(やっぱり……私達、要らないんじゃない……?)
言葉にこそ出さないものの、先生を含めた全員の心が完全に一つになっていた。
それもそのはずである。先ほどから湧き出てくる異形の敵勢力は、姿を見せた瞬間にヴァイスアッシュの杖の一振りと、カーリーの大剣から放たれる圧倒的な一撃によって、文字通り「スクラップ」へと姿を変えている。
かつてエデン条約を絶望に染め上げ、あの探索者ですら死力を尽くして苦戦していたユスティナ聖徒会の亡霊たちに至っても、彼らが通り過ぎる際の外圧だけで一瞬にして霧へと変わり、影も形もなく四散していく。
(……なんか探索者ちゃんがあれだけ恐れていた理由が分かるなぁ……)
ホシノはそんな中であの日、月明かりが照らす砂漠で探索者と交わした夜の会話をしみじみと思い出していた。
「……ねぇ、ミドリ」
「なに、お姉ちゃん……」
「私たち、弾薬の無駄遣いどころか、戦闘すらなさそうなんだけど……」
「…皆薄々気づいてる事だよ」
ゲーム開発部の姉妹がひそひそ声で肩を寄せ合い、ガタガタと震える。カヨコはハンドガンを腰のホルスターに戻し、諦めたように天を仰いで深々と息を吐いた
「これなら目的地までの移動時間は大幅に短縮できそうね……もっとも、私たちの存在意義が問われる事態ではあるけれど」
恐ろしいスピードで「掃討」されていく姿を眺めながら、リオは引きつった笑みを浮かべている。
「まぁ、そんなモンさぁ。アイツの言葉を借りるなら『構えている時に死神はこねぇ』らしいからなぁ」
「……これほど歯ごたえがないと、準備運動にすらならん」
不滅の兎と赤髪の戦士は、一切の足を緩めることなく、ただの散歩のような足取りで惨状を進んでいく。
戦術的な連携も、防衛陣形の構築も、彼らの圧倒的な「存在の質量」の前には何の役にも立たなかった。立ちはだかる脅威のすべてが、まるで枯れ葉のように踏み荒らされ、破砕され、吹き飛んでいく。
そんなこんなで、リオの予想ではどれだけ上手く行ったとしても1時間はかかると仮定されていた探索者が入院している病室まで——わずか10分。
「は、速すぎる……! 移動時間しかかかってないじゃん……!」
モモイが呆然と呟き、ミドリも力なく頷いた。
「……本当に、ただ小走りしてきただけね」
「ここかい? あの馬鹿が眠ってるってのは」
ヴァイスアッシュが極太の指で扉を指さしながら、低く重い声を響かせる。
"え、ええ。そうですね……って?"
返事をしかけた先生は、ふと違和感を覚えて視線を遮るように首を傾げた。
病院の外部、入り口近く。そこに、キヴォトスのどの学校の制服とも異なる、見覚えのない二つの人影が佇んでいたからだ。
一人は、小さな体躯に鮮やかな金髪を揺らし、燃えるような赤いローブを身に纏った人物。
そしてもう一人は、整った佇まいで凛と立つ、深い青色の軍服を着た人物。
"誰だろう……"
先生は思わず呟く。キヴォトスにいるすべての生徒の顔と名前を把握している自負がある先生だからこそ、その二人が「この世界の生徒ではない」ことを瞬時に見抜いていた。
「ん……? 先生、どうかしたの?」
ホシノが先生の視線を追い、不思議そうに目を細める。
「なになに、また不審者!?……って、なんかすごくファンタジーな恰好の人と、かっこいい軍服の人がいるんだけど!?」
モモイが指をさして声を張り上げ、ミドリが「失礼でしょ!」と慌てて引き留める。
カヨコがその二人を凝視し、冷や汗を拭いながら低く呟いた。
「……恐らく」
「あぁ、嬢ちゃんの予想通りかもなぁ?」
ヴァイスアッシュはドスの利いた声で追認すると、カーリーと共に悠然とした立ち振る舞いで、病室の前に佇む二人物へと近づいていった。
「お前さんら。関係者かい?」
巨躯の兎が肩に担いだ杖を鳴らし、圧迫感のある重低音で問いかける。
「デッケ!? う、兎!?」
