「……一応聞いときたいんだが……折角だし全力出したいんだ。世界への影響、弄ってくれないか?」
探索者は宣戦布告をした相手に対しまるで煙草の火を借りるかのような軽い調子で言った。
『……僕にそれをする理由は無いと思うけど……なぜ聞くんだい?』
神は無表情のまま、首を傾げる。世界の崩壊を防ぐ防衛システムとして存在する神にとって、侵入者の全力を引き出すような都合の良いハンデを与える意味などどこにもなかった。
「そのほうが悔いなく死ねるから」
探索者はニヤリと口角を上げ、何でもないことのように吐き捨てた。
「折角の死に際なんだ。ドカンと派手に行きたいだろ? そういう生き方しかやってこなかったもんでね」
探索者は口角を不敵に吊り上げ、肩をすくめてみせる。
『……やはり君はとても面白い。友人になれたのかもしれないな』
自分と同じ顔をした神は、まるで淡い感情の残滓を確かめるかのように、果てしない虚無を湛えた瞳を揺らした。世界の防衛メカニズムとしてのみ存在する無機質な神が、初めて人間的な思考の揺らぎを見せた
その一瞬
「ん? 今からでも良いんじゃね? 友人同士で殺し合うのなんかしょっちゅうだろ」
探索者はあっけらかんと言い放ち、鼻で小さく笑った。
数多の狂気の世界線で、裏切りも、袂を分かつ戦いも、背中を預け合った末の殺し合いも、嫌というほど潜り抜けてきた。相手が世界の理だろうと、神だろうと関係ない。
『…そうだね。その要求を受理することは計算上、破綻しない』
神が静かに手をかざすと、周囲の空間を縛っていた重く歪んだ理の圧迫感が、すっと霧散していく。外の世界へ被害が伝播しない、完全に閉じられた死の隔離領域(箱庭)。
「『六花月』……最期までよろしく頼むよ」
そう告げると、探索者の手に握られた刀が軋むような音を立ててその姿を変えていく。刃幅が増し、背が伸び、圧倒的な質量と威圧感を放つ巨大な大太刀へと変貌を遂げた。
それを見た神は、感情の読めない瞳をわずかに細める。
『芯火を出さないのかい?』
「ま、出したいのは山々なんだけどなぁ。色々まだ気持ちに整理がついてなくてなぁ。死にかけるまではこれで行こうかなと」
探索者は肩に大太刀を担ぎ上げ、すさんだ目で薄く笑ってみせた。
本気を出さない余裕などではない。満身創痍の肉体、すり減った精神、そして胸の奥に燻る割り切れない感情。それらすべてを誤魔化し、極限の死線へと身を投じるための彼なりの儀式。
『…それは舐めプと言うものなのかい?』
「まさか。半端な気持ちでアイツを使えば迷いが出ますから。迷うやつは弱いですよぉ?」
神の無機質な問いかけを、探索者はニヤリと歪んだ口角で軽快にいなす。
「勝負所で一瞬でも刃が鈍れば、その瞬間に死ぬ。迷いなんてのは致命的な悪手にしかならねぇんですよ」
大太刀『六花月』の柄を白手袋の手で固く握り直し、腰を低く落とす。肩から滑り降りた身の丈ほどもある刀身が、荒廃した街の乾いた風を鋭く切り裂いた。
「自分を信じ切れてねぇ札を撒くくらいなら、こっちのほうが幾分マシ……だろ?」
『……理解した。思考の最適化としては合理的だ』
『…やはり……人とは思えないな…』
ぽつりと漏らされたその声に、探索者は不敵な笑みを崩さないまま鼻で短く笑った。
「ハッ、人間扱いされないなんて今に始まったことじゃないっすよ。神様にまで化け物判定されるたぁ光栄至極です」
『…フッ…やはり…面白い』
無機質だった神の表情に、かすかな微笑のような歪みが浮かぶ。世界の意思として、ただ淡々と排除を実行するはずの存在が、眼前に立つ異物への興味を隠そうともしない。
探索者は深々と息を吸い込み、大太刀の柄を両手で強く握り直した。
静寂が支配する隔離領域に、彼の低く澄んだ声が朗々と響き渡る。
「『深き芯火に当てられて、二つの時は混ざり合う』」
「『沈まぬ陽は黄昏に染まり、尽きぬ夜は終わりを知る』」
「『黄昏の刻、三つの翼は一つへ還り、森は永き宵へ沈み、罪は天秤を傾け、裁きは牙となり、灯火は空を覆う』」
「『されど暗き闇に耐えし時、なお希望を捨てず、進み続ける』」
「『止まらぬ時は、人に絶望と希望を等しく与え、鐘は鳴り響く』」
「『だが、罪を心から懺悔すれば、止まりし時は再び巡り始める』」
「『汝、過去を恐るることなかれ。汝、未来を恐るることなかれ』」
「『尽きぬ夜を白夜へ』」
「『沈まぬ陽を黄昏へ』」
「『終わりを越え、始まりを迎えよ』」
「『さすれば、来光は祝福となるだろう』」
紡がれる言葉とともに、大太刀の刃身から解き放たれる不吉で圧倒的な気配。
「誰時」
言葉の終わりとともに、膨れ上がった気配が一気に引き絞られ、刃へと収束した。
「……」
『……』
静寂が戻る。
もはや言葉はいらなかった。
世界を救うためでも、神を解脱させるためでもない。ただ互いの存在を賭けた、純粋で絶対的な殺戮の刹那。
次の瞬間、二つの「探索者」は同時に地を蹴っていた。
ガギィィ!!
