「はい、これ。作戦計画書」
机の上に、分厚い書類の束が重々しい音を立てて置かれた。
「皆さんに協力して頂いて、作成したものです」
リンが眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、静かだが決意の籠もった声で告げる。
「作戦名は───『アトラ・ハシースの箱舟占領戦』」
「……恐らく、これが最後の計画となるでしょう」
書類の表紙に躍るその文字を見つめながら、探索者は重苦しい溜息を一つ吐き出し、ベンチに深く身を預けた。
連邦生徒会から渡されたその計画書には、キヴォトスを救うための最終作戦の詳細が、余すところなく記されていた。
あの日、あの異空間で『シロコ』と遭遇し、彼女についての情報交換をアビドス対策委員会の面々と終えた直後のことだった。ようやく第六サンクトゥムの脅威が去り、平和を取り戻したかに思えたキヴォトス全域で、再び異常なエネルギー反応が感知されたのだ。
場所こそ違えど、あの不気味な塔が再び各地に現れるという絶望的な知らせ。
調査の結果、キヴォトス中で発生している狂乱のエネルギー——そのすべての発生源が、遥か上空に存在していることが判明した。原因が分かった以上、一刻も早く現地へ殴り込みたいところではあったが、問題はその「上空」という数値だった。
高度75,000メートル。
もはや空というよりは、ほぼ宇宙と言っていい領域だ。あまりに規格外な数値に、探索者たちをはじめとする関係者はその対処法を巡って頭を抱え、苦悶の表情を浮かべていた。
そんな中、いつの間にか姿を消していた先生が、何か確信を掴んだような顔付きで戻ってきたのだった。上空に浮かぶ物体の正体、そしてそれに対抗できる決定的な存在の名を携えて。
そこからの動きは早かった。
対抗策となる『アトラ・ハシースの箱舟』、そしてそれと対をなす『ウトナピシュテムの本船』を捜索すべく、探索者たちは灼熱のアビドス砂漠へと足を踏み入れた。広大な砂の海をかき分け「鍵」を掘り起こし……今、こうして最終ミーティングの場に集っている。
「……では、作戦の説明に移ります」
リンが指示棒でモニターを指し示し、張り詰めた空気の中で毅然とした声を響かせた。
「私達の目標は、キヴォトス上空にある『アトラ・ハシースの箱舟を破壊する』事」
「無事破壊出来れば、『虚妄のサンクトゥム』の出現を阻止出来ます」
「しかし、箱舟は物理的な介入を無効化する『状態の共存』によるバリアで保護されています」
最大の障壁は、まさにその一点だった。あの巨大な黒い球体——あれは単なる装甲などではなく、バリアそのものだ。しかも、多世界解釈だの多次元解釈だのが絡み合った、恐ろしいほど厄介な性質を孕んでいる。
「このバリアが存在する以上、箱舟に対しての物理的なアプローチは不可能とされてきました───ですが」
「『ウトナピシュテムの本船』を同様の状態にすれば、理論上はバリアを通過する事が可能です」
「要は、相手と同じ存在になったら、干渉出来るって事〜」
「その為の計算は、私がこの船の演算装置を用いて進行する予定です」
「……計算に失敗したら?」
誰かが小さく飲み込んだ息とともに落とした問いに、室内の温度がすっと下がった気がした。
「……そうですね……万が一、計算に失敗した状態でバリアが展開されている空間に進入した場合───」
リンが言葉を濁しかけた瞬間、壁に背を預けていた探索者がすさんだ溜息を吐き出し、冷えた缶コーヒーを喉に流し込んだ。
「カプコンヘリと同じ末路を辿る……つまるところ皆で花火体験といったところでしょうね」
死んだ魚のような目で放たれた物騒な例えに、ミーティングルームの空気が一瞬だけ固まった。
「縁起でもない例えをしないでください……」
リンが額を押さえて眉をひそめると、探索者は鼻で小さく笑い、空になった缶を手のひらで弄んだ。
「事実でしょう? それにこの程度でパニックになる人はここには乗ってないですし」
そう言ってぐるりと見回せば、居並ぶ各校の精鋭たちは怯むどころか、腹をくくった不敵な笑みや鋭い眼光を返してくる。この期に及んで足がすくむような器の者は、最初からこの土壇場のミーティングルームには居合わせていない。
「……続けます。失敗の想定をしたところで、不毛ですので」
リンはひとつ小さく息を吐き出すと、咳払いを挟んで意識をモニターへと戻した。
「バリア通過後、箱舟に物理的な衝撃を与え——内部に侵入します」
「無事に侵入出来たら、主要施設のハッキングを行い、これ以上作動しないよう徹底的に破壊します」
「勿論、箱舟内に居る敵から抵抗を受けるでしょう」
"そこで戦闘要員の投入だね"
静かに腕を組んでいた先生が、確信を込めた声で問いかける。
「はい。攻撃を防ぎつつ、箱舟の各エリア内を少しずつ占領、最終的に箱舟の制御権を奪う——それが作戦の最終目標です」
リンの力強い言葉に、室内の緊張感が一段と跳ね上がった。
高度7万5千メートルの大気圏外。失敗すれば即座に塵となる極限の戦地で、敵の本拠地を内側から切り崩す圧倒的強襲作戦。