赤いローブの少年は飛び上がるように目を見開き、素っ頓狂な声を上げた。その隣で、青い軍服を着た男がすかさず眉をひそめ、少年の頭を軽く小突く。
「鋼の、辞めんか……失礼。関係者というのは?」
軍服の男は視線を上へと巡らせ、ヴァイスアッシュの異様な威容に圧倒されつつも、鋭い眼光を崩さずに問い返した。
「言葉通りの意味さ……おいらたちと同じあの『バカ弟子』の関係者だろ?」
「…」
軍服を着た男は少し思考し、その言葉の意味と思惑に静かに考えを巡らせていた。
その間も、背後では赤いローブの少年が「おいおい、ウサギが喋ったぞ! しかもめちゃくちゃデカい! 」と隣で騒ぎ立てているが、彼はそれを一切意に介さず、ヴァイスアッシュとカーリーの佇まいを冷静に見定めている。
「……なるほど。そういうことか」
やがて男は納得したように細く息を吐くと、軍服の襟元を正し、鋭い眼光のまま口元を緩めた。
「…恐らく我々と同じこの世界では無いところで生きてきた方々ですね」
「ま、そういうことだなぁ。その共通点といゃあ、よくわからん小僧を抱えていたことだろうさ」
ヴァイスアッシュはドスの利いた声で笑い、太い腕を組んで鼻を鳴らした。
「小僧? 俺たちが出会ったのは女だぜ?」
少年が怪訝そうに眉をひそめ、赤いローブの裾を払いながら声を上げた。
「あれは男だ。本人にもそう言われている」
軍服の男が、即座に呆れたような溜め息を吐きながら短く訂正する。
「はぁ!? でも見た目は完全に女の子だったろ! ……まさか、あいつまた何か隠してやがったのか?」
「彼にも色々と事情があったそうだ」
「男だの女だの、どっちでもいいだろ。おいらに言わせりゃ、どっちにしろ肚の座ってねぇ半端モンには変わりねぇや」
「……全くだ。男だろうが女だろうが、叩き直す手加減に変えるつもりはない」
カーリーが背中の大剣を軽く揺らし、静かな威圧感を漂わせる。
「…とりあえず、味方ということで宜しいですかね?」
軍服の男からの問いかけに、ヴァイスアッシュは鼻で「けっ」と笑い、太い腕を組み直した。
「あぁ、そういうことだなぁ。オイラはヴァイスアッシュ。『旦那』だ」
「カーリー『姉御』だ」
「私はロイ・マスタング。彼からは『大佐』と呼ばれていました」
軍服の男——マスタングが手袋をはめ直しながら静かに名乗ると、隣の赤いローブの少年が「へいへい」と投げやり気味に手を挙げた。
「…俺はエドワード・エルリック。あいつには『おチビさん』だの『弟』だの好き勝手呼ばれてた」
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病院の廊下には、尋常ではない凄まじい圧力が立ち込めていた。
なにせ、別の世界の「最強」たちが4人も並んでいるのだ。
概念すら粉砕する不滅の兎・ヴァイスアッシュ
圧倒的な暴力と剣技で戦場を支配する赤い霧・カーリー
戦場を灼熱の焔で焼き尽くす焔の錬金術師・ロイ・マスタング
そして、幾多の死線を潜り抜けてきた鋼の錬金術師・エドワード・エルリック
ただ立っているだけでも空気がミシミシと歪み、廊下の蛍光灯がチカチカと不穏に明滅する。
まさに院長回診どころの騒ぎではない。
重病人が見たらその圧力だけで三途の川を引き返してきそうなほどの過剰戦力である。
仮に今この廊下に突撃してくる敵がいたとしたら、病室のドアノブに手が届く前に三途の川を渡っているだろう。
「……ねぇ先生。おじさん、一応いろんな修羅場を見てきたけどさ」
ホシノが乾いた笑いを浮かべ、額の汗を拭いながら引きつった声を漏らす。
「これ、回診っていうより……年貢の納め時って言った方が正解じゃないかなぁ?」
「同感……医者がこの光景を見たら、卒倒してそのまま隣のベッドに入ると思う」
カヨコが呆れたように溜め息をつき、頭を抱える。
「あはは……探索者ちゃん、起きる前にこの圧力で潰されちゃわないといいけどねぇ」
ホシノが乾いた苦笑いを浮かべ、先生も冷や汗を拭いながら深呼吸をした。
「へっ、ビビる必要はねぇよ。おいらたちの目的は、あのバカの情けないツラを拝むことだからなぁ」
ヴァイスアッシュがニヤリと凶悪な笑みを浮かべ、病室のドアノブをしっかりと握り込む。
「さぁて……覚悟しな、バカ弟子」
ガチャリ、と重厚な金属音が静かな室内に響き渡り、ゆっくりと押し開かれた扉の隙間から、あまりにも物騒な「院長回診」の一行が雪崩れ込んできた。
白いカーテンが微かに揺れる病室の中央。そこに置かれたベッドの上で、探索者は静かに横たわっている。
ピッ……ピッ……ピッ……
静寂を埋めるのは、機械的な心電図の電子音だけだ。バイタルデータは安定しているものの、体温は冷たく、脳波の反応も極めて薄い。
キヴォトスの運命を無視した奇襲を受け、先生を守った英雄は自分の元にどれほど恐ろしい「お見舞い」が押し寄せているかも知らず、ただ呑気に眠りこけている。
「……ハッ、本当に呑気な面して寝こけやがって」
ヴァイスアッシュが極太の腕を組み、ベッドを見下ろして苦々しく鼻を鳴らした。そのドスの利いた声には呆れが入っている。
「…ムカつくな。殴るか」
カーリーもカーリーで、弟子の呑気すぎる寝顔を見つめながら当たり前のように物騒なことを言い放った。背中の大剣へ伸びかけた手を見て、モモイが飛び上がる。
「ちょちょ!?か、カーリーさん!!貴方が殴ったら探索者さん塵すら残らないと思うけど!?」
ミドリも青ざめた顔で「そうだよ! 物理的な攻撃じゃなくて概念ごと消滅しちゃうよ!」と悲鳴を上げる。
「……冗談だ。半分はな」
カーリーは大剣から手を離すと、心底呆れたように鼻で息を吐いた。半分は本気だったという事実が一切笑えないが、ひとまず探索者の存在が消滅する危機は回避されたらしい。
「半分本気なのが一番恐ろしいんだよ……!」
モモイが胸を押さえてその場にヘタリ込み、隣でミドリが「本当だよ……」と力なく肩を落とす。
「…冗談にしても物騒です。だが、言わんとすることはわかります。これだけの騒ぎを引き起こしておいて、本人は高枕で夢の中とはいいご身分と」
マスタング大佐が苦笑交じりに手袋を弄ると、隣でエドワードがニヤリと悪ガキのような笑みを浮かべ、両の掌をポンと打ち鳴らそうとした。
「……錬成で冷水バケツの100杯分でも叩き込んでやるか?」
「やめなさい、鋼の……と言いたいところだが、目を覚まさせる手段としては一考の価値があるかもしれんな」
「おいおい、軍隊の坊主どもまで物騒なこと言ってんじゃねぇや」
ヴァイスアッシュが極太の腕を組み、ドスの利いた声でケラケラと笑う。だが、その目元に刻まれた傷跡を歪める笑みは、誰よりも凶悪そのものだった。
「ちぃと外出て耳塞いでな。お前さんらなら耐えれるかもしれんが……ちょいとアンタらには刺激が強ぇかもしれんなぁ……一度この部屋から出てもらえねぇか?」
ヴァイスアッシュのその言葉に、室内の温度が目に見えて数度下がったような錯覚を覚えた。
「え、えっ!? 出るって……何をする気なのさ、兎さん!?」
モモイが思わず声を裏返らせる。だが、リオが、すっと目を細めてゲーム開発部のふたりの前に立った。
「……モモイ、ミドリ。大人しく従っておきましょう」
「リオ先輩……?」
「先生。私たちも外に出ようか」
"う…うん"
先生も頷き、生徒たちを連れてそっと病室のドアを閉める。重厚な扉が重い音を立てて閉まり、廊下に残された生徒たちはリオの言葉通り、恐る恐る両耳を塞いだ。
部屋の中に残されたのは、眠り続ける探索者と、四人の凄絶な師匠たち。
ヴァイスアッシュは太い腕を組み直し、腹の底から膨大な息を吸い込むと、肺が張り裂けんばかりの質量をその胸に溜め込んだ。
そして——
「さっさと起きんかい馬鹿弟子があ!!!!」
ドォォォォン……ッ!!!!
部屋全体が物理的な衝撃波で大きく揺れ動いた。
大音量という概念を遥かに超越した巨大な咆哮。それは音の壁を突き破り、病室の窓ガラスをビンビンと凄まじく振動させ、厚い防音扉を挟んだ廊下にまで強烈な圧となって伝波する。
「ひぃぃぃっ!?」
廊下で耳を塞いでいたモモイとミドリが悲鳴を上げ、思わずその場にしゃがみ込む。リオすらも引きつった顔で冷や汗を流し、カヨコは耳を押さえたまま呆然と扉を見つめていた。
その大声が止むと、先生たちは静まり返った病室へ戻った。
室内は嵐が過ぎ去ったあとのような静けさに包まれていた。探索者は相変わらず目覚めていなかったが、モニターに映し出される脳波には明確な起伏が生まれている。
冷え切っていた探索者の指先が、微かに、ぴくりと跳ねる。
脳波の起伏はさらに大きくなり、冷え切っていた身体にも、少しずつ熱が戻っていく。
ピッ……ピッ……
やがて、その間隔が少しずつ縮まっていく。
ピッ、ピッ、ピッ。
ベッドに横たわる探索者の胸が、大きく上下した。
「………ん……おき…れた…か?」
かすれきった小さな声が、静寂の広がる病室にポツリと落とされた。
弱々しく開かれた視界の先に映ったのは、安堵の表情を浮かべる先生や生徒たちの姿——そして、その背後で圧倒的な威圧感を放ちながら仁王立ちする「四人の師匠」たちの姿だった。
「……ハッ、ようやくお目覚めかい、バカ弟子が」
ヴァイスアッシュが極太の腕を組み、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべて鼻を鳴らす。
だが、死の淵から這い上がってきたばかりの弟子は、その凶悪な笑みも、周囲の安堵の表情も視界に収める余裕などないようだった。重い瞼をうっすらと開けたまま、焦点の定まらない瞳で天井の蛍光灯をじっと見つめている。
「…………」
静寂の中、かすれた呼吸音だけが小さく響く。
「先生。申し訳…ないんだけど……電気を…消してくれない…?」
"えっ? 電気…? 良いけど…"
突然の頼みに先生は一瞬首をかしげたものの、言われるがまま壁のスイッチへと手を伸ばした。
パチン。
軽快な音と共に部屋の照明が落ち、昼下がりのカーテン越しに差し込む薄暗い光だけが病室内を包み込む。
その瞬間——
「"門の創造"!!!!」
ベッドの上の探索者が、病身とは思えぬ素早さで一瞬のうちに魔術を行使した。
ベッドの真下の空間が歪み、シーツを切り裂くようにして漆黒の「門」が開く。
夢か現かなどどうでもいい。あの狂暴極まりない師匠たちが勢揃いしている空間から、一刻も早く全力で逃亡を試みたのだ
だが。
ガシッ!!
「グエッ!!!」
闇の中へと完全に沈みきる直前、探索者の首根っこが、まるで仔猫の襟首のように強力な力で掴み上げられた。
逃げた門に手を伸びていたのは、毛皮に覆われた極太の腕。そのまま勢いよく引きずり戻された探索者は、病室の空間へと無慈悲に引き戻される。
「おいおい、オイラ達を見て逃げるたぁいい度胸じゃねぇか? あぁ?」
ヴァイスアッシュは凶悪な笑みを浮かべたまま、未だに探索者の襟首を片手で掴んでいる。
「ぐび…じまっでまふ……じんでじまいまふ……」
「あ?聞こえねぇなあ?」
「き゛こ゛え゛て゛る゛て゛し゛ょ゛お゛ぉ゛…」
首根っこを掴まれたまま、空中でミミズのように蠢く探索者は情けない声を絞り出したのだった。