鈍い金属音が荒廃した街並みに重く木霊する。『誰時』の一撃すらも、神の手にする刃によって完璧に受け止められていた。刃同士が擦れ合い、火花が激しく散る。押し込もうと脚に力を込めるが、相手は世界の理そのもの。びくともしないばかりか、逆に圧倒的な質量と力で押し返されていく
(くっ……力勝負じゃ話になんねぇか……!)
思考を切り替えるのは一瞬だった。無理だと悟った次の瞬間、探索者は自らの「芯火」の深層へと意識を滑らせる。
「『フィリピン爆竹』!!」
取り出したのは、導火線に火がついた大量の爆竹の束。迷いも躊躇もなく、ゼロ距離で固まる互いの至近距離へとそれを叩きつけた。
轟音と爆風が二人の身体を容赦なく引き裂く。自爆覚悟の至近距離爆破。凄まじい衝撃に血煙を上げながらも、探索者はその爆風をあえて利用して強引に後方へ跳躍し、距離を取る。
しかし、態勢を整える隙など一瞬たりとも与えられない。
硝煙を切り裂き、同じく吹き飛ばされたはずの神が、傷一つない絶望的な佇まいのまま一蹴りで間合いを詰めてくる。
探索者はすさんだ目を血走らせ、白手袋の手で『六花月』の柄を死に物狂いで握り直した。
旋風のごとく繰り出される神の必殺の連撃。探索者はそれを真っ向から受け止めるのではなく、大太刀の広い刃で滑らせ、逸らし、泥臭く弾き続けた。
弾く。いなす。弾く。弾き続ける。
一撃ごとに両腕の骨が悲鳴を上げ、皮膚が裂けて血が吹き飛ぶ。足元のアスファルトは踏み込むたびにクレーターのように爆砕している。
それでも探索者はいなし続ける。
視界が血に染まる。荒い呼吸とともに肺が焼けるように熱い。
怖い。痛い。寒い。暑い。自分は何もしてないのに。巻き込まれただけなのに。普通の一般人なのに。理不尽だ。死にたくない。
なんで俺なんだ
何故? 何故? 何故? 何故? 何故? 何故? 何故? 何故? 何故? 何故? 何故? 何故? 何故?
理不尽な思考が頭の中を狂おしく駆け巡る。
ただ平穏に生きていたかっただけだ。ただ美味しいものを食べて、ただバカな雑談をして笑って、どこにでもある平凡な日常を過ごしたかっただけだ。それなのに、なぜ自分だけがこんな世界の底で、神などというわけのわからない化け物と命を削り合わなければならないのか。
そんな怨嗟と理不尽への問いかけが、脳裏を焼き尽くし——
そして、次の瞬間に虚無へと消えた。
(…被害者ズラは辞めた気で居たんだけどな)
泣き言を吐いて終わりではない。
恨み言を吐いても、神は世界は待ってくれない。
それが探索者が狂気の世界に身を置き続け、理解していることだった。
理不尽に抗う術は、泣き叫ぶことではなく、血反吐を吐きながらでも次の出目を引き寄せる手繰り寄せの執念だけだ。
ガギィィィンッ!!
刃と刃が噛み合い、爆発的な火花が視界を白く染める。
神の圧撃に膝が折れかけ、靴底がアスファルトを深く削り取る。肉が千切れ、骨が鳴鳴と悲鳴を上げる感覚すら、今の探索者にとってはただの「状態異常」という情報に過ぎない。
「『妖精』!!開け!!」
探索者の咆哮が響き渡る。
その瞬間、直前の乱撃で神の身体に刻まれていた、目視すら困難なほどかすかな擦り傷——本来なら世界そのものの防衛機制によって一瞬で修復されるはずの微細な痕跡が、理を無視して爆発的に弾けた。
プジャッ!!
