタクとカウントダウンを刻み始める。
先生は手の中の勾玉を握り締め、真っ直ぐにマイク孔を見つめた。
"……心当たりなんて、ないよ"
先生はブレない声で、はっきりとそう告げた。
"あの人が何を思ってこの数字と言葉を残したのか、本当の意味なんて本人にしか分からない……でも、だからこそ、ここにある答えを確かめに来たんだ"
静寂が地下空間を支配する。
数秒の沈黙の後——マイク孔の青い光が強く明滅した。
『第一認証クリア。続けてもう一つ質問にお答えください』
『貴方の母親と恋人が悪党につかまり一人しか助けられない①母親②恋人どちらを助ける?』
唐突にスピーカーから響いた、あまりにも不条理で古典的な究極の二択。
「はぁぁぁあ!? 何なのその胸糞悪い質問!?」
モモイが思わず頭を抱えて叫び声を上げた。
「母親か恋人……? どっちか一人しか助けられないなんて、そんなの選べるわけないじゃん!」
「落ち着いてお姉ちゃん! ……でも、確かに酷い質問…」
ミドリも不快感を露わにし、警戒するようにパネルを見つめる。
「トロッコ問題の変形……倫理観のテスト?」
カヨコが眉をひそめ、冷ややかな声で分析する。
「自分の身内か、それとも未来を共にする伴侶か……利害と感情、倫理が複雑に絡み合う実に悪趣味な問いね」
リオは顎に手を当て、試すような視線を先生へと向けた。
「……おじさん、こういうの嫌いだなぁ。どっちを選んでも後味が悪いやつでしょ」
ホシノが呆れたように溜め息をつき、銃を抱え直す。
『制限時間、3分。①母親、②恋人、回答してください』
無機質なカウントダウンの電子音が、冷たい地下空間にチクタクと刻まれ始める。
あの人間なら、この二択に対してどう答えるか。冷徹で、合理的で、裏の裏まで計算し尽くす人間。命を天秤にかけるような状況で、あの人が選ぶ「解」とは——
先生は手の中の勾玉を強く握り締め、真っ直ぐにマイク孔を見つめた。
"……③『両方助けるために、悪党の頭を真っ先に撃ち抜く』だ"
先生の答えに、モモイとミドリが目を見開く。
"あの人は、提示された二択のルールにそのまま乗っかるような奴じゃない。選択肢の中に答えがないなら、盤面そのものをぶち壊して全員救う方法を無理やりにでも引き寄せる……そういう人だ"
"多分あの人なら、その強盗のことも全部調べてる。物理的に2人が助けられないほど遠い場所でも他人を頼って、必ず全員が助かる道を諦めない。諦めるのは最後の切り捨てる時だけだ"
チク——タク——
緊迫したカウントダウンの音が、ピタリと途絶える。
次の瞬間、パネルのマイク孔が激しく青く明滅し、地下空間に機械的な電子音が鳴り響いた。
ピコン——!
『回答ログを照合……探索者の思考ロジックおよび行動パターンとの一致率95.8%。「正解」と判定します』
『全セキュリティプログラムを停止。『J社の錠前』を『F社の鍵で解錠』『TT2プロトコル起動。時間を減速』プロトコル《Kシナリオ》最終段階を起動——Welcome, Sensei』
エラーを告げていた赤と青の光が一瞬で消え去り、パネル全体が澄み切ったエメラルドグリーンへと一変した。
ズズズズ……!
足元を揺らすほどの重厚な作動音が反響し、分厚いアラミド複合防壁扉がゆっくりと左右へスライドし始める。
開放された扉の奥から押し寄せてきたのは、肌を刺すような冷気と、壁一面に張られた紙の数々。壁を埋め尽くす大量のメモや資料、そして本棚には見たこともないような古びた本が所狭しと並んでいた。
「……うわぁ……」
モモイが息を呑み、絶句する。
「なにこれ……ここ、秘密基地っていうより、昔の学者の書斎みたい……」
ミドリが警戒しながらも、壁に貼られたびっしりと書き込まれた手記や幾何学模様の図面を見上げる。
「ミレニアムの近代的なデータセンターを予想していたのだけれど……これはまた、随分と古風で、怪しげな収集癖ね」
リオも足を進め、本棚の背表紙に並ぶ禍々しくすらある装丁の古書群に視線を走らせた。
「……ただの古本じゃないね。怪異、伝承、不可解な現象に関する記述ばかり……裏ではこんなものを集めて調べていたんだ」
カヨコが眉をひそめ、冷たい空気の満ちる部屋の資料に触れる。
だが、無数にある資料や本の中でも、一番に全員の目を惹きつけたのは——部屋の中央に置かれた重厚な机の上に、ぽつんと鎮座する一冊の重厚で分厚い本だった。
皮塗りの表紙には、掠れた文字でこう刻まれていた。
『クトゥルフの日記に碌なもんはない』