「…制御権を掌握したら、箱舟自体を自爆もしくは、地上に墜落させる事が可能になるでしょう」
「ええ…箱舟をハッキングし、奪う───それが私達の勝利条件」
「…すっかりサポート型AIじゃない事を隠さないんだな、会長?」
「あっ…」
探索者の冷ややかな指摘に、通信画面の奥で声が詰まった。
「わ、私はサポート型AIで───」
「……」
無言の圧力をかける一同の中、ついに諦めたように画面の表示が切り替わる。
「リオ会長〜〜!?」
「…一瞬でバレましたね」
呆気なく、それもリオにとっては一番正体を知られたくないユウカに見つかり、怒涛の説教を食らうこととなる。
「会長に言いたい事は山程あるけど…そうね、後であの横領の件から事細かくお話を聞かせてもらいますからね!」
「…分かったわ。万が一の場合に備えて、地上に戻る方法を探してみるわ。…勿論、許可してくれるのなら、だけど」
「そうですね、お願いします。船が壊れてしまった場合、私達は箱舟に閉じ込められますので」
「───では、すぐに取り掛かるわ」
エリドゥを、アバンギャルド君を、アビ・エシュフを単独で作り上げたリオなら実現してくれると信じよう。
アユムの報告によれば、サンクトゥムの再出現まで残された時間は約12時間。一日どころか半日しかない。
「何度もシミュレートした結果、成功確率は───」
「なんと、5%もあります」
「勝ったな風呂食って飯入ってくる」
"…5%しかないんだよ?勝利宣言にはちょっと早いんじゃ?"
「何言ってるんですか? 7割よりも信頼できる5%ですよ? 勝ちを確信するに決まってるじゃないですか」
探索者は平然と、それがさも当たり前であるように言い放った。
周囲の人間が「正気か?」というような視線を向ける中、彼はどこまでも大真面目な顔で、堂々と胸を張ってみせる。
「いいですか、世の中の『7割』なんてのは一番信用しちゃいけない数字なんです。『大当り濃厚!』『信頼度70%オーバー!』なんて甘い言葉に踊らされて、どれだけの人間が最後の最後でハズレを引き当て、地獄の底に叩き落とされてきたと思ってるんですか。95%外れる? 違いますね。5%『も』当たりが入ってるんですよ。ソシャゲのSSRピックアップ率を見てごらんなさい、1%以下でも人間は血眼になって引き当てるんです。それに比べたら5%なんて、もはや確定演出みたいなもんですよ」
熱弁を振るう探索者の顔には、歪んだ自信すら漂っていた。
"……いや、例えが全部ギャンブルとガチャなんだけど……"
先生がこめかみを押さえて引きつった笑みを浮かべると、リンも深く溜息をついて眼鏡のポジションを直した。
「……とにかく、その異常な前向きさだけは買っておきます。ですが、数値としての厳しさは変わりません」
「それでは『ウトナピシュテムの本船』を8時間以内に発進出来るよう、準備をお願いします」
リンの指示によって今から8時間後——明日の夜明けに出発する事になった。それまでに各自休息を取ってほしい、とも。
途中、ハナコの言葉を皮切りに始まったオペレーターの衣装に関する話し合い、そして探索者の悪乗りにより、全員の衣装があわや妖精たちが夏を刺激するような、バカみたいに薄着の曲線のような格好にもなりかけたが——なんとかリンの決死の鉄拳と理性が踏みとどまり、事なきを得た。
「それでは皆さん。これより8時間後、夜明けと共に出発といたします」
「それまでに…出来る限り各自、休息を取るようにしてください」
「では、解散します」
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ミーティングルームを後にした探索者は、すさんだ吐息をつきながら冷えた夜気を胸いっぱいに吸い込んだ。
残された時間は8時間。泣いても笑っても、明日の夜明けには高度7万5千メートルの宇宙空間へと殴り込むことになる。5%という狂った成功率と、どこか壊れた仲間たちを乗せて。
「ま、いつも通りのことか。負けたら世界が滅んで全員死ぬだけだ。おんなじおんなじ」
ポケットに手を突っこみ、静まり返った空の下を歩きながら、彼は不意に足を止めて夜空を見上げた。
雲ひとつない静寂な闇の中に、無数の星々が淡く瞬いている。ここから見上げる空はこれほどまでに美しく穏やかなのに、数時間後にはあの遥か頭上、空気すら存在しない極限の戦地へと身を投じるのだ。
しばらくの間、何をするでもなく、ただじっとその星空を眺めていた。
吹き抜ける夜風が肌を刺し、感覚を冷ややかに研ぎ澄ませていく。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
ふと袖をめくって腕時計に目をやると、針はすでに1時間ほど進んでいた。
「……今日ぐらいうちのカジノでちゃんと食うかねぇ……何を食うかくらいは、折角だし選ぶか」
自嘲気味に口角を上げると、探索者はゆっくりと背を向け、歩き出した。
「まぁ……最期の晩餐食って、ひと眠りするとしますかね」
彼は明日に備え、休息へと向けて足を進めた。