「……っ!?」
神の不可侵な体に、鮮血のごとき歪んだ質量が噴き出す。
すぐに修復される程度の傷。質量。だが、探索者には大きな収穫だった。
(特異点は効果ある!!なら……)
神という絶対的な理に対しても、歪みを固定し突き刺す「特異点」の現象ならば確実に干渉できる。
探索者は血に濡れた口角を吊り上げた。
彼の左手の小指——冷たい金属の質感を残す、緻密に精巧化された義体。その内部に仕込まれているのは、T社製の時間圧縮装置。
触れた対象の時間を圧縮し、その一瞬を何万倍に引き延ばすための特異点が仕込まれている。
(こいつをぶち込めれば…!)
「『鎖』!!『錠』!!」
探索者の叫びとともに、手の中の鎖と南京錠が異様な咆哮を上げて増殖を始めた。
ジャラララララッ!!
ただの鉄屑ではない無数の太い鎖が空間の裂け目から噴出し、大蛇のように神の四肢、胴体、そして首筋へとなだれ込む。
ガチィィンッ!!
南京錠が重い金属音を立てて噛み合わさった瞬間、修復を進めようとしていた神の巨躯が、空間ごと完全に縫い留められた。
「動くなよ、神様ぁ!!」
千切れかけた右足でアスファルトを蹴破り、探索者は拘束された神の眼前へと肉薄する。左手の小指——冷たく輝く義体の尖端を、先ほど『妖精』でこじ開けたわずかな傷口へと一直線に突き立てた。
『…仕切り直しといこう』
神の無機質な声響いた瞬間、世界の理そのものが強制的に再起動するような戦慄が探索者の背筋を駆け抜けた。
「っ…"被害をそらす"!!!」
何かを察知した探索者は小指の突き出しを中断し、咄嗟に白手袋の両手を正面へとかざした。
直後、神の身に巻きついていた『鎖』と『錠』が内側から粉々に爆ぜ飛び、空間の歪みそのものが巨大な衝撃波となって探索者を正面から呑み込んだ。
大気が破裂し、隔離領域の空間全体が激しく軋む。
「ぐっ……あっ……!!」
直撃による即死こそ免れ、衝撃の大部分を周囲へと散らしはしたものの、逃がしきれなかった波及ダメージが探索者の全身を激しく打ちのめす。
バキバキと骨が折れる嫌な音が響き、全身の傷口から血が噴き出す。
探索者の体は十数メートルも吹き飛ばされ、瓦礫の山へと激しく激突する。
「カハッ……! ゲホッ……!!」
血を吐き出しながら瓦礫の中から這い出る探索者。
「ざ…けんな…よ…!」
血の混じった唾液を土足の跡が残る地面に吐き捨て、探索者は崩れた瓦礫を押し退けた。
探索者は知っている。アリがどれだけ足掻こうと、象には勝てないことを
兎がどれだけ知恵を回そうと、狼に逃亡以外で勝てることは絶対に無いということを
圧倒的な生存競争の階級。覆しようのない生物的、神学的な絶対優位。
だが
「それが…あきらめる理由には…ならねぇだろ……」
吐き捨てた言葉は血混じりで泥臭く、けれど荒廃した箱庭の空間に確かに力強く刺さった。
どれだけ神の力をその身に携えようが、経験を積もうが、探索者は人間である。
神のように絶対の計算で成り立つ存在でもなければ、傷一つなく世界の理を体現できる無機質なシステムでもない。恐怖に震え、肉体は限界を迎え、一撃食らえばあっけなく骨が砕け肉が跳ね飛ぶ、どこまでも脆弱な一匹の人間だ。
『…分からんな。何故そこまでして…』
神は無感情な瞳で、血塗れの探索者を見つめていた。理解不能な行動を繰り返すバグを、ただ淡々と観察するように。
探索者はポケットから取り出した真っ赤な錠剤を躊躇なく口へ放り込み、噛み砕いて呑み込んだ。
SCP-500──万能薬。それも最後の1錠
軋む骨を、千切れかけた筋肉を薬の力で強制的に繋ぎ止め、大太刀『六花月』の柄を固く握り直した。
――ドうシテ、ソコまで戦うノだ?
その声が、脳裏に蘇った。
「……」
あの日、少女はそう尋ねた。
何故だろうな。
今になって、その問いへの答えを考えてみようと